6-1.居候
「で、今は何してる? 薫に少しは聞いたが…」
島での調査について、聞いたのだろう。
蒼木は虎太郎にリビングに置かれたソファに座るようすすめた。
自身はキッチンに行くと、コップに麦茶をいれた。先に入れた氷がカランと音を立てる。
それを虎太郎の座るソファの前、ローテブルに置くと、蒼木はその斜め向かいに座った。虎太郎は礼を述べつつ、それを一口飲んでから。
「今は大学の院です。あと一年で修了で…」
「単刀直入に聞く。──どういうつもりで、薫と一緒に?」
その言葉にくっと唇を噛みしめ顔をあげると、
「俺は──そんな、つもりじゃないです。前とは違います…。薫はいい奴で。歳は離れているけど、友達としていられたらいいなって。それだけです…。それに…薫の持ってる薬を見て。あれ、睡眠導入剤でしょ? ──それで、放っておけないと思って…」
蒼木はため息をつくと、組んだ足の上で手を組んだ。
「それは──本当に?」
「本当です。弟と一緒です」
蒼木は虎太郎から目を離さず、表情を観察しながら。
「匠の時とは違うと?」
「もちろんです…」
「あの時、松岡はずいぶん苦しんだだろ? 薫がどうのというより、そっちの心配をしてるんだ。診療科にも通ってただろ? 黙ってたが、見かけたことがあってな。もうそっちは大丈夫なのか?」
はっとして顔を上げた虎太郎は、また俯くと。
「…はい。もう睡眠薬も飲んでいませんし、通院もあの後はしてません。大変だったのは、匠先輩とサークルで一緒だった時だけで…」
蒼木は足を組み直すと、ソファに背をあずけ。
「匠も、ずいぶんひどい仕打ちをしてたからな…」
昔に思いをはせるように視線を遠くへと向けたが。ふと、虎太郎に視線を戻し。
「あいつ、日本に帰ってきてるぞ? ──まあ、一時的なもので、またあっちに帰るそうだが…。先日も飲んだばっかりだ。なにも変わってないな…。お前の事をきかれたぞ。俺もあれっきりだから何も知らないと答えたが…。あいつに連絡は?」
「…してません。するわけがない…」
俯き唇を引き結ぶ虎太郎に、蒼木はふたたびため息をつくと。
「あの時、匠は待ってたそうだ。アラスカに立つ前。賭けたんだそうだ。──けれど、お前は来なかった。それで──忘れることにしたそうだ」
「……っ」
びくりと肩を揺らした虎太郎に、蒼木は同情を見せると。
「お前は…ずっと匠が好きだっただろう? それを知っても、匠はなにもしなかった。ただ、遊びで女と付き合って…。しかも見せつけるように派手にな。あいつなりにお前を遠ざけようとしたんだろうが──。結局、本当の思いは別にあったってことだ…」
「今更、そんなこと…」
「お前はどうなんだ? あいつは忘れたとは言ったが、様子を尋ねてくるくらいだ。思いは残っていると俺は見ている。──一度、連絡してみたらどうだ?」
「俺は…辛いんです…」
絞り出すようにそう口にする。
「あの頃を思いだすと、辛くなって、苦しくなって…。あんな、思いはもう沢山なんです…。それを、また繰り返すかもしれない。…試す勇気は、もうありません」
「…そうか。そう決めているなら、もう何も言わない。──それで、薫は知っているのか? 松岡のこと…」
「──いいえ。もともと、長く一緒にいるつもりはなくて。それがこうして長くなってしまって。すっかり、話す機会を失くして…」
「まあ、あいつには言わない方がいいだろうな…。薫はお前を友人としか見ていない。そのままでいてくれた方がこちらとしても助かる。──が、お前はまた、同じことを繰り返さないと言えるか?」
「同じこと?」
「恋愛対象として、薫を見ることだ」
すると、虎太郎は首を振って。
「…ありえません。それに、薫は今、寂しいせいで俺を頼っているけれど、きっと、ほかに相手が見つかれば、俺からは自然と離れていきます…。それに合わせて離れますから、薫との間に何かある事はありません。薫を困らせる様な事はしませんから、安心してください…」
「わかってないな…」
蒼木は前髪をかき上げる。
「はい…?」
