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7.迷子の幼なじみ


 入学から二ヶ月が経ち、僕達の制服も涼しげなものに変わった。


 情報の授業中、カタカタと小気味いい音に誘われ視線を右へ送ると、馴れた手つきでキーボードを叩く範田さんの姿。


 仕上げとばかりにターンとEnterキーを押した彼女は「ふっ」と不敵な笑みを浮かべる。


「これが最新鋭セキュリティですって?笑わせてくれるわね」


 僕は彼女から目を反らし、その正面に座るこまりへ顔を向ける。


 こまりは親の敵を見るような顔で、画面を睨み付けている。


 こまりは壊滅的に不器用だ。


 勉強や運動。掃除や料理。生活に関する諸々。本当は全てがうまくできないところを、学校の成績に関わるものだけを絞って努力をする事で、どうにか優等生の体裁を保っている。


 だから、こういう単純に暗記すればいいわけではない教科では特に苦戦する事が多い。


 以前までなら授業中に教えたり、自習に付き合ったりしていたのだけど……。


 歯がゆい思いを噛み締めていると「ちょっと、君崎君!」と範田さんに声をかけられる。


「なんか言ってよ!」


「え?」


「リアクションとってくれなきゃ、スベってるみたいになるでしょ!」


「ご、ごめん。独り言かと……」


 PC室での授業では、教室に来た人から好きな席に座ってもいい事になっている。


 いつも通り空いている席に適当に座った僕の隣には、こまり達のグループが集まっていた。


「こまりの事、気になるの?」


 範田さんが僕に顔を寄せ、耳元で囁いてくる。


「い、いや。そんな事ないよ。全然」


「嘘下手かよー。ういなー。うい奴だなー」


「ほんとほんと。そういうんじゃないんだって」


「えー、だったらなんで見てたの?」


 範田さんは挑戦的な笑みを浮かべる。


「それは……」


「見てた事は否定しないんだ」


「うっ……」


 範田さん、なかなかの強敵だ。


 なんて返そうかと考えていると「希望のぞみ」と、こまりが範田さんの名前を呼んだ。


「授業中なんだから邪魔しないの。君崎君、困ってるでしょ」


「あははは。ごめん、ごめん」


 こまりはむすっとした顔で、視線をディスプレイへ戻した。


 こまりは、優秀でなくてはいけない。


 彼女の思う優秀な人間は他人に努力や弱みを見せる事はしない。だからこれまで僕以外の相手には頼らず、不器用な自分を悟られないように生きてきた。


 約束の事で僕が協力をできなくなったため、自習の負担はこれまで以上のものになっているだろう。


 毎朝目にする彼女の部屋も、日に日に汚くなっている。


 掃除の意志がないわけではないだろうけど、勉強に追われて暇がない事に加え、こまりは片付けをしようとしても、逆に散らかってしまうほどに不器用だ。


 それでも諦めようとしない彼女だからこそ、応援してきた僕だけど、だからこそ心配になってしまう。


 彼女がまた塞ぎ込んでしまうのも、頑張り過ぎて疲れてしまうのも、僕は嫌だ。


 *


 最近は杉浦君と一緒にお昼を食べるようになった。


 杉浦君の友達、長谷部はせべ君も一緒だ。


 眼鏡をかけた背の高い人で、杉浦君とは同じ中学の出身であるらしい。


「君崎の弁当、いつもうまそうだよな」


「どれか食べる?」


「い、いいのか?人妻の手作り料理なんて、貰ってしまって」


「そう言われると、なんか嫌かも」


 こまりのお弁当の中身も、僕が食べているのと同じものだ。


 高校からは給食がなくなるから、僕の分と一緒にと母さんが提案したらしい。


 こまりも流石に遠慮をしていたみたいだけど、いつもの如く、お互いの両親の間では話がついていたようで、そういう事ならと受け入れる事になったようだ。


 いつもお昼になると、そのお弁当を手に、範田さんや石川さん達と教室を出ていく。


 きっと中庭や食堂で、食べているのだろう。


