8-2.存在
その後も、撮影はほぼ、毎日入った。
コンサートのリハーサルと歌唱やダンスレッスン。その間に高校と、毎日忙しい。
時には早朝からの場合もあり。今日がそうだ。平日だと、高校を休み現場に向かう事になる。
が、愛花に台本の読み合わせを頼まれているため、そんな時は更に早めに出ていかねばならないのだ。
「あれ? いつもより早いんだ」
朝食を終えて、いつもならひと息入れる時間だ。洗濯物を干し終えた虎太郎が、声をかけてくる。
薫はすでに準備を終えて、ソファに寝転がっていた。蒼木があと十分ほどで迎えに来るはず。正直まだ眠い。時計は朝の七時前を指している。
「うん…。撮影前に、愛花ちゃんと読み合わせしてんの。頼まれててさ。てか、そんな必要ないくらい、覚えてると思うんだけど…。真面目なのかな? どうしてもやりたいって言って…。不安なのかなぁ?」
すると、虎太郎はポリポリと頬をかきながら。
「…それってさ。薫と話すきっかけ、欲しいんじゃないの?」
「え?」
「仲良くなりたいのかも──って邪推かな?」
「あ! ああー、なる。でも…」
そう言えば、いつかの帰りの車の中で、蒼木も同じような事を口にしていた。
今までの共演者とも、そうやって仲を深めて行ったらしいと。ここぞと思う相手にはかなり積極的らしい。
セリフ合わせならいいが、それ以上に発展するつもりなら、その前に報告はしろと言われていた。
うちの事務所は、恋愛禁止はなかったが、下手に騒がれ、イメージダウンになるような事態は避けたいらしい。ちょっと遊ぶくらいで騒がれては困るのだ。
報告が必要なのは、本気の時と遊びの時で、対応がことなるから、だそうだ。遊びの時は、絶対に外へもれないよう、付き合う事になる。
もし、別れたいときは、あとを引かないように、互いに仕事を理由に物理的に引き離しにかかるらしい。
そうすると、向こうも仕事の忙しさで、結局、別れを意識するようになるのだと言う。
もともと、芸能界で仕事をしたくてここに身をおいているのだ。天秤にかければ、おのずとそうなるのだろう。
なかなかひどい話だとは思うが、仕方ない。彼らも社運がかかっているのだ。
特にうちはそこまで大きな事務所ではない。唯一の有望株が薫たちで。余計に周囲には目を光らせることになるのだろう。
でも、今回はそんなことにはならないな。
自分でも分かっていた。
薫は虎太郎の顔を見つめると。
「──でも、たぶん、共演者の立場で終わると思います」
「そうなの? かなりかわいいと思うぞ。彼女…」
「そりゃ、かわいいとは思いますけど──」
たぶん、虎太郎さんには敵わない。
口には出さず、そう思った。
見た目の可愛さではないのだ。
そこでインターフォンが鳴り、蒼木の到着を知らせた。それは口にせず、薫は床に放っていたディバックを肩にかけると。
「じゃ、行ってきます。帰り遅くなるんで、先食べててくださいね? あと、コンサートのチケット、取ったんで。特等席。楽しみにしててくださいね? ──じゃ」
「お、おう、行ってらっしゃい!」
虎太郎に見送られ、仕事へと向かった。
コンサートは今月末だ。それは、虎太郎が島へと戻る前日。
蒼木にはすでに、虎太郎の席はかならず用意して欲しいと伝えてあった。コンサートの最終日。
真ん中ではなく、ステージ袖に近い、でも最前列だ。中央付近はファンの為に残しておくべきらしく。
けれど、最前列だけは譲れなかったのだ。だって、そこの方が見つけやすい。虎太郎だって、自分を見やすいだろう。
島へ帰る前に、どうしても見て欲しかったのだ。
自分がちゃんとアイドルをしている姿を。虎太郎のお陰で、つぶれることなく、ここに立つことができたことを。
楽しみだな──。
当日が待ち遠しかった。
「あれ、今日、なんか嬉しそう…。なにかあったの?」
セリフ合わせをしようと、控室へ入った所で、先に来ていた愛花にそう言われた。
そんなつもりはなかったのだが、外に現れていたらしい。薫はニコと笑みながら。
