傍観から脱却した彼女は自由に生きる(2)
カルディナム家の書庫は広い。
アナスタシス魔法王国の書物だけでなく、他の国の書物もあれば他大陸の書物もある。
分野は政治経済に始まり歴史、魔法関係の物が多いが使用人たちも利用出来ることから俗物的な書物も取り揃えられていた。中には風刺画の画集などという物もある。これは先代の侯爵の意向であるので現在は率先して集められてはいないが当時の風俗を知るうえでは良質な資料だと言えた。
ナシルが案内したのは当然ながら令嬢に相応しい分野の書棚であった。
分厚く大きな書物が多い。5歳のエレノアには物理的に重すぎるものばかりである。
ただ、このあたりの書物は暗記するほど読み尽くしてしまっているので興味を引くことはない。装丁の美しさだけが目を引くだけだった。
大分類して政治経済、法律、魔法関係は正直に言うなら読みたくはない。
どうせ読むなら今まで縁のなかった物がいい。
求められた知識は幅広いものであったが、縁のない分野は存在している。知らないことは山とある。
工芸品の成り立ちや絵画の描き方、彫刻や宝飾細工の製作工程などはどうだろうか。料理やお菓子をどう作るかも気になる。
物の良し悪しが分かるよう一流品を見せられ、時に身に着けさせられ育てられたから『コレは良い物だ』『コレは悪い物だ』は分かる。しかし、わかることはそれだけでその裏にどんな物語や努力があるかは今まで知る機会はなかった。
嫁ぐのだからとカルディナム家の領地に関することも学ばせてはくれなかった。ならばマリシラにその手の教育がされていたかというとそうでもない。マリシラは淑女の嗜みである刺繍や詩を読む訓練しかしていない。
「お嬢様、なにか気になるものはありましたか?」
「そうね、あの本が気になるのだけど」
ふとした疑問を誤魔化すように行儀悪く指をさしてある書物を取ってもらう。
それは真新しい刺繍の教本であった。
母のためのものか、それともマリシラの為のものか。いずれにしてもエレノアには見覚えのない本だった。
タイトルには『刺繍の基本』という文字が踊っている。母が今更基礎を学ぶとも思えない。マリシラ用の教本だろう。エレノアの王妃教育には刺繍の項目も詩の暗唱や創作も含まれてなかったので予想はあたっている筈だ。
エレノアは政治経済と法律、魔法と国の歴史、礼儀作法を中心としたあらゆることを学ばされていた。淑女の教育というより、分野としては帝王学に類することを学んできたのである。後継者であれば疑問の余地のない教育方針だ。しかし、エレノアは女性であるし、柔らかな分野を学びの中に入れなかったのは如何なものかと今更ながらに思う。
まるで鉄の女だ。何度目かの人生では自分をそう見たこともあった。
対比するようにマリシラは柔らかな教育ばかりを受けてきた。習い事といえば最低限の読み書きと礼儀作法、刺繍に詩の暗唱と創作、歌唱くらいだ。
カルディナムの歌姫と呼ぶ者もいた。
「これを読みたいと言ったらお母様は怒るでしょうね」
これはマリシラのだもの。
手垢がつかないようにページを捲り本を閉じ、ナシルに本を棚に返してもらう。
「私が読んでも怒られない刺繍の本はあるかしら。ボロボロに使い古された物なら大丈夫だと思う?」
「お嬢様…………」
ナシルが悲しそうに表情を歪ませる。
齢5つで自分に求められてることを理解してることを嘆いているのだろう。実際はナシルよりも倍以上歳を重ねてるに等しい年数を生きてるようなものなのだが、そんなものは外見からは分からないだろう。分かられても困る。
「私、鉄の女以外にもなりたいの」
「鉄の女?」
「政に強い女性は必要だからなるけれど、柔らかな部分も持ち合わせたいってこと」
したり顔で言って書庫を進む。
洋裁関係の書物はそれなりにあって、刺繍の書物もかなりの数が揃っていた。使い古された物もあるが、年季が入ってるが使われてなさそうな物もある。ページを捲った形跡すらないのもあった。
「刺繍にも沢山の種類があるのね」
様々な刺し方で模様を作るのが刺繍の基本だが、用いる布や糸、色彩、多用する刺し方などで様々な名称が付いているのが面白い。特徴的な刺繍は発生或いは発展した地域や国の名称が付けられる傾向にあるようだ。当然ながら教本に載ってる物はエレノアには難しすぎる。始めるならまずアナスタシス魔法王国全般で使われてる物がいいだろう。もちろん、初心者向けの。
「でしたら、クロスステッチなどどうでしょう」
「クロスステッチ?」
本を出しては戻しを繰り返すこと数十分、ある本を取り出しながらナシルが口を開いた。
「クロスステッチはその名の通り糸を交差させた刺し方です。糸の本数や色の組み合わせで模様を作っていくんですよ」
「布に図案を写して刺すってこと?」
「いいえ。図案を見ながら刺すんです。最初は難しく感じるかもしれませんけれど、慣れれば謎かけを解くみたいで楽しく感じてきますよ」
「初心者でも出来る?」
「図案によるでしょうけど、出来ると思いますよ」
「ナシルも出来る?」
「ひと通りのステッチは」
