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傍観から脱却した彼女は自由に生きる(3)


 アナスタシス魔法王国の貴族に仕える使用人は基本的に住み込みである。

 独り身もいるが、結婚して家族を持っている者もいる。

 使用人は奴隷ではない。よって、就労の自由はあるので生まれた子どもが親と同様その家の使用人になる必要はない。

 が、実際のところ一族郎党で仕える例はそれなりにあり、そうでない場合は寄子の家か横の繋がりの強化に差し出されるのが一般的であった。

 カルディナム家にも使用人の子どもは複数おり、その子らの成長を見守るのも雇う側の務めであった。

 かといって、主家の子どもと使用人の子どもは明確に区別されており、共に遊び或いは学ぶということはなく、上下関係は幼少期から叩き込まれるものでもあった。

 空間を共にすることもあまりない。遭遇すればどちらかがそっと離れるのが定石である。

 それが普通だ。

 5度の人生の中でエレノアが使用人の子どもと遭遇する機会はそんなになかった。気にもとめてなかった、というのが正しい。覆ってマリシラは使用人の子どもらの遊びに興味津々であった。仲間にも入りたがっていたが、それは流石に両親が止めていた。それでもマリシラは内緒で子どもたちと会うようになり仲良くなっていくのだから皮肉なものである。隠し事も下手だから、両親も内心苦心してたろうが見ないふりをしていた。エレノアが同じことをすれば蛇蝎の如く怒るだろう。そういう親である。

 ならば今回も遭遇しても見て見ぬふりをすればいい。

 けれども書庫にいたその子どもは端から見ていても楽しそうに本を読んでいたのである。それも子どもが読んでいたのは先日シグルドに「お嬢様にはまだ早いです」と言われて棚の高い場所にしまわれてしまった本だったものだから余計に興味が出てしまったのだ。

 大人向けのミステリー小説を、5歳のエレノアより幼そうな子どもが読んでいる。

 大人が見たら異様な光景であった。

 子どもは黒髪黒目の男の子だった。

 あまり見たことのない系統の顔立ちである。

 背だってそんなに高くない。幼児特有のまろみのある身体つきで、脚立を登るのも難しい。

 どうやってあの場所から持ってきたのだろう。

 そちらの方でも興味が湧いてきてエレノアは男の子と同じように床に座って本を覗き込んでみる。

 装丁に目を引くところはない。至ってシンプルな書体の文字が並んでいるだけだ。子どもが興味を抱かせるような挿絵はない。ならば、男の子は内容を理解して楽しんでいるということになる。なんと早熟なことか、とエレノアは内心で舌を巻いた。


「その本、面白い?」

「わっ」


 声を掛けると男の子は声を上げて身体を震わせた。びっくりさせてしまったようだった。


「えっと、えっと、どちら様?」

「誰だっていいでしょう? それより、その本、面白い?」

「誰が誰だかを確認することは大事だよ」

「あら、そうかしら。秘密の関係って素敵だと思わない?」

「秘密が多いと嘘も多くなるからあんまり秘密は抱えるもんじゃないって父さんが言ってた」

「あなたのお父様はどなた?」

「此処の書庫の管理人やってる。シグルドって知ってる?」


 男の子はその歳にしてはしっかりした物言いをしていた。同時に落ち着いており、見ようによっては不気味だと言われかねない雰囲気もあった。が、父親の名を聞くとエレノアはシグルドの子なら問題はないと判断し、頷いて「知ってるわ。よくお世話になっているの」と言った。


「あなたのお名前を聞いてもいい?」

「ぼく、カイル」

「カイルというのね。私はエレノア」


 名乗るとカイルはぱちくりと瞬きをする。それから「エレノアお嬢様?」と呼ばれたので「そうよ」と肯定するとカイルは再び「わっ」と声を上げた。


「ぼく、帰らなきゃ!」

「あら、どうして?」

「ぼくは使用人の子どもだもの。ご主人様の家族とは関わっちゃいけないんだよ」

「此処には誰もいないのに?」

「誰もいなくても何処かに『目』はあるものなんだよ」


 カイルはそう言って本を閉じ、くるりと指で弧を描くと本が浮かび上がって棚に戻っていく。そうして立ち上がって部屋を出ようとするが、それよりも早くエレノアはカイルの手を取って「あなた、もう魔法が使えるの?」と聞けばカイルはまたびくりと身体を震わせた。


