6-2.居候
その後、蒼木は今後のスケジュールを簡単に薫に説明し、一週間後にはまた仕事を入れると告げ、マンションを後にする。
虎太郎には、薫をよろしくと、それだけ告げた。
「もっと、反対されると思ったんだけど…。意外過ぎ」
見送った薫は、傍らで同じように玄関先に立っていた虎太郎を振り返った。虎太郎はそうだなぁ、と言いつつ。
「お互い知っていたから、かな? でないと、きっとだめだしされたと思うよ」
「蒼木さんち、あんまり、仲良さげに見えないんですけど…。昔、蒼木さんに意地悪でもされたんですか?」
冗談めかしてそう言ってみたが、虎太郎は苦笑して。
「違うって。蒼木先輩は、どっちかって言うと──フォローしてくれていた方だと思う…」
そう言って、遠い目をする。
薫は何があったのか聞きたかったが、雰囲気からあまり立ち入ったことは聞けない感じだった。しかし、その様子に気づいたのか、虎太郎は笑うと。
「薫、顔に聞きたくってたまらないって書いてあるぞ」
「えー、気付いたんなら、教えてくださいよー」
「…そうだなぁ。俺が尊敬する先輩がいて。仲良くさせてもらってたんだけど、ちょっと関係がこじれて…。蒼木先輩は、それを間に入って、助けてくれた感じ?」
「なに? いじめられてたの?」
気色ばむ薫に、虎太郎はへらと笑って見せると。
「そんなんじゃないって。もう済んだことだしな」
「本当? にしてはさ、蒼木さんって分かった時、かなり暗くなってたけど…。まあ、虎太郎さんがそう言うなら、信じておく。──けど、これからも、もし、何かあったら、真っ先に言ってよ。俺にできることがあれば、なんでもするから」
「ははは! 頼もしー」
「あー、ちょっとバカにしてるでしょ? そうでしょ?」
「してないって。頼もしいよ。何かあれば、相談させてもらう。ほら、さっさと夕飯にしよ。お腹減ったって」
今日は流石に移動で疲れただろうからと、蒼木から差し入れがあった。
大ぶりのシュウマイと、春巻き、酢豚がそれぞれパックに詰められている。別添えでスープもあった。大人二人でも十分な量だ。
後はご飯を炊いて、サラダを用意するだけでいい。サラダ用の野菜は、これも蒼木が買ってきてくれたあった。
薫がそれぞれ温める間に、虎太郎がパック入りのサラダをボウルに盛り付ける。あっという間だ。
「蒼木先輩は昔から、気が利いたよ。マネージャーの仕事、あっているんだろうな」
「適職って感じですね。かなり厳しい時もありますけど、言うことに間違いがないって言うか…。安心出来ますね」
「だねぇ。よく人を見てるから。その人が何ができて、何が不得意か、どうすれば、その人が生きるか、ほんとそつなく見てたなぁ」
「すでに下地があったんですね。──はい、これで全部です」
そう言って、ダイニングテーブルにおかずの乗った皿を三つならべると、取り皿もおく。虎太郎がご飯をよそった。そうして、全て並べ終えると二人向かい合い。
「いただきます!」
「いただきます」
声をそろえて食べだす。
こうして帰ってきても、虎太郎が目の前にいるのが嬉しかった。虎太郎にすれば、いい迷惑な所もあるかもしれない。
けれど、上手く事が運んだと言う事は、そうなるようになっていたのだろうと思う。
「そう言えば、寝る部屋、強引に一緒にしちゃいましたけど、やっぱり嫌でしたか?」
物置と化していた部屋を片付けたはいいが、ここへ客用の布団を敷くのは、何か違う気がして。
結局、布団は自分の寝室に持ってきた。
部屋へ案内した時、布団は薫の部屋に敷いたと言えば、虎太郎は、そうなの? と、驚いた様子を見せたものの、そっか、と受け入れ。