頷くナシルにエレノアは本のページを捲りながら「これを作ってみたいの」と刺繍の図案を見せると、ナシルは少し眉間に皺を寄せた。
「いくつかの模様がある図案ですね。一度にこなすのは大変ですから、まずはひとつひとつ出来るようになる必要があります」
他の使用人なら「お嬢様なら簡単ですよ」と太鼓持ちをしてくるところだがナシルはそんなことは言わない。難しいことは難しいというし、危ういなら危ういと進言する。
それは使用人としての範疇を越える部分もあるかもしれないが、エレノアはその真摯さが好ましく思えた。
「ねえ、ナシル。お願いがあるの」
「道具の準備でございますね?」
「ええ。それと、先生役をお願いしたいの」
お母様たちはきっと刺繍の先生はつけてくれないから。
きっぱりと言い切ると、ナシルはにっこりと頷いて「内緒、内緒、でございますね」とお茶目に言った。
◎◎◎◎◎◎
カルディナム家には男児がいない。
当代のカルディナム侯爵の子どもはエレノアとマリシラだけである。お外で遊んでいたらその限りではないが、堅物と忠誠を絵に描いたような父が外遊びをするとは思えない。故に『ご落胤』はいないと言っていい。
王国の法では家督を告げるのは男子のみとなっているから、カルディナム家を存続させるとなると入り婿か親戚筋から養子を迎えることになる。が、両親はその辺りのことを真剣に論じていたところをエレノアは見たことがなかった。子どもに見せなかった可能性もあるが、マリシラにカルディナムの女主人としての教育を施してなかったので時が来れば何処ぞの家に嫁に出すつもりだったのは透けて見える。となれば養子を迎えて後継者として育てるとなるが、5度の人生の中でエレノアに弟が出来たこともなかったし兄が出来たことも一度としてなかった。
両親は家の存続に興味がないように見える。そのような振る舞いをしてる。
傍観者になっていた時は己の不運を嘆くばかりだったが、自由になった今、これはなかなか不味いことではないかと思う。
どうせ18になれば否応なく処断されるだろうから家の将来を憂うだけ無駄なのだが、家の存続は使用人の将来も左右する。せめてナシルが引退するまでは続いて欲しいと思うエレノアである。
ナシルは使用人や世話役として優秀なだけでなく教師としても優秀だった。
王妃候補教育は変わらず続いていたが、自習時間を減らして刺繍を習うようになってからは特にそう思うようになってきている。
ナシルの教え方は丁寧で分かりやすい。最初はステッチの刺し方を間違えたりもしたが、数週間もすれば簡単な図案を指せるようになっていた。ナシルの教育の賜である。
クロスステッチはナシルが言ったように刺繍糸の本数と色合いで図案の濃淡を表現する刺繍だ。クロスステッチ用の布も存在し、それは帆布のように固めで初心者のエレノアにも扱いやすいものだった。
「もっと上手になったらハンカチの刺繍にも挑戦してみたいわ」
「いいですね。この布地でクッションのカバーにするのもいいものですよ」
「それも素敵ね!」
道具はナシルとエレノアにしか分からない場所にしまうことにした。エレノアの側に来る使用人はそう多くはないが、念には念を入れての隠し場所を選んだ。
マリシラは相変わらず両親の愛情を一身に受けている。
エレノアは家庭教師と勉強の最中でも、マリシラと両親は流行りの歌劇を見に出かけていく。そんな環境だった。
何度も同じ体験をしていなければ癇癪を起こすような事態である。事実、傍観者から脱却するまでは物に八つ当たりしてナシルや他の使用人たちを酷く困らせた。
だが、今回は違う。最低限に授業をこなし、教師が帰れば書庫に入り浸り使用人たちが読むような『俗物的』な本を読み漁った。流石にこれにはナシルも眉をひそめたので書庫への入室には細心の注意を払った。
とはいえ、完全に内密には出来ないのが現実である。
「こんにちは、シグルド」
「これはこれは、エレノアお嬢様。ナシルと一緒じゃないんですか」
「ナシルにはお買い物を頼んでいるの。お父様たちはまた歌劇を観に行ったわ。だから、今がチャンスなの」
書庫には数万冊の蔵書がある。となれば専任の管理人が必要になってくるわけで、カルディナム家には司書が雇われていた。
司書は長身痩躯の男で、名をシグルドという。
元は騎士だったそうだが、魔物退治の任務で負傷し引退を余儀なくされたらしいが、詳しくは知らない。
5度の人生では最低限の会話しかしてこなかった間柄である。
しかし、今回は共通の秘密を持つ『共犯者』であった。
「今日は何をご所望です? 甘いラブロマンス? それとも冒険活劇?」
「いいえ、ミステリー小説の区画に案内してくださる?」
エレノアの言葉にシグルドは軽く目を見開き口笛を吹く。感嘆してるのか、面白がっているのか、はたまたその両方か。いずれにせよ友好的な反応なのでエレノアは構わないことにする。
「早熟過ぎやしませんか。人が死ぬだ殺されただ、陰謀がどうのこうのとかの話しかないですよ」
「王宮は魔王城のようだというでしょう?
