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その1

2320年、人間の9割以上が、とっくに地球から離れ、宇宙に生まれ、暮らし、子を生み、そして死ぬようになった、ガンダムっぽい感じの頃。

二つの勢力が、木星のヘリウム3の採取を巡って熾烈な争いを繰り広げている中、

軍事要塞に暮らす民間人の間では、その宇宙空間特有の交通の不便さから、

料理などを直接店から玄関先まで届ける、小型配送サービス『ジャオフー』の普及が急速に進んでいた。

これは、ある一人のジャオフー配達員の一日を記録した、罪と挫折の小さな物語である。


〜〜〜〜〜


「ラ・マリユス。聞いたことのない店だな。スカした名前からして、酸素ボンベ屋ではないことは確かだが」

エムフォンのディスプレイに忌々しい星つぶの無数と、彼方の戦闘の明滅が反射している。俺は、画面に表示された、ジャオフーの次の荷物ピックアップ先の、スカした名前に、嫌な予感しかしていなかった。


「……はあ、フラワーショップ? まだ戦線が96ラインを超えていないとはいえ、仮にも連邦がドンパチやってる時に、花を愛でるなんてジアース趣味の客は、絶対カタギじゃない。闇でやってる電脳メイェンで荒稼ぎしてる高級姑娘くらいだ。こんな放射線焼けした薄汚いおっさんじゃなくて、ほっそりした学生配達員からのお届けをお望みだろうよ」

しかし、今日はどんな配達依頼であれ、貴重だった。全然オーダーがかからない日だったからだ。朝から軍備強化区の宙域を飛び続けて、3時間は稼働しているが、まだ5件しかこなしていない。

「もし受けたら……確実にロングランディングだろうな。いかにもミルクバーのテラスで、動物繊維のドレスを着て、彗星を肴にまどろんでいそうな女なんて、ここいらの鉄と鉱石と火花の閃光ばかりの軍港建設エリアには住んじゃいない。おそらく2201記念区の中心だろう」

画面には、OKボタンが点滅している。残り30秒。どうする、受けるか、受けないか。戦闘の小さな瞬きを見ながら悩んだ。


突然、前からブースターの噴射音と熱気を感じた。

フロントガラスに、停止中のカプスの背中のタンクが大写しになった。

俺は慌てて、ブレーキペダルを踏んだ。

体に、強烈なGがかかった瞬間、俺は前に投げ出された。

ハンドルが目と鼻の先にあった。

あと数秒遅れていたら、前のカプスにおかまを掘っていた。

俺はそっと胸を撫で下ろし、ため息をついた。

シートベルト非着用、罰金5000円……。

いかん、船舶保険なしの俺が今事故ったら、5000円どころじゃ済まない。

生活が吹き飛ぶ。


その時、ダッシュボードに取り付けたエムフォンから、耳慣れた効果音が、ピコーンとなった。

「しまった、取ってしまった」

さっきの衝撃で体が触れ、OKボタンが反応していた。

俺は画面を見て、肩を落とした。目の前が真っ暗になった。


嫌な予感は、うんざりするほど当たっていた。

「2201記念区のシティ・カタ。盛り場の、ど真ん中もいい所じゃないか。それに、ここから30分はかかるぞ」


2201記念区は、連邦随一の高級歓楽街だ。週末には、要塞中の学生や上級国民のいけ好かない奴らがこぞって遊びに来る。あそこで飛んでいるのは、性能的には役立たずの、細身の流線型のデザイナー機体ばかり。こんな骨董品級のジャンク品寄せ集めの、宇宙埃まみれの一人乗りカプスで走ってたら、ムービーを撮られてネットにばら撒かれるのがオチだ。


「はぁ、行きたくねえなあ。カタの超高級マンションで時局お構いなしに花を買う頭のイカれた女、怖ぇなあ。俺とは、住む世界が違いすぎる。渡す時、こんな薄汚いおっさんが不釣り合いな花束を抱えて現れたら、露骨に嫌な顔されるか、おそらく同居しているであろう、ヒモかフレンドと一緒に嘲笑われるのがオチだろうなあ」

