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One  作者: マン太
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その後 3.過去

「匠先輩!」


 虎太郎が声をかけると、ゆったりとした動作で振り返る。

 適当にかき上げられただけの前髪が、どこか色っぽい。登山用のザックもヘルメットも、今はその足元に置かれている。


「虎太郎。どうした? そんな嬉しそうにして」


 山頂の山小屋。すでに頂上には登り終えて、山小屋のベンチにて一段落と言う所。

 今回はいつもならいるはずの、匠の取り巻き連中がいない。お陰で匠と二人きりの山行となった。

 事の発端は、虎太郎の呟きからだった。

 サークルの飲み会で、虎太郎が今回登った山へ、機会があれば登りたいと言っていたのを、隣に座っていた匠が覚えていて。

 その後、それを思い出した匠が、週末時間があると分かって、虎太郎に声をかけたのだった。虎太郎は、予定を確認するまでも無く、二つ返事で快諾して。

 他を連れて行くと、予定を合わせるのも面倒だからと匠が言い、二人きりとなったのだ。

 いつもなら、ついてくる蒼木もいない。正真正銘二人きりだ。


「あっちでスイカ、配ってたんです。どうぞ…」


 虎太郎手は、手にしていた赤く色づいたスイカの一方を差し出した。

 湧き水に冷やされていたそれは、思った以上に冷えている。受け取った匠は、珍しいものでも見るようにして、


「なに、ただで?」


「はい。ただで…。山小屋の管理人さんのご実家で作ってるって言ってました。売り物にならないのを持ってきたって。──あまっ」


 そうして、手にしていたスイカの一番上にかぶり付く。シャクと小気味よい音を立てた。それを見咎めた匠が。


「あ、先輩より先に食うなよ…」


「だって、冷えているうちに食べないと。先輩もしゃべってないで、ホラ」


「わかってるって。ったく」


 同じく匠もかぶり付く。いかにも夏らしい音がした。

 こうして、匠と二人きりの時間を過ごせる様になるとは、思ってもみなかった。

 一緒に登って、スイカを分け合って。なんと、昨晩は隣に寝てもいたのだ。もちろん、大部屋の雑魚寝だったけれど。

 手を伸ばせば、直ぐそこに匠がいた。思わず、ほんの少しだけ、その頬に触れてしまった。起きていたら、そんなことは出来ない。これは内緒だ。


 ──なんか、夢みたいだ。


 匠に気安く接して貰えるようになるなんて。意味は違うにしても、好かれている証拠だと自負している。

 今ではすっかり、匠の腰巾着よろしく、ついて回っていた。

 ただ、匠はかわいい後輩と思っているだけ。完全に匠へ恋心を抱いている虎太郎とは違う。

 この思いが、通じるとは思っていない。けれど、卒業まではこの立ち位置死守したかった。

 そんな事を考えながら、最後のひと口を食べ終われば。


「?」


 視線を感じて顔を上げると、匠と目が合った。虎太郎は首を傾げる。


「どうかしました?」


「……いや」


 そうは答えたものの、言いたい事はありそうに見えたが。匠も最後の一口を食べ終わると、


「さて。下りるか。帰り、温泉寄って行こうぜ」


「やった!」


 喜ぶ虎太郎に、匠も笑みを浮かべていた。



「いい湯ですねー」


 虎太郎はしみじみとそう口にした。

 隣には、上気した頬に笑みを浮かべて息を吐き出す虎太郎がいる。

 山登りの帰りに、言った通り、匠の運転で近場の温泉地に立ち寄ったのだ。

 今は仲良く並んで、露天風呂に浸かっている。少し熱めのお湯は、疲れた身体に心地いい。

 山間にあり、そう人は多くない。今も露天には匠と虎太郎のみだ。青々と茂った木々が風に揺れ、音を立てる。すぐ下に川が流れていて涼やかな音を響かせていた。 


「……だな」


 かわいい後輩──だ。たぶん。

 なぜ、多分がつくのか。

 昨晩、眠りが浅くなった所で、誰かに頬を触れられたのを感じた。目は開けられない。開ければ、そいつと視線が合うからだ。

 あったら気まずい。

 触れてきたのは虎太郎だからだ。

 なぜ、触れたのか。──なんとなく、虎太郎の視線には気が付いていた。単に人懐こい、健気な後輩ではないことに。

 匠の一挙手一動に反応し、嬉しそうな顔を見せる。単なる先輩を慕う後輩ではないような気がしていたのだ。でも、確証はなく。思い違いかもしれない、そう思っていたのだが。

 昨晩のそれで、それは思い違いでないのだと悟った。

 ──虎太郎は俺のことを…?

