エピソード・オブ・水瀬葵 -再起の段ボール舞台-
水瀬葵:あかりの母で女優。5話に登場。
仕事が多忙なためお迎えはマネージャーか祖母。感情的になる時があるが、あかりへの愛情は本物。
あかり:おままごとで鬼監督と呼ばれる女児。
脚本は大人顔負けで、演技指導も情熱的。女優ではなく、脚本家としてママを輝かせたい。
予想はしていたものの、ショックが隠せなかった。
私は水瀬葵。つい最近まで“大女優”なんて呼ばれていた。
……つい最近、である。
入れ替わりの早いこの業界では、肩書きの賞味期限なんて生ものだ。
分かっていた。分かっていたはずなのに。
PC画面に表示されたネット記事が、無言で私に突きつけてくる。
「美人なだけで、演技はワンパターン。水瀬葵オワコン説!?」
――はあ?
何よ、それ。
「ワンパターンにしたのは、そっちでしょ」
思わず独り言が漏れる。
だってそうだ。
母親役、恋人役、儚い女、感情を抑えたヒロイン。
違う役をやりたいと言えば「イメージと違う」。
挑戦すれば「求めてたのはこれじゃない」。
都合のいい型に押し込んでおいて、
飽きたら“オワコン”って……便利な言葉よね。
私は椅子に深くもたれ、画面から目を逸らした。
……考えたら負けだ。
どうせまた次の若い女優が持ち上げられて、
同じ道を辿るだけ。
そう思おうとしたのに。
胸の奥に、ちくりと棘が刺さったまま抜けない。
項垂れていると、隣のあかりが心配そうに見上げてくる。
その視線が、やけに痛い。
――見ないで。
今のママは、格好悪い。
PC画面を覗きこんだあかりの顔は、みるみるうちに怒りの表情に変わった。
「なにこれ!?ママの演技がワンパターンなんて、まるで分かってない!」
「…あかり?あなた幼稚園児なのに文字が読めるの?」
「ひらがなとカタカナなら読めるけど、前後でだいたい分かる」
もうそんなに成長してるのか。最近の子どもの理解力って、すごいわね。
「だいたい演技がワンパターンって言うけど、同じような役ばっかりママにオファーするからでしょ!
ママは悪くない。一度真凛先生とバトルした迫真の演技を見てほしい!
あんなに感情を爆発させるママの表現を見抜けない演出家には、任せられない!」
あなた、あの時泣いてたのにそんなこと考えてたの!?
我が子ながら……恐ろしい子!
「でも安心して!保育園で“おままごとの鬼才脚本家”って言われた私の出番だわ。
私の脚本でママを輝かせて、メディアをぎゃふんと言わせてやる!」
あかりの背後に、特撮の爆発が見えた気がした。
すごい気迫。でも、大好きな我が子が私を認めてくれる――それだけで、私は無敵だわ。
数日後。リビングには段ボールが敷かれていて、そこにひらがなで「ぶたい」と書かれていた。
手作りの舞台の脇にはサングラスと長袖シャツをプロデューサー巻きしているあかり。
「さあ、まずはオーディションよ!今から渡す台本をママの解釈で演じてみて。読み込みは5分」
「わ、分かったわ」
差し出された紙には、色鉛筆で書かれた小さな台詞。
タイトルは『ままのひみつ』。
「……寂しい思いさせてるのは分かってる。でも……この仕事、好きなの。愛情をどう注げばいいか、もう分からないの……」
あれ?この台詞って… 葵は思わず台詞を止めて、あかりを見た。
小さな演出家は、腕を組んで満足げに頷いている。
「この子、私の出てる作品たくさん見てるからてっきり女優になりたいんだと思ってた。 あかり、ありがとう……寂しい思いをさせてごめんねぇ。ママ、世界で一番あかりが大好きよ……」
確か私が第5話で言っていた台詞…
あかり…恐ろしい子。
『鬼才脚本家』じゃなくて、
『鬼畜脚本家』だわ。
「ママ!あの時の感情と気迫を思い出すの。当時の言葉をなぞるだけでは私は一緒に泣けない」
…言ってくれるわね。でも、この時の言葉は本当の私。
今の私にとっても噓偽りない言葉だわ。
この言葉に一番感情を乗せられるのは…私よ!
