七話 不穏と希望
強めに喉を鳴らし、ベルが背中に背負っていた大きな戦斧を唐突に構え、
入り口をギッと睥睨していた。ただならぬ雰囲気に、俺は思わず身体が硬直する。
「エメちゃん! 子供達を連れて地下へ逃げて」
「は、はい!」
俺はようやく身体が動き、数歩後退る。歳を取るとダメだ。
急に思った事を実行するのに数秒の誤差が生じる。それに、感も鈍る……。
「なんだ? ひょっとして俺がつけられたか……?」
「そんなはずは無いよ! 尾行を巻くのは完ぺきだったもん!」
エメが子供達を集め、地下室へ通ずる隠し床扉を開く。
……その時だった。
「あ、あれ? 僕、どうやら発見しちゃいました?」
入り口の扉が自然に前へと倒れ、若僧一人がわざとらしい笑みを浮かべて佇んでいた。
「……ム!」
その若僧を見るなり、ベルは血相を変えて向かって行くが……。
「お、ジャイアントだ。という事はビンゴですね」
――バキンッ。と、音が響いたかと思うと、ベルの下半身が床へと沈む。
「古い建物ですからね。床が抜けたんだ」
中々這い上がれずベルはジタバタと上半身を揺らすが、すっぽりとハマってしまった下半身は抜け出せず、手を着いた先も運悪く床が抜けていく。
先ほどまでビクともしなかった床が、何か細工したように脆くなっている……。
「あ、ご紹介遅れました。豪運の勇者ラックと申します。少しお話をいいですか?」
「ご、豪運の勇者……!? 最悪じゃん……」
その名を聞き、エメが声を乱していた。豪運ってのは何だろうか。
それに勇者って言うのは一人だけじゃなかったのか……?
「話す事なんかないわ! お引き取り頂戴!」
そんな疑問を抱えていると、ナディが強く声を張り上げていた。
「んー、そういう訳にも行きませんね。それにそこの魔族の子供達や床にハマったジャイアントは後で事情を聴くとしてー……。豪運ギルドの輸送中に所持品を盗んだ窃盗の疑いがそちらのお嬢さんに掛けられていましてね? 返してくれます? 僕の荷物」
柔和に微笑み、柔らかい物言いの小僧は自身の金髪をワシャワシャと困った様に掻きまわす。
だが、俺は見抜いていた。奴の弧を描いた瞼の奥から垣間見える眼差しは、明らかに隠しきれていない程の殺気が含まれている。
「知らないよ! 帰ったら?」
エメが自身の後ろに手を回し腰部に装備した短剣の柄をがっしりと握る。事態は思ったより緊迫している。豪運の勇者……一体どれほど恐ろしい奴なのだろうか。
「あーそんな態度取ります? いいですよ?」
「な、なにをするつもりなの!?」
すると、ラックは徐にしゃがむと、何を探す動作で床に付けた手を動かし始めた。
「僕ね、こうしたい! って思えば、大体どういう原理かその思ってる事が叶っちゃうんですよ。余りにも突飛な事は微妙だけど、きちんとした対象が居る場合なんてなおさら直ぐ形になって現れるんです。んーっと、此処かな?」
此処かな? っとラックが微笑んだ瞬間、俺は背筋が凍った。どうやら俺の野生の感はまだ鈍っちゃいないらしい。
「まぁ、直ぐに話したくなりますよ」
するとラックは短剣を取り出したかと思うと、先端を床へと目掛けて一気に振り下す。
ピキッピキッ……という家鳴りのような音は次第に大きさと激しさを増し、バリバリと音を立てて床から壁へと一気に亀裂を作り上げていく。
「――――――――あぶねえ!」
事態を良く分からずキョトンとした面持ちで見つめていた魔族の子供を一人、俺は精一杯押し飛ばすと同時、崩落した天井の一部が俺を目掛けて一気に落下する。
「おじいちゃん!?」
「おじ様! ちょっと!」
瞬きする間もなく俺を押し潰していき、周囲は積年によって溜まった埃が舞う。
「ん、爺さんか。まぁいいや。それで、僕達の荷物は何処に隠したんですか? 早く言った方がひょっとすると生存者増えるかもですよ?」
「この人でなし! 子供を狙うなんて!」
「もう一度聞きますよ。僕達の荷物は……」
「分かった……分かったらこれ以上は止めて……」
「エメちゃん! どうせみんな殺されるわ!」
