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ゴリラ王子と子豚令嬢

作者: たなか

 私の婚約者であるアラン様は、この王国の第一王子です。しかし、初めて彼の姿を目にした人の多くは、高貴なる血筋の持ち主だと気づきません。


 彫りの深い顔に濃いゲジゲジ眉毛。分厚い唇に野太い声。褐色の鎧を身に付けているかのように発達した筋肉とモジャモジャの剛毛に覆われた全身。


 叩き上げの近衛兵長や、身なりのいいゴロツキや、服を着た体毛が薄めのゴリラによく勘違いされて困っているとご本人も仰っていました。


 彼の愛称は『ゴリラ王子』。

 驚くべきことに陰口などではなく面と向かってそう呼ばれているのです。本来なら不敬罪で処分されてもおかしくない暴言だと思うのですが、アラン様ご自身が「親しみやすくていいな!」と笑って容認なさっているのですからどうしようもありません。



 一方、私のあだ名は子豚令嬢。

 こちらは正真正銘ただの悪口です。公爵家の娘で王子の婚約者という立場故に、直接そう呼ばれたことは一度としてありませんが、こちらをチラチラと見て嗤いながら聞こえよがしにその蔑称を口にされるのは、精神的にかなり堪えます。



「うん、俺のイザベラは今日も可愛い! いや先日よりもさらに美しさに磨きがかかっている! 君に会えるのが楽しみ過ぎて、昨晩は一睡もできなかった!!」



 アラン様は、そんな私のことをいつもベタ褒めなさいます。最初の頃は嫌味ではないかと疑っていましたが、彼の人柄を知ればそんなことはあり得ないと分かりました。ただ、心からの賛辞だと理解しても、ひたすら悪意に晒されてきた身としては、そう素直に受け入れられないのです。



「アラン様に褒めていただけるのは嬉しいのですが、なんだか気恥ずかしくて……」


「周囲の見る目がない人間の心無い言葉に、君が傷ついているのは知っている。君を馬鹿にする連中を手あたり次第にぶっ飛ばすのは朝飯前だが、それでは何も解決しないだろう」



 仰る通り、一時的にスカッとするかもしれませんが、きっと更に陰湿で悪辣な手段でいやがらせを受けるようになるだけでしょうね。



「俺の両親、現国王夫妻と俺は全然似ていないだろう?」


「ええ……まあ、そうですね」



 突然話題がガラッと変わり戸惑いました。大変失礼ですが、確かに全く似ても似つかない親子なのです。国王陛下と王妃様はまさに絶世の美男美女ですから。ワイルドなアラン様の容姿はとても素敵だと思っていますが、美男子かと問われれば否と答えざるを得ません。



「俺が生まれてしばらくして、この外見のせいで不実の子ではないかという噂が立ったらしい。流言の出所は反体制派のスパイだと後に分かったのだが、両親を知るものは誰一人として真に受けず、本人達も笑い飛ばしていたそうだ」


「お互いに信頼なさっておられたのですね」


「信頼……なのだろうか。俺が物心ついてから今に至るまで、二人が3メートル以上離れているところを見たことが無い。きっとそういうことだと思うぞ


「ああ……なるほど」



 そういえば、アラン様は1男13女の御長男でいらっしゃいますし、確か先月王妃様が15子目の殿下をご懐妊なさったという話も耳にしました。……確かにそんなデマを流そうとするほうが愚かですね。



「だから俺も、君がそんな下らない奴等の戯言ことなどどうでもよくなるぐらい、俺と君自身のことを好きになってもらえるように、精一杯努力するつもりだ!!」



 王子の言うことはいつも呆れるほどに真っ直ぐで正しく輝いています。だからこそ眩しすぎて、捻くれた私には直視できないのです。



「申し訳ありませんが……私は……アラン様のように前向きな人間になれるとは思えません……」



「前向きになんてなる必要はないさ! 皆が俺のように前しか向けない人間になってみろ。失敗や欠点を顧みない集団なんて、すぐ破滅してしまう。イザベラは俺の代わりに後ろを向いてくれているんだから、そのままで構わないんだよ。だけど二人で共に過ごすことができれば、同じ景色を見飽きた時に、気分転換に違う眺めを楽しむことだってできるだろう?」



 もし彼のいうことが本当ならば、常にネガティブなことばかり考えて、ウジウジしてしまう陰気な私でも彼の傍にいる権利があるのでしょうか。


 アラン様は太陽のように明るく、いつも暗い雲が立ち込めている私の心の中も暖かく照らしてくれます。何だか口を開くと嗚咽が漏れ出てしまいそうだったので、私は返事の代わりに彼に向ってぎこちなく微笑みました。




◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




「ああ……これは典型的な魔力障害ですねえ。本来魔力というものは空気と同じように自然に体外から取り込まれ、排出されるものなのですが、お嬢様の場合どうも体内の魔力器官に貯め込んでしまいやすい体質のようです。しかし我が国が誇る最先端の医療技術さえあれば治療は可能ですよ。ご安心ください」



