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One  作者: マン太
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5-1.別れ

 それから、数日。いつものように採取を手伝う日々が続き。とうとう、最終日がきた。

 明日には午前出港の船に乗って帰ることになる。この家はそのまま、虎太郎に貸すことになっていた。

 その間は、おばちゃんも家の中まで管理する必要はないし、庭の手入れもそこまでしなくともいい。虎太郎も安心して、落ち着いた環境で研究に集中できる。

 夜、寝る前。直ぐに寝るのも惜しくて、布団の上で、虎太郎と向き合っていた。

 網戸の向こうからは虫の音が聞こえてくる。海風があるせいかそこまで蒸し暑くはなかった。それでも扇風機はブーンと音を立てフル回転だ。


「虎太郎さん…。本当にあっちでも会ってくれます?」


「もちろん。って、タイミングが合えばいいけどな…。薫、仕事も学校もあるんだろ?」


「学校なんて…。ただ、仕事は読めないから…」


 授業の時間割りの様にはいかない。それでも、絶対、休みを取って虎太郎と会おうと思った。

 薫がここへ遊びに来ることは、時間的に厳しいかもしれないが、あちらで会うことなら、まだ簡単なはず。


「いいんだって。ちょっと会って話せれば。それで、気分転換になるだろ? まあ、問題は俺と会うことが気分転換になるかだけどな──」


 腕組みして、うーんと唸るが。


「なります!」


「薫?」


「って、いや…。なります。絶対…」


 すると、虎太郎はにかっと笑んで。


「よっし。じゃ、絶対会おう。な?」


 薫の頭をぽんぽんと叩いた。

 グッと込み上げるものがあったけれど、そこは堪える。

 そろそろ寝ないと明日に響く。虎太郎が手元のスタンドの紐を引いて電灯を消すと、後は外から差し込む月明かりのみとなった。

 青白い光が、網戸越しに畳と布団、仰向けになって眠る虎太郎を照らす。

 ここで過ごした日々は、薫にとって、何にも代え難い思い出となる。

 帰れば、またあの忙しい、プライベートなど、何もない世界へ放り込まれるのだ。

 待ってくれているファンがいる。メンバーも。だから、戻らなければならない。


 ならないのだけど──。


「…戻りたくない」


 目の端に涙が滲む。虎太郎に背を向け、ポツリと漏らせば。


「薫…?」


 衣擦れの音がして、こちらに虎太郎が顔を向けた気配。そうして、丸めていた背中に、ぽんと、手があてられた。


 温かい──。


「いろいろ…無理はしなくていい。駄目だったら、弱音を吐いていいんだ。ほかに言えないんだったら、俺に言えよ。批判とか、説教とか、しないから。…ため込まなくていい。な?」


 虎太郎が親身になって、気にかけてくれているのが分かって、涙がこみ上げて来た。

 泣いているのを見られたくなくて、薫は背を向けたまま。


「…うん」


 そうとだけ、答えた。

 


 朝、カーテンを開ける音で目が覚める。


「おはよう! 薫。もう起きないと、朝、一番のだろう? 朝ご飯用におにぎり握るから」


 もそりと、潜り込んでいたタオルケットの間から顔を覗かせれば、こちらへ振り返る虎太郎がいた。

 その向こうから、朝の太陽の光が差し込んでくる。そのせいで、まるで虎太郎から光りがさしているようで。──眩しかった。


「…うん。わかった…」


 ノロノロと半身を起こし、そのままそこでぼんやりしていれば、近づいて来た虎太郎が、くしゃと頭を撫でて。


「ほーら、ちゃちゃっと起きて、顔、洗って来いよ。それまでに、準備しとくから。な?」


「…虎太郎さん」


「なんだ?」


「海…、荒れてない?」


「残念! 白波もたたない、凪の海だな」


 縁側から外の景色を振り返って口にする。そこから海が見えるのだ。


「あーあ、もうっ! せめて、もう一週間、いたかった…」


「一週間経ったら、また、一週間。そうなるって。──あのさ」


 そう言うと、虎太郎は未だ布団から起き上がろうとしない薫の傍らに片膝をつき。


「なに…?」


「俺も途中まで一緒に行くよ」


「…え?」


「一旦、大学に戻って試料整理して、報告して。それから、またここに戻る事にした。蔵田のおばちゃんにはもう言ってある。──だからほら、起きろって」


 それって。それって。──俺のため?


「──虎太郎さんっ。ありがとう…!」


 薫は感極って、虎太郎に抱きついた。

 鼻先を虎太郎の匂いがかすめる。薫と同じシャンプーと、洗濯洗剤の香り。それが混ざりあって、虎太郎の香りになっているのだ。

 

 安心する…。


「お礼なんていらないって。どうせ途中で帰る予定だったし。…薫?」


「──俺、虎太郎さんと別れるの、嫌だ。…子どもの頃、楽しかった夏休みが終わって、田舎のじいちゃん家から帰りたくないって泣いたんだ…。その時と、同じ気持ちだ…」


 虎太郎は軽く息をつくと、ポンポンとその背を軽く叩く。


「これで、終わりじゃないだろ? この先だって続くんだから。な? 俺だって、どっか行くわけじゃないし。自分を追い詰めんな」


「…でも。終わる…」


 と、虎太郎はガシッと薫の頬を両手で挟んで、顔を覗き込むと。


「ここで過ごした日々は、なくならないし、これからもっと、楽しい時間を作ってくんだ。──そう思え」


「虎太郎さん…」


「ほーら、そんな、情けない顔すんな。イケメンだいなし!」

 

 ピン! と、おでこを指先で弾いてきた。


「って!」


「支度、急げよ? 船長が港まで送ってくれるって。あと、一時間で迎えにくるからさ。ちゃちゃっとな」


 薫は弾かれた額を、手で擦りつつ、


「わかった…」


 ようやく、のそりと起き上がった。

 それでも、『これからもっと』その言葉に救われる。


 終わりじゃ、ないんだ。


 胸のうちが、温かくなった。

 


 一時間後、イルカウォッチングもさせてくれた船長が迎えに来てくれた。荷物が多いだろうからと、気を利かせてくれたのだ。

 港までの道のりを、船長の運転する軽ワゴンに揺られながら。


「虎太郎くんは、また帰って来るんだろ?」


「はい。ひと月後にまた」

 

「もう、全部まわったんじゃないのかい? 岩の採取」


 ルームミラー越しに船長が尋ねてくる。丁度、トンネルから抜けて、まぶしく光る海が眼下に広がって見えた。


「あー、それがまだ。全部となると…」


「それじゃぁ、一年経っちゃうんじゃないのかい? もう、いっそここに住めばいいのに。ばあちゃんも喜ぶよ。薫くんの所、空いてるんでしょ?」


 突然呼ばれて、薫は慌てて意識をこちらに引き戻す。


「──はい、たぶん…」


「なら、住めばいいのに。なぁ?」


「あはは、ええ、まあ。そうですねぇ」


 虎太郎は笑って言葉を濁した。



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