 お弁当を食べ終えた後、杉浦君達と話をしていると、範田さん達のグループで異変があったらしく、僕はそちらへ目を向けた。


「途中でトイレに寄るって言ってたから、先に戻ってきたんだけど……」


「駄目。電話もでない」


 どうやら昼休みが終わりそうなのにも関わらず、こまりが教室に戻ってきていないようだ。


「サボりかな?」


「そんな事する……タイプの人ではない気がするけど」


 僕は杉浦君に返しながら、スマホに目をやる。


 電話やメッセージの通知はない。


 結局こまりがいないまま、授業が始まってしまった。


 こまりの事が心配で、授業にまるで集中できず、気がつけば廊下や窓の外、スマホへ目を向かわせていた。


 こまり。どこにいるのだろう。


 不安が大きくなっていき、椅子に座っている事さえ、苦しく思えてくる。


 体調でも崩したり急用ができたのならば、わざわざトイレに寄る、なんて言うはずがないし、皆に迷惑をかけないようにと連絡をするはず。


 優秀でいなければならないこまりが、教室に戻れない事を、誰かに伝えられない状況。


 たぶん迷子だ。


「先生、すみません。ちょっとトイレに」


 僕は立ち上がった。


「なんだー。休み時間に行っておきなさい」


「すみません」


 今のこまりは、誰かに頼る事ができない。


 僕が動かないと駄目なんだ。


 廊下を出ると、足早に歩き始める。


 授業中、あまりうろつくのもよくないし、こまりが他の誰かに見つかったら、恥をかいてしまう。


 問題は、こまりが何処にいるか。


 こまりと一緒にお昼を食べている範田さんが、お弁当を持っているところは見た事がなかった気がする。


 石川さんは、時々パンを持ち歩いているところを見るけど、彼女は教室でもよく何かを食べている事が多いから、それがお昼ご飯とは限らない。


 2人が購買や食堂でお昼を買っている可能性は高い。購買は食堂の直ぐ隣にある。3人でご飯を食べるなら、食堂を使うのが自然だろう。


 こまりはそこからの帰り道、トイレへ寄ると言っていなくなった。


 トイレは食堂の中にもあるけど、範田さんの「途中でトイレに寄る」という証言から、立ち寄ったのは食堂以外のトイレだ。


 教室までの帰り道、トイレはいくつあっただろうか。


 皆が授業を受けている、静かな廊下。窓のある教室の前では、腰を屈めて進んでいく。


 僕らの教室は、本館の北棟3階。食堂から本館へ行くには、実習教室などがある別館を通り抜ける必要がある。


 いくらこまりといえど、いつも使う本館のトイレから教室へ戻る間に迷う事はないだろう。


 そもそも本館までたどり着いていたのなら、階段を上るだけで教室の前の廊下に出るのだし、見慣れた景色の北棟を通り抜け、南棟へ行ったとも考え難い。


 となれば、こまりがいるのは別館。おそらく食堂から別館へ続く廊下にあるトイレに立ち寄ったのだろう。


 本館の階段を下り、廊下を渡り、別館に入る。


 下がった眉毛。潤んだ瞳。噛み締めた唇。


 頭に浮かぶのは何度も見た事のこまりの姿。


 親指をギュッと握りしめたまま、家から出る事のできなくなった、過去の彼女。


 授業が始まってしまった今、こまりは人気ひとけのない場所で、不安と罪悪感に襲われ震えているはずだ。


 階段を上っていくと、3階へ続く踊り場で見つけた。膝を抱えてうずくまっているこまりを。


「こまり?」


 彼女の丸まった体が小さく跳ねたのを見て、思わず笑みがこぼれる。 


「相変わらず、すごい方向音痴だね……僕らのクラス、別の建物なのに」


「……うるさい」


 こまりは顔を伏せたまま言うと、鼻をすすって続ける。


「なんで来たの?」


「僕が放っておけるわけないだろ。こまりの事」


 何も答えないこまりへ、僕は近づき右手を差し出す。


「ほら、教室戻るよ。一緒に遅刻の言い訳考えよ」


 顔を上げたこまりは、僕の右手をしばらく見つめた後、躊躇いながら自分の手を差し出した。



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