「お、察しが良いですね。魔族と関与者をほっとくのも職務怠慢ですからね?」
……倒壊した瓦礫の中で、俺はまだ生きていた。体のあちこちが痛てえ。
身体這ってガキの一人助けた所で、最悪な状況は何一つ変わっちゃいねえ。
「はい。十秒数えた後、もう一発行きます」
「子供達だけは助けて! あちしなんでもするから!」
「魔族は魔族。僕だって目覚めが悪いんだから、ね? はい十ぅー」
俺は、何がしたかったんだ。
世界何てちっとも平和にならなかったじゃねえか……。
こんな事なら、俺が居なくなった後のこの世界のありさまなんて知りたくなかった。
「こ……の!」
「女の子がそんな物騒な物を持つのは感心しないな? マイナス五秒。はい五ぉー」
もういい。疲れた。
こんなんじゃ、あの世のイディアに顔向け出来ねえかもな。
「ム……ムッ! ムッ!」
「ジャイアント君~。暴れたらさらに建物が壊れやすくなりますよ。四ー」
……最期に煙草が吸いてえ。
そういえば、ギンギンになれるとか言う葉巻が有ったっけ。
右腕は……まだ動く。惨めなもんだ。
あんなに強敵を葬ってきた右手が、最期には諦めて煙草を吸うために必死に動かしてるなんてな。
「やめて! お願いします! 言いますから!」
「んじゃ、場所を言って、終わりにするから。はい三ー」
埋もれた瓦礫の下、ようやく俺は葉巻を加え、火を付けた。
クソみてえな人生だった。気が付いたら何の力も無いジジイだよ。
……畜生。悔しいな。
――――――――――――――――――――。
――――葉巻を一口吸った途端、体中に電気が走る。
雷に打たれたみてえだ。
熱い血潮の奔流をこれでもかというくらい、グツグツと体の隅々まで感じる。
とても熱い。体が中から焼けただれそうだ……!
畜生! 畜生! 畜生……!
「チクショオオオオオオオオオオオ!」
込み上がる力を。溢れ出る魂を。腕を一気に押し出して瓦礫を弾き飛ばす。
「な、なんなの!?」
「ちょ、ちょっと!?」
「ムゥ……」
先程まであんなに重かった瓦礫が嘘のように軽い。
「な、なんです? お、お前は一体……!?」
力が溢れる。体が軽い。視界が明白になっている。
音も良く聞こえる。背筋も伸びている。慢性的な足腰の痛みも無い。
本当に……。
本当に若返っちまった!
「うおおおおおおおおお! ギンッギンだぜええええ!」
俺は叫び、ラックの元へ駆け寄る。
今は若返った驚きよりも、優先すべきことがある。昔っから口や考えよりも先に身体が動く性分でな。
「弱者をいたぶるような腐れ外道は、俺の勇者心が許さねえ!」
「は? 勇者心? 訳わからない。近寄らないでもらえます? それに、僕がチート・ブレイバーの一人だと言う事を解ってるんですか?」
へっぴり腰でラックは短剣の先端を俺へと向ける。
「あぁ? チーズだか何だか知らねえけどよ、根性叩き直してやるよ鼻垂れ!」
「豪運の僕の前じゃどんな攻撃も届かない。何なら試してみますか? ありとあらゆる不運が貴方を襲い、攻撃を妨害しますよ!」
ズイズイと俺は距離を詰め、ラックの腕をがっしりと掴み上げた。
「一ついい事教えてやるよ鼻たれ。運ってのは、こうやって使うんだよ!」
「なっ!? なんで僕に触れれるんだ! 貴様は一体……!」
がっしりと掴み上げたまま、余した右拳を固く握りしめ――――。
――――――――一直線に相手の鼻っ柱目掛けて拳を叩きつける!
「安村無敵七十五歳! 覚えとけこのタコ!」
「で、伝説の……素手勇者……! 最強の安村無敵……だって……?」
後方へと大きく宙を舞い、ラックは廃屋の入り口から数メートル向こうへとぶっ飛んでいく。
「ま、まさか…………。とっくに死んだはず……じゃ…………」
ドサァッ――――。とその身を地に叩きつけるラックを見届けた後、
俺は咥えた葉巻を指で挟んで煙吐き出した。最っっ高の気分だ。
「ほらエメちゃん! ぼーっとしてないで今のうちに逃げるわよ! 子供達の先導!」
「は、はい!」
「ムムム……ムッ!」