11-1.それから
その後、島に着いてからも、匠は虎太郎について回った。泊るところもないからと、薫の母の実家へも押しかけて。
嫌だったが、何も用意していなかった匠をそのまま、外へ放り出すこともできず。結局、居候させている。
あれから、匠は一度も虎太郎に手を出すことはしなかった。寝る部屋も別々だ。まるで、以前、自分の気持ちを知る前の匠に返ったようで。
虎太郎は警戒しつつも、いつしか、匠がいる生活に慣れて行った。
もともと、匠も料理も家事もできる。マメに部屋も掃除する方で、よく遊びに行った匠の部屋も、まるでモデルルームのようにきれいに整えられていたのを思い出す。過去の一件がなければ、喜んで迎え入れたのだが。
「…匠先輩。いい加減、帰ってもらえませんか?」
その日、朝食を取り終えた後、居間の縁側でくつろぐ匠にそう声をかけた。庭からは、咲き残ったジャスミンが薫ってくる。
あれから一週間になる。その間、炊事洗濯を虎太郎と分担しこなすくらいで、あとは日がな一日、何もせず過ごしていた。
置いてある本を読んだり、持ってきた端末で研究について調べ物をしたり。あとは、島を散策し、近所に知り合いを増やしたり。それくらいだ。
薫のように虎太郎の採取までついては来なかった。やはり、そこには興味がないらしい。
「まだだな。いや──そろそろか…」
空を見て、そう呟く。
「…何がなんです?」
「まあ、待てよ」
「ていうか…。どうして、俺がここへ戻る日、知っていたんですか? …蒼木先輩から聞いたんですか?」
「いや? 蒼木はなにも。あいつ、虎太郎の連絡先も含め、何を聞いても話さねぇんだ。仕方ないから、お前のお世話になってる教授に聞いた。世間話のついでにな。連絡先以外にも色々話してくれたぞ?」
「──いったい、何を企んでるんです? …これ以上、俺を苦しめて楽しいですか?」
すると、それまで眺めていた庭から視線をはずし、虎太郎へと向け。
「苦しめるつもりはないさ。前もそうだった…」
「前って…。あれは、どう考えても嫌がらせでしょう? 嫌いなら、そう言って欲しかった。それで済んだのに…」
「あいつに言ったみたいにか?」
「話を混ぜ返さないでください。今は過去の話です…」
匠は髪をクシャリとかき上げると。
「あの時は──俺もよくわかってなかったんだ。自分の気持ちにな…。だって、信じられないだろう? それまで、女としか付き合ってこなかった俺が、男のお前に興味を持ち始めてるなんて。──認めたくなかったんだ。それを自分い言い聞かせるために、ああした…」
「…俺が傷つくとは?」
「それ込みだ。お前がショックを受けて、それで俺はどう思うのか。放っておけるのか、それでも、女がいいのか…」
「結局、放っておいたでしょう? …俺が、どれだけ、傷ついたか…。それは、勝手に好きになった俺が悪いんです。──けど、断って欲しかった。なのにずるずると期待を持たせて、そのたびに裏切って…。俺も、きっぱり断ればよかったと後悔してます…。自業自得だったんだって…」
「今更だが、すまなかった。…あの時は、俺も分かっていなかった。それでも、お前と向き合いたくて、最後にお互いに機会を作ったんだ。──空港で待ってた。もしかして、お前が来たら、考え直そうってな。…けど、お前は来なかった。──前も言ったが、時間が経ってようやく気持ちに気づいたってわけさ。…が、後の祭りだ」
「当たり前です。もう、もとには戻らない…。俺は、先輩を信じることができません」
「それだけじゃないだろう? 他に好きな奴ができたんだ。だから俺が現れても揺らがなかった。──あの、港にいた奴だろ? お前たちの会話を立ち聞きしてな」
「……」
虎太郎は黙って、匠を睨みつける。
「島で一緒に住んでたんだって? 蔵田のおばちゃんが教えてくれたよ。──で、帰ってからも一緒に…。これは、唯一、蒼木が漏らした情報だ。──あいつ、アイドルなんだって? 好きにならないわけないよな?」
「…アイドルだから好きになった訳じゃない。──知らなかったんです」
「で、知って恐れをなして、断った。か?」
「──好きに解釈していただいて、結構です。あなたに話すことはない」
「図星か…。お前みたいなのが、好きなんて、相当な変わり者だな?」
「…あなたより、ずっと何倍も増しです。気持ちを胡麻化したりしませんでしたから…」
「お前は誤魔化したんだろ? 自分の性的志向も話さず、嘘をついた──」
匠は薄ら笑いを浮かべた。虎太郎は軽く唇を噛み締めると。
「…薫の為です。──だって、そうでしょう? こんな、冴えない男になんて、かまけている場合じゃない…。薫はファンにとって、一等星です。たったひとり、唯一の存在で…。それが、誰かと──しかも、同性と付き合うなんて、ありえません!」
「…お前は自分が思うほど、いけてないとは思わない。そりゃ、見た目は平凡さ。だが中身は悪くない。自分を卑下するのは難点だが…。無類の女好きの俺が、好きだと認めさせたくらいだからな? …一緒にいると、その良さがわかる」
「そんなの…。今更…」
「ま、そうなるよな? ──けど、あいつがもし、諦めず追っかけてきたらどうする?」
「…来るわけがない。仕事もあるのに、俺なんかのことで…」
いくらキスシーンを見たからと言って、飛んでくるはずもないのだ。
逆にそれを見たことで、腹を立てたかもしれない。自分をふったくせに、他の男と、なんて。あきれ返っている事だろう。
「──ほら、悪い癖だ。『俺なんか』。…何度も言うが、お前は自分が思うほど、悪くない」
「……」
「あいつがもしここへ来たら、俺と付き合っていると言えばいい。断るにはいい理由だろう? 以前ふられたが、よりを戻したってな。のってやってもいいぞ」
「…そんな、調子のいい。先輩を利用するつもりはありません。──だいたい、追ってはきませんから。そんな必要もありません…」
「…どうだかな? 今日は船のつく日だろ? 昼過ぎか…。見に行ったらどうだ?」
「そんな必要、ありません。俺は採取の続きがあるんで…」
「ここんとこ、休みなしだな? 今日くらい休めよ。俺とドライブでもしないか?」
「島は歩き回って、だいたい知ってるんで、必要ありません。──先輩こそ、明日の便でもう帰ったらどうですか?」
「ったく冷てぇな。──わかった。明日の便で帰る。だから、今日の午後、つきあえよ。な? 少しは先輩をいたわれよ」
「…わかりました。昼ご飯を食べた後なら」
虎太郎は仕方なく折れた。
「よし。決まりだ。──じゃあ、車借りてくるな?」
匠は嬉しそうだ。
もちろん、この島にレンタカーなど持ち込まない限りない。隣のばあちゃんの所から借りるのだ。
週に一回、島の診療所に行くとき以外使わない軽自動車がある。必要があればいつでも貸すからと言われていた。
いつの間にか、おばちゃんとも親しくなっていて、虎太郎を呆れさせた。
「なにが楽しいのか…」
すると、匠は悪戯っぽく笑い。
「好きな相手とデートなら、誰でも嬉しくなるだろう?」
「あきれます。それ…」
「ったく、つれねぇな」
匠は肩をすくめて見せた。