雑草魂
「知ってる?」
買ったばかりのミルクティーを飲みながら、花模様の服を着た彼女は僕に尋ねる。
「何が?」
「ここの観覧車。日本一大きいんだって」
「知ってるよ」
僕は笑いながら返答する。
「だって今日はそれに乗りたくて来たんでしょ?」
つられて彼女も笑いながら言った。
「なんだ、覚えてたんだ?さっきまでジェットコースターとか沢山乗って死にかけてたから、忘れてるかなって思ったんだけどね」
「実際のところ忘れるかと思ったよ……何もかも」
「絶叫系苦手なら苦手って言ってくれればいいのに。言っても乗らせるけどね」
「じゃあ言わないよ」
その日、僕らは初デートの為に、大きな遊園地に来ていた。すでに僕達は様々なアトラクションに乗り尽くし、僕はすっかり疲労困憊になっていた。
その中でも、最も大変だったのがジェットコースター。大袈裟に聞こえるかもしれないが、正直言ってアレは人が乗るものではないと思った。直接脳を揺さぶられる様な感触がして、何度も死を感じたほどだ。殺人兵機とは、ああいう物のことを言うのだろう。
そんなジェットコースターから降りて、まるで何かのホラー映画に出て来そうなゾンビの様な顔をしている僕を見て、彼女はケラケラ笑っていた。
絶叫系の乗り物は苦手だけれど、花模様がよく似合い、楽しそうに笑う彼女と過ごす時間は何よりも幸せだった。その思い出は、色褪せる事なく今でも鮮明に記憶に残っている。
その後、観覧車に乗った僕らは、自分たちが乗っているゴンドラが一番高いところまで来たとき、何回目かのキスをした。そして約束したっけ。また来ようねって。
まだその約束果たしてないんだ。君は今どこにいるんだ?なぜいなくなってしまったんだ?僕はそれが知りたい。
「では次、白石広夢さん」
「はい」
試験官に声をかけられ、僕はケースに入れたギターを担いで慌てて立ち上がる。
つい昔の事を思い出してぼーっとしていた。
モグとの取り引きに応じてから一ヶ月。僕はオーディションの最終審査まで進んでいた。
モグの能力は本物だった。
自分の手が、まるで自分の物では無いかのように自然と動き、一瞬のズレも作らずに完璧なリズムでギターを鳴らすようになった。自分でも信じられないくらいだ。
これなら合格は確実だろう。確信のような自信を持ちながら試験官に向き合った。今まで成功した事などほとんど無い僕にとって、本番前にここまで強気でいられるのは新鮮な感覚だった。
「では、始めてください」
「はい」
試験官の合図で、僕はギターを弾き始めた。
僕の指は驚くほど滑らかに動き、綺麗なメロディを奏でる。それに乗せて歌を歌った。苦しいだけだったこの五年間の記憶を吐き捨てるように、強く太い声で。
僕はギターを弾き続けた。
ちらちらと頭の中を駆け巡る彼女との楽しかった思い出を、忘れないようにと頭の中に刻みながら。
そのまま、しばらくの時間が経過し、僕は最後までノーミスのままギターを弾き終えた。
「――で、本当にメジャーデビューしちゃったんですね」
「しちゃいましたね……」
そう言って、僕は机の上に置いてある一枚のCDに目を落とす。正真正銘の僕のデビューミニアルバム。
結局、僕はあのオーディションを見事に突破し、プロとしての道を歩む事になったのだった。
「ね?任せてって言ったでしょう?」
モグが渾身のドヤ顔で言う。ウサギってそんなに表情豊かなものなのか?そもそもウサギかどうかもよく分からないが。
「けど、いいんですかね?僕だけこんな簡単にプロになっちゃって」
嬉しさの反面、少し罪悪感があるのも確かだ。他のみんなは血の滲むような努力を積み重ねて、あのオーディションに臨んだというのに。ましてや、それでも合格出来ずに、涙を飲んだ人も大勢いるだろうに。
「良いか悪いかで言ったら、悪いかもしれませんね」
と、モグが答えた。
「でも、貴方が過ごしてきた苦悩だらけな人生を振り返れば、今日の出来事なんてちっぽけな物です。今まで沢山辛い事があったんだから、少しくらい良い事が起こっても良いって思いますよ。私は」
「そうですね。そう考えるようにします」
罪悪感を感じながら生きていくのは嫌なので、モグが言ったもっともらしい意見を素直に聞き入れる事にした。
「どれくらいちっぽけな出来事かというと、せいぜい雑草の周りにタンポポが生えてきたぐらいの出来事なんですから、そんなに気にする必要は無いですよ!」
「ちっぽけな出来事って言うより、ただのどうでもいい話じゃないですか……」
捲したてるようにモグが一気に喋る。どうしてこいつは、すぐに僕を雑草に例えるんだ?まぁタンポポが付いただけマシか。うん。少し見栄えは良くなった。
不思議と、モグが言うことは全て正論のように聞こえる。穏やかで暖かなモグの口調は、得体の知れない安心感を持っていた。
「ところでタンポポさん」
「広夢です」
「このアルバムの名前とかって決めてたりするんですか?」
「いえ、特に……」
「決まってないなら、ダンデライオンってのはどうです?」
「ダンデライオン?」
全く意味が分からなかったので、思わず聞き返えしてしまった。
「英語でタンポポって意味です」
「不採用です」
「ちょっ!答えるの早くないですか!?」
食い気味に答えてやった。さっきからタンポポにこだわり過ぎだ。しかし、その後もモグがタンポポから離れる事はなく、ポタンポ、ポポタン、など様々な案を出してきた。中には、タンポポくんという謎の一人称まで作り出した物まであった。
モグ曰く、
「やっぱあなたはタンポポなんだから、絶対タンポポ関連の名前を付けた方がいいですよ!それが嫌なら雑草しか他に無いですよ?ウィードですよ!」
だそうだ。少しも理解は出来ないのだが、どうやらそうらしい。モグが言う事は大体間違っていないが、正直、これだけは意味不明だ。
とりあえず、雑草関連は緑一色で何となく嫌なので、結局アルバム名はパールドブロムに決定した。(タンポポをオランダ語にすると、パールドブロムって言うんですよ!ってモグが言ってた。)
それから数日後、パールドブロムが発売されると、僕のアルバムは驚くほど売れた。どこのCDショップに立ち寄っても、パールドブロムを見ないことはなく、ゲームのテーマソングやドラマの主題歌のオファーなんかも届いた。
彗星の如く現れた僕の人気は凄い物だった。
これなら、彼女に僕の名が届いていないはずがない。彼女は、出たばかりの新人の歌手にも目を通していたからだ。
それでも、依然として彼女が僕の前に現れる事も、連絡が来る事も無く、日付だけがただ過ぎていった。
焦りを覚えた僕は、無心でギターを弾き続けた。彼女の耳に僕の歌が届くように喉が枯れるまで歌った。
日付が進む度に、無くなった筈の不安の波が押し寄せて来る気がした。