配達のキャンセルはできない。俺は今月前半にキャンセルしすぎて、ジャオフーから次はもうない、という警告メールが来てしまったからだ。


俺はうなだれながらも、信号が青に変わると同時に、半分やけになってアクセルペダル思いっきり踏みつけた。満天の星が、一斉に残像を描いて、千億の針となった。


俺は、半年前からジャオフーの配達員をやっている。ジャオフーとは、客が注文した商品を指定した場所まで届ける、気鋭のデリバリーサービスだ。エムフォンの座標システムを利用したサービスで、届ける商品は、ジャンクフード、生活用品、酸素ボンベ、バッテリー、小さな工具などが多い。

ジャオフーは昨年、無名のエイジア系ベンチャーによって突如として開始され、ア・ニージ・マ要塞中にあっという間に普及した。それも当然といえば当然だった。元々、小規模配送の需要があったのだ。ここは、軍事要塞でありながら、コロニーと遜色のない住居エリアを擁しており、軍事関係者、パイロットの家族など、多くの非戦闘員が暮らしている。10年前のテロ事件で、コロニー内にガスが撒かれて以降、一般住人の要塞への移住が加速した。確かに、安全面で言えば、要塞は頑丈に作られているし、コロニーのように密封されていないので、ガスが充満する心配もない。

ただしその安全は、連邦が戦線を後退させていないうちだけ、という条件付きだ。イクス公国は、ここの壊滅を血眼になって目指し、日々新型イェドン・スーツの開発、パイロットの育成をしている。噂では、悪魔のようなキル数を叩き出す、学徒でありながらエース級、という少年少女だけで組織されたバケモノ小隊があるとか。そんな奴らが乗り込んできたら、ここはあっという間に爆炎に沈むだろう。こんな機動性のない、馬鹿デカイ鉄と鉱石の塊は、圧倒的な火力と、小蝿のすばしっこさを併せ持つ化物を前にしたら、ウドの大木でしかない。


かくいう俺も、元々はコロニー住みのしがない非戦闘員だ。2年前に、建築資材の出入りを取り仕切る、小さな貿易会社のオペレーターとして、ここにやって来たが、年下の上司とソリが合わず、ある時口答えをした所、兵糧攻めのように周囲からじわじわと圧力をかけられた。そして、結局耐えきれず、2ヶ月前、会社を辞め、こうしてチンケな配送稼業に落ち着いた。会社を辞める前は、副業として週末だけジャオフーをやっていたのだ。


「シティ・カタで花束をドロップしたら、近隣の一般住居エリアの住民から注文がバンバン入るだろうな。嫌だなあ。向こうでいったんオフラインにして、また30分かけて軍事エリアまで戻ってくるか。ああ、めんどくせえ」


俺はあえて、軍備建設エリアしか飛ばない、と決めている。

もちろんジャオフーは、小規模配送という性質上、一般住居からの注文が圧倒的に多い。デカく稼いでいる配達員は、シティ・カタに一日12時間、張り付いている。でも俺は、いくら稼げるとしても、あっちへは行かない。ア・ニージ・マの非戦闘エリアに住む、一般客のスカした女子供が嫌いなのだ。あいつらは、高慢で、エゴイストで、自らの残酷に自覚のない魔界の住人だ。プチブルのつもりか知らんが、大抵パイロットの夫の高い給料をATMからおろして遊び呆け、プロータルの俺を悪し様に見下してくる。連邦に命を捧げる夫の妻としての自負だかなんだか知らないが、銃を持たない、低賃金労働者のジャオフー配達員を馬鹿にしている。だったら注文するんじゃねえ。


もっとたちが悪いのは、シティ・カタの電脳メイェンの女どもだ。旧来の皮膚接触によるセックスを売っているメイェンとは違って、肉体がキズモノになっていない分、苦界というものを知らない。自分が上級国民として、選ばれて当然の特別な人間だと勘違いしている。やってることは俺たちと同じ、命の切り売りと何ら変わりないにも関わらず。


要するに俺は、女全般が嫌いだ。あいつらは生物的宿命から、目についた男をかたっぱしから、孕むべきDNAか否かを、容赦なくジャッジする性質を持っている。ジャッジするだけならまだまし、その判定を露骨に表現せずにはいられないのだ。俺自身、ロクに税金を払わない連邦のお荷物であり、後世に伝えるべきではない遺伝子であることくらい、痛いほどわかってる。この呪われた血筋を、俺の代でピリオドを打とうとしているのだから、せめて、そうっとしておいてくれないか。