「…嫌って言うか、薫がそれでいいって言うなら。もう、あきらめた…」
「だって、今更、別々って言うのもなんだし。昨日まで一緒の部屋で寝てたし、ね?」
「本当に寂しがりなんだなぁ。少しはひとりの時間、欲しくないのか?」
「虎太郎さんが大学行っている間はひとりだし。一緒にいる時は同じ部屋にいてもいいじゃないですか」
「薫がいいなら、いいけど…」
虎太郎は不承不承、承知してくれた。
薫的には、言った通り、一緒にいる時は、同じ空間にいたかった。せっかく二人なのに、扉を閉めて別々なんて寂しくて耐えられない。それにどこか冷たい気もして。
誰かにこんなに執着するのは久しぶりの気がした。過去、付き合っていた彼女にも、ここまでは思わない。逆に終始くっついていられるのは勘弁だったくらいで。
なのに──。
虎太郎にはそう思わない。
ずっと傍にいて欲しい。
そう思う。
感覚的には、昔、実家で飼っていた愛猫に近いもしれない。真っ黒で腹だけ白かった。名前を『まろ』。可愛くて大好きで。ずっと傍にいて欲しかった。
うん。確かに似てる。
「薫。箸、止まってるぞ? 考え事か?」
「いや。──ね、虎太郎さん。ニャーって言ってくれます?」
虎太郎は首をかしげ、ご飯茶碗を手に、箸を持ったまま。
「に、にゃー…?」
かわい過ぎる。
「あー…、やっぱそうだ」
「んだ? どうした?」
「──なんでもないです」
そうして、ふふと笑った。
虎太郎は『まろ』だ。
その夜も、昨晩と同じように、傍らに虎太郎がいて、眠りについた。薫はベッドへと入る。
「一応、マットレス敷いてありますけど、痛かったら言ってくださいね?」
「大丈夫。だって、俺の居候してる部屋なんて、寝袋だし。畳はへたってぎしぎしいうし…」
「なかなかですね…」
「もともと、テン泊も平気なくらいだから。安全さえ確保できればどこだっていいんだ」
「良かった。なら安心です。でも、何かあったら言ってくださいね」
「わかった。おやすみ」
「おやすみなさい…」
それで、枕元のライトを消して消灯となる。その夜も、薬はいらなかった。
次の日、約束通り、虎太郎の居候先へ荷物を取りに行く。
仕事とは関係ないが、薫の生活にも関わる事だからと、蒼木が事務所の車を出してくれたのだ。
今日ついて来るのは、蒼木ではなく、その下のサブマネージャーだった。蒼木は忙しい身で、引っ越しの手伝いなどしていられない。
「で、こっちでよかったですか?」
サブマネージャーが声をかけてくる。皆、若くともまじめで、てきぱきとしたものばかりだ。人選には、蒼木が強く関わっているらしい。
「はい。そこの路地の手前で停車してもらえれば。すぐそこなんで──」
言われた通り、路地に入る手前で車を停める。その路地は一方通行にした方がいいほど、細い。
「なかなか…」
「なかなか、だろ?」
車を降りた虎太郎は、薫を引き連れ、アパートへと向かう。サブマネージャーは車で待機だ。
「ここ。家主には言ってあるから。多分、あいつ大学に行ってるし。色々あって一階に移ったんだ。足元、気をつけて」
「あ、うん…」
虎太郎に案内されて、見上げたアパートは、確かにかなりの年代物だった。全体的に茶けてぼろっとして見える。
茶けて見えるのは、所々に錆が浮いているせいだ。階段も手摺もペンキが剥げかけ、安全を疑ってしまうレベル。
「一応、耐震性は問題ないんだってさ。でも不安になるだろ?」
そう言って虎太郎は笑う。
右から二つ目の扉の前へ立つと、鍵を差し回し開けた。ガチャリと音を立て開いた扉の向こうは──カオスだった。