「こ、これくらい誰だって使えるでしょう?」

「いいえ、いいえ! 5歳やそこらで魔法が使える人間なんていないわ! どんなに早くても10歳くらいからよ!」


 才能があればもう少し早かろうが一般的に魔法教育が始まるのは10歳からだ。そこで初めて自分の属性を知り、得手不得手の系統を知るのである。エレノアのように王妃候補等の特別な理由があればもう少し魔法教育は早まるが、それは稀有な例だ。それはつまり、一般的には10歳まで魔法の基礎を知らないことを意味し、魔法が使えないことを意味する。5歳で魔法を操るのは天才の所業と言ってよかった。


「あなた、凄いわ! シグルドに報告しなきゃ! いえ、それよりもナシルかしら、それともお父様かお母様か………………!」


 早くこの天才児の存在を知らせなければと慌てふためいているとカイルは「待って!」と顔面蒼白で叫ぶ。

 何故顔色が悪いのかエレノアは理解出来ないでいるとカイルは懇願するようにエレノアの手を握って「誰にも言わないで!」と言った。

 

「お嬢様は本がお好きですよね?

 父さんやナシルさんが駄目って言ってた本を取ったり読めないところ翻訳したりするから、ぼくが魔法を使えることは誰にも言わないで!」

「どうして? 魔法が使えるって言われるのが嫌なの?」

「嫌っていうか、他の人が変な目で見てくるのが怖い、です」

「変な目だなんて、そんなことにはならないわ。むしろ尊敬されるわよ」

「ぼくは尊敬されたくない。ぼくは空気みたいにいるのかいないのか分かんないみたいなのになりたい」

「………………変な子ね」


 この年齢で中級魔法が使えるなら教育次第では10歳で超上級魔法が使えるのも夢ではないのに。勿体無いことをする。

 が、エレノアとて嫌がるのを無視して行動するつもりはない。ひとつ頷いてカイルの手を握り返し「わかったわ」と言って頷き、更に続けた。


「あなたの意思を尊重します。

 代わりにと言ってはなんだけど、時々会えない?

 話し相手が欲しいの」

「本を取ったりしなくていいの?」

「それは、もっと仲良くなってからお願いしたいわ」

「………………ふうん」

「あら、不満?」

「ううん。弱みを握ったんだから、いっぱい命令すればいいのになって思っただけ」

「そういうの、好きじゃないの」


 頭ごなしに高圧的に言って従わせた末路は知っている。

 あんなやり方はもう懲り懲りだった。


「ねえ、最初の話に戻るのだけれど」

「なあに」

「あの推理小説、面白い?」


 気になったので再び問えば、カイルは観念したように息を吐いてからにっこりと笑った。


「面白いよ。お嬢様も読む?」

「もちろんよ!」


 こうしてふたりは秘密の友だちへの一歩を踏み出したのである。



◎◎◎◎◎◎


 その後、カイルとは何度か会って話をしたり本を取って貰って読書をしたり本の感想を言い合ったりして親交を深めていった。

 雑多んする中で知ったのはカイルが4歳であることで、その聡明さと落ち着き具合に改めて驚かされた。

 だがその感慨はカイルも抱いているようで話をしていると時折「お嬢様って本当に5歳なの?」と言ってきたりもした。

 秘密の友人同士であるから、無用な気遣いは取っ払った付き合いをしていた。表に出れば互いに立場をわきまえるが、書庫では好き勝手に話しては笑いあい、互いの肩を小突いたりするのが当たり前となっていった。

 両親からのエレノアの評価は徐々に下り坂となっていった。

 カイルとの密会がバレたからではない。

 王妃候補教育の成果が芳しくないからである。

 かつては予習復習に余念がなかったが、自由に闊歩出来るようになってからは最低限のことしかしなくなった。代わりに5度の人生で身に着けられなかった女主人としての心得や刺繍、料理や菓子作り、娯楽としての読書やカイルとの交流に時間を割くようにし、新たな教養を身に付けていったのである。が、それらは秘密裏に行っていることであるから両親としてはエレノアが怠けてるようにしか感じられない。よって、叱責される回数は増え、罰として食事が与えられないなどということも増えていっていた。


