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食事

 Tシャツが捲れ、私のお腹は光希さんの眼前に晒される。


「…………」


 積み上げてきたモノが、崩壊していく音。それを聞いて私はただ、黙することしかできない。


 恩義、信頼、友情。


 他者にとっては、数あるうちの一つかもしれない。しかし私は違う。光希さんしかいないのだ。今から新しいドミノを組み立て直すなんて、出来ないよ。


 怪異なる存在。化け物とは、社会からはみ出さないよう、集団と同化しつつも、その醜さの一切合切を包み隠さなくてはいけない。

 皆が恐れるから。これは義務。私はしくじった。


 見ろ。彼女の怯えきった顔を。


「き、きらりさん……それ……」


 回された腕はとっくに解かれ、私の全然人じゃない部分に、その視線は釘付けになっている。


「あ、ああ、ああああっ」


 私、パニック。

 口腔から怪音が漏れる。嫌われたくなくて、必死で何かを訴えようとしている。


「ああああっ、ああああ」


 いやしかし、私は何を訴えようとしているのだろう?

 化け物なんかじゃないよーって言いたいの? でも、どうだろうか。


 私はこの世界で唯一、死を経験している。


 孤高の生物だ。


 まぁ、孤高って部分は今も昔も変わらないんだけど……。

 ……ってほら、化け物だ。だったら私は彼女に何を求めているんだ。


 視覚情報を言語化。


 鯖戸光希。人間。女子高校生。可愛い。それはもう、襲っちゃいたくなるほどには。

 黒々とした彼女の瞳に移るのは、醜悪な私。


 その正体は……。

 既に死んでいて、お腹に穴が開いていて、人の食べ物を受け付けなくて、代わりに、別のもので空腹を満たす必要があって……力が強くて、化け物で、人が恐れる存在で……。


 そうか。 


 ヒエラルキーの頂点なんだ。


 頭のどこかで、ばちりと火花が散った。


 私は。

 腹が減っていた。


 意識の更新。同時に、全身が黒々としたモノに蝕まれ、常識が淘汰されていく。

 欲求の解消を先決しよう。さっきちょっと寝たし、食事を取らなくては。

 私の本質は、結局ゾンビなんだ。ゾンビが何を食べるかなんて、もう決まっている。


「光希さん……」


 うん、やっぱり嫌われたくはなかった。可哀想な表情にそそられる性癖を、私は持ち合わせていないから。


「はぁっ、はぁっ」


 ご馳走を前に、息が荒くなる。遠くでブレーキの音が聞こえた気がしたが、どうやら利きが悪いらしい。


「き、きらりさん……きゃっ!」 


 私はベッドから転がるように身体を落としながら、傍にいた光希さんに覆い被さった。


「痛っ、な、何を……?」


「ご、ごめんなさい光希さんっ、私……」


 あなたを、食べてしまいたい。


 血液が眼に集中する。他人と目を合わせたのはいつぶりだろう。

 強い力で腕を掴まれ、身動きを封じられ、端正な顔立ちは苦痛に歪む。


 ……不要な情報。屠殺される牛の表情を思い浮かべながら食事なんてしたこともないし。

 仕方ない。苦しんでほしくはないけど、私の欲求には劣る。

 だから、できるだけ穏やかに……あれ?


「お箸がない……」


「は、箸?」


 何だこれ。どうやって食べればいいんだ。どうやって光希さんを食べれば正解なんだ。

 熊みたいに、足から丸呑みにすればいいのか? そんなことが私にできるのか?

 やるとしても、それってすっごく痛いよね、きっと。

 それに、彼女を食べたら私はどうなるの? その次は? 飢えを凌いでどうする?

 ……違う違う、どうでもいい。私はゾンビだから、食べるんだ。お腹が空いたから、無遠慮に……いや、せめて楽な方法で……。


「それって」


 つまり、とどめを刺すってこと?


「きらりさん……」


 そんなの……無理。


 ごちゃ混ぜの脳内。彼女の声が、欲求に支配された思考の隅に割り込んだ。


 私は人間だった。人間の尊厳が、私にはある。頭の片隅で、自分はまだ人間であると主張する私がいる。カニバリズムは罪。


「はぁ、はぁ、光希さんっ、ぐっ……ごめんなさい、はぁっ、説明を、ちゃんと、しますから……」


 食べたい食べたい食べたい、と駄目だ駄目だ駄目だ、がせめぎ合っている。

 いや、本当は九対一ぐらいで食欲が勝っている。


「きらりさんっ、まず、落ち着いてよぉ」


「痛いですよね……不気味ですよね……分かってるんですけど、でも……」


 私はコミュニケーションが下手だ。必要以上に相手の顔色を窺い、相手の言葉一つで、深層心理までもを汲み取ろうとする。

 理性を振り絞り、腕の力を弱める。身体を起き上がらせることは……出来そうにない。コミュ症ゾンビの弱点。女の子の甘美な香りの強制力に私は逆らえなかった。

 弛緩していく光希さんの表情。腕に痣が残っていたら私、責任とれるのか?