その点、ここの軍備強化エリアの男たちは好きだ。全身の骨肉を軋ませて、ヘルメットのガラスが汗水で曇るほど、しゃにむに働いている建設作業員達。彼らは商品を手渡す際、爽やかに商品を受け取ってくれる。こちらが薄汚いおっさんだろうと、商品の袋にシガーの臭いを擦りつけようと、ジャンクのおんぼろカプスで乗り付けようと、嫌な顔一つしない。会話を交わすことはないが、プロータル同士の共感、みたいなものがある。何より彼らは、“ありがとう“が言える。

ただし、注文は居住エリアに比べると圧倒的に少ない。公共による無償の定期便が頻繁に出ているから、基本的に消耗品の補給は間に合っているのだ。それでも、連邦の優等生的な、痒いところに手が届かない商品チョイスに、満足できない作業員が中にはいる。そこで、こだわりを持った商品をジャオフーで注文しようという事になるわけだが、彼らも低賃金労働者だ。無償で補給されるものをあえて利用せず、多少高い金を払ってでもこだわりのある物を取り寄せようなんてジレッタントは、作業員の中でも少数派だ。


だが俺は、仕事中、イカれた女どもの態度に気分が悪くなるくらいなら、少ない注文でも快適な軍備強化エリアの方を選ぶ。


「チャチャっと行って、チャチャっと帰ってくるか。いやだなあ」

俺は開き直って、カプスを飛ばした。軍備建設エリアの無数の照明灯や火花の閃光が、背後に遠ざかっていく。スピードメーターは、法定速度を大幅に超えている。建設現場に向かう、100トン級の大型輸送船や掘削機、作業員を乗せたシャトルバスが、対抗ラインをバンバン過ぎ去っていく。それに比べたら棺桶みたいな体格のカプスは、大きく揺らされる。


この仕事をしていると、対イクス公国の戦局が肌感覚として伝わってくる。明らかに、連邦はビビりまくってる。連邦のお抱えの軍事評論家の先生方は、基本的に華やかしい戦果しか伝えない。美しく強く正しい社会の辺境で、俺みたいにゴミ集積場を漁ってしのいでいるような底辺の人間の方が、よほど現実の戦局を知っている。ここ1ヶ月、軍事エリアに向かう船が、急激に大規模化、増加した。輸送船の荷台からはビーム高射砲の砲身や、ソーラポインター兵器のミラーパネルなど、穏やかでないものが見え隠れしている。連邦は、明らかに急ピッチで要塞の増強を仕上げようとしている。つまり、表向き善戦を報じているものの、実際はイクスに押されているのだ。彼らの第一陣が、要塞の岩肌に取り付くのも、そう遠い未来ではないかもしれない。


「こんな要塞、とっとと落とされちまえ」

俺は、爆炎に沈むア・ニージ・マを想像した。狂ったような炎に包まれる、居住エリアのドアノブ、壁紙に至るまでこだわり抜いた注文住宅と、薔薇だの天使だのがゴテゴテと張り付いた、ジアース趣味の下品な家具の数々、熱した赤い鉄でしかなくなったデザイナーシップ、バーベキューとなったレトリバー、そして、髪の毛が全部溶けて全身ケロイド化した女子供が、泣き叫びながら助けを求めて、辺りをさまよう姿……。燃えろ燃えろ、全部灰にかえれ。

俺は、自嘲的な笑みが口元に浮かんでくるのを防げなかった。こんなクソみたいな奴らがウヨウヨ蔓延る世界にも、遅かれ早かれ終わりがくるのだと思うと、少しは苛立ちが収まってきた。


急に、景色が荒涼としてきて、要塞の岩肌に一定の間隔で植えられた赤い安全灯だけが唯一の光源になった。星の明るさが目立ってくる。手付かずのゴツゴツした岩肌に、定規で線を引いたみたいに、アプローチラインの白いホログラムが伸びている。その線の向かう先には、地平線付近で2201記念区の高層ビル群が、ピンクのもやをまとって、蜃気楼のように佇んでいる。


細かいデブリがカプスを掠めてチリチリと音を立て、時折大きめのがコツンと当たる。エアダクトが反応して、ゴーゴーとがなり始める。直進が安定を失い、計器類が痙攣を起こしたように震えている。俺の万年切れ痔ぎみのケツ間が擦れて、めっぽう痛い。

