10-1.岐路
コンサートを終え、控室に戻る。
幾度目かのアンコールも終え、終演となった。それでも、まだ会場にはコンサートの熱気と余韻が残っている。
コンサートの興奮も冷めやらぬまま、薫は急いでシャワーを浴び終えると、メンバーへの挨拶もそこそこに、別室へと向かった。
実は、マネージャーに頼んで、虎太郎にここへ呼ぶように伝えてあったのだ。感謝の気持ちと、あともう一つ。伝えておきたい事があって。
サブマネージャーが部屋の外で待っていた。
「ありがとうございます。面倒なこと、頼んで」
「あっ、いや。いいんですが、ただ──」
マネージャーに頭を下げつつ、最後まで聞かずにドアを開ける。
「──虎太郎さん、見てくれました?」
が、そこにいたのは、笑顔の虎太郎ではなく、黒のワンピースを身に着けた愛花だった。
一瞬で、高揚していた気持ちが萎む。
「薫くん…」
「──え? って、え?」
驚きに咄嗟に言葉にならず、後ろにいたサブマネージャーを振り返る。マネージャーは済まなそうな顔をしながら。
「その、松岡さんに声はおかけしたんですが、彼女の間違いだと言われて──」
「間違いじゃないよ。俺は虎太郎さんを呼んだんだ」
「ですが…、頑なに断られて。それで──」
後は言葉を濁してしまう。薫はため息をつくと、背後を振り返り。
「ごめん。愛花ちゃん。手違いがあって声をかけたみたいで。わざわざ足止めしてごめん。今、マネージャーに連絡するから──」
すると、愛花は黒目勝ちの瞳を、涙で潤ませながら、
「間違い…だったんだ。私、嬉しくって舞い上がってた…。薫くんが特別な目で見てくれたんだって」
上目遣いで見つめてくる。
薫はひとまずマネージャーには外で待ってもらい、ひと目を気にしてドアを閉めると。
「ごめん…。その、今は仕事の事で頭がいっぱいで、誰かと付き合う余裕がなくて…。愛花ちゃんの気持ちは本当に嬉しいんだ。けど、それに応えられる状況じゃなくて…。申し訳ない。余裕ができたらまた──」
「…いいの。なんとなく、分かってたから。でも、撮影が終わるまでは、仲良くさせてくれる?」
「もちろん! 俺のほうが頼みたいくらいで…。本当にごめん。気持ちはありがたく受け取っておく。ありがとう、ホント…」
すると、頃合いを見計らった様に、外から声がかかった。
「立木さん、マネージャーがお迎えに来たそうです」
愛花は、すんと一度鼻を鳴らすと、
「…分かりました。今、行きます…。じゃあまた撮影で」
「うん、また…」
すっかり気落ちした様子で、部屋を出て行った。その背を見送って、薫は大きなため息を吐き出す。虎太郎は、どうしてそんな事を言ったのか。
それは、愛花と連絡は取り合っていたけれど。
虎太郎も知っていたはずだ。仕事仲間として、やり取りをしていただけだと。
特に嬉しそうな素振りをしたつもりもないが、傍目からはどう見えたか分からない。
それで、誤解して? ──でも…。
「薫! 打ち上げ、行くぞ!」
部屋を出た所で、敦が声をかけてくるが、薫は皆とは逆方向へ向かいながら、
「ちょっと遅れるかも。急な用ができて──」
「んだよぉ。ちょっとだけだぞ!」
「ごめん!」
薫は端末で電話をかけながら、通用口へと向かった。
虎太郎にマネージャーが声をかけてから、そこまで時間は経っていないはず。端末が通話中を表示した。
「虎太郎さん? 今、どこ?」
『どこって、駅に向かって歩いてるけど…。なかなか、外に出られなくて、こんな時間になっちゃって。薫、打ち上げだろ? なんかあったのか?』
呑気な声が聞こえてくる。薫は心の中で舌打ちしつつ、
「歩くのストップ。今、どこのそば?」
『ん? えーと、会場近くのコンビニ過ぎて、公園の傍。向こうが海。公園の噴水が見えるな…。中心に人の像? が立ってる…』
薫は記憶をフル回転させて、今、虎太郎がいる場所を割り出す。
たぶんあそこだ。
