表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
One  作者: マン太
3/34

2.雨

 坂を上りきると、生け垣の向こうに家屋が見えた。この地方では当たり前の、赤い瓦が目印だ。

 今まで通って来た道は、丁度、家の前で細くなって消えていた。なるほど、確かに行きつく所まで行った感がある。終点、と言ったところか。


「えーと、鍵は…」


 ゴソゴソと、肩に掛けたザックの中を探る。先ほど出会った、松岡のぎっちり詰まったザックと比べると、まるで子どもサイズだ。

 鍵は母親の親戚、祖母の従兄弟の弟の奥さん──以降、おばちゃんで──が管理していて、港に着いた時、手渡されていた。

 家の中には、寝具も、当面、必要になりそうな食料も用意してあるからと言われている。至れり尽くせりだ。

 足りなくなれば、商店街まで買いに出るか、週に三回、トラックで回って来る出張スーパーで買えばいいらしい。


「あったあった…」


 探った内ポケットに、鍵を見つける。鈴と共にイルカのキャラクターのキーホルダーが付いていた。

 この島の周囲には、イルカが住んでいて、沖まで行かなくとも周辺で見られるらしい。


 見たいな…。


 都会では水族館以外で見たことはない。おばちゃんが、知り合いの漁師に頼めばいつでも見られるから、と言ってくれた。

 せっかくだから、見ない手はない。ここでは、何もやることがないのだから。


 まあ、何もしない為の休養だしな。

 

 その為にここへ来たのだ。

 仕事のことはすっかり忘れて、ボーッと過ごすため。でも、規則正しく生活を送るようにとは言われている。

 幾らのんびりと言っても、夜更かしして、昼夜逆転しては意味が無いのだ。

 向こうでは、なかなか寝付けなかったため、医師から睡眠導入剤を処方されている。あっちにいた時は、これがないと眠れなかった。


 ここに来て、薬なしで眠れたらいいんだけど…。


 薫は鍵を手に、玄関へ向かった。

 昔ながらの引き戸の玄関で、ガラスの格子戸となっている。鍵穴へ、鍵をガチャガチャと何度か入れたり、抜いたり、また挿したりして、ようやく開いた。

 

「よっと…」


 引き戸に手をかけて横に引くと、ガラガラ言うものの、思いのほか軽く動いた。拍子抜けする。きちんと管理されているからだろう。

 玄関のたたきは、まあるい石が敷きつめられていて、なんだか可愛らしい。

 どこかに、ネコの足あとも残っていると、幼い頃、母暁子が言っていたのを思い出す。塗ったばかりのコンクリの上を歩いてしまったのだ。

 それはあとで探すとして──。

 そこから、室内を見渡した。正面は壁だったが、横には廊下が奥まで繋がっている。その廊下を挟んで、居間やら客間、台所が付随していた。建具の多さに、部屋の広さがうかがえる。