その決心が起爆剤となり、私の目にはもう涙が出てきた。
「……寂しい思いさせてるのは分かってる。でも……この仕事、好きなの。愛情をどう注げばいいか、もう分からないの……」
あかりのまなざしも変わったが私は演じている自分に集中していた。
「この子、私の出てる作品たくさん見てるからてっきり女優になりたいんだと思ってた。 あかり、ありがとう……寂しい思いをさせてごめんねぇ。ママ、世界で一番あかりが大好きよ……」
気が付けば無意識に目の前のあかりを抱きしめていた。
「さすが大女優・水瀬葵!過去の自分を演じるのが一番難しいのにママすごい!」
私は今まで、演じている“つもり”だったのかもしれない。
役を生きるって、こういうことだったのね。
セリフじゃない。息も、涙も、全部、私自身のものだ。
その瞬間、頭の中のパズルピースが音を立ててはまった。
あの頃の私は、どんなに完璧に台詞を覚えても、心を置いてけぼりにしていたのだ。
でも今は違う。――母として生きる痛みも、愛も、全部ここにある。
“演技”じゃなく、“私”がようやく追いついた。
***
数週間後。
新作ドラマ『あなたが眠るまで』の撮影現場。
母親役としての私は、これまでとは違う息づかいでカメラの前に立っていた。
「カット!……水瀬さん、今の表情……すごい。あの“沈黙”で全部伝わりました」
監督の声に、スタッフたちがざわめいた。
何も言わず、ただ子を見つめる――その一瞬に、台詞以上の真実があったのだという。
「ありがとうございます…」
涙がにじむ。
あかりが描いた段ボールの“ぶたい”が、頭の片隅で浮かんだ。
――あの手作り舞台が、新しい水瀬葵を羽化させたのだ。
撮影後、女性記者が声をかけてきた。
「水瀬さん、まるで憑依型のような演技でしたね。何か心境の変化が?」
私は少し笑って答えた。
「子どもと遊んでいたら、気づいたんです。母としての私が、女優としての私を育て直してくれたんだって」
***
そして放送初回。
世間の反応は驚くほど熱かった。
〈水瀬葵、覚醒。母親のリアルをここまで表現できる女優がいただろうか〉
〈“ワンパターン”と言っていた自分を殴りたい〉
そんな見出しが、今度はSNSを賑わせた。
あの日の“オワコン”の二文字が、まるで別人の話のようだった。
***
後日、作品のヒットを受けて開かれた記者会見。
ライトが眩しい。けれど、もう怯えなかった。
司会者の
「娘さんのあかりちゃんも来ているそうですね」
という声に、客席から「ママ!」と小さな手が振られる。
私は笑って、マイクを取った。
「この作品は、私の娘がきっかけで生まれました。
彼女が脚本を書いてくれた“段ボールの舞台”が、私の原点なんです」
会場がざわつく。
「娘さんが……脚本を?」
「ええ。こんなことを言われたんです。
“当時の言葉をなぞるだけじゃ、私は一緒に泣けない”って」
思い出すだけで、胸の奥が熱くなる。
「その一言で、私は気づきました。
私はずっと“演じているふり”をしていたんだって。
母として生きる自分の感情を、置いてきぼりにしていたんだって」
少し間を置き、続ける。
「撮影が終わったあと、監督に言われました。
“君、やっと追いついたね”って」
客席のあかりが、誇らしげに胸を張る。
私は手を差し伸べ、舞台の上に呼び寄せた。
「私自身、迷いだらけの母の一人です。
この作品が、同じように悩む誰かに寄り添えたら嬉しいです」
フラッシュの光が瞬く中、
母と娘は、しっかりと手を握り合った。
――拍手が、カーテンコールのように響いた。




