第五話「絶望に枯れる花びら」2
「こんなところで、一体何をなさってるんですか?」
日が傾き始めた公園で黄昏るように佇む黒沢研二の姿を私は見つけた。
「ここにいれば君に会えると思ったのでね」
本当にこの人気のない夕暮れの公園で、何の用事でここにいるのか分からないまま彼はそう言った。
エルガー・フランケンでもある彼だから、実は次回作の空中絵画のネタでも考えていたとか、ありそうだけど実際彼の素性はまだ分からない事だらけなので予想は付かなかった。
見る人が見れば写真に収めたくなるようなハリウッドスターの名に恥じぬ絵になる光景だろうけど、彼の裏表の激しい本性を知る私には、よからぬことを企んでいるのではと疑ってかかるところだった。
「またそういうことを言う……いい加減慣れましたよ。
偶然を運命に変えようとするのは無理があるでしょう。
まぁいいです、折角ですから、以前から引っ掛かっていたことでも聞くことにします」
舞台演劇を通じ、この男に対する耐性もさすがに付いた私は、売り言葉を買うことなく、冷静に務めた。
「随分、態度が柔らかくなったものだな知枝よ、”良いことでもあったか”」
少し、助けてくれたこともあって心を許し始めていたところで、また馴れ馴れしい態度で彼は私の内情に踏み込む発言を繰り出した。イケメンはこれだから危険性が高いのだ。
「相も変わらず人をおちょくるのが好きですね……。
あなたのすることが私を惑わせてくるのは、今に始まったことではないですが」
彼が修学旅行での”震災のピアニスト”リバイバル公演を棄権したことで私と浩二君との共演が決まったこと、実際のところ私を惑わせるのに十分な案件だった。
「これでも仕事が正式に決まる前までは楽しみにしていたのだよ、君たちと青春を謳歌するのをね」
そう言う彼の表情を見ながら、少しだけこんなところで黄昏ている理由が見えた気がした。
彼にも同世代の仲間意識が芽生えたとするなら、それは奇跡のようなことだろう。
「嬉しくもないことですが、随分私のことを好いているようで」
「それは知枝は対を成す存在だからな、”人間らしい”君を見れば、それもまた魅力的な生き方に映るというものだ。俺のいない間、君がお望み通りの青春を楽しむといいさ」
彼は言葉をつづけながら、照れ隠しかは分からないが懐から取り出したお菓子の包みを私に軽くキャッチできるように投げた。
私はそれを楽々キャッチして、包みを解くとチョコレートの粒であることが分かり、疑うことなく口に含んだ。
「これっ、ウィスキーボンボンじゃないですかっ! それもかなりキツイ」
甘いチョコレートを期待していたところで、これは不意打ちだった。
彼のすることにはやっぱり、どこか必ず罠が潜んでいると考えるべきだった。
「いい味だろう? 大人の気分も味わえて、小さい知枝にはこういうのもまだ刺激的に感じられるだろう」
チョコレートは口の中で転がすと段々と甘みも感じてくる確かに大人の味で、頭の中でジャズのかかるお洒落なバーを想像してこの男とだけは絶対行きたいない気分になった。
「また人を子ども扱いして……」
「知枝が遅れているだけだよ、これから大人になるなら、これぐらいは慣れておかないといけないだろう?」
「そんな甘い展開もなければ破廉恥なこともしません!」
頭の中で浮かび上がりそうになる浩二君のことを必死に払い除けながら、失礼千万な彼に対して私は怒気を強めに否定した。
そんな私にまた彼は不敵に表情を歪め、喜んでいる様子だった。
「そういうところがまたからかいたくなる可愛いところではあるがね。それで、疑問に思ったことがあるのだろう。
時間はある、話してもらって構わんよ」
悪意たっぷりなのは置いておいて、彼の表情は私から見ても柔らかかった。
本性に近いこういう表情を見せる相手は彼にとって珍しいのだろう。果たしてこれは信頼されているのか、興味を持たれてしまったのか……。
この際、私からすればどうでも良かったが、秘密を持ち合わせている者同士、普段できないような話も気にせず話しやすいと判断しているのかもしれない。
「あなたはどうしてあの時、生演奏して見せたんですか? あんなリハーサルでもしていないことを」
私はずっと疑問に思っていることを聞いた。
「見事な演奏だっただろう?」
「あなたのピアノの演奏が立派だったかに興味は皆無です」
私がキッパリとそう言うと、彼は”つれないねぇ”と声を漏らした。
実際のところ、演劇クラスのほとんどの生徒や観客も含め、その見事な演奏のおかげで鳥肌もののビッグサプライズとなったが、私はそれを認めるわけにはいかなかった。
「観客のハートを掴むためのサプライズのつもりだったのだがね、何か疑問でも?」
私の心の奥まで覗き込むような視線を私に送りながら、両手をスラックスに突っ込み、彼は変わらぬ態度で言った。
「あなたは停電するのを知っていたのではないですか?