「虎太郎さん。そこで止まってて。あと五分で行くから!」
『え?! って、打ち上げどうするんだ? 話しならあとで──』
「ダメ! 今じゃないと。また、五分後!」
そう言って、通話を切ると、ダッシュした。
日中でなくて助かった。でなければ、かなりひと目を引いてしまう。ダッシュしただけでも目立つのに、長身の薫が走れば余計に目立つ。しかも、すぐに薫だとバレてしまうだろう。
メガネもマスクも持って来てないし。
別に打ち上げが終わったあと、家に帰ってから話せばいいのだ。けれど、それでは遅い気がして。何かを逃してしまいそうで。
今、伝えたいんだ。
鉄は熱いうちに打て、と言う。
薫は公園までの道のりを、まさに飛ぶように走った。
息を切らして、噴水の傍まで駆ける。
と、その縁に腰かける虎太郎を見つけた。街灯に照らし出され、所在なげにそこに荷物をかかえちょこんと座っている。
ぼんやり、といってもいい。気の抜けた様子だ。
「虎太郎さん…」
近づいて声をかける。ぴくりと虎太郎が反応して、顔を上げた。一瞬、泣き出す手前の様な、どこか困った様な表情をしたのを見逃さない。
かまわず、薫はさらに近づくと、弾む息を整えその隣に腰かけた。
「どうしたんだよ? 打ち上げ、間に合うのか?」
隣りの虎太郎が覗き込むようにして、尋ねてくる。もう、いつもの表情だ。薫は足を投げ出し、組んだ手を見つめながら。
「──それより、どうして帰ったんですか? 話したいことが、あったのに…」
「彼女、愛花ちゃん? 俺に声かかったら、え? って顔してさ。それ見たら、なんか行き辛くて…。彼女の方だって伝えたら、すっごく嬉しそうにしてたよ。──あれは、絶対、薫のこと好きだって…。美人だけど、普通のいい子っぽいし。コンサート中もずっと、薫をみてた。本当に好きなんだなって…。──あれで良かったろ?」
気づかうように尋ねてくる虎太郎に、薫はグッと唇を噛み締めたあと。
「俺は、虎太郎さんに来て欲しかった…」
「薫?」
もう、後戻りはできない。それに、自分の気持ちに嘘もつけない。ドクン、ドクンと心臓が波打つように音を立て出す。
薫は組んだ手にグッと力を込めると。
「俺は…虎太郎さんが──好きなんです。他の誰かじゃ──ないんです」
言った傍から、顔が熱くなる。それは、虎太郎も同じで。
虎太郎はしばらく、口をポカンと開けたまま、あ然としていたが。そのうち、面白いように頬がボボボッと赤くなって。
「え、って…でも──俺、男だよ? その好きって…、え? ええっ?!」
「…困るだろうなって、思いました。でも黙っていられなくって…。コンサート中に、虎太郎さん、見たらなんか、もう──」
「な、なななんか…もうって…」
「どんな風にって聞かれると、まだはっきりしないんですけど…。家族や彼女に思うのとはまた違う好きで。──とにかく、俺のなかで今、一番で、これからもきっと変わらないんです。離れるとか、考えられなくて…」
「え、いや待って、薫。でも…っ、それは──」
「無理、ですか? 俺に好かれるの、気持ち悪いですか?」
「そ、そんなこと、思わないよ…っ。──嬉しいよ。薫にそんな風に、思われていたなんてさ…。でも──」
それは、そうなるだろう。薫は視線を落すと。
「別に、応えてもらわなくて、いいんです…。俺も、だからどうしたいのか、分からないし…。ただ、虎太郎さんのおかげで、助かったのは事実で。気持ちを伝えたかったのと、どうしても、他人になるのが嫌で…」
「薫、俺─…」
断られる、そう思った。
「とにかく!」
それを阻止するため、大きな声をあげて立ち上がると、虎太郎を見下ろし。
「今、それだけは言いたくって、来ました。──じゃ、皆待ってるんで、打ち上げ行ってきます。帰りは遅くなるんで待たなくていいですからね?」
「あ、えっ。う、うん…」
「虎太郎さんも、帰り道、気をつけて!」
そう言うと、薫はまた来た道を走って戻った。