 広いな…。


 記憶には残っていないため、初めて見るのと一緒だ。

 カーテンを引いたままのため薄暗いが、奥行きはかなりある。大家族ならまだしも、たったひとりで過ごすのには躊躇われる広さだ。

 薫の実家は、父母姉の家族構成だが、ここと比べればかなり手狭になるだろう。


 ここでひとり、か。


 玄関先で腕を組む。リラックスどころか、逆に緊張しそうだった。

 が、とにかく、ここで立っていても先へは進まない。上がって中をみてみよう。

 ──と、スニーカーを脱ぎ、上がりかまちに足をかけたとたん、ぎしときしむ音がした。


 これは。


 かなり年季が入っている。小柄とは言えない薫が乗れば、穴でも空きそうな勢いだ。

 それ以上、足を乗せるのをためらったが、このままでは部屋に入れない。えいやと勢いをつけて上がった。

 ギシギシと歩く度に鳴ったが、もう仕方ない。気にせず中へと進む。

 手前の障子を開ければ、居間となっていた。

 板の間で、中央が四角く切り取られたように板が張られている。そう言えば、母が昔は囲炉裏があったと言っていた。その名残りだろう。

 二間続きの部屋の奥に、仏間があったが、今はすっかり片付けられていた。

 左手、すぐ隣は台所となっている。キッチンの方が響きはいいが、ここでは台所の方がよく合っていた。引き戸を開け放てば、居間とひと続きの、かなり広い空間となるだろう。

 その居間には縁側があり、外には適度に手入れされた庭が広がっていた。

 植えられているのは、ヤマブキ、レンギョウ、ジャスミンにアジサイ。モミジ。その他もろもろ。それぞれの季節が楽しめる様になっているらしい。すべて母からの受け売りだ。

 春になればヤマブキや、レンギョウが。夏になれば、ジャスミンが白い小さな花をつける。

 秋になると、モミジが葉を真っ赤に染め、冬には花の代わりに、わずかに積もった雪が花のように庭を彩って。

 母が高校生まで過ごした実家は、いつも何かしらの季節の色に包まれていたと言う。


 今は、夏。


 流れてくる甘い香りを吸い込んだ。ジャスミンだ。この香りは、幼い頃、母から教わった。見た目は派手ではないが、その存在を知らせてくる香り。


 意外に、のんびりできるかも。


 縁側の網戸も開け放って、大きく息を吸い込んだ。


 寝室は廊下を挟んで反対側。ふすまの向こうに畳敷きの部屋があった。こちらも縁側があって、部屋を半分囲んでいる。玄関側にもあるから、来訪者がよく見えた。

 脇に置かれた布団も新しいのを用意してくれてある。干してくれたのか、ふかふかだ。

 

 なんか、新鮮だな。


 今、親元から離れ住んでいるマンションは、すべてフローリングで。畳の匂いなどまずしない。

 事務所が選んだ、セキュリティ万全の部屋だ。

 住み心地はそれなりにいいが、窓を開けても緑が目に入ることはまずない。

 と言うか、ベランダには立つなと言われていて──もしかして、誰かに撮られる可能性があるからだ──立てば、そこから緑が見えたかも知れないが、とりあえず、見える範囲にはなかった。

 けれど、ここは嫌というほど緑が溢れていて、隠れなければならない人の目もない。

 

 誰も気にしなくっていいって、気楽だな…。


 畳に足を投げ出しぺたりと座って、庭を眺める。ひんやりとした畳が心地いい。

 網戸越しに涼やかな風が通り抜けて行って、薫の前髪をかき上げて行った。

 

 ここでひと月──。


 のんびりしすぎて、都会に帰れなくなる気がした。

 と、居間にある時計が午後四時を知らせる。夕食にするにはまだ早い。

 ちなみに、高校生と言えども、ひとり暮らしは長い。親元を離れて過ごすうち、家事炊事はそれなりに出来るようになった。

 とは言っても、かなり適当で。調理方法は、焼く、炒める。以上。だ。


 あとで、冷蔵庫の中を確認しておかないとな。


 作っても、野菜炒めか、肉を焼くくらい。簡単なそれは、そう時間もかからない。


 それまで散歩ついでに、見て回るか。


 この周辺はまだ良く分からない。走り回ったのは遠い昔で記憶もなく。家がまばらなのは確かだ。家の隣は畑になっていて、夏野菜が植えてある。おばちゃんの畑だ。

 ナスにキュウリにピーマン、トマト。トウモロコシにオクラ。キャベツにブルーベリーもある。

 好きなだけ、採っていいと言われていた。これなら、生鮮食品以外、当分、買い物は必要なさそうだ。

 その生鮮食品を買う、港の商店街までは四キロほど。歩いて一時間はかからない。しかも下りだ。ゆっくり歩いても、四十分くらいだろう。いい運動になる。それに加え。

 

 朝か夕方、走ろうかな?


