第十話「この手を離さないで」2
唯花の気持ちを考える中で、言葉少ないまま真奈を家に連れて帰り、永弥音家に入ると両親と話しをしてから、俺と達也は唯花の部屋へと向かった。
この後、どういう結果を迎えるかは分からなかったが、もう、引き返せない所まで確かに来てしまった。
「達也だ、唯花開けてもらっていいか?」
迷うことなく、慣れた様子で達也は唯花の部屋の扉の前に立ち、部屋の中まで聞こえるように声を掛けた。達也が自然を装って話しかけているのがよく分かった。
「うん、入っていいよ、今日はちょっと体調良くなったから」
唯花は俺が一緒に付いて来ていることなど気付くはずもなく返事をした。
言葉の通り思っていたよりも声が明るく、胸が苦しくなった。
「そうか、じゃあ遠慮なく入るよ、唯花」
天の岩戸の如くそう簡単にはこの扉は開かないと思っていた俺は拍子抜けした。
ライブの日以来、両親ともまともに顔を合わせていないのに……達也が信頼されている確かな証拠だった。
扉を開き、達也が先に入り、後に続くように俺も部屋に入った。
普段の印象と違う、病弱な人間に見える白いネグリジェ姿の唯花がベッドに座っていた。透明感あるその姿は儚くもあり美しくも映った。
唯花は櫛で髪を梳いていたようで、開かれた薄ピンク色のカーテンから注がれた夕陽で髪は光り輝いているかのようだった。
部屋が荒れている様子もなく、あの日のように布団や毛布に血の跡もない、それだけでも俺はひとまず安心することができた。
「今日は、浩二も一緒なのね……」
俺の姿を確認した瞬間、唯花の表情は曇り、目が泳いでいた。
それを見た俺は心が引き裂かれていくような心地だった。
唯花にとって俺の存在は毒に変わっていた、今唯花が頼りにしているが達也なんだということが痛いくらいに分かった。
「ごめん、やっぱり同席したら悪かったか? 嫌なら引き返すよ」
居たたまれなくなった俺は考えるより先に声が出ていた。
「もう……いいよ、浩二、もういいから」
力なく声を出して、唯花は俺を拒絶することもしなかった。
それは諦観から来た言葉かもしれないと思い、俺は余計に胸が苦しくなった。
これは唯花を受け入れなかった俺の罰なのだと分かった。
「用事があって二人で来たんだと思うけど、誤解のないように、先に私の方から本当のことを言うね、聞いてくれる? 浩二も」
冷静に言う唯花の言葉が冷たく聞こえて、また一段と心苦しく感じた。
「あぁ……ここにいていいのなら」
俺が一言、振り絞るようにして言うと、唯花は俺に向けていた視線を外して、俯きながらゆっくりと息を吐き、楽な姿勢で話し始めた。
「私にとってはね、生きることより死ぬことの方がずっと楽だって思ったの。
そんなのは間違いだって言うだろうけど、私にとってはそうだった。
生きるってことを選ぶのは大変なことだよ、だって、”生きていてくれるだけでいい”だなんて言葉は身勝手で無責任じゃない?
”生きているだけでいいんだ”って思って今までやってきたことを一つずつ捨てていこうとするとね、もの凄く痛くて苦しいの。
こんなにも私は大切なものをたくさん近くに持ってたんだって自覚して、それがたまらなく愛おしくて、失ってしまうのが怖いの、そんなのとてもじゃないけど耐えられないって分かったの。
歌を歌うことも、ファミリアでお仕事できなくなるのも、真奈ちゃんと会えなくなるのも、浩二を好きでいられなくなるのも……全部、私にとって耐えられない苦痛を伴うものだった。
だから、私は”死んだ方がマシだって”思った。
一度捨て去ってしまったら……後悔するだけじゃなくて……今度取り戻すのは簡単な事じゃなくなってしまって、手に入れた時以上に大変なことだって分かるから、私は余計に怖くなった。
取り戻そうとして苦しめば苦しむほど、自分のことを責めてしまうんだろうなって、先の事まで分かってしまうから。だから……たまらなく怖くて、そんな現実と向き合うのは嫌だったの。
分かるかな? 私の気持ち? 分からないよね、きっと分かるはずない、誰にも分かるはずないよ……どれだけ私が一つ一つのことを大切に想って来たかなんて。
それなのに……結局死ぬことも出来なかったよ。
そもそも、命を救われて、半分人間じゃなくなった時点で、間違った生き方をしてきたのに……。
こうして生きてるのが不思議なくらいだけど、簡単に死ぬことも出来ないんだってことは分かってるの。
そんなに私の身体は弱く出来てないから」
ベッドに座り、淡々と話しながらも時折感情を発露する唯花。
俺も達也も、話し終わるまで口を挟むことなく聞いた。
必要以上に物事を深く考え込んでしまう唯花らしく、その言葉の一つ一つには俺たちにも唯花の心情が伝わってくるくらい十分な重みがあった。
「唯花、結論を急ぐことはないよ。
僕も浩二もここにいる。水原も”ファミリア”で待ってるってさ。
今日はさ、真奈ちゃんと稗田さんの誕生日パーティーをしてきたんだ。
これはこの前も言ってたから知ってるか。
みんな唯花が帰って来てくれるのを願ってた。会えないのを寂しがってた、今だって大切に唯花のことを想ってくれてるよ。
それで、今日来た用事なんだけど……」
達也はそこまで言って、俺に視線を向けた、真奈からの預かり物を持っているのは俺だったからだ。