「あの、包み隠さず言いますけど……私、ゾンビなんです、多分」


「……はい?」


 呆気にとられた様子の光希さん。それはもう、狐ならぬゾンビにつままれてるって具合に。

 全く、彼女が驚いてるじゃないか。こんなに力が強いのにコミュニケーションに必要な筋肉がぶよぶよって。


「すぅ……はぁーっ」


 深呼吸を一発。説明を再開。しかし、どこまで話したものか。


「光希さん、さっき私のお腹、見ましたよね? えっと、それがゾンビの証拠っていうか……私、ゾンビだから、ヒトの食べ物をどうやら受け付けないみたいで、それで……」


 こんな状況下でも、光希さんは私の目を見据えて話を聞いている。こんな状況下でも、人に目を合わせられて、私は恥じらいを抱いている。お腹が空いた。気が狂いそうだ。


「だから、つまり……あなたを、た、食べたくなって……」


 いや、もう狂ってるのか。


 ”食べたくなった”なんて告白して、私は彼女にどうしてほしい?

 何を求めているんだ。彼女が身体を差し出してくれるとでも?

 一方的にこちらの感情を投げつけ、自分だけが気持ち良くなっている。


 後悔に苛まれて……こんな自分が嫌になる。

 このまま思考を放棄して、光希さんを貪ってしまえば、楽になれるのかな。

 そうすれば、人としての私は終わってしまうけど、色んな苦しみからは解き放たれる気がする。


「きらりさん、また」


「え?」


 光希さんのしなやかな右腕が伸びている。掴んでいた手は既に解かれ、私の頬に触れる白い指先。本能的に他者を安心させる微笑。


「また、泣いてる」


 私は、泣いていた。


 言葉の反芻行為。光希さんにそう言われてから、数秒後に気が付いた。

 頭の中がぐちゃぐちゃで、泣いている理由が説明できない。また自分が哀れで泣いているのか、それとも……。

 さらさらと自動的に溢れ出る透明の液体は、全て彼女の掌に吸い込まれる。


「きらりさんは、良い人なんだよ」


 どうして、あんな乱暴をされてそんなことが言える? そんな穏やかに言葉を紡げる?

 彼女が理解できない。私が人間じゃないから?


「もう大丈夫だよ、きらりさん」


 心の解放を助長する彼女の声。このまま二人で溶け合って、何も考えられない存在になれればどれ程楽だろう。


「か、か、かっ……」


 吐息と共に言語を吐き出そうとする。しかし上手くいかない。

 はぁはぁ、と荒い息を吐く私の背中を、光希さんは優しく擦る。


 伝えろ。自我を押し殺してでも。嘘は簡単。今まで何度も自分に嘘を吐いてきた筈だ。


「か、かっ、帰ってください、光希さん……危険、です……っ」


 どれだけ自制心を維持できるか、私自身にも分からない。


「いっ、言ったじゃないですか……私は、もうっ、し、死んでるって……はぁ、はぁっ」


 もう一回、私が死ぬだけ。光希さんには、身を引いてさえもらえればいい。


「放っておいて、下さいっ……私なんて、いてもいなくても、一緒ですっ……」


 そうだよ。普通に考えて、未来ある若者が生贄になるなんてどうかしてる。緊急避難的に考えても、皆私が我慢すればいいって大合唱するだろう。

 常識という秤に私と光希さんを乗せる。人権の無い化け物に、意見は傾かない。


「それは、きらりさんが決めることじゃないよ」


 光希さんが口を開く。どうやら、簡単には帰ってくれないらしい。


「少なくとも、私はきらりさんに助けられたんだよ。私にとっての、大事な人……今辛そうにしているあなたを、放っておくことなんてできない」


 辛そうって……それは光希さんのせいじゃないですか。


「ねぇ、話してよきらりさん」


 あなたの全てが、私のヒトじゃない部分に炎を灯し、ヒトの部分を燃やし続けている。


「あなたがそこまで自分を卑下する理由を。一人で考え込むより、誰かに伝えたらスッキリすることって、あると思う」


 あなたは、私を化け物にする。


 危険な存在。いなくなってくれさえすれば、自分を諦めることは簡単だろう。

 でも……誰にも話せなかったことを、気の許せる人に打ち明けてみたら。


 ――焦がしつくされた傷跡に、変化が現れるかもしれない。


 思考の凌辱。彼女の言葉は、私を素直にさせる。従ったほうが、楽になれる気がするのだ。

 彼女に逆らう選択肢が霧散していく。言われるがまま、私は口を開いた。

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