 それまでは、ジムに通っていた。何かしないと、身体も緩むし体力も落ちる。日焼けは厳禁と言われているから、できるだけ、日が昇らない時間か、落ちてからがいいだろう。

 ちなみに、危険な動物はいないと言われていたから──熊やイノシシ、毒蛇など──そこは安心していい。

 

 帰ってきたら、太ってたなんて、目もあてられない。


 マネージャーの蒼木が鬼のように怒るだろう。

 と、そこで端末の存在を思い出した。蒼木から返事が返ってきているはずだ。

 手を伸ばしかけて──やめた。

 もうしばらく、現実から離れて過ごしたかったのだ。


 それから、薫は長旅の疲れが若干見えるスニーカーを履き直して、家を出た。

 とりあえず、まず、家の周囲をぐるりと巡る。

 周囲に塀はなく、生け垣が植わっていて、その向こうに畑が広がっていた。家の裏手は森になっていて、その先に岩肌の剥き出しになった小高い山がある。

 よくある田舎の風景だ。

 家が建つ場所は、山裾、丘の中腹。畑を手前に眼下には、真っ直ぐな水平線が広がる海が見える。

 その海の向こうに、雲が湧き上がり、雨柱が立っていた。雲はこちらに向かって流れて来ている。

 もしかしたら、こちらもじきに雨が降るかも知れない。降ったとしても、あの分だと通り雨だろう。母もよくスコールがあると言っていた。


 なんだか、自然が濃いな…。


 鈍色の海原には、雲の合間から、所々日がさしていて、スポットライトが当たっているよう。

 そうして、時間の許すまま、土手の端に座って、ぼんやり海を眺めていた。


 

 家に帰って、夕食の支度を始めた所で、ポツポツと雨が振り始めた。台所から見える紫陽花の艷やかな葉が、雨粒に揺れ始める。

 そこから、一気にザァッととつぜん、大降りになった。雨のカーテンだ。

 風は殆どないから、家の中へ吹き込むことはないが、代わりにひんやりとした空気が流れ込んでくる。

 

 なんか、降り方。南国っぽい。


 そこまで、南国とは言えない位置にある島なのだが、降り方は負けていない。かなりの土砂降りだ。

 窓の外の様子を気にしつつ、出来たばかりの、豚コマとキャベツ、タマネギの焼肉だれ野菜炒めを台所のテーブルの中央に置いた。

 他にご飯と味噌汁、冷や奴にタッパーに入って冷蔵庫にあったキュウリの漬け物。

 シンプルだが、量は多い。


 少し作りすぎたか?


 久しぶりの旅行に、テンションが上がっているのかも知れない。そういう時は、目測を誤る。

 

「いただきます…」


 ひとり、手を合わせる。広い部屋には雨音と時計の秒針の音のみ。


 静かだな。


 車の音も、人の騒ぐ声も聞こえない。静かなのはいいが、少し寂しい。テレビは居間にあるのみ。つけてもいいが、つけた所でここからは見えない。


 仕方ない──。


 そうして、目の前の野菜炒めに箸を伸ばそうとすれば。ガシャンガシャン、と、玄関の戸が叩かれるような音がした。


 なんだ?


 風で揺れているにしては、不自然だ。第一、風はそう強くない。

 と、もう一度、同じ音がする。聞き間違いではない。誰かが戸を叩いているのだ。こんなへんぴな場所へ訪れるものがいるとは。しかも、時刻は夜七時近い。


 おばちゃんか?


 でも、こんな雨の中、しかも日が落ち辺りは真っ暗。訪れるとは思えなかった。


 誰だ?


 首を傾げつつ、廊下を踏み鳴らしながら玄関へと向かい、電灯をつける。格子のガラス戸の向こう、小柄な人影が浮かび上がった。


 やっぱり、おばちゃんか?


「…どちら様ですか?」


 警戒心満々で尋ねれば。


「オレ、松岡です!」 


「松岡さん? どうしたんですか?」


 薫はホッと息をついて、緊張を解くと、急いで傍にあったサンダルをつっかけ、玄関の差し込み式の鍵を開ける。

 おばちゃんには、鍵をかけなくても変な人は来ないと言われていたが、それでも癖でかけてしまう。

 ガラガラと引き戸を開ければ、そこには、まさにずぶ濡れ、濡れ鼠と化した松岡がいた。茶色っぽい髪はしとどに濡れて、ポタポタ毛先から滴を落とす。


「いや、つい夢中になって採取してたら、バスの時間、逃して…。したら、スコールが来て。慌てて木の下で雨宿りして。じきにやむかと思ったけどやまなくて。それで、仕方なく歩き出したんだけど、荷物は重くなるし、まだ街まであるし。それで、薫くんがここにいたのを思い出して、雨宿りさせてもらおうかと…」


