第十六話「想いを繋ぐ告白」1
夜のレクリエーション、舞台演劇”震災のピアニスト”は盛り上がりを見せていく中、後半に入った。
ピアノコンクールの予選を二人とも突破し、本選の舞台である東京へと向かった二人が本選で一緒に演奏をするオーケストラ達とのリハーサルをこなした後で、二人きりで海に出掛けるシーンがある。
知枝は映画版”震災のピアニスト”を観た頃から印象に残っていて、ずっとこのシーンのロマンチックな会話のやり取りが好きだった。
演技する相手が黒沢研二だった時は、相手からちょっかいを出してくれたこともあり、意識せずに対抗心を持ったまま色気沙汰もなく無我夢中で演技に集中できたが、浩二が相手だと練習の時から意識して緊張するばかりで、気が動転してしまいそうだった。一番稽古する中で大変だった程だ。
「また、ミスしちゃったらゴメンね」
知枝は不安を拭えなかったこともあり、海のシーンが始まる前に元気のない表情で浩二に謝った。
「練習のことは忘れろ、”晶子になりきって、気持ちを込めて演技すれば、多少ミスしたって目立たないって”」
自信なさげに下を向く知枝に浩二はそう言って知枝のことを勇気づけた。
緊張していたこともあり、浩二の優しさの込められた励ましの言葉は知枝の中で特別染み渡るように心を満たしていき、思わず感極まって涙ぐんだ。
”本当に浩二君と二人で静かな海に行けたらいいのに……”
本読みをしたり、稽古をしていた時、そんなことをつい不謹慎にも考えてしまっていた。
行き過ぎた願望だってことは分かってる、これは私たちとは関係のないことだって分かってる。
だけど、晶子の気持ちに立とうすればするほど、甘く切ないこの物語が心にしみて、同じ幸せを知枝は望んでしまうのだった。
「……何でだろう、私って浩二君に頼ってばっかりだね。
脚本の書き直しも全部浩二君が担当してるのに、お世話になってばっかりで」
なんとか演技に集中しようと、雑念を振り払い、知枝は言葉を掛けた。
「いいって、今はさ。集中していこうぜ」
浩二の言葉に知枝はなんとか頷いて、浩二の後を付いて行くように舞台へと上がった。背景のスクリーンには、もう綺麗な青い海が描かれていた。
*
どこまでも続く海岸線、一面に広がる青い海、すぐ近くから聞こえてくる波の音。
そのどれもが本物で、潮の香りが漂ってくるこの光景は夢や幻ではないとはっきり知覚できる。
だけど、波の音に耳を澄ませながら僕は考えてしまう。
晶ちゃんの片耳は音を拾うことは今だにないし、声も出せないままでいる。
本当にこのままでいいのだろうか、晶ちゃんはこんな状態のまま成長していくのだろうか、これを幸せなことだと、今の生活を幸せなものだと受け入れてしまっていいのかと。
分からない、分かってあげることができない、晶ちゃんはこんなにも海に来てはしゃぎ回って笑顔でいるのに、今もまだ信じることが僕は出来ない。
本当は全部取り戻してあげたいんだ、晶ちゃんの大切なものを。
どうして、こんなに力不足を感じてしまって、僕は悲しいのだろう……。
(―———隆ちゃん、大丈夫?)
ぼうっとしたまま立ち尽くして動けなくなってしまった僕を心配して、晶ちゃんが駆け寄ってくる。
幻聴が聞こえた、晶ちゃんの声がいつからか頭の中で再生されるようになった。
僕はどうかしているのだろうか? 分からない、でも、彼女の表情からまるで言葉が読み取れるかのようだった。
(―————隆ちゃん、泣かないで)
まただ、聞こえるんだ……晶ちゃんの心配そうにしている顔が目の前にあるのに、僕の目からたまらず大粒の涙がこぼれてくる。
隆之介
「ごめん、ごめんよ、晶ちゃん、俺……俺……っっ!」
頭が真っ白になりながら、絞り出すように声を出すと、何故か”俺”と自分のことを言っていた。
心配そうに不安定な僕を見つめていた彼女がギュッと僕のことを抱きしめる。
僕は温かい光に包まれるように、彼女のぬくもりに覆われ、弱気なった感情をそのまま癒してくれた。
(――――悲しくなんてない、痛くなんてない、隆ちゃん、いたいのいたいの飛んでけ!!)
そんなの違う、この言葉はただ自分が許されようとしているだけの幻聴、都合のいい僕の妄想だ。だから、ちゃんと僕は伝えなきゃ、謝らなきゃっっ!!
隆之介
「ごめん、苦しいのは晶ちゃんなのに、辛いのは晶ちゃんのはずなのに、僕がおかしいんだっ。
一緒にいれば、いつか身体も良くなるって、それで晶ちゃんはもっと幸せになれるって、そう思ってたんだ……っ。
でも、僕が一緒にいても、何の役にも立ててない。
声が出せないのも、片耳が聞こえないのも精神的なものだから、晶ちゃんが理想的な日常を取り戻すことで自然と良くなっていくんだって、そう、信じて来たんだ……。
それなのに、何も力になれなくて……っ。
だから、ゴメン……晶ちゃんっ!!!」
涙声になりながら僕は溜め込んだ感情を全部吐き出していた。
楽しい日々の中で心の内に抱えていた、不安や焦燥を、心のままに全部伝えてしまった。
力を失くし、項垂れそうになる僕。
だが、後悔した先に待っていたのは、全然想像していたものとは違っていた。
晶ちゃんは、次の瞬間何を思ったか、僕の両頬に手を当てて、自分の顔に、僕の顔を向けさせていた。
僕は目を見開いた。自分にはもったいないぐらいの綺麗な彼女の顔が、宝石のような瞳が目の前にあった。
”私のことをちゃんと真っ直ぐ見て”と、そう伝えたいことはこんな僕でも分かった。
そして、そのまま彼女は口を開いた。
晶子
「”―――ぜんぶ、わかってるよ、りゅうちゃんがわるいんじゃない”」
僕の顔を正面に向かせて、彼女がしたのは口話だった。
僕は集中して彼女が一音ずつ口を動かす姿を凝視するように見て、ようやくその言葉の意味を理解することができた。
そして、そこで終わることなく、続けざまに彼女のピンク色の唇は動き出し、引き続き途切れることなく口話を続けた。
晶子
「”―――わたしは、ほんとうにしあわせだよ。だから、きずつかないで。
わたしは、だいすきなりゅうちゃんといっしょにいられる、だからしあわせ。
いっしょにいてくれて、ありがとう、あいにきてくれて、ありがとう”」
そうか、よく分かった。彼女はその胸の内でもたくさんのことを考えて、たくさん伝えたいことがあったのだ……僕はやっと晶ちゃんの気持ちに気付くことができた。
隆之介
「ありがとう……僕も幸せだよ。こうして一緒にいられて、海まで見ることができて。だから、許してっ!」
泣きながら絞り出した僕の言葉を聞いた晶ちゃんはギュッと胸の中に僕を抱き入れていた。
波の音が流れる中、晶ちゃんは僕が泣き止むその時まで優しく慰めてくれた。