「いや、特に──。まあ、コンサートが近いから、テンション、上がってんのかも。楽しみで」
「なんだ。ここに来るのが──じゃ、ないんだ」
「あはは、大丈夫。もちろん、愛花ちゃんに会うのも楽しみでした。ハイ」
冗談めかしてそう返したが、どことなく、愛花は寂し気に、
「なんか、言わされてる感、満載…」
「またまた。愛花ちゃんはかわいいから。他の共演者もメロメロだって」
「他はどうでもいいんだけどな…。ね、コンサートって、私も見に行ってもいい?」
「あ、それはもちろん。あとで、マネージャーに頼んどきますね?」
蒼木はここへ薫を送ると、他に用事があると言って、あとをサブマネージャーに任せて、事務所へ戻って行った。
頼むなら蒼木が確かでいいが、蒼木ほど融通は利かないにしろ、サブマネージャーでも問題ない。
席は虎太郎の時と違って、正直どこでもいい。適当に良く見える場所を選んでもらおうと思った。
「よかったぁ。一度、薫くんの出るコンサート、見てみたかったんだ! 当日は変装してかないとだけど、見つけたら手くらいふってね?」
「もちろん。振らさせていただきます…」
「あはは、ほんと、他人行儀なんだから」
そう言って、愛花は軽く薫の二の腕に触れてきた。
最近、演技以外でこういったスキンシップが増えてきている。何かの拍子に頭を肩へ寄せてきたり、手をとったり。
もちろん、流れでそうなっているから、不自然ではないのだが、明らかに距離を詰めようとしているのが見て取れた。
以前の自分だったら、喜んで乗っただろう。愛花の性格は悪くない。仕事にも一生賢明で。こうして積極的なのも悪くはなかった。悪くはないのだけれど。
気が乗らない。
そうされても、冷めている自分がいるのだ。
どうして、そうなるのか。理由は薄々、分かりかけていた。
撮影も無事終わり、サブマネージャーと共にスタジオを後にしようとすれば、カツカツとヒールのなる音が聞こえた。
振り向くと、愛花がこちらに駆けてくるところ。着ている白いワンピースの裾が、ふわふわと左右に揺れていた。まるでそこだけ別世界。妖精のようにも見える。
「どうしたの?」
「あの…、ちょっといい?」
愛花は言いづらそうに口にする。薫はちらとサブマネージャーに目くばせした。それが何の合図かわかったらしく。
「…先に下に降りてるんで。十分後には来てくださいよ」
「了解」
サブマネージャーはエレベーターで地下駐車場へと向かった。それを見送った後、愛花をまた振り返り。
「なにか話?」
「うん…。その、薫くんの連絡先、知りたくて…」
ああ、これは。
さて、どうしようかと悩んだ。
ドラマの撮影はもう少しだけある。答え方によっては今後の撮影に響くだろうか。
「…その、事務所の方針で、共演者には教えないって事になってて…」
「だよね? ──ごめんね! もっと、仕事場以外で話したいなって思って…。うん、でもそうだよね? ごめん、ごめん!」
顔を真っ赤にして立ち去ろうとする。勇気を振り絞って声をかけたのだろう。そのいじらしい様子に薫は仕方なく、
「でも! ここになら、大丈夫。事務所のメールだけど、俺個人のだから──」
そう言って、事務所からもらっているメールアドレスを教えた。名刺の裏に走り書きして渡す。
これは、どうしても個人の連絡先を教えたくないが、連絡は取りたい相手に使うアドレスで。事務所も承知している。申し訳ないが、これが限界だった。
それでも愛花は笑顔になると、それを受け取って、マジマジと見つめながら。
「ありがとう! また…連絡するね!」
「うん。また──お疲れさん」
愛花はまたひらひらと裾を翻し、まるで蝶のように去っていった。
完全に薫を意識している状態だ。それに、なんとなく、遊びで終わらせられない相手のようにも思え。もし、手を出すなら、本気でないとだめだろう。
なら答えは決まっている。
申し訳ないけれど──。
薫はため息をついた。