 そこで、松岡の腹の虫がグルルと鳴る。


「…よかったら、メシも食ってきます? とりあえず、身体拭いて着替えてください。あ、シャワーがいいか? とにかく、中入って──」


「…ありがとう。夕食時にごめんな。あー、けど、ホント、助かったぁ」


 薫は松岡の背中にある、雨に濡れてすっかり重くなったザックを、引き受ける為に手をかけるが。


「うっわ、おもっ!」


 松岡の肩から外したザックはかなりの重量だ。濡れたせいばかりではない。

 松岡はたたきに腰掛け、ぐっしょり水を含んだトレッキングシューズを脱ぐと。


「ああそれ、中に岩が入ってるからさ。採取して後で調べるんだ。それ、ここに置いといていいかな? あとで片付けるから」


「もちろん」


「よかった」


 ニカと笑ってそう言うと、松岡はザックを薫から受け取り、たたきへ直に置く。

 中からタオルとビニール袋に包まれたカメラ類だけ取り出し、上がりかまちへ置いた。それから、よっと声をあげて立ち上がり。

 

「…じゃ、お言葉に甘えてシャワー借りても?」


「もちろん。廊下の突き当たりを左に行けばあります。トイレもその横に」


「了解。…ついでに申し訳ないんだけど、何でもいいから、服、かりられるかな? 着替えなくって…」


「ぜんぜん、いいですよ。下着も新品あるんで。サイズは合わないかも知れないですけど…」


「気にしないよ。下着は買って返すから」


「それは、気にしないでください。着替えあとで持ってくんで。タオルは脱衣場の適当に使ってください」


 ありがとー! と、歩きながら手を振って返した、松岡の小柄な背が廊下の先に消えた所でふうと息をつく。

 玄関のたたきには、ぐっしょり濡れたザックが、途方にくれた様にそこあった。


 触らない方がいいよな?


 台所にあった、要らなくなった新聞紙を下に敷き、残りは同じくびしょ濡れの靴の中に丸めて突っ込んだ。

 こうすると、乾きが早いと祖母に教わったのを思い出したのだ。

 

 足、俺よりは小さいな。


 横に並んだ薫の靴と比べると、大人と子どもの差がある。もちろん、松岡のサイズも二十五センチはあったが。薫の方が長身な分、大きいのだ。

 小ぶりな靴は、人の良さそうな松岡に合っている気がした。



「はぁー、生き返った…。ホント、ごめんな? 食事中だったのに…」


 シャワーを浴び終えた虎太郎が戻って来た所で、夕飯となる。

 食卓には、温め直した野菜炒めと、味噌汁らが、ご飯と共に置かれていた。冷や奴も漬け物も追加済。

 二人分のいただきます、が響いて夕飯の開始だ。先ほどまでしんとしていた空間が、一気に賑やかになる。


「気にしないで下さい。作り過ぎちゃったんで。松岡さん来てくれて、丁度良かったです」


「あー、その、松岡さんやめて、虎太郎でいいよー」


 松岡は肩をすくめてみせる。

 サイズが合っていないせいで、貸したボートネックのTシャツが首から肩にかけてずり落ちそうになっていた。

 下はハーフパンツを貸したが、こちらもダボッとしていて、ひざ下くらいまで丈がある。それをゴムでは止まらず、ついている紐をきつく絞ることでずり落ちないよう調整していた。