あの演奏は私が停電した際に生演奏するように仕向けるためのもの、そうも考えられるはずです」
演技している最中は必死で考える余裕もなかったが、彼のしたことを疑問視する材料は十分だった。
「確かに君の演奏は俺と違って聞くに堪えないものだったが、あの停電の状況での知枝の決死の試みが観客の心に響いたのは事実だろう」
「あなたが生演奏するなら、事前に知らせてくれたらいいものを……」
「それは難しいだろう、最初から決めていたら君も演奏すると言い出すに決まっている。そんなことは誰も納得しないだろう、只でさえタイトなスケジュールで稽古していたのだから」
「そういうあなたは軽々と演奏していましたが」
「俺は元々ピアノを弾けるからな。アーティストとしても長く活動している身だ。
ピアノもある程度は弾くことが出来る、嫌味になるから言わなかったが、あの程度の演奏は俺にとって難しくもなんともなかった」
「本当に嫌味ですね……」
私は真剣な表情は崩さず、彼を凝視し、責めた目で見ながら言った。
しかし、彼は私の言葉にはまるで動じる様子はなく、そのまま次の発する言葉も軽々しく、上機嫌にも受け取れるような饒舌さで口にしてきた。
「そう言うな。生き方というのは早々変えられないものだ。
例えば、数万人に感染させ、数千人の犠牲者を出した感染症が、一人の人間によってもたらされたとしたら? そのたった一人の人間が感染源だとしたら、君はその人間にも人権を保障すべきと考えるだろうか?」
”知枝おねえちゃん、知枝おねえちゃん、助けて!!”
謎を吹っ掛けたような彼の言葉の後に、真奈ちゃんの声が直接頭に響いた、声の主である真奈ちゃんはテレパシー能力を使っていると私は察した。
私はその焦ったような声色から非常時であることを感じ、彼との会話を断ち切って、真奈ちゃんの元へとすぐさま向かうことにした。
「何やらまだ言い足りない御託があるようですが、こちらは急用が出来ましたのでここで失礼します、”ドラマの撮影、頑張ってくださいね”」
私は余計な勘繰りを避けるためにこの場は冷静に徹して、最後に皮肉を込めて言い放つと、彼から背を向けて真奈ちゃんの元へと急いだ。
(そうか……もう稀代の杯とは接続済みなのか……。面白い、それは守るに値する対象だ、君に任せよう。精々、その危機を自分の手で救い出すといい……)
去り際、囁くような声で、冷笑と共に研二からの言葉がかすかに聞こえたが、今は立ち止まることも、振り返って気にしている場合でもなかった。
公園を出て、黒沢研二の視界から完全に離れたのを確認して、再度真奈ちゃんの現在位置をサーチして探ると、私は早足で真奈ちゃんの気配のする方に向かって歩き出した。




