8-1.存在
薫が出演するドラマのタイトルは『彼女』だ。
今どき珍しいくらい、シンプルなタイトルで。高校生の男女の甘く切ない、胸キュンなラブストーリー、と言うのがうたい文句だ。
ダブル主演とはいいつつ、どちらかと言えば、女優の立木愛花の方が注目されている。
実力的な評価は、薫にはまだない。人気アイドルと言う話題性で、相手役に選ばれた感は否めなかった。だからこそ。
やってやろうじゃん。
そう思う。
視線の先にはすでに、衣装もメイクも整えた愛花がいた。
真っ黒ストレートの髪に、大きな黒目勝ちの瞳。眼力はかなりある。とっつきにくかったらどうしようかとも思ったが。
「こんにちは。調子はどうですか?」
薫から先に声をかけた。
これも、雰囲気を良くしていくための手段の一つだ。ある程度、世間話くらいできる仲になっておかないと、撮っている最中も、ぎこちなさが画面に出る。
「あ、はい…。大丈夫──かな? 杦本さんは?」
「ばっちりです。朝ごはんも昼ごはんモリモリ食べてきましたから」
そう言って、かるくガッツポーズをしてみせれば、愛花が笑った。
「…もりもりって。そんな、元気キャラなんですね?」
「はい。ぱっと見、話さないイメージみたいですけど、話し出せばかなり。──立木さんは?」
「私は──どうだろう。ちょっと人見知りで…」
照れ臭そうに小さく笑んだ顔が女の子のそれだ。素の表情だと分かる。
「俺もそうですよ? 人見知りなんです。お互い人見知り同士なら、気はあいますね? がんばりましょう!」
そう言って笑顔を向ければ、愛花も、はいと笑って見せた。
性格は悪くなさそうだった。きちんと会話のやり取りもできるし、ツンけんしてもいない。とっつきにくさもなさそうで。これならなんとか最後まで乗り切れそうだった。
撮影は順調に進み、今日の撮影分は終えた。時刻は夜九時過ぎ。蒼木は撮影中、ずっと袖にいて様子を見守っていた。
てか、後でダメだしされそうだな…。
監督らの手前、その場では何も言わないが、帰りの車の中で反省会よろしく、撮影中の立ち振る舞いや、セリフの間の取り方まで指摘してくる。
後はスタジオ内での態度も見ていた。
アイドルだからと言って、天狗にならず、けれど舐められないようにすること。それが、基本にある。
道化のようなふりはしなくていいが、適度に愛想を振りまきつつ、礼儀はきちんと弁えるようにと言われていた。
「あの、杦本さん…」
撮影が終わり、控室へ下がろうとすれば、か細い声が背後から聞こえた。
振り返れば愛花だ。撮影中は、恐ろしくはっきりと滑舌良く話すのに、いったん、カメラが止まると、途端に小さくなる。オンとオフの差がかなりあった。
「どうしたんですか?」
「あの…、申し訳ないんですけど、次から撮影前にセリフ合わせ、させてもらってもいいですか?」
「え? …あ、はい。もちろん! じゃあ少し早めに入るようにしますね。一時間あれば十分かな?」
「うん! ありがとう。すっごく助かる…」
はにかんだ笑みを見せた。
ファンが見ればとろけるような笑顔だ。もちろん、薫もかわいいと思う。こんな笑顔を間近で見ていれば、きっと好きになるだろう。
愛花自体、よく共演者と噂になっていた。そのどれもが真実とはいえないだろうが、男なら少なからず惹かれるだろうとは思う。
以前の薫だったら、間違いなく好意を持っただろう。それが恋愛に発展してもしてなくても。
なのに、今はなぜか気持ちが乗らない。
愛花をいい子だとは思うが──それだけで、それ以上、知りたいという気にはならないのだ。
彼女のように、かわいらしい女性なら、付き合いたい、傍にいて欲しいと思うものだろうが。
なんだろうな。なにか、物足りない…。
なんて失礼な話だと思う。だいたい、彼女は薫に好意を向けているわけでもないのに、勝手にそんなことを思うなんて。
