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人間

 生前の記憶。


 希薄すぎる二十年の人生は、ゆるやかに私を死へと誘った。

 何かきっかけがあった、ということはなく。


「好きな事は、あったほうがいいよね……」


 いつ、誰に言われた言葉か、もう思い出せないけれど。

 ただ、その一言で私は気が付くことが出来た。


 ――自分に、何もないことが。


 どうやら私は、学生時代から、自殺を決行するに至るまで、何の面白味も無い人間だったらしい。

 ずっと自分に友達がいないこと。仲の良い仕事仲間が出来ないこと。

 全部、人見知りをする自分の一挙手一投足が気持ち悪いからだと思っていた。

 でも違った。孤独の原因は、趣味とか特技とか、プライベートな部分にあった。


 確かに、私には趣味も特技も無い。私を彩る要素。私と言えば。

 うん、何も出てこない。モノクロな人生は、モノクロな人間からじゃなきゃ生まれない。


 でも、仕方ないことだよって、私は思う。

 私だって、ゲームとかするし、好きになったものくらいある。

 ただ、熱中できないってだけ。

 飽き性ってのも、少し違う。何故ならこれは、私単体の問題ではないからだ。


 大人になって、自覚したことがある。

 私は何か物事において、自分より優秀な人間の存在を知覚すると、途端にその物事がつまらなくなってしまうのだ。

 窮屈な言い方になったけど、要はどんな趣味を作っても、虚しくなるってだけ。


 例えば。

 アイドルやアーティストを好きになったとして。

 ライブ映像を観たり、SNSでいろんな情報を調べるのは楽しい。

 趣味は心を豊かにする。趣味の事だけを考えている時間というのは、幸せそのもの。これは誰だってそう、だと思う。

 そしてもっと、深く知りたいと思うようになる。

 しかし、その界隈には、私よりももっと"それ"を好きな人がいるもので。


 ――世界には、自分の上位互換がたくさんいる。


 どれだけ好きを突き詰めても、ネットを開けば上がごろごろいる。見ないようにしても、必ず目についてしまう。


 私にはそれが、虚しくて仕方がない。


 そんなこと、どうしようもないのに。その物事に人生を捧げているような人達に、私が追い付けるわけがないのに。


 目に毒なんだよ。見ているだけで、何もかも下らなくなる。

 まぁ、くだらなくしているのは私の思考回路なんだけど。


 やがて。

 そんな風に考えていると、いつの間にか何も無い人間になった。


 停滞した私。窓を閉めっぱなしにして、新しい空気を取り入れようとしない。

 昔観た動画を何度も繰り返し再生したり、昔好きだったゲームを何周もプレイしたり。


 過去を何度もリフレインして、退屈だ。

 画面を眺める私の顔は全く笑っていない。

 コピペしたみたいな日々。えっと、何が楽しみで生きてるんだっけ?


 そんなんじゃ、つまらないと思われるのも無理はないか。

 いつか私に話しかけてくれた人の、困りきった顔を覚えている。

 自分の人生のプラスに為り得ない人間と、仲良くする道理などない。


 必然の孤独。


 私が生きる理由なんてものは、とっくに破綻していた。

 故に、死を踏み出すのは簡単だった。


 マンションから飛び降りた理由は、一番手軽で苦しまずにあの世へ旅立てそうだったから。

 決して、ホルモンバランスの乱れとか、酷いうつ状態に陥っていたって訳じゃない。

 楽に死ぬ方法を調べても、まずは悩まずに相談してみて、と検索結果に励まされるだけ。そうじゃないんだよな。


 もう語ることもない。人の少なそうな平日の昼間。天気が良ければ何となく天国に案内してもらえそう、とか考えてたっけ。


 遺書を残す相手もなく、誰かに最後を告げることもなく……。


 ――私は、落ちていった。




 気が付けば私は、目の前の未来ある若者に、どうしようもなく煩わしい話を長々と聞かせ続けていた。

 床に座り込み、向かい合う二人。

 未だに涙は止んでくれなくて、恥ずかしさから、ずっと下を向いていた。それでも光希さんは、私の拙い自分語りに黙って耳を傾けてくれた。


 きっとこれが、人生最初で最後の心情の吐露。

 いや、ゾンビとして蘇ってるから、人生じゃなくてゾン生か?