今のうちに刺激に慣れておこうと思って」
「王妃候補って、まだ本決まりでもないんでしょうに。勉強熱心ですねえ」
確かに5歳の子どもが読むには危険なジャンルである。それを言ってしまえば使用人たちが読む小説や雑誌はみんな5歳児には刺激が強いし難しい。
普通は咎めるか諌めるか不気味がるかなのでエレノアも自重するべきなのだろうが、シグルドは「そういうこともあるか〜」だけで終わっている。本の選定時にある程度チェックは入れてくるが、基本はエレノアの知的好奇心に任せてくれているのは有り難いことだった。
「一応、選定はしますからね。ナシルに怒られるんで」
「わかってるわ」
両親と言わない辺り、シグルドもカルディナムの内情をよく理解してる。
エレノアは大きく頷いてシグルドのあとに続いた。
◎◎◎◎◎
世の中ままならないものである。
いや、世の中というより人生であろうか。
「リバイバル幼児辛いンゴ……………」
カイル・マーシナル、只今4歳である。
父親は元騎士候現司書の能天気男、母親は産後の肥立ちが悪くカイルを出産後ほどなくして他界している。親戚付き合いはなく、いるのかいないのかも不明である。
家族構成としては父子家庭になる。アナスタシス魔法王国の重鎮カルディナム侯爵家に住み込みで仕えており、カイルの将来はカルディナムの使用人になることが決定付けられている。進路選択の自由とは? と疑問を呈したくなるがそれはそれ、考えなくて楽じゃんくらいに思っておくことにする。
問題はそこではない。
カイルの人生が2周目で、1度目の人生と色々な意味で差がありすぎることである。
カイルの1度目の人生は世界観からして違う。
アナスタシス魔法王国なぞなかったし魔法は夢物語の存在で科学が発達している世界だった。
人生を謳歌した年代を21世紀と呼び、世界は天の川銀河と呼ばれその中にある太陽系第三惑星の一国にてカイルは生を全うした。
全うしたといっても若い頃に死去している。
死因は過労死で間違いないだろう。死んだ時の記憶は曖昧だが、風呂で気を失ってそのまま何時の間にか産声を上げたのでそう思うようにしてる。なにせあまりにも働き過ぎていた。週休1日、朝9時から夜の23時までの勤務を十数年続けたのである。なのに収入は低く、有給消化も出来ないような環境だった。若くして死ぬのは必然だったといえる。
唯一の楽しみは電子機器を用いたゲームをすること。ジャンルは問わずRPGからホラーゲームまでなんでもやった。
そのジャンルのひとつに恋愛シミュレーションゲームなるものもあった。男主人公のものは『ギャルゲー』、女主人公のものは『乙女ゲー』と呼ばれるジャンルである。カイルはゲームに関しては節操なしの悪食であったからギャルゲーも乙女ゲーもどっぷり嗜んだ。主人公に感情移入出来れば名作と思っていたし、主人公が微妙ならクソゲー扱いしてた。主人公の立ち位置はゲームに熱中出来るか否かを左右する大事なファクターである。これはどのゲームにも言えるが、疑似恋愛を第三者視点からみる分野であるから余計に主人公への感情移入感は大事だった。別の言い方をすれば主人公=プレイヤーのゲームとは相性が悪いとなる。
そういった意味で言えば、『魔法に魅せられて』は主人公に感情移入しにくいゲームだった。
『魔法に魅せられて』はコンシューマー型の乙女ゲーで、年齢設定が18歳以上推奨(性描写は微弱)というものだった。
ゲームの舞台はとある世界にある『アナスタシス魔法王国』にある『国立魔法学校』だ。
主人公の侯爵令嬢マリシラ・カルディナム(名前のみ変更可能)と複数の攻略対象との恋愛や青春、葛藤、結ばれるまでを描きそれなりにヒットしたゲームである。
攻略対象は4人。王太子、騎士団長の息子、宰相の息子などなどそうそうたる面々がいるなか、身分差恋愛枠なるものもおり、その攻略対象の名をカイル・マーシナルという。