 全体的にオーバーサイズだ。それが、松岡の小柄な体形を余計に強調させる。


「じゃ、俺のことは呼び捨てにしてくださいよ。『薫』で」


「ん。わかった」


「──じゃ、さっそく虎太郎さん。あのザック、岩以外の中身って何です?」


「えーと、撮影機材とか、採取用のハンマーとかタガとか。すぐ帰るつもりだったから、食料詰めてなくてさ…。お腹、グーグー」


 薫の作った焼き肉だれの野菜炒めを、美味しそうに口いっぱいに頬張る。まるで、エサを頬袋いっぱいに詰め込んだリスの様だ。


 なんか、かわいいな。


 手のひら乗せて、眺めていたい気がする。すると、こちらの視線に気がついた虎太郎が、ん? と眉を上げ。


「なに?」


「いや…。なんでも。てか、味、濃くないですか? 自分用に適当に作ったから」


「いや? ぜんぜん。だいたい、ちょっと濃いほうが、ご飯進むし。てか、俺、食いすぎ?」


 既によそったご飯、二杯目が終わりかけている。びっくりだ。小柄だから、あまり食べないのかと思ったが。


「いや。多めに炊いたんで。遠慮せず、どうぞ」


 本当は、多めに炊いて、余れば冷凍しようと思っていたのだ。

 けれど、また、炊けばいいだけのこと。美味しそうに食べてくれるなら、それで満足だった。

 もぐもぐ、もしゃもしゃと音が聞こえてきそうなくらい、元気いっぱい食べる虎太郎を前に、これは、作り甲斐があるかも、そう思った。


 夕飯が終わりいっぷく後、虎太郎は、ちょっと道具広げいいい? と尋ねてきた。

 薫がオーケーを出すと、すっかり湿気を含んだ道具の類を、縁側の板の間に並べ出す。

 外ではまだ雨音がする。雨が降ったお陰で気温が下がって、網戸にすれば、扇風機だけで十分過ごせた。

 ぐっしょりと濡れそぼったザックは、玄関のたたきから、他の道具と同じく、縁側の端っこに移動している。それでも撥水性がいいため、あらかた乾き出してはいた。

 そのザックに入っていたのは、ハンマーにタガネ。ルーペに地図、方位磁石。採取した岩の入った大量のビニールパックに、筆記用具にノートの類。その他、採取に必要な雑多なものが入っていた。

 ビニールパックには、白い布テープが貼られ、番号と採った箇所が書かれている。

 採取した岩の大きさは数センチ程度。小さいものもあるが、それを大量に採取したため、かなりの重量となっていた。

 もちろん、許可を得て採取しているとの事で。


「あちこちの島や本土も行ってさ。どんなに離れてても調べると繋がりが見えて面白いよ? ああ、ここはあそこと繋がっているんだとか、こうやって盛り上がったのかとか。動きが見えてさ」


「ふーん…」


 そう言うふうに見たことがなかった。すると、虎太郎はそれまで熱心に見ていた岩石からぱっと顔を上げ。


「あ、興味なさげな返事!」


「え? って、興味ないって言うか、別世界で…」


 薫はしどろもどろになるが。


「…いいって。冗談だって。こんなの、好きじゃなきゃ興味ないって。それ、素直な反応だよ」


 でも、と続けた虎太郎は、袋から取り出した鉱物を指で挟んでかざすと。


「面白いんだよね…。こいつら、色々語りかけてくるんだ。オレはこうなったからこうなったんだ、これがあったからこうなってる、って。それを、探るのが楽しくてさ…」


 虎太郎の目はキラキラ輝く。いい顔だ。それまで、どこか幼さも含まれていた横顔が、熱っぽい夢を語る、大人のそれになった。


「…好きなんですね」


 その言葉に、ひょっとこちらに顔を向けて。


「うん。スゲー好き!」


 そう言って、ニカっと笑った顔が忘れられなかった。


 その後、もう遅いからと、泊まる様にすすめた。雨は止んでいたが、すっかり闇夜に包まれ、幾ら一本道とも言えども、歩いて帰るのは危険に思われ。

 虎太郎は遠慮したものの、さすがに固辞はせず、薫の申し出を受け入れた。

 寝室用の部屋に並べて布団を敷く。布団は二組用意されていて、押し入れに入れてあったそれも、きちんと干されてふかふかだった。

 布団に胡座をかいた虎太郎は、申し訳なさそうにうなだれると。


「なんか、悪いね。ホント。迷惑かけて…」


「気にしないで下さいよ。てか、実際、ここでひとりで寝るの、ちょっと心細くて…」


「ああ、確かに。静かだからなぁ。音、なんにもしないもんね。俺、港近くの公民館の空き地でテン泊しててさ。許可はもらって、自炊してるんだ。お風呂は町営の銭湯使ってて。楽しいし気楽だけど、夜は確かに虫の鳴き声以外何の音もしなくて。都会から来てればなおのこと…だな?」