 たぶん、思っている。ただの、先輩ではないだろう。男女間の好意と同じだ。

 それを知って、どう思ったかと言えば。ああそうか、と、それだけで。なんとなく、気付いていたのだから今更の気もする。

 けれど、応えられない。

 匠の志向は異性だ。同性ではない。それを分からせるため、虎太郎の気持ちを冷めさせるため、距離をとった方がいいのだろう。

 告白を受けたわけではないのだから、それとなく、分からせていけばいい。虎太郎が幻滅するような人間になれば、きっと気持ちも離れていくに違いない。

 と、虎太郎がこちらの視線に気が付き、顔を覗き込んできた。


「……先輩?」


 くりっとした目。ふわふわとした茶色の髪。身体は小柄な方だ。それでも、山岳サークルに入ってからは、それなりに身体も鍛えているため、きりりと締まっている。

 どう見ても、男だ。虎太郎とどうこうなる、と言う想像は──。

 そこで、不意に虎太郎の上気した首筋から鎖骨、胸元に視線が滑りかけ、慌てて逸らした。そんなわけがない。自分が同性に興味も持つなどあり得ない。

 

「なんでもない……」


 匠は自身に湧きかけた思いを全否定した。

 その日は何事も無く、虎太郎をアパートまで送って終わったが。

 しばらく顔を見ることができなかった。見るとあらぬ想像をしてしまいそうになる自分がいて。

 それを打ち消すため、当初の予定通り、虎太郎に対して辛いだろうと思われる仕打ちをした。

 とっかえひっかえ、相手を変え付き合い、それを虎太郎に見せつけた。ここまですれば、きっと虎太郎は幻滅するだろうと。

 けれど、虎太郎は、匠が卒業するまで、その態度を変えることはなかった。

 あとで蒼木から聞かされたが、実際は違っていたらしい。知らない所で診療科へ通院もしていたのだとか。

 けれど、当時の虎太郎は、匠の前ではまったくその素振りを見せなかった。傷ついた顔も見せず、匠に振り回されていて。自分を本気で好いているのだ。

 なんて酷いことをしてるのだろう。数回、それを繰り返した時に思った。いくら諦めさせるためとは言え、相手の思いを無視して踏みにじるような行為をしている。

 それに、匠自身も、胸に痛みを覚えていた。大切な相手を傷つけている、そう感じていた。

 ──俺は虎太郎をどう思っているのだろう?

 認めたくない答えがそこにあって。それでも、認められない。認めたくない。認める自信もない……。

 進路が決まり、海外へ立つことが決まり。最後の賭けをした。

 もし、虎太郎が素直に自分に思いを吐露したなら、考えようと。それで、日本を立つ日を、虎太郎に告げた。もし、彼が空港に現れたなら──。

 けれど、虎太郎は現れなかった。

 それはそうだろう。あれだけ酷い仕打ちをして、最後に見送りに来て欲しいなんて。また踏みにじられる、そう思うに違いない。

 ──これで、良かったんだ。

 そう思い、アラスカへ飛んだ。



「匠先輩、遠い目してますけど…。まさか、酔ったんですか?」 


 居酒屋の個室。向かいの席に座った虎太郎が訝し気に覗き込んでくる。再び帰国して、久しぶりに飲むことになったのだが。

 あの時と変わりない。こうして思いを自覚した時点で、かわいいとさえ思ってしまうのだが──。


「ちょっと、そこ! あんま、見つめ合わないでくださいよ! 虎太郎さんは、俺のなんですから!」


 したたかに酔った薫が間に割って入る様に、虎太郎の前に横から顔を出した。


「お前は…。まったくもって、往生際が悪いな」


 匠の隣には蒼木がいて、深々とため息をつく。そうだ。ここにはこいつも蒼木もいるのだ。匠は前髪をかき上げると。


「何もしてないだろ? ったく、見ただけじゃないか」


「それが、まずいんですって。ただの視線じゃないですもん。なんか今にも襲いそうな目、してました!」


 薫はそう言って、隣の虎太郎の肩を抱き、自分の方へ引き寄せた。


「誤解だ。──昔を思い出してただけだ」


「昔?」


 虎太郎が薫の腕の中で小首をかしげた。すると、匠はにやりと笑んで。


「昔のお前は俺に一途でかわいかったな、って」


「……っ」


 途端に虎太郎の顔がボッと赤くなる。湯気でも立ちそうなくらいだ。


「恋人の前で口説かないでください!」


 薫が虎太郎を更に抱き寄せ、抱え込むと、こちらに向かって威嚇してくる。大人気アイドルが台無しだ。隣では蒼木がわざとらしく大きなため息をつき、首をふってみせた。


 あの時、もし、虎太郎が来ていたなら──。


「……確かに、往生際が悪いな」


 匠はそう言って笑った。

 恋人の立場は叶わなくとも、『いい先輩』として、これからも傍らにいようと、誓った。

 ──それが、俺の償いだ。



—了ー

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