さて、この世界の一角にはアナスタシス魔法王国がある。魔法に秀でたお国柄で、良家子女は例外なく国立魔法学校に通う定めにある。カイルのフルネームは『カイル・マーシナル』で、父親が仕える家はカルディナム侯爵家、娘の名はマリシラという。
此処までくればおわかりだろう。
カイルは2度目の人生をゲームに酷似した世界で送っているのだ。しかも攻略対象である。
成人した意識を引き継いだまま2度目の人生を歩んでるのだけでも随分な拷問なのに充てがわれた立ち位置も加わって毎日が地獄である。早く天に召されたい。
とはいえ能天気な父親を遺して死ぬのも気が引けるのも事実である。
どうか主人公が逆ハー脳でありませんように! と願いながらも羞恥心に苛まれながら2度目の幼児期を続行中だ。
カイルの目標はカルディナム家で平々凡々な使用人として生きることだ。カルディナム家はこの世界的には福利厚生がしっかりしてる方だ。使用人も使用出来る遊戯室や書庫もあるし、週1日とはいえ完全な休日が設けられている。他の家ではこうはいかない。流石、王国の重鎮である。
かといって、眉をひそめない場面がないわけではない。
カルディナム家ではふたりの娘がいる。ゲーム主人公のマリシラと姉であり『悪役令嬢』であるエレノアだ。
姉妹の親である侯爵夫妻はマリシラを溺愛する傍らでエレノアを冷遇している。いや、冷遇というには教育に金をかけてるから違うかもしれないが、あまり扱いが良くないのである。
マリシラには何でも買い与えてるのにエレノアには必要最低限の物しか買い与えていないし、笑顔を向けたり雑談したりもしない。齢5つの身で習うには難しい習い事もさせてる。全ては王妃候補たるがゆえらしいが、実なところ候補も正式には決まっていないのだという。ただ、第一王子と歳の近い娘であるから『候補になるかも知れない』というだけなのだそうだ。
なのに、エレノアは分刻みのスケジュールで過ごしていることが多い。カイルの父親であるシグルドが言うには、食事の面でもエレノアは不遇な目に遭ってるという。
ゲームでのエレノアは苛烈な悪役令嬢だった。登場する時は常に上から目線で憤怒の表情だった。兄弟姉妹が現実には仲が良いかと言われたらそんなことはないわけで、だから物語の中だけでも仲睦まじい家族なり姉妹の姿をみたいのが人情である。ゲームをプレイしてる時は主人公共々悪役令嬢も苦手だった(総じて言えば『魔法に魅せられて』自体がカイルには合わなかった)のだが、現実として姉妹の扱いの差を知ると「そりゃあ、ああもなるわ」とゲームのエレノアに同情してしまう。
同時に、このまま詰め込み教育が進めばゲームのエレノアになってしまうのではと心配になるが、今のカイルには何も出来ない。ゲームのエレノアの最期はどのルートも悲惨だ。通常ルートだと破滅しか残されていない。噂では全員攻略に加え逆ハーレムエンドを迎えるとエレノアモードが解禁されるらしいが、カイルはそこまでゲームに没頭出来なかったので噂の真偽は不明なままである。
まあ、どちらに転んでもカイルは平凡な使用人生活が保証されればいいのである。他人の幸不幸に関わるつもりは毛頭ない。
はずだったのだ。
「その本、面白い?」
書庫でエレノアに出会うまでは。
◎◎登場人物◎◎
◎ナシル◎
・外国から移民してきたエレノアの世話役。
・基本何でもできる
・褐色の肌、黒い髪と瞳の美人
◎シグルド・マーシナル◎
・元は王国騎士団に所属する騎士候だった。
・魔物退治の任務で負傷、後遺症が残った為に引退。年金暮らしも出来たが、先代のカルディナム侯爵に拾われ司書となる
・軽薄じみた外見をしてる。口調も軽い
・現在30代、既婚。妻とは死別。息子がひとりいる
・書庫にある本は全て呼んだし保管場所も把握してる
◎カイル・マーシナル◎
・転生者、前世の記憶あり
・攻略対象としての人生に「辛いンゴ」となっている