「ああ、やっぱ受けるんじゃなかった。2201記念区に行くなんて、何もいいことがねえなあ。ちくしょう……」


この辺りは、軍備増強エリアから流れてくる塵埃や、鉱石の破片、宇宙ゴミの吹き溜りとなっている。公共のクリーヌも滅多に飛ばず、デブリまみれになる一方だ。俺のカプスのしょぼい機体性能だと、一回通るだけでダクトのフィルターが目詰まりを起こしておシャカとなる。フィルターの替えは、マリアナの通販で一枚1,200円。ちなみに今回の配達料金はおそらく700円程度。赤字やないか。


とにかく俺は、金がない。

しかもこのカプスは、先月買ったばかりで、まだ12回の高金利闇ローンがフルで残ってる。100年前の戦争の宙域からかき集めたイェドン・スーツの残骸やら、闇で流れている盗難船体を解体したパーツやらを組み立てた、ジャンク中のジャンク機体だが、なんだかんだ言って20万円もした。シティ・カタで遊んでいる奴らからすれば屁みたいなものだと思うが、俺には痛すぎる。


しかしどうしても、おんぼろカプスを買わないとならなかった。俺は先月まで、重力の効いた要塞屋内で自転車によるジャオフーの配達をしていた。しかし、加齢による体力の衰えもあり、無理がたたって体調を大きく崩してしまった。これ以上、自転車を漕ぐ力は残っていなかった。一日、また一日と、無収入の日々が続く。連邦も、誰も助けてくれはしない。体調は一向に良くならなかった。このままだと、野垂れ死ぬか、臓器を売るしかない。そこで苦渋の決断で、闇ローンを組み、体力消耗の心配のない、カプス稼働に踏み切ったのだ。


まったく、生活のためにジャオフーで稼いでいるのか、ジャオフーのために金が無くなっていくのか、わからなくなってきた。


ハルエー商業エリアのショッピングモールの、色とりどりの電光看板が見えてき

た。エムフォンに表示されているマップをチラッとみる。あと三つ先の係船ドックが、ピック先のフラワーショップの最寄りとなる。この辺りまで来ると、周囲に飛んでいる機体の性質が変わってくる。よく手入れされた、新型の丸みを帯びた、シュッとした航空機が目立ち始める。それに引き換え、俺のカプスは全て直線で構成され、野暮ったく、旧世代のいかにもダサダサな軍国主義のイメージが抜けきらない。吐き気が出るほどの居た堪れなさを感じて、合成皮革がシワになる程、ハンドルを強く握りしめ続けた。


係船ドックはガラ空きだった。俺は、カプスを斜めにラインを踏んで取り付け、サッと降りた。今、13時。この時間、カタギの連中は、会社なり学校に行っているから、人通りはまばらで、俺は気持ちが多少軽くなった。足早に、フラワーショップに向かう。


「この下品な看板、外装、いかにもジアースって感じだな」

やたら尻尾の長い筆記体の看板には、おそらくラ・マリユスと書かれている。かろうじて“ラ“が読めた。俺は、店の入り口の前に立つと、思わず入店をためらった。アールヌーヴォー様式の有機的な装飾を施した、真鍮の取っ手。ここは俺が来ていいところではない。意を決して、扉を開ける。女性一人が通れるように設計された扉が、背中に背負った配送バッグに引っかかる。どこまでも白、白、白、で埋め尽くされた店内。その一角に、古代の厚塗りの印象画のように、むさ苦しい花々が置かれている。店内は無人だった。一歩進むごとに、地獄の炎で皮膚を焼かれていくような気分だ。


「こんにちは、ジャオフーです」

聞こえていないだろうか?

もう一度大声で呼ぶと、カウンターの奥から、これまたジアースの生き字引みたいな、悪趣味な白いレースのフリル付ドレスを着た、背の低い痩せた老婆がヨロヨロと現れた。老婆は、私を認めるなり、一瞬、潔癖な店内にゴキブリでも現れたとでも言いたげに、顔を引きつらせた。


「はい、お待ちしておりました」

俺は、7ケタの注文番号を伝えた。

老婆が一度、バックヤードに引っ込んで、ほどなくして戻ってきた。そのいちいちスローな動きに、心臓が爆発しそうになる。

見るからに壊れやすそうな、赤ん坊大のブツを抱えている。ビニール袋で包装されているものの、茎や花弁やらが四方八方に飛び出している。配送バッグには、入りそうもない。これを素手で持って歩けというのか。


