3-3.告白
重いザックは薫が引き受けていた。体力はある。これくらい背負うのはわけなかった。
代わりに虎太郎はテント泊用品を背負っている。一人分だからそう多くはないが、それでもテントやコンロはかさばった。歩く度にそれらが、ガチャガチャ音をたてる。
二人、並んでバス停へと向かいながら。
「虎太郎さんて、いろいろできるんですね?」
「まあ、俺も一人暮らしは長いし。バイトで飲食店にも勤めてたし。でも完全なる手抜き料理専門だけどな?」
「彼女が作ってくれたりは?」
その言葉に、ぴくと肩が揺れたが。
「…いやぁ。それはないな。──でも友達呼んで、鍋囲んだり、たこ焼きパーティーしたり。そういうのはあったな。気楽で楽しかったぞ?」
「そうなんですか? 虎太郎さんなら、可愛い彼女、いそうなのに…」
「そう言う薫も──ってこれはあんまり聞いちゃいけないな? プライベートだしね。アイドルだし?」
イタズラっぽい笑みを浮かべて見せるが。
「あはは。いいですよ。虎太郎さんなら。──まあ、同業者となら付き合ったりしますけど。職場恋愛みたいな感覚ですね。でも、お互いばれると面倒くさいから、長続きしないですね…」
「へぇ…。確かに、騒がれたら面倒そうだもんな? 付き合うにしても、かなり気を使いそうだしなぁ」
「そうなんです…。マネージャーも色恋には厳しくって」
「なんか、大変そうだな?」
「友達も呼ぶのはいいんですけど、誰を呼ぶのかは一応、連絡して。しかも、プライベートは絶対話させるなって条件付きで。下手にバラされたらイメージに関わるって…」
「そっかぁ。そうなるよなぁ…。けど、友達も気楽に呼べないのかぁ。辛いなぁ。それ」
「だから、今、すっごく気楽で楽しいんです。だって、好きにできるし、誰も俺のこと知らないんですから」
誰に気兼ねなく、素の自分でいられる。今ではすっかり、絡まった糸がほどけた様に、気楽でいられた。
「確かに! ここにいる人たちは皆、知らないと思うぞ。テレビだって、時代劇とか釣り番組とか。ニュース番組くらいだからなぁ」
虎太郎は腕組みして頷く。
バス停に到着し、互いの荷物をベンチ脇へ下ろすと、そこへ並んで座った。薫と虎太郎以外、乗車する客はいない。
「虎太郎さんもふくめ。そのままでいて欲しいってのが正直な所です…」
「わかった! ここにいる間は、薫のこと調べない! ちょっと気にはなったけど…」
「虎太郎さんなら、知っても変わらないでいてくれそうですね?」
「うーん…。あんまり有名人だったら、ちょっとは引くかも…」
「ええ? それ、やめてくださいよ。悲しいです…」
会話の間に、バスが到着する。虎太郎は荷物を背負いバスのステップに足をかけながら、
「嘘だって。応援するよ」
そう言ったが。
家に帰ってから、ネットの動画で歌って踊る姿を見せると、虎太郎の目は点になった。
家に到着し、シャワーを交代で浴びつつ、夕飯準備に取り掛かかった。
二人でワイワイやりながら支度を終え、虎太郎力作の、豪華海鮮丼を食べたあと、お茶を手に居間で一息つく。
「はぁー、お腹いっぱい…」
虎太郎は板の間へひっくり返り、お腹をポンポン叩いて見せた。そうは言っても、痩せ型の虎太郎のお腹は、そこまで膨らんではいない。
いちいち行動が可愛いのだが、それは黙っておいた。薫はちゃぶ台に肘をつくと。
「すし飯って、案外、簡単に作れるんですね?」
「お酢と砂糖と塩があれば。海鮮も乗っけるだけだしな? 注意点は、夏場は食べる直前に乗っけること! でないと、お刺身が傷む。…以上だ」
そうして、一段落した所で、薫は端末を取り出すと、おもむろにとある動画を見せた。
「…これ、見ます?」
ル・シエル・ブルーのミュージックビデオ。動画サイトに上がっている公式のものだ。
自身のダンスのキレもいい、一番のお気に入りで。穏やかな曲だけれど、ちょっと切ない旋律。ダンスも激しくはないが、細かいテクニックがちりばめられている。そして、シンクロ率がかなりいい。
「これ…。薫──なんだ?」
虎太郎の目が、点になる。
「そうですね…」
「はぁー…。すっごいなぁ。これが、薫…。確かに顔は──そうだな…」
板の間にぺたりと座り込んだ虎太郎は、ちゃぶ台に置かれた端末に映る薫の顔と、隣で覗き込む薫とを交互に見比べる。今は薫のアップが画面に映っていた。
「…やっぱり、引きます?」
「いや、引くも何も…。すごいなぁって。こんな風に踊れてさ。楽しいんじゃないの? これ。羨ましい…。俺も歌って踊ってみたい!」
虎太郎の目が、キラキラと輝く。それは、例の鉱石を見ている時と同じだった。
「いいじゃないですか。やってみれば」
しかし、虎太郎は悲しそうに首を振ると。
