十.宇良野 アスカ
※※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません※※
トレーニングルームで健はどうしたらよいか考えていた。
ハヤトと練習試合を行うはずが、ハヤトは先ほどから何度も何度も健に投げ技を決められてばかりいた。どうやらハヤトのレベルがまだ健と対戦できるほどに至っておらず、受け身を取るだけで精一杯のようだった。このままでは、ハヤトに大怪我をさせてしまうかもしれないと健は思った。
ハヤトはハヤトで、自分が全く集中できていないことに気づいていた。健と至近距離になるだけでつい意識してしまい、身体が思うように動かないというのもあった。ただ、元から筋肉の付きが良かったおかげで床に投げつけられてもさほど痛みを感じないのは幸いだった。
「ストップ。」と健が声をかけた。そして「ハヤト」と呼ぶと、真剣な表情でこちらに向かって歩いてきた。
ハヤトは健に名前を呼ばれて胸がどきっとし、思わず近づいてくる健の汗ばんだ太い首筋と引き締まった胸板に目が行き、赤面してしまった。
「動きが硬いから、もう少し重心を低く保った方がいい。それからお前は筋肉質だから、対戦相手は全力で向かってくるはず。その時相手の力をうまく利用して反撃に転じられるように、返し技を何度も練習して身体に覚えさせておくように。」
健が落ち着いた声でアドバイスを告げると、ハヤトは何度も小刻みに頷いた。「今日はここまでにしよう」と健に言われ、ハヤトは「あ、ありがとうございました」と頭を下げた。
健はトレーニングエリアに向かって一礼し、向きを変えクロエのいるベンチに近づいた。そして「クロエ、ハヤトの人格は…」とクロエに向かって何か言いたげに口を開いた。クロエは「ちゃんとやったわよ!」とすかさず健の言葉を遮った。
健は黙ってクロエを見つめながら、ひと呼吸おくと「そう。」と言い、そのままトレーニングルームを後にした。クロエはぷいっと顔を反らした。
「それにしても…」
クロエはハヤトを見た。そして「恋愛脳を多めにしちゃったかしら…でもちゃんと配合したからあの子もやれば出来るはずなのにね。」とつぶやいた。
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「薩摩君、分かりましたか?」
と言われてハヤトはハッと我に返った。爆発物処理の講習を受けている最中だった。
「あ、はい…」ハヤトは力なく答えた。
「はい、じゃあそういうわけで、今説明した要領で、レプリカ爆弾の時限装置を止めてみてください。」と講師は続けた。
目の前には、緑色のプリント基板(半田付けなどを行う電子回路版)に腕時計の文字盤の部分だけが貼付けられ、そこから六本の色違いの配線が伸び、基板の下に括りつけられているブロック粘土の中へ押し込まれている時限爆弾のレプリカが置いてあった。粘土はプラスチック爆薬を模していると思われた。
(このうちのどれかを切断すれば、時限装置が止まるのか。)ハヤトは配線を指でつまみ、ひとつひとつ眺めていった。
(時限装置から、信管へ伸びてる線…まるで心臓から伸びてる血管みたい。爆発しちゃうよね、ああいう人に出会っちゃったらさ。)
(あー会いたいなぁ。今なにやってるんだろう…稽古かな…)ハヤトは乙女のように、健に想いを馳せた。
その時、時限装置から伸びている配線の一本が、赤く光る糸のように浮かび上がって見えた。ハヤトは心ここにあらずの状態で、赤く光って見える配線を切った。すると、時計の針が止まった。
「あ、…できた。」
ハヤトが手を上げて「できました」と言うと、講師は「そうですか、ビギナーズラックですかね」といって笑った。
ところがハヤトはその後も、またその後も、時限装置と信管をつなぐ線を切断してみせた。正解が存在しない確率まかせの演習のときでさえも、解除に成功した。そのうちどうしてわかるのか、と逆に講師が聞いてくるほどだった。
ぼうっと見ていると、やがて切るべき配線が赤く光って浮かび上がってくるのだとは、誰にも言わなかった。
そうしてハヤトは88パーセントの確率で爆弾を止め(配線を切らないタイプの演習も含まれる)、すんなりと合格認定を受け取った。
残る課題は格闘実技試験のみとなった。ハヤトは毎日、早朝から深夜まで鍛錬に励んだ。
―
愛脳警護エージェント宇良野アスカは、海豚の役員室をノックした。中から「どうぞ」と声がした。「失礼します」と言い中に入ると、部屋の壁一面には隙間なくびっちりとフォトフレームが飾られていた。式呉院の子供たちの写真だった。アスカはなんとも言えない圧を感じ、お、と言って思わずのけぞった。
中央の応接用ソファには、海豚、ハンドウ、クロエが座っていた。「お忙しいなか、来てくれてありがとう。どうぞ座ってください。」と海豚が促すと、アスカはハンドウとクロエにちっす、と小さく挨拶した後、軽く一礼してソファに座った。
「アスカ君、今日お呼び立てしたのはね、”虫”から情報が入ったからなんだ。」海豚が口を開いた。
”虫”というのは、情報屋を指す隠語だった。ほかにも”鳩”、”ヤギ”などと呼ばれることもあった。
「近く、例の船会社に動きがありそうとのことなんだ。そこで、来週あたり、君をリーダーとしたチームを編成して、潜入捜査を行ってもらいたいと思って。」
アスカは腕を組み、右手で顎髭を触りながら話を聞いていた。
「例の船会社っていうのは…」アスカが尋ねると、「一美海運という会社で、人身売買に関与していると思われる犯罪組織のフロント企業です。」とハンドウが答えた。
「あーはい、はい、了解す。」アスカは深く頷いた。無造作に束ね上げられたドレッドヘアの髪がゆさゆさと揺れた。
「来週、健が要人警護で不在だから、あなただけになるけど、ま、よろしくね。」クロエが付け足した。
アスカは半分笑いながら「まじっすか。」と言うと、「あ、俺も来週エージェント試験の実技で対戦しないといけないんで、その後でお願いします。」と続けた。
「あ、そうだったね!確か君の相手は…」海豚が尋ねた。
「薩摩ハヤトっていう人っすね。」とアスカが答えた。
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