「昨日、また怒られたんだって?」


 心配そうに問い掛けるカイルが厨房から貰ってくれたらしい硬いパンをエレノアに渡してくる。

 エレノアは礼を言いつつ受け取り「何時もごめんね」と謝ってパンにかじりついた。


「別にパンくらい貰いに行くのはいいんだけどさ。

 王妃候補のお勉強、もうちょっとしっかりしたほうが怒られないんじゃない?」

「褒められることがないのに?」

「えっ、旦那様と奥様、お嬢様を褒めたりしないの?」

「しないわ。お父様たちが大事なのはマリシラだけだもの」

「………………そうなの?」

「カルディナムに住む人はみんな知ってることではないかしら」


 そう言うとカイルは困ったように眉を眉間に寄せる。4歳児のする仕草ではないなと思った。


「褒められることがないのはもういいの。諦めてるから。でもね、諦めていてもつい縋りたくなる瞬間があるの。それで余計疲れてしまうのよ」

「セリフが5歳児じゃないよ」

「いいじゃない。私もあなたと同じように早熟なの」

「早熟で片付けていいのかなあ」


 ぼやくカイルをエレノアは軽く小突いて口を閉じさせた。

 カイルと会うようになったことでエレノアは読みたい本を存分に読めるようになった。

 それもこれもシグルドが『見逃して』くれているからだ。

 シグルドは聡い。元騎士であるからかそれとも生来の性分なのかは分からないが察する能力はかなり高い。よって、息子が4歳にして中級魔法が扱えることも知っているし、力が暴走しないようにカイルの身に付けてるものに魔力制御の道具をそれとなく使っている。魔法の才能がいち早く開花したなら教育は早めるべきだ。それは才能がしぼむのを防ぐ意味もあるが暴走させない観点からもいえるのでシグルドの判断は危険も孕んでいる。が、才能のある者への教育はことさら厳しいとも言われている。逡巡してしまうのもしかたないのかも知れない。


「それよりも、あのクッキーのレシピは手に入った?」

「ああ、うん。ちゃんと教えてもらったよ」


 言って、カイルはポケットから紙切れを取り出す。

 達筆な字で書かれたそれはエレノアが大好きなクッキーのレシピだ。本を読み漁っても見つからなかったレシピである。料理人がレシピを暗記しているというのでカイルに強請って教えてもらうよう頼んだのだ。ナシルに頼んでも良かったが、ナシルがエレノア付きの使用人であるのは屋敷でも周知の事実である。エレノアというたんこぶが付いていては教えてもらえない可能性があった。そこでカイルに頼んだのである。

 ナッツとココアのクッキーはカルディナム家でも人気のお菓子だ。これを、明日から出向く別荘で仕込むつもりでいる。


「向こうにいるうちにマスターしたいものが沢山あるの」

「王妃候補のお勉強も忘れずにしなきゃだよ」

「わかってるわ」


 別荘に行くことになったのは強化合宿をする為だ。遊びに行く為ではない。が、5度の教育を乗り越えたエレノアにかかれば強化合宿なぞ恐れる必要はない。やることは最低限こなし、さっさとお菓子作りや料理に勤しむのだ。


「カイルも来てくれるのよね?」

「父さんがひとりにはしておけないって言ってたから、多分ぼくも行くと思う」


 別荘への付き添いは世話役のナシルだけでなく護衛としてシグルドもついてくる。カイルは本来留守番だが、あっさりと同行を許可されたのは意外だった。両親になにか企みがあるのか、はたまたシグルドの口がうまかっただけか。

 いずれにせよ同行者がいるのは嬉しい限りである。

 

「別荘にも書庫があるんですって」

「ぼく、入り浸ってしまいそう」

「大丈夫よ。本の虫になっていたら私が引っ張り出してあげるわ」

「…………お手柔らかに頼みます」


 シワシワの顔で言うものだから、エレノアは思わず声を上げて笑ってしまった。


 

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