二話 後悔
五十年前。俺は当時二十歳だった。
戦争が終わって、まだ日本が貧しい時代だ。
神社の神木の下で、腹にも満たない小さな握り飯を食った後昼寝をしていると、次に目を覚ました時は見たことも無い場所だった。
最初は悪い夢か、何かの冗談だと思ったのを今でもはっきり覚えてる。
そこが日本ではない、ましてや自分が生きる世界とは別の世界だと知るのは早かった。
見慣れた木造家屋はレンガ調に、田舎のあぜ道は石畳へと変わり……。
そんな中を、時代にも日本にも似つかわしい、西洋的な甲冑や見慣れぬ衣服に身を包んだ人々が街を忙しく行き交っていたのだ。
そしてその世界は魔族軍と人間軍が長期に渡る戦争を繰り広げており、右も左も分からない俺を最初に拾ってくれたのが、教会で働く司祭イディアだった。
……それが全ての始まりだ。
最初は、イディアに絡む街のゴロツキをぶっ飛ばしたのが始まりだった。
自分でも信じられない程の膂力で、自身の体格の一回りも二回りもある大男数人を、バッタバッタと次々に軽く殴り飛ばせたのだ。
大したことないと思ったよ。俺の時代じゃ喧嘩は当たり前、誰だって生きるのに必死だったし、俺だって自分の身は自分で守らなくちゃならねえ。
何より俺は、腐れ外道は許せない性分だったんでね。
そんなこんなで街の外道共をぶっ飛ばす日々を送っていたら、腕っぷしの強さに目を付けた王様が直々に魔王討伐の令を俺へ下したって訳だ。
「ひょっとすると、俺は長い夢を見てたのかもな……」
独り、俺は公園のベンチに腰掛けて煙草を吸い、煙を吐き出しながら呟く。
そんな輝かしい栄光もこうなっちまえば地に落ちたもので、ここ最近はずっとそんな事を思うようになった。
俺は……魔王を倒せなかった。倒すことが出来なかった。
そして自分の身を犠牲にして、イディアは魔王を封印した。
……俺の五年に及ぶ異世界生活の最後だった。
残ったのは、ただの悔い。今となっちゃ、どうでもいい話だ。
そんな話を信じる奴はいないし、出来た作り話だと人は笑ったよ。
「五十年。あっという間だった。ガイヤ。リベル。イディア……」
かつて共に戦った戦友達の名を独白する。
異世界の地で切磋琢磨しようが、現実世界に戻されてみれば、俺はただの行方不明者扱い。
当時は失踪する人間なんて珍しい事じゃねえ。
あの頃はそういう時代だったんだ。
「……もう、疲れちまったよ」
何のために、俺は生きているのだろう。何のために、俺は……。
自問自答を何回繰り返したかは分からない。
けど、気付けば五十年。
空っぽの五十年。
ただ働いて、ただ生きて、ただ死を待つだけ。
世界を救った英雄が、行き着く先は生活保護の身寄りのない年よりの最底辺。
自分がどうやって歳をとったかすらも覚えて無い。
本当、クソみてえな人生だ。
俺は、この五十年間ずっと……魂を異世界の地に囚われてる。
「イディア……」
そうさ。俺は初めて、本気で惚れた女を守れなかった。
残ったのは悔いだけだ。
「…………」
もはや精魂も尽きた。
もし、神様ってやつがいるのなら、いい加減このクソみてえな人生を終わらせてくれ。
そう思いつつ俺は、ベンチに腰掛けたままゆっくりと昼下がりの気候の心地よさに目を閉じた。
これで何度目かは分からない。
この人生が終われば、イディアに会える。そう信じて目を閉じるのは……。