虚ろ
「うーん、何だか食欲が沸かない……」
橙色に染まる街中。Mサイズのビニール袋を提げて持ちながら、独り言つ。
料理をする気分にもなれず、リンゴと、総菜を数品買い込んだだけで、スーパーを後にしていた。
左手にリンゴを掴み、それを野球ボールみたいに扱う。
軽く上空に投げて、それを掴んでを繰り返し、握力を加えてみる。
「いや……冷静に考えたら、リンゴ潰してる姿、赤の他人に見られたくないかも……」
私はそういう人間だ。
極度のコミュ障だし、なるべく他人と関わり合いたくないし、自己肯定感すこぶる低いし……。
こんな自分だから、なのか。私には何か、特別に秀でた能力があったりとか……そんな漫画の設定みたいな上手い話はなくて。
だから、このリンゴもどうせ潰せない。
私の期待は、いつも妄想で始まり、現実で終わる。
学校に隕石が降ったりとか、ムカつく連中を一人で倒したりとか、街中でスカウトに声をかけられたりとか。
学生のころからそんなことばっかり考えて……ずっとずっと受け身で……自分から動くこともなくて……。
いや、頭の片隅で、そんなこと起こるわけないって、分かってるんだけど。
だからといって、こんな人間に何か変えられ……あ。
「私、ゾンビだった……人間ですらない……」
こんな非現実、別に望んでいなかった。
空虚な人生の、延長線上。
どうせリビングデッドさせるんだったら、ステータスを変えるんじゃなくて、考え方を変えてほしかったかな。神様。
人間ですらなくなった私は、目的もなく家路に就く。
「あれ……?」
閑静な住宅街にあって、珍しい光景。
小規模な児童公園に設置された、休憩用の木製ベンチを囲むように、人だかりができている。
あ、人だかりというのは、私基準。せいぜい二、三人程度のことを指す。
「珍しいものでもあるのかな……?」
スマホを向けて、写真を撮っている様子。何やら楽しそうだ。
敷地内に入ることもなく、その様子を眺める私。人だかりが何を撮っているのか、確認してすぐに帰ろうと思っていた。
しかし人だかりの先、ベンチに腰掛ける存在に、私は目を丸くした。
「え、お、女の子……? しかも、学生さん……?」
女の子は、虚ろな目をしていた。
まるで何かを与えないと起動しない、RPGのギミックのようだ。
微動だにせず、ただベンチに座っているだけの彼女だが、首からボロボロの段ボールをぶら下げていてる。
そして、そこに黒く、細く、記されたマジックの文字は、彼女の現状を、たった一文で言い表していた。
「食べ物を、恵んでください」
段ボールには、確かにそう記されていて、私は自然と、それを口に出して読んでいた。
「あ」
気が付けば、人だかりは消えていて、私は公園の敷地内に足を踏み入れていた。
いつしか女の子の虚ろだった瞳は、光をうっすらと取り戻していて、その眼差しは、私の左手に注がれている。
「たべもの……」
弱弱しい声色。女の子は、口を開いていた。
間違いない。リンゴだ。彼女の瞳は、私の手垢まみれのリンゴを見つめている。
彼女は今、求めているんだ。空腹を凌ぐ術を。私からの、救済を。
誰かに本心から求められるなんて、私の人生に今まであっただろうか。
これは……チャンスなのかもしれない。
私が一歩踏み出すだけで、彼女を救えるのなら……空虚な人生を、変えられるのなら……。
「やっぱ無理……!」
関わっても絶対面倒なことになるだけ……!
「ちょいちょいちょいちょいっ!」
踵を返そうとする私を見て、女の子は勢いよく立ち上がった。
「いやいや! 今食べ物くれる流れだったじゃん! 空気読んでよお姉さん!」
「ひっ……すいません……っ」
一転して、溌剌とした声を発してきたので、面食らってしまう。
そんな私の様子を見て、女の子はばつが悪そうに視線を逸らす。
「こ、怖がらせちゃった……ごめんなさいっ! 気持ち悪いですよね、あたし」
「そそそ、そんなことないです……! あ、あげます、あげますので! あ、でも私がべたべた触って汚いから洗わないと……!」
私なんかに頭を下げて、きっと不本意だろうな。あちこちに土の付いた制服が、何だか目に毒だ。
近くに水道を見つけたので、私はリンゴを軽く水洗いすると、それを女の子に手渡す。
「ど、どうぞ……」
「ま、まじですか⁉」
「ま、まじです……」
人生で初めて向けられた羨望の眼差しに対して、私は軽く頷いてみせる。
女の子は伝説の剣でも授かるかのように、リンゴを大袈裟に受け取ると、女子高校生らしからぬワイルドさで、果肉を皮ごと頬張った。
一心不乱にリンゴにかぶり付く女の子。美味しそうに食べるなぁ。青森のローカルCMとか狙えそうだ。
……わ、私は何をしていればいいんだろう。
もう帰ったほうがいいのかな。それとも食べ終わるまで見ていた方がいいのかな。
いや、私が施している側なんだ。私に主導権がある筈。
理由は分からないけど、こんな場所でホームレスの真似事をしている時点で、家出と見て間違いなさそうだ。
これからどうするつもりなんだろう。こんなに可愛らしい女子高生が、一人で安全に夜を過ごせるとは思えない。
そう、よく見ればこの子、凄く可愛らしい。
明るい茶色をしたボブヘアーに、大きな瞳、整った顔立ち。身体は少し小さめだけど、出るとこ出てるし……って、初対面の女の子に向かって、私ごときが何を評価しているんだ。
でも、だからこそ、嫌な妄想が働いてしまう。
己の武器を最大限駆使して、色々溜まってそうな偉い人に、チョメチョメするとか……。
ぜ、絶対、させちゃダメだよね……。
「あの、どうかしましたか?」
「ふぇっ⁉」
いつの間にか女の子は、リンゴを芯の周りまで平らげていた。腹ごしらえを終え、用済みとなった私に、訝しげな視線を向けている。
や、やばい……不審がられてる……! な、何か言わないと……。
「え、えっと……」
この女の子がこれからどうするのか、私には分からない。でも、ろくでもない結果に終わる予感だけはある。
事ここまで及んだ以上、あと一歩を踏み出すのは簡単だ。
だから、私の持ちうる対人用ボキャブラリーをフル活用して、彼女に伝えた。
「う、ウチくる……?」
上手く言えないけど、目もマトモに合わせられないけど、これくらい、ゾンビにだって出来るんだ。