姐さん、保育士になるってよ!
真凛と安西先生のアナザーストーリーの後編です。
中々のボリューム、前編と後編で分けて良かったです。
児童養護施設に来て1か月経った。
夜中に街をうろつく必要はなく、学校からまっすぐに家に帰るようになった。そのように規則正しく過ごすとイライラすることは減り、授業にも集中できるようになった。
「最近、よく頑張ってるな」
担任がそう言った。
たったそれだけで、胸の奥がポッと熱くなった。
施設では雅と麗以外の小さい子にも勉強を教えたり一緒に遊ぶようになった。
小さい子ってこんなに可愛いんだ…。ここでの生活がなかったら子どもと関わることなんてなかったな。
お風呂から上がり部屋に戻ると手紙を見つけた。
封筒の宛名、「真凜へ」。
癖のある丸文字を見た瞬間、心臓が跳ねた。
あの頃は、宿題の連絡帳にもこの字で「よくできました」って書いてくれてたのに。
…開ける勇気が出ない。
「開くの緊張するわよね」
安西先生がスッと後ろから現れた。気配が全く分からなかった。
「わっ!先生、心臓止まるかと思いました!」
「あらあ、あんな顔に傷作るくらいの喧嘩ができるあなたならそんなので止まらないわよ」
まあ、もう最近はしてないんだけどなとバツが悪そうな顔をしていると優しく諭してくれた。
「無理しないでね。時間が解決してくれることもあるから」
しかし後日母は面会にやって来ていた。
会いたかった。なのに、足は後ろにしか動かなかった。
とっさに身を隠して施設には裏からそーっと入って息をひそめた。母の前には安西先生がいた。
「真凜はどこですか?私、本当に駄目な母親で…ごめんなさい」
そう言う母の姿は、髪も肌も少し荒れてしまっていた。
それでも、真凜の記憶の中の“笑うとえくぼができる顔”は変わっていなかった。
「まずはお母様の体調は大丈夫ですか?お母さまが万全な状態でないと、真凛さんにも負担がかかってしまいます。身体的な虐待はなくても、家に帰りづらいという状況は心の虐待になってしまいます。子どもが安心していられる場所が家庭なんです」
「そうですよね、私は本当に…」
母の背中がとても小さく見えた。こんなに弱々しくなっていたのか。
安西先生は安心させるように母の背中に手を添えた。
「人ってね、無理に立ってると、心の脚が折れちゃうの。 あなたはずっと立ち続けてたのよ。倒れたって、それは怠けてたわけじゃない」
それにね、と安西先生は物陰に隠れてた私を母には分からないようそっと視線を移してから
「真凜ちゃんはね、あなたのことをまだ“お母さん”って呼びたがってる。 だから焦らなくていい。会えそうになったら、その時に連絡ください」
お母さんは安心したのかその場で泣き崩れた。
――そうか…お母さんが変わってしまっただけじゃない。私があの日のままで止まって甘えていただけなんだ。大人になるって、誰かを許すことじゃなくて、誰かの弱さを受けとめることなんだ。
その言葉が心の奥に沈んだ時、夜風が少しだけ、やさしく感じた。
その日から私は自分に生きる力をつけるために勉強に打ち込んだ。
そのおかげか公立の高校に無事に合格して、そこでもさらに主には勉強に励んだ。
そんな穏やかな高校生活の中、施設内で何かを勉強している安西先生を見かけた。
「あら、こんな夜中に起こしてごめんなさい。実は私、通信教育で保育士資格の勉強をしているの」
保育士資格…私は離れてしまう不安に駆られた。それほど安西先生は第二のお母さんとも言えるほど信頼していたのだ。
その表情で安西先生は私の不安を感じ取ったのか、にこりと優しく微笑んだ。
「大丈夫よ。すぐにここを辞めるわけじゃないし、ここのお仕事も好きなのよ。けれどここに来るのは”既に傷ついてしまった子どもたち”が来るでしょう。その傷ついた顔をさせるのが悲しくてね」
そう語る安西先生の顔は微笑んでいたが悲しそうな目をしている。
「でもね、その前の保育のところから頑張りすぎるお母さんたちを支えることができたらと思ったの。そうすれば幸せな子どもも増えると思うの」
その言葉を聞いた瞬間、私の目指す道のりに光が差したような気がした。これが…私のやりたいことかもしれない…。
「…私も、保育士目指そうかな。そしたら、お母さんみたいに頑張りすぎて壊れちゃう人が少しでも減ると思う?」
先ほどとは打って変わって先生の目はキラキラと輝き私の両手を取った。
「それとっても良いわね!一緒に頑張りましょう!私たちは子どもと親御さんの味方になれる保育士を目指しましょうね」
「人の役に立ちたい」
そう思った自分に、少し驚いた。
でも――それは、私の目指す道が決まった、忘れられない瞬間だった。
その決意から、私は保育科のある短大へ進むため猛勉強を続けた。
受験が近づく頃、雅と麗が初めての裁縫でお守りを作ってくれた。
「2人ともありがとう。このお守りがあれば受験にも完全勝利できそうだ」
感謝を伝えた瞬間、2人は「姐さん〜!」と号泣。
本番の時なんかどうするんだよ…。
そして今日。合格発表の日。
掲示板で、自分の受験番号を見つけた。
「……あった。みんなのおかげだ……」
数字が涙でにじんだ。
施設へ急いで戻ると、そこに母の姿があった。
「真凜…元気そうで良かった。今日、短大の合格発表よね」
あの頃と違い、隠れず正面から向き合えた。
「短大、合格した。奨学金を使うから心配しないで」
母なら喜んでくれると思った――でも。
「いいえ、払わせて!病気に向き合って、就労支援にも通って…安定して働ける場所を見つけたの。お金も貯めたわ。ずっと寂しい思いをさせて、ごめんね」
母も、私と同じように寂しさと戦っていたんだ。
「…ありがとう。
お母さんみたいに、一生懸命頑張る親御さんに寄り添える保育士に——私、なるよ」
「真凜……ありがとう。本当に……生まれてきてくれてありがとう」
私たちは泣きながら抱きしめ合った。
——あの瞬間が、私の道を照らしてくれた。
だから今、胸を張って保育士でいられる。
「真凛先生、水瀬葵さん――あかりちゃんのお母さんからお手紙よ」
手紙には映画のチケット2枚。
「先生方に支えていただいたおかげで、私はあかりをもっと愛せるようになりました。この映画は、その優しさを他の親御さんにも届けるためのものです」
水瀬さんの字が滲んで見えた。
「良かったわね。私たち、ちゃんとお母さんたちに寄り添える保育士になっているのね」
返事をするのがやっとだった。言葉を足せば、涙がこぼれそうだから。
玄関のチャイムが鳴った。
来客カメラには——懐かしい二人の姿。
「真凜姐さん!保育士採用試験、合格したっす!!」
「安西先生と真凜姐さんのおかげっす!」
成長した雅と麗だ。
今日という日は、嬉しいことの玉手箱だ。
「あんたたち、よく頑張ったな!頼もしい仲間だ!」
「おめでとう!とても頼もしい親御さん達の味方だわ!」
保育士の仕事は確かに大変だ。
でも――辞めたいと思ったことなんて一度もない。
悲しさに沈む子どもや親御さんの、
小さな光になれるから。
それが私が保育士でいる理由だ。