 ここまで内面をさらけ出せたのは、光希さんが私にとって、かけがえのない存在になってしまったから。


 他人に優しくしてもらったのは、いつ以来だろう。

 甘えたり、触れたり、もっと心の内を語ったり、してもいいのかな。

 にょろにょろと、甘ったるい綿菓子のようなものが身体を徐々に侵食していく感覚。

 ゾンビとしての本能が、揺らぎそうになる。

 人が本来持ち得る感情を取り戻すことができたら、私はこの飢えから解放されるのかもしれない。


 だとしたら私は、助かりたい……のかもしれない。


 そうだ、ゾンビなんて嫌だ。世間から興味を持たれないことよりも、世間から忌み嫌われる方が辛いに決まってる。

 私は、肯定されたい。私を理解してくれる人がいるなら。目の前の人がそうであるなら。私を、救って欲しい。


 光希さんは。


「きらりさん……その……」


 ああ、そうか。


 顔を上げるまで、気が付かなかった。


「私、きらりさんが……」


 彼女の瞳は、怯えに震えていた。

 私の中から人間が、瓦解していく。


「何を言っているのか、よく、わからなくて……」


 光希さんは私を理解することが終ぞ出来なかった。


 期待を抱くことは、愚かな行為だったのだろうか。


 私の魂が悲痛に悶えている。

 腹の底から湧き上がる黒い渦のようなもの。

 激情が、せりあがってくる。わなないた様子の彼女に、私の身体が呼応している。


 過去を打ち明けた途端に、奇異の目を向けた光希さん。あんなに優しい彼女が、ここまでの反応を示すなんて。

 他者の好意を、希望や信頼といったものに勝手に変換してしまっては、馬鹿を見るらしい。

 人の底を知るタイミングが遅すぎた。所詮、どこまで行っても私は単体。


 なら私は……。


「ごほっ!」


「っ、光希さん⁉」


 ……あれ?


 カーペットに染みが広がっている。私の口から水滴が垂れている。吐しゃ物をトイレにぶちまけた時とも違う……。

 意図せずに漏れた咳。喉の奥から強烈な殴打をくらったような感覚を覚え、床に散布した液体。


 血だ。


 反射的に口元を抑えた右手が赤黒く濡れている。

 身体が限界を訴えていた。この血液は、警鐘だ。


 視界がぐらりと歪む。脳が情報を処理し、判断を下す。


 空腹、食事……捕食。


 飢えが、本能が、身体を勝手に操縦する。

 この先は、破滅なのに。


「す、好きにしてくださいよ」


「……は?」


 ぽかんと空いた私の口から血が滴る。


「いっぱい血を出して、もう……こんなに辛そうなきらりさん、見てられないって……!」


 えっと……つまり。


「ほ、本気ですから」


 食べていいってこと?


 動きを硬直させた私を恐る恐る見つめながら、震えた唇が言葉を形作る。


「……あ、あなたの為に、捧げても、構わないです」


 本能が、反転した。


「捧げても、構わない?」


 何故私の為に命をささげようとしている? 意味が分からない。唐突すぎる。

 意思疎通のできないフンコロガシの餌に自らなろうとする人間が、どこにいるんだよ。


「私だって、別に……」


 違う。


 もしかして、希死念慮。


 私と同じだ。漠然と、死のうとしている。

 光希さんは現在進行形で死の危機に直面している。

 それは、私が彼女の瑞々しい肉体を捕食しようとしているからだ。


 そして彼女は、自分を救ってくれた私に恩義を感じている筈。

 何かしてあげたい、と私に対して考えていたとする。

 そこから、身を捧げるという結論に至った理由があるとすれば……。

 彼女が家出をした理由、にあるような気がするのだ。


 親と絶縁レベルの喧嘩をした、と言っていた。しかし、その詳細は教えてくれなかった。

 だがそこに自分の人生を放棄するほどの理由があるとするならば……。

 折角なら、影ヶ谷きらりの為にその命を使ってやろう、と考えても……おかしくはないのか?


 ……でも。

 それは駄目だ、よくない。経験則が語る。


 ――私が、何とかしなきゃ。


「光希さん、やめて下さい」


 もう一度、ゾンビとしての自分を押し殺すだけだ。


「私なら、平気ですから」


「でも、きらりさん……」


「そんな顔、しないで下さいよ。死ぬ訳じゃありません」


 ああ、くそ。苦しいな。


「それより、早く帰ったほうがいいです」


 分かるよ。私の身体だもん。


「申し訳ないけど……私、光希さんにこれ以上何もしてあげられません」


 このままじゃ、私はもう一度死ぬ。


「新しい道を示してあげることも、ここであなたの命を頂いてしまうことも、私にはできません」


 何も考えず、本能に従えばいいのに。


「だからもう一度、考え直してください」


 彼女を逃せば、もうチャンスはない。


「死ぬ理由じゃなくて、生きる理由を探してください」


 最早、喋るのがやっと。外に出る気力も残されていない。


「死んだってね、虚しいだけなんです」


 回復の手段を、どうか。


「諦めて死んだら、負けなんです……だから光希さん」


 こんなに近くにいるのに、手が届かない。


「私から、逃げて下さい」


 ああ、なんて美味しそうなんでしょう。


「私の大切な、お友達なので」


 本当に、食べてしまいたいです。


「きらりさん……っ」


 花が萎れた時みたいに、頭をガクリと下げる。

 彼女は今、どんな表情をしているのだろう。私にどんな気持ちを抱いているのだろう。

 一瞬気になったが、もう私の話は終わった。気にする必要もない。


 膠着した二人。私に関しては、少しでも動いてしまえば、光希さんに何をしてしまうか分からないので、じっとしているだけ。

 私と過ごした時間で、彼女が何を感じ取ってくれたかは分からない。


 ただ。


 視界の隅で、おもむろに立ち上がった光希さんが、首を縦に振った気がした。

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