でも、実際そうなのだ。深く知りたいと言う感情は湧きそうになかった。
「お疲れー」
その日も、玄関先まで虎太郎が出迎える。
バトンタッチとばかり、挨拶もそこそこに蒼木が帰って行って。薫はその背を見送りつつ、
「蒼木さん、昔からあんな感じ? そっけない?」
「え? ああ──そうだなぁ。必要以上のことは話さないタイプではあったかな? 今は仕事中だから。そんなに打ち解けたりしないだけだよ」
虎太郎は薫の荷物を受け取って、一緒にリビングまで向かう。
「ふーん…。まあ、あんまり二人で盛り上がられても、置いていかれた様で嫌だから、このままでいいけど」
薫そっちのけになるのは癪だった。
虎太郎との関係は蒼木の方が長いはず。それを見せつけられるのも嫌で。
「…薫?」
リビングに入って、どっかとソファに座り込んだ。とにかく疲れた。虎太郎も話を聞こうと思ったのか、バッグを横に置くと、薫の隣に座った。
「だって、疎外感はんぱないじゃないですか。俺なんて、まだ虎太郎さんと出会ってから二カ月もたってないってのに、蒼木さんとは大学時代一年でしょ? なんだか妬ける…」
自分の知らない虎太郎を知っているのだ。そう思うと、胸にもやっとした気持ちが湧き上がった。
「なんだよ。拗ねるなよ。だいたい、時間じゃないだろ? 薫とはかなり──濃い時間過ごしてたし。蒼木先輩とは四六時中、一緒にいたわけじゃないから…」
「そうだけど…」
言ってから虎太郎を見つめる。これじゃ、まるで嫉妬だ。恋人の過去を知る相手に嫉妬してる──。
おいおい。可笑しいだろう。
だいたい、虎太郎さんは男だし、恋人じゃないし。
どうも、様子がおかしい。その理由を探る様に、じっと虎太郎を見つめていれば、困ったように眉をひそめた虎太郎が、
「──なんか撮影であったのか? それとも学校?」
「…なにも。学校も、仕事も順調で。あ、そう言えば、共演の立木愛花さん、かわいかったですよ? やっぱり女優になる人って、別の生き物みたいですね」
「そうなんだ…。間近で見たことないけど、やっぱり、本物はもっと綺麗なんだろうねぇ」
「男なら惚れるでしょ、って感じ」
「…だよな? 薫は──いままでも、女優さんと付き合ったこともあったんだもんな?」
「オフレコで。あります…。けど、中身はみんな、普通の女の子でしたよ? 仕事が俳優ってだけで。あと、見た目がね…。でも、みんな普通…」
そこまで言って、傍らの虎太郎を見返す。なんてことない、ありふれた容姿だ。
ただ、人を緊張させない顔で。話さなくてもそれだけで、大丈夫だと思ってしまうような。
まとう空気もぽわんとしていて、一緒にいると同じように緩んでくる。不思議な人だった。
で、ちょっと、かわいいし。
動きとか、顔つきとか。あざといそれではなく、たたずまいから生まれてくる可愛さだ。つい、目で追ってしまう。
本人にその自覚はないだろう。
女の子はやはり可愛い自分を演出してもいて。守られるべきもの、と思っている。薫も、それをずっと、当たり前だと思っていたのだけれど。
「女優さんを普通、かぁ。なんだか、俺には言えないセリフだなぁ。俺なんて、じゃあなんだよってなるって」
虎太郎はそう言って笑うが。
そうだろうか。
虎太郎は普通なのだろうか。明らかに、薫のなかでの普通ではなくなってきている。
「…そんなこと、ないって」
「薫?」
「──なんでもない。あー! お腹減ったぁ! シャワー後でいいから、先、飯食っても?」
「はいはい。そう言うと思って、もう準備できてる。食べよう」
「あれ? 虎太郎さんも?」
「うん。それほどお腹空いてなかったし、待てそうだから待ってみた。一緒に食べた方が楽しだろ?」
「だね。じゃ、食べよう!」
早速、食卓に着き、虎太郎と共ににぎやかな食事の時間を過ごした。