 隣国から訪れた名医の噂を聞きつけた両親は、私のことを診察してもらえるよう依頼してくれたのです。


 食事の量は至って普通ですし、それなりに運動をしているにも関わらず、家族の中で私だけ丸々と太ってしまう現象には首を傾げていたのですが、生まれ持っての体質なのだとすっかり諦めていました。まさか魔力が関係する病気の一種だったなんて。


 治療のためには手術が必要とのことで、先生が隣国にお帰りになるのに合わせて随行し、あちらで施術してもらうことになりました。今まで散々苦しめられてきたこの見た目から解放される目途がつき、私も両親も涙を流して喜びました。


 ですが、この降って湧いたような朗報に一人だけ渋い顔をなさる方がいらっしゃいました。何を隠そう婚約者のアラン様です。



「どうなさったのですか? 手術を受けることを心配していらっしゃるのですか? お医者様のお話では安全性も十分保障されているということですよ」


「ううん、それもあるのだが……」



 珍しくなんとも煮え切らない態度のアラン様。彼にもこの喜びを共感してもらえると思っていたのに……自分勝手かもしれませんが、少し幻滅してしまいました。結局彼は私の太った体型を気に入っていただけだったのでしょうか。だからこの症状が改善されて痩せてしまうことを嫌がっていらっしゃるのでは?


 私がこの容姿のせいでどれだけ辛い思いをしてきたかご存知のはずなのに、ご自分の性的嗜好の方が大事だと考えていらっしゃるのだとしたら……最低です。


 前向きにならなくていいと仰ったことだって、単に可哀想な私を傍に置いて自己陶酔に浸りたかっただけなのかもしれません。せっかく訪れたチャンスを掴もうとやる気になっている私を応援して下さらないのがその証拠ではありませんか!


 今まで私の心を照らしてくださっていた太陽が雲間に隠れてしまい、何だかジメジメとした陰気な考えばかりが頭の中に蔓延っていきます。



「こちらを発つ準備もありますので、今日はこれで失礼します」



 冷たく言い放った私を黙って悲しそうな顔で見送る王子に、チクリと胸が痛みましたが無視してそのまま茶会の席を後にしました。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 それからも何かと理由をこじつけてアラン様からのお誘いを断り続け、とうとう出国の日がやってきました。



「イザベラ!!! 待ってくれ!!!」



 家族との別れも済ませ、お医者様とともに発着場から今まさに馬車へと乗り込もうとした私の耳に、汗だくになって走ってきた王子の叫び声が届きました。



「アラン様……」


「君に……話があるんだ……」


「お話なら帰ってきてからでもよいでしょう」


「……たとえ体型が変わっても……俺の君への愛情は全く揺らがない……」



 息切れしながら私の目を真っ直ぐに見つめて話しかけるアラン様。しかし依然として私の心はささくれ立ったままです。第一それが本当ならわざわざ引き留めなくても良いではありませんか。



「……それに、そこのクソ医者が、魔力障害を持った患者に無茶な手術を施し、魔力器官を摘出した後、魔道具に加工して売り捌くゲス野郎だということも、今はどうでもいい!」


「……はい? ……いや……えっ……ええええ!?」



 それは絶対にどうでもよくないでしょう!

 私が動転している隙に、医者は鞄から注射器を取り出し、私の首筋に当てて人質にしました。



「ち、近づくんじゃない……こいつが死んでもいいのか?」



 王子の顔つきがさっと豹変します。以前私が質の悪い酔っ払いに絡まれた時と同じ、怒り狂った猛獣のような表情に。



「貴様あああああ!!! イザベラにいいい!!! 薄汚い手で触るなあああああ!!!!!」


「ひいぃ」


 怒気に満ち溢れ、空気が震えるほどのアラン様の咆哮に、小さな悲鳴をあげてぺたんと尻餅をつく医者。王子の後を追って駆け付けてきた従者達によってそのまま取り押さえられます。



「……イザベラ、本当に申し訳ない。俺が考えなしに喋ってしまったせいで、危ない目に遭わせてすまなかった……」


「いえ……結局助けていただきましたし……それに……私の方こそずっとアラン様を避けてしまって……」


「君が距離を取っていたのは、俺が素直に祝福できなかったからなんだろう? あの時は、まだ医者の正体も分かっていなかったのだし。全ては俺の責任だ……」



 アラン様はかなり落ち込んでいる様子です。何か言葉を掛けて差し上げたいのですが、立て続けに起きた信じられない出来事と頭の中に錯綜する情報を、私自身もまだ上手く整理できずにこんがらがっています。



「……その、どうして喜んで下さらなかったのですか?」


「……俺は、愚かにも他の男が君に触れることに嫉妬し、僅かな時間でも君と離れてしまうことに怯えていた……だが、そんな女々しく自分勝手な本音を告げて、君に幻滅されたくなかった……」



 呆れるほど短絡的で自己中心的で子供みたいな理由です。それでも何故か腹は立ちませんでした。


 もしあの時、正直にそう仰ってくれていたら、人生で初めて嫉妬して、不安になるほど愛してもらえた嬉しさに、手術なんてどうでも良くなってしまったと思います。チョロ過ぎる自分自身が恥ずかしくて、アラン様には絶対に秘密ですが。