俺はこの店が、まだ加盟したばかりか、もしくはジャオフーからは滅多に注文が来ないのだろう、と見抜いた。ジャオフー慣れしている店は、配送バッグの寸法ピッタリの梱包をするし、そもそも少しの衝撃で壊れるようなものは販売リストに加えない。しかもこれ、ざっと1万円以上はくだらないのではないか。俺はますます、とんだハズレを引いた気分が強まった。


老婆は、花束を抱えたまま、ゆっくりとカウンターの脇に移動し、俺にそれを差し出された。老婆の、深いシワの刻まれた土色の指と、大きなエメラルドのコントラストが汚らしく、その指は軽く震えていた。

俺は、どこを握っていいか分からず、とりあえず根元の方を鷲掴みにした。それは、想像以上に柔らかく、大きくたわんで、花弁が何枚か床に落ちた。老婆の眉がピクッと動く。


「お花は繊細ですので、どうか、強く押さえつけず、揺らさずに、安全運転で」

さらに、フラワーデザイナーと思われる、やたら胸板の厚い、眉毛を限界まで細くしたヒゲの青年と、アルバイトの小娘も奥から出てきて続いた。

「よろしくお願いします」

結局、店員総出で、不安な眼差しで見送られた。


「はい、では行ってきます。ありがとうございました」

うるせえ。配達員を指名できない上、基本的にカタギの職種についていけない、社会不適合のプロータルによって支えられているジャオフーに加盟して、遠方の客にも手広く商売をしようとしたお前らが悪い。

店を後に、足早にドックに向かう途中、尋常ではないワキ汗をかいていたことに気づいた。


カプスのカチカチのシートで、ほんの数十秒、放心状態だった。

そんなに栄えていない、ハルエーエリアの店に行っただけでこの疲れ……。まだ地獄の一丁目、ここから先はトゲ付きの棍棒をぶら下げた鬼どもが跋扈する、魔界だ。これ以上、進みたくない。2201記念区に行きたくない。

カプス内が、俺の世界に存在するはずのない花の匂いと、俺の世界そのもののワキガの臭いが混ざって充満して、気持ちが悪い。


その時、赤いドレスのロングヘアの気取った女が、

「マジ遅いんですけど」

とジャオフーのサポートにクレームを入れている姿が、ありありと浮かんだ。

ジャオフーは客が一番。配達員の立場は圧倒的に弱い。客のクレームの付け方によっては、一発アカウント停止となる。配達員に正当性があろうと、どんなに弁明しようと、取りいってくれる隙などない。

ハァァぁぁ……と深い深い、大きなため息をつく。


「仕方ない。行きますかね。ああいやだ」

俺はそっとアクセルペダルに足を乗せて、ヨロヨロと往生際悪くカプスを動かした。ハルエーのドックからまるで廃棄鉄でもこぼれ落ちるようにして、要塞の外に出た。

広がる宇宙空間と満天の星。そんな、何でもない自然現象が忌々しく思えてくる。建設中の港の鉄の骨組みと、火花の閃光、油まみれの作業員の男達が恋しい。


ハルエーのドックから伸びる、弓なりに曲がった細い脇道をノロノロ進み、ア・ニージ・マの大動脈とも言われる、6船線の大きなアプローチラインへと向かう。

大動脈では、たくさんの機体が左から右へと、テールライトの軌跡を描いて流れていく。どの機体も、かなりスピードを出している。


俺の一台前に、俺のカプスと同じくらいボロい、見るからにジャンクのカプスがこれまたノロノロと飛んでいる。ジャオフーか? 違うな、照合ナンバーが付いてない。進みたくないと思いながらも、前の奴が遅いとイライラしてくる。


そういえば、今朝から一本もシガーを吸っていなかった。

俺は、前を見ながらダッシュボードに手を伸ばして、手探りでシガーの箱とライターを探した。

大動脈との合流する、停止ラインに差し掛かった。

先頭の小型航空機が、合流のタイミングを伺っている。その後ろにカプス、そして俺、の3台が縦に並んだ。

「あった、あった」

俺はシガーを一本取り出し、ライターの火を付けた。

小型航空機が出て行った。続いて、カプスが先頭に向かう。俺も少し前に進んだ。


長時間ニコチンなしでストレスに晒されていた俺は、まるで乳飲み子のように、シガーの吸口に吸い付いた。

視界の隅で、前のカプスの球状ガラスに、ドライバーの頭が左右に揺れ、再び左を向いたのが見えた。

俺も背後で、首を伸ばして右を見て、大動脈を流れてくる機体を覗き込んだ。

一瞬、大動脈の交通が途絶えて、大きな空きが出来た。

肺にため込んだ煙を、口から一気に吐き出す。

俺は、若干ハンドルを切りながら、アクセルを強めに踏んだ。


ドーン!