「俺、昔っから、運動音痴で歌も音痴で…。中学の体育の授業の創作ダンスなんて散々だったぞ? リズム感はないし、ひとりワンテンポ遅れるし…。カクンカクンだったんだからな? 音楽の授業だって、一小節歌っただけで先生になんど笑われたか…。俺には一生無理だって思った。──でも、歌は好きだよ。一人っきりの時は、鼻歌唄うんだ。誰も笑わないからさ」
「そう言われると、聞きたくなるな…」
「やめろよー! プロの前でそんな恥さらし。聞いたら音痴が伝染するって。あー。おそろしー」
そう言って、虎太郎は二の腕を掴んで、ブルブル震えてみせた。薫は笑う。
「聞いたら、きっと辛いときに思いだして、笑えるのに…」
「ひでーなー。こっちはトラウマなんだぞ? トラウマ。ちゃんと音程とって歌えるって羨ましい。しかも踊ってるし…。俺とは別世界にいるんだなぁ」
その言葉に、はっとなる。
過去の辛い出来事を思い出したからだ。
何度、そう言われて距離をとられた事か。せっかく気安くなれた友だちも、薫の活躍を知ると、自分とは違うからと、段々と離れて行ってしまうのだ。
薫は真面目な顔つきになると。
「…別世界じゃ、ないですよ? 俺はちゃんと、虎太郎さんと同じ世界に生きてます。小さいことで怒って泣いて。くだらないことで笑って、はしゃいで…。同じ普通の人間なんです」
これは、別の意味でトラウマなのだ。薫の言葉に、虎太郎は済まなそうにしょげると。
「──そうだよな。ごめん、悪かった。確かに同じ人間だ」
「そうですよ。怖がりで寂しがりで、そのくせ人見知りで、うまく自己表現できない、ぶきっちょな奴なんです…」
薫は冗談めかしてそう口にしたが。
「そんなことないって。卑下すんなよ? 俺から見れば──」
虎太郎は薫をじいっと見つめてくる。少し、ドキリとした。
「身長が高くって、髪の毛サラッサラ、まつ毛がクルンとしてて、黒目勝ち。鼻が高くて彫の深い非の打ち所のないイケメン。無口なのが逆にカッコいい。──でも、いったん、仲良くなると、途端に人懐っこくなる──笑顔がかわいい、頼もしい奴だ」
そう言って、手を伸ばすと、薫の頭をポンと叩いて見せた。
「薫は薫、だな?」
「……」
その時はなんとか真顔を保つことができたが、正直、泣きたかった。
フィルターをかけずに、自分をちゃんと見てくれる人がいる。それが嬉しかったのだ。
「っかし、なんか別もんだな? ──これ、本当に薫?」
「案外、失礼っすね。俺ですって」
見えないなー、本当かなー? と、口にしながら、何度も動画を再生しては見直していた。
虎太郎の反応はその程度で。その後も、今までと何も変わらなかった。
ただ、時折眩しそうな顔をしてこちらを見ることがあるくらい。単に夏の日差しが強く、眩しいだけかもしれないが。
次の日からも、虎太郎の後をついて回った。
一応、通っている高校から簡単な課題は出ていたが、そんなものはすぐ終わってしまい。
やることと言えば、本を読むかネットを見るかくらい。それくらいだったら、虎太郎の後をついて行った方が楽しそうだったからだ。
虎太郎は、先日の海岸端にとどまらず、島の中をあちこちと歩き回った。時には片道一時間以上かかるような奥地まで行く。島の中をくまなく調べて回るらしい。
「きつかったら、言っていいからな? ペース、緩めるから」
「はい。今の所、大丈夫です…」
とは言ったものの、歩き慣れない山道に苦戦したのは否定できない。
お陰で朝晩走る必要がないくらい歩いた。気が付けば日焼けもしていて。これはマネージャーの蒼木に怒られるとは思ったが仕方ない。不可抗力だ。
一応、帽子をかぶりサングラスをし。日焼け止めも塗ってはいたが、虎太郎の手伝いに熱中していると、その必要性を忘れてしまい。頭に手ぬぐいで手伝っている日もあった。
「おお、薫、サマになってる…。どっから見ても、山漢!」
虎太郎が冷やかす。
「一応、アイドルっす…」
そう言う虎太郎の方は、例の麦わら帽子のほか、採取の時だけはヘルメットをかぶる。
かなり急こう配な箇所から採取することもあり、それは必須だ。
ただ、慣れたものでひょいひょいと足場を見つけてそこまで登ってしまう。
運動音痴とは言いながら、まったく動けないわけではないらしい。ひょっとしたら、ボルダリングでもやってみれば、いい線行くかもしれないと思った。
「薫ー! 今日はこれでお終いだから」
やや高所からそう声をかけてきた虎太郎は、するすると岩場をおりてそう告げた。腰のサイドバッグに岩がぎっしり詰まっている。
時刻は午前十時過ぎあたり。
「今日は早いんですね?」
「うん。おばちゃんが港で待ってるんだ」
「港に? なんでですか?」
「ふふふ。いつも頑張ってくれる薫に、プレゼントを用意した!」
「…プレゼント?」
「いいから。さっさと片付けて。家帰ったら港直行!」
それから、何度たずねても、虎太郎はにやにや笑うだけで何も答えてはくれなかった。