「テン泊って、テントで寝泊まり…?」


「そう。ここ、旅館とか民宿なくってさ。研究のためならって、テント泊許可してくれたんだ。あー、しかし、こんなふかふか布団久しぶり!」


 嬉しー! そう言って、ボフリと布団の上にダイブする。まるで、修学旅行の学生の様だ。薫は思わず笑ってしまう。


「その…良かったら、明日からも、ここで寝泊まりしてもいいですよ?」


「──え?」


 虎太郎は、布団に伏せていた顔を上げる。


「俺、ひと月近くいるし、俺がいなくなった後も、母さんいいって言えば使ってもらっても。誰か人が住んでいた方が傷まないって聞いたことあるし…。蔵田のおばちゃんとも顔見知りなんでしょ?」


「…うん。けど──」


「遠慮はいいですって。俺だって、ここにいてくれれば、ありがたいし…」


 正直、ひとりは寂しかったのだ。

 それでも、虎太郎は頭をかきつつ、悩んでいる様だったが。ふかふかの布団を睨みつけた後、ガシガシと頭をかいて、今度は天井を睨みつけ悩み。

 そうして、暫く自分の中で葛藤していたようだったが、最後は覚悟を決めたように。


「──わかった。…じゃ、頼んでも?」


「やった! 良かった。じゃ、よろしく。母さんにも聞いとくんで」


 これで、ここにいる間は楽しく過ごせる。虎太郎の方はと言えば、答えてからも、どこか悩んでいるふうで。きっと申し訳ないと思っているのだろうと理解した。


「本当に気にしないで下さいよ。あーでも…」


「なにっ?」


 虎太郎が弾かれた様に顔を上げた。


「…メシ。かなり適当なんで。日替わりで同じメニューになるかも」


 すると、虎太郎はあからさまにホッとして、


「…そんなこと。てか、ここにいる間は、一緒に作るよ。作らせてよ。俺だって、焼くか炒めるかで、メニューは一緒だけどさ…」


「本当に? やった! なんか、楽しくなりそう。誰かとそんな風に生活するの、初めてで」


 寮生活さえしたことがない。親元を離れてすぐひとり暮らし突入したのだ。今思えば、よく高校生にやらせたものだと思うが。

 とにかく、ひとりでなんでもできる子を育てる、と言う、事務所の方針だったらしい。

 まあ、余りに酷い奴は、下宿させたようだが。メンバーの一人は寝坊が酷く、大家付きの下宿に放り込まれていた。

 事務所も、できる人間とできない人間は判別していたようで。薫はひとりでもできる子、と判断されたらしい。もちろん、まだ未成年。まるっきり放っておくわけではなく、定期的にマネージャーの蒼木が、他のマネージャーも借りだして、一人暮らし連中の家を回っていた。

 蒼木にはそのころから世話になっている。見た目は真面目そのものでとっつきにくいが、心根は優しく心配性らしく。

 薫にかぎらず、メンバー全てにあれやこれやと、仕事以外でも世話を焼いていた。食事の支度から、勉強まで。仕事のないときも必ず顔を見せていた気がする。

 その蒼木には、夕食を作る前に端末を確認し、今日の報告を終えていた。

『これから、夕飯。野菜炒めメイン。あとは寝るだけ。以上』

 そっけないが、これだけ付き合いが長いと、もうこれだけで十分だった。気をつかうのも面倒で。が、返す蒼木もそっけない。

『了解。明日も七時には起床するように。おやすみ』

 それでも、マメに連絡をさせる、するのは、気遣っている証拠だろう。

 虎太郎は腕組みしつつ。


「…まあ、そう言ってくれるなら。薫は、まだ、高校生だっけ?」


「はい。デカいから、成人してると思われがちですけど。でも、高校は今年卒業だし、そうなれば、立派な大人です」


「…そだね」


 虎太郎は、曖昧に笑ってみせた。



 枕元に持ってきた電気スタンドを消すと、消灯となる。しばらくして、虎太郎の寝息が聞こえてきた。

 虎太郎は最後まで躊躇いを見せていたが。そこまで遠慮せずとも、気を使うような事は何もないのだ。


 虎太郎さんがいれば、きっと退屈しない。


 それだけは分かっていた。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