強い衝撃とともに、シートベルトが、肩にグイッと食い込んだ。

シガーが高速回転しながら、フロントガラスにぶつかるのが見えた。

俺は、強く目を瞑った。

肛門が、恐ろしい筋力でギュッと引き絞られた。

一瞬の出来事だった。

目を閉じた暗闇の中で、心臓が、恐ろしい速さで鼓動を刻んでいる。

おそるおそる目を開くと、足の爪先が見えた。

視界が小刻みに揺れている。

全身が半鐘になったみたいに、長い残響音を引きずっている。


ハッとして顔を上げる。

カプスは、合流する前に止まっていた。

フロントガラスの左側に、

前のカプスが食い込むようにして置かれている。

俺は、状況を飲み込んだ。

前のカプスに追突したのだ。

やってしまった……。

免許停止とジャオフーからの永久追放が決まった。

生活が、終わった。


俺は、慌てて体のバネを弾ませて、上体を起こし、

機内の気圧センサーをチェックした。

酸素漏れは!?していなかった。

前の人は!?

前のカプスのフロントガラスは、目と鼻の先にあり、ドライバーの様子がよく見えた。

苦々しい表情で、こちらを振り返って見ている。

20代半ばの色の白い、若い男だった。怪我はないように見えるが……。

ぶつかったであろう箇所を見渡す。

ブースターあたりにぶつかったらしい。

火は出ていない、へこみもないように見える。

俺は、大袈裟に両手を合わせ、

すみません、すみません、というポーズを作った。


若い男は、しばらく無表情で俺をじっと見据えた後、前を向き、

カプスを飛ばして、合流ラインに乗って行ってしまった。

と思ったら、信号が赤になり、すぐに止まった。

若い男はまだ、目の前にいる。

どうする。呼び止めるか?そのまま行くか?


怪我と酸素漏れがないことがわかった瞬間に、

俺の頭の中は、免許停止とジャオフーからの追放の心配にスイッチした。

慰謝料と、機体の修理代の請求もされたくない。ポリーツカに色々取り調べされるのもめんどくせえ。

法律、倫理? そんなものはどうでもいい。俺の生存こそが、最優先だ。

しまった。今の瞬間を、周りの機体のレコーダーに撮られてないよな?

どこかに交通カメラが付いているかもしれない。

周囲を見渡したが、よくわからなかった。

とりあえず、止まってこちらを見ている機体はいない。


でも、やっぱり呼び止めて、ポリーツカに通報しないとな……。

もしかしたら、免停には、ギリギリならないかもしれない。

怪我も損傷もなくて、請求も大したことないかもしれない。

ただし、ジャオフーは即追放で、生活が終わる。


もし、ポリーツカを呼ばずに逃げたって、いずれ誰かに通報されてバレるんだ。

どのみち、すべて終わったんだ。罪悪感を引きずらないのが最善だ。

彼を、呼び止めよう。


でも、待てよ。もし、彼が通報しなかったら?

たまたまこの辺りにカメラがなくて、録画されていなかったら?

免許も停止にならないし、多額の請求も逃れられる。

ジャオフーも続けられる。

もしこの線で行って、仮にばれたとしても、人を殺したわけじゃないんだ。

後から出頭したって、大した罪にはならない。無論、ジャオフーは終わるが……。

こっちに賭けるか? ああ、でも怖いな。


その時、フロントガラスの右側の方で、スッと何かが動いた気がした。

それに吊られるようにして、視線を移す。

脇道のアプローチラインが、大きく弓なりになりながら、延々と伸びている。

ラインに沿って、一台の小型航空機が遠のいていった。

その先には、ハルエーのドックが大きく口を開けていた。

俺には、宇宙の暗闇の中で、そこだけが温かい光りに包まれて、

眩しいくらいに輝きを放っているように見えた。

「俺は、蛾だ…」


大きく右にステアリングを切り、さも元からそっちに向かっていたような冷静さを装おって、ハルエーのドックへ向かって、ふわりとアクセルペダルを踏んだ。

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