一話 英雄の現在
「今まで、ずっと……。楽しかった…………」
「おい! 行くな! 待ってくれ!」
「安村無敵……。私は、私を愛してくれた人を――――一生忘れません」
彼女は最期に笑うと、眩い光は全てを深く飲み込んでいった。
「ありがとう。あなたは…………生きて……!」
「イディア……! イディアアアアアアアア!」
それが俺、安村無敵が五十年前に異世界で見た最期の光景だ。
「くそ……。またあの夢か。目覚めが悪ぃ」
今が何時か何て、どうでもいい。
今日の予定何て有るわけがない。
寝たいときに寝て、起きたい時に起きる。
そんな生活を、もう何年も続けている。
「イディア……。あれから五十年……か」
火を付けた煙草の煙を吐き出すと同時に、五十年前に消えた彼女の名を呟く。
必死に忘れようとしたその名は今も鮮明で。
掻き消したいあの光景は、時折夢となって明晰に現れる。
それもここ最近は頻繁に観る様になってきた。
一つ言えるのは、この夢を見た後は決まって最悪な気分になると言う事だけ。
「ッケ……最後の一本かよ」
短くなった煙草を灰皿へ押し付け、のっそりと万年床から石の様に重い体を起こすと、ヒシヒシと彼方此方が痛みだす。
…………随分と俺も歳をとったもんだ。
異世界の地で数々の強敵を屠った拳と腕は、すっかりと衰えて枯れ木のようになり、日に何十里も歩いた健脚も、今やボロアパートの階段を数段上がっただけで膝が痛んで息が上がる。
――――――安村無敵、七十五歳。後は死を、待つだけの日々。
「今日も、生きてるんだな。俺は……」
玄関前に有る鏡を見て、年老いてしわくちゃになった自分と目が合う。
そして直ぐに目を逸らし、上着を羽織って四畳半のボロ部屋を後に外へ出た。
何が勇者だ。何が英雄だ。
残ったのは、ただの悔い。
……もう、どうでもいい。