21, やり残したこと
タワーマンションの最上階。伊織はその一室である小洒落た寝室のキングサイズのベッドに倒れるように寝転がる。その日はいろいろとありすぎて、一秒でも早く眠りにつきたかった。
(……クレアの野郎、いつかこの恨みを晴らしてやる)
攻略者を養成するために設立された学校——私立秀恵高等学校。
三年間だ。伊織はこれからあの学校に通うことになる。それはすなわち、当初の目的である『主人探し』はし休止することを意味していた。その理由は単純で、
————あの学校には攻略者を目指している阿呆どもしかいないからだ。
もしあの中で主人候補を選ぶ場合、必然的に主人候補も攻略者ということになる。だが、伊織にとってはダンジョン攻略者など最も嫌悪する存在。
(ダンジョンと関わろうとするやつなんて、こっちから願い下げだ)
だがそれでも三年という事実は覆らなかった。
伊織はベットからむくりと起き上がると、PCの置かれた部屋に移動する。投資の基本は『複利運用』である。運用で得た収益を当初の元本にさらに上乗せして再投資する方法。これにより利益が次の利益につながる。
しかし『家事有能』というスキルがない現状、自分の身は自分で守らなければならない。だが情けない話、伊織はカップ麺一つすら碌に作れない。スキルの『警告』がない状態で投資をすれば失敗するのは目に見えている。
これから伊織がしようとしているのは簡単な話、株の売却だ。購入した株式よりも高い値段の時に売却して利益を得る。スキルが使えなくなった三週間ほど前から優良株式は売却を始めていたが、本格的に動く時が来たようだ。
伊織は部屋に着くとすぐに携帯をある人物につなぐ。
「もしもし、マーキスか?」
『あら、伊織? 今朝は連絡がなかったけど、元気だったかしら』
「それなりにな。 それより、一つ頼みたいことがあるんだがいいか?」
通話の相手はマーキス・リー・ブルフォードという一人の男(?)だ。日本語を話しているが、名前からして日本人なのかも疑わしい。顔だけでなく、国籍や年齢、スキルさえも不明なやつだ。ちなみに、こいつの一人称は『私』だ。
伊織とは昔からの付き合いで株式投資をしていたときにやつからの提携メールが来たのがきっかけだ。7年以上も前になる。彼曰く、『スキル』で儲け話を探す最中で伊織のことを知ったらしい。
そして、収入の三割を譲ることを条件に契約を結んだ。今では、伊織の口座管理と税金のやりくりを任せている。家事有能があってもその点は範囲外だからな。そこら辺の知識は持ち合わせていなかった伊織には欠かせない。
正直な話、伊織がここまでの投資家になれたのは、こいつが裏で税金や口座の管理をしていたのが大きい。『家事有能』がコンタクトを取った時に反応を示さなかったことからも、安全なやつではあることは証明済みだ。
『正気なの!? 所有株を全部売って欲しいってのは……』
「悪いな、スキルのない僕では、これ以上投資を続けることはできそうにない。タイミングは任せるが、頼めるか?」
『スキルがないですって? それって家事有能のことかしら』
「ああ、今は『家事万能』っていうゴミスキルだけどな。正しくは使えないんだ」
伊織は今までにあったことを掻い摘んでマーキスに伝える。
『最近のあなたはどこかおかしいと思ってたけどそんなことがあったなんてね。もし、あなたさえ良ければだけど私があなたの主人になってもいいけれど?』
「ふん、冗談だろ。お前もスキルを使って金儲けをする人間、信用してないわけじゃないが、もっと扱いやすいやつを探すことにするよ」
『そうね、それがいい。でも、私ほどに扱いやすくて使い勝手のいい人はなかなか見つからないわよ』
「そりゃ……そうかもな」
今まで伊織はマーキスに何度も助けられてきた。それゆえか、珍しく伊織はどこか感慨深い気持ちになっていた。
「いつから気づいてたんだ」
『……大体三週間ほど前からね』
「そりゃ、エスパーだな」
伊織がちょうどスキルを使えなくなったのもその時期だ。おそらく投資の傾向やメールのやり取りをするうちにその事実に気づいたのだろう。
伊織は部屋を出ると明かりの消えた暗い部屋から窓の外の風景を眺める。いつも通りの街並みだが、街角の電光掲示板の明かりも公園のイルミネーションもどこか寂しく感じられた。
『私のスキルは『人為邂逅』よ。探したいと思った相手の情報を特定する能力。流石にスキルやステータスまでは分からないけどね』
「……それは話してよかったのか?」
『まぁあなたともこれで、七年以上の付き合いにもなるから。信用してるわ』
「そうか」
こいつと出会ってからそんなに経つのか。初めの頃は警戒していたが、今ではすっかり仕事仲間といった感じだった。
『また復帰する時が来たら行って頂戴。お金の話なら私、大好物よ。ま、あなたほどの儲け話はなかなかないと思うけどね』
「……そうだな。機会があったらそうするよ」
おそらく次の機会は早くて3年後になるだろう。マーキスも長い別れになることは理解している。
「あまり湿っぽいのは嫌いだし、そろそろ切るわね。またいつか、一緒に仕事をしましょう」
「ああ、またな」
伊織はそれに頷くと電話を切る。これでしばらく投資のことは考えなくて済む。本来ならスッキリすると思ったが、どうしてか心が晴れない。
(……俺はもしかして、こいつのことが気に入っていたのか?)
そう考えたがすぐにそれを否定してベットに潜る。伊織はその晩、どこか物寂しい気持ちを堪えながら眠りについた。