「……そんなことで幻滅する訳が無いでしょう?」


「分からないじゃないか! 俺の取り得なんてこの頑丈な体と能天気で前向きな性格ぐらいしかないだろう! だが君のことを考えると時々どうしようもなく不安になったり悪い想像に駆られたりしてしまうんだ……こんな情けない人間なんて、好かれるわけがない……」



 あのアラン様の口から、こんなネガティブな内容がポロポロと零れだすなんて思いもしませんでした。



「ふふっ…ふふふっ…」「お、おい……真剣に話しているのに何故笑うんだ……」


「すみません。あなた様のこんなお姿、初めて目にしたものですから。でも、たまにはアラン様の弱くて脆くて情けない所を私に見せて下さってもいいではないですか。私なんて常にこのだらしない体を常に人目に晒して生きているのですから」


「だらしなくなんかない!! 君ほど美しい女性はいないと、いつも言っているだろう!」


「そういうことにしておきます。とにかく、私はそれぐらいでアラン様のことを嫌いになったりしません。むしろ私のように後ろ向きになることがおありなのだと知って安心しました」


「そうなのか……」



 呆気に取られたような表情をなさっていますが、少し落ち着いた様子のアラン様。



「先程までは王子のことを、『ただのデブ専で自己陶酔のために私を束縛しようとするナルシスト』だと勝手に勘違いして、少し嫌いになりかけていましたけれど」


「そうなのか!?」


「……本当にすみません。でも、人を好きになるというのはきっとそういうものなのではないでしょうか。相手を愛しく想い、夢中になるからこそ、些細な言動で疑ったり傷ついたりしてしまうのです」



 私も恋がここまで難儀なものだとは知りませんでした。



「100%の信頼なんて気持ちが悪いだけですし、それは愛情ではなく依存や洗脳の類です。これからもつまらない行き違いや誤解でお互いを傷つけあうのかもしれません。それでも……私はアラン様のことをこれからもきっと愛し続けます」



 顔が真っ赤に火照るのを感じながら、アラン様の目をじっと見つめて、お尋ねします。



「……こんなひねくれものの私ですが、あなた様の傍に置いていただけますか?」


「イザベラ!……ああ!! もちろんだ!! 俺も君のことが大好きだ!!!!!」



 そう叫ぶとアラン様は私の体を逞しい両腕で抱え上げ、泣き笑いしながらくるくると回り出しました。思わず私も釣られて笑いが止まらなくなります。



「ゴリラ王子」



 あれ、今何か聞こえませんでした? 気のせいかしら。



「ゴリラ王子!」



 誰かが呼んでいるような……



「おい、ゴリラ!!!」


「おお、どうしたんだ、ダニエル! いきなり大声を出したら驚くじゃないか?」



 アラン様が喜びの舞を止めて、ゆっくりと慎重に私を降ろしてくださいます。まだ世界がぐるんぐるん回転していますが、すぐ目の前に不機嫌そうな顔をした従者のダニエル様がお召し物を腕に抱えて立っていらっしゃるのは分かりました。



「先程から何度もお呼びしていたのですが。人目もありますし、いい加減に服を着ていただけませんか。本物のゴリラじゃないんですから」



 そうでした。あの咆哮の直後、アラン様の隆起した筋肉によって、シャツもジャケットも長ズボンも木端微塵に爆発四散したのをすっかり忘れていました。この方は本当に人間なのかしら。



「はっはっは! すっかり失念していた! ありがとうダニエル!」


「……私は何度も忠告しましたよね? お誘いを断られているのはあなたのせいなのだから、正直に全てお話しなさいと! そもそも今日だって、まずイザベラ様の安全を確保したうえで、あの医者を拘束する予定だったでしょう! 興奮した挙句勝手に馬から飛び降りて、馬鹿みたいな足の速さで私達を置いて先に到着したと思ったら、何も考えず医者に秘密をペラペラと話したせいでイザベラ様を危険に晒すなんて、脳筋にも程があります!」



 ダニエル様の止まらないお説教を適当に聞き流しつつ、笑いながら服を着るアラン様。よく考えたら私、先程までほぼ全裸の殿方に抱きかかえられていたのですね。今更ながら恥ずかしさで死にそうです。



「仕方がないだろう! 大切な婚約者の身に危険が迫っていると知り、気が気ではなかったのだから! そうだイザベラ! ……もしよければ久々にお茶会でもしないか?」


「……ええ! 勿論喜んで!」




 以前王子がお話していたように、周りの評価が気にならなくなるほど自分を好きになるというのは、なかなか難しいことだと思います。


 それでもこの体質が改善できなかったことなんてどうでもよくなってしまう程、久しぶりに大好きなアラン様と美味しいお茶を飲みながらゆっくりとお話できることが、それはもう嬉しくて堪らないのは、紛れもない事実でした。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 確かイケメンキラキラ貴公子だったはずのアラン王子がまさかのゴリラ化!? 二人のバージョンはいろいろありますが、結局仲良しでほのぼのです。 それにしても、イザベラ様の、『ただのデブ専で自己…
[一言] 性癖(※『自分には一番可愛く見える!』萌え)に突き刺さりました!
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