「俺は松岡の心配をしてるんだ。口では違うと言っているが、薫を好きになって、また自分を追い詰めることになるんじゃないのか、──とな」
虎太郎は、はたと蒼木を見返したが、視線をまた手元に落とすと。
「…大丈夫です。それはあり得ませんから」
そう答えた。
そうして話に一段落がついたところで、ドタバタと廊下を歩く足音が聞こえ、
「虎太郎さん! 部屋、綺麗になりました! 見て下さいよ!」
リビングのドアが開き、薫が姿を見せた。それで、虎太郎もようやく息をつけたようで、笑みを浮かべる。
「うん、わかった…」
早く、早くと、薫は虎太郎の背を押すようにして急かすと、リビングを後にした。
そんな二人を見送った蒼木は、
「…あり得ない、ね。その割には──」
去り際に見せた、虎太郎の笑顔を思いだし、後ろ頭を掻くと、小さなため息を吐き出した。
大学一年の時、入った山岳サークルに、匠直匡はいた。
進路もあらかた決まっている四年生。
山岳サークルだと言うのに、軟派でいつも周囲を女子に囲まれていて。
それでも、いざ本番になると顔つきが変わり、頼りがいのある先輩となった。そのギャップに惹かれたのかもしれない。
もともと、好意の対象が同性と気付いていた虎太郎は、ただ遠巻きにみているだけで、声をかけることはなかった。話かけても、事務的なことだけで。
かっこよく、頼もしく、人気のあるひとあたりのいい先輩。傍に近づける女子が羨ましかった。
虎太郎は、小柄でひょろっとした、冴えない男子学生で。
俺となんて、話すこともない。
そう思っていたのだが。
初夏、とある山へ登山に行った際、季節外れの悪天候に、メンバーの数人が行動不能となったのだ。
それを助けるため、まだ動けた虎太郎と匠、蒼木とで奔走し。あいにく通信が上手くできず、悪天候の中、匠が山小屋へと引き返した。
その間、虎太郎は蒼木と共に、なんとか皆の意識をなくさせないよう、身体をあたため、声をかけ続け。
山小屋から消防へ連絡が行き、救助が間に合い、大きなケガもなくみな助かることができ。
その件がきっかけで、匠は虎太郎に気安く話しかけてくれるようになったのだ。
嬉しい。
ただそれだけだった。
今まで、好いた相手にそんな風に声をかけてもらったことなどない。後輩として、匠は虎太郎をことさらかわいがった。
とぼけたキャラクターが、付き合うのに気楽だったのかも知れない。
しかし、そんな虎太郎の思いが、いつの間にか、匠にも伝わっていたようで。
匠の女遊びが派手になった。時にはその場に呼ばれた事さえある。──嫌がらせだ。
どんなに辛かったか。
必死で、そんな自分を匠に知られまいと取り繕い。それが祟って、とうとう診療科まで通うことになった。睡眠障害のみだったが、薬がなければ眠れない日々が続き。
そうして、卒業も迫り、それぞれが進路に向けて動き出すころ、匠は誰もいない部室へ、虎太郎を呼び出した。
そして、留学の為に、アラスカに向けて数日後に日本を立つとだけ言った。
それが、思いを告げる、最後の機会だった。
けど、俺は行かなかった…。
行ったところで何になる? ひどくフラれて、気持ち悪がられて、それでおしまいだ。
もう、傷つきたくなくて、行かなかったのだ。
なのに──。
待っていたなんて。
今更、知りたくもなかった。──いや。もしかして、そう思いもしたのだ。でも、行っていなかった時のことを思うと、やはり足が動かず。
行っていたら、どうなっていたんだろう?
日本を立つというのに。待っていろとでも言ったのか。それとも、一緒に来いと言ったのか…。
そんなわけ、ないな。
せいぜい、今まで申し訳なかった。でも、思いには答えられないと言われただけだろう。
蒼木の言うように、思いがあったなど思えない。それほど、当時の匠の仕打ちはひどかったのだから。
もう、終わった事だ。
「──さん?」
「え?」
「やだなー。俺の話、ちゃんと聞いて下さいよー。ぼけるの、まだ早いですって」
そう言って、薫が笑った。
その笑顔にほっとする。過去の話にささくれだった心が緩んでいく気がした。