ずーっと以前に書いた創作怪談シリーズとショートショートシリーズ
日だまりで寝ている猫の話
昼休みに学校を抜け出すと、私は近くのコンビニでパンとヨーグルトを買った。
冬の制服が暑苦しくなるくらい、春の陽気は暖かだった。
「誰も止めることが出来ないくらい自由な春の午後」
私は、そうつぶやくと、そのまま散歩したくなっていた。特に四時間目の世界史が最低だった。昼休み後の体育は、もっと嫌だったけれど。
ブレザーの首元を緩め、短くしたスカートを直した。
ここからは校庭が見渡せる。本当は立ち入り禁止の高校の屋上。
「どうでもいい毎日」
私は、ノートを広げると、そう鉛筆で書き込んだ。えっと、なんだったっけ?さっきのセリフ。
演劇部の夏の公演に、自作の脚本を使おうと主張したのは、私自身だった。お仕着せがましい寸劇よりも、自分で書いたストーリーで演じたかったからだ。
ふと見ると、何故だか猫が日だまりで寝転んでいた。こんな学校の屋上で。
私は、ふっと笑いかけたが、猫は気がつかないのか、知らんぷりなのか反応さえしなかった。
そりゃあ、プロの書いた物の方が、観ている人は楽しいのかもしれないけれど、私には私の主張がある。表現するということは、誰かのために誰かの言葉を借りてすることではない、と私の父親も言っていた。そういう父親は、なんとかという宗教にどっぷり漬かっていて、教祖様の言葉を借りて、私の成績が悪いことを咎めているけど。
そうそう、中小企業の社長はつらいのだ。神頼りも仕方が無い。
フェンスの向こう側は、住宅地。同じ様な建物が並んでいる。上から見ると、どれも一緒だ。その下でどんな生活が繰り広げられているのか、それは知らないけれど。
そう、私は、皆に「暗い性格だ」と言われる。
べつに、いいの。
「死にたくなるのは、そんな時」
ノートに一行加えると、私は空を見上げた。
「楽しい事って、なんだろう」
世界は空しいんだ、と母親は言う。そうなんだ、と思ったのは、私が子供だったから?それとも、大人になっていたから?
そんなことを考えていると、人の話声が近寄ってきた。階段へのブリキのドアが開いた。
「あ、誰かいるよ」
知らない男の子達が、こっちを見て、そう言った。
「どうする?」
「いいんじゃない?別に」
「それもそうか」
私は、それを聞いている間、妙に疎外感を感じていた。本当は、そんな男の子達なんかどうでもいいのだけれど。でも、私を見て、私が聞いていることを知っていながら、無神経に。
私は、絶対にどかないんだから。
そう心に決めると、ノートに目を落とした。白い上質紙の中には、もう一つの世界が広がっていた。
自殺志願の女の子の話。本当は死にたくないんだけど、死のうと決めている女の子の話。ありきたり?
いいのよ。書き上げてつまんなければ、他のをまた書くんだから。
「自殺するなら、飛び降りがいい」
そう、書き加えると、ふと屋上にいることを思い出した。
その途端、男の子達が、悪ふざけをして低いフェンスのところで押し合って大きな笑い声をあげた。
気が散って集中できない。
妙に腹が立って、私は彼等を睨みつけた。男の子達は、そんな私の視線にさえ気がつかない。
「いらいらして仕方が無い。死んでしまったら、この思いも消えて無くなるのだろう」
私は、そう声に出してつぶやいた。
「駄目ね。そういう話じゃないもの」
自分で勝手に納得すると、鉛筆を置き、かじりかけのパンを口に運んだ。
私は、映画作家になりたい。いつか、自分の脚本で映画を撮ってみたい。そのために演劇部に入ったのだ。
でも、どうすればそんな仕事につけるのだろう。
「壊れかけのラジオを一生懸命にチューニングしているみたいな毎日」
実現しそうにないわ、私の夢。
またしても、男の子達は大声で笑い出した。
「うるさいわね」
私は、思わず大声で叫んだ。
声がやみ、男の子達が振り返る。私は、さっと立ち上がると、ノートを足元に置き、それから男の子達の方へ歩き出した。彼等は呆気にとられて、私を見ていた。
私は、男の子達の手前でくるっと向きを変え、フェンスに手をかけた。
「なんだよ、なんか文句あんのかよ」
男の子の一人が、私の背中に向かって言った。私は振り向かずにフェンスをよじ登る。
「なんだよ、なにしてるんだ」
男の子は続ける。
「おい、なんだよ」
私は、フェンスの向こう側へと飛び降りた。30センチほどのコンクリートの床。地上4階建ての校舎の屋上。
「向こうへ行って」
私は叫んだ。
「おい、なにしてんだよ、何がどうしたんだ」
慌てて、男の子は意味不明なことを口走る。
「放っておいて。私は自殺するために屋上に来たの。遺書は書き終わったわ」
「なんだって?え?なに?」
私は、ぐっと怖いのを我慢して一歩前へ踏み出す。ほんのすぐ向こうは奈落の底。
「飛び降りるの。早く何処かへ行って」
男の子達は、呆然としているのが振り向かなくてもわかった。
「おい、やめろよ」
違う男の子が、そう言った。
「何がつらくて死のうとしているのか知らないけど、やめろよ」
「止めないで」
私は薄笑いを浮かべて、振り返らずに言った。
「頑張れよ。まだ、いろんなこと出来るだろ?」
「いいの。もう死にたいの」
「そんな。まだ間に合うって」
私は首を振った。
「間に合わないわ」
「だけど、おまえ・・・」
「おまえなんて呼ばないで」
そう叫ぶ。目の前はグランドに舞うつむじ風。その向こうには住宅地。
「やめろよ」
再び、男の子がつぶやく。私は、ちらっとだけ振り返り、それからにこりと微笑んだ。男の子は、薄気味悪そうに私を見ていた。
「ひとつだけ、やれることがあるわ」
そう、彼に言う。彼は「え?」という顔をした。
「3年5組の樋口っていう男を連れて来て」
「え?なんで?」
「どうでもいいでしょ。あなた達には関係ない」
男の子達が、フェンス越しに顔を見合わせているのを私は内心笑って見ていた。
「じゃあ、お前、連れて来いよ」
一人がそう言うと、指差された男の子は一瞬ためらい、それから私を見て頷いた。私は首を振った。
「駄目よ。あなた達三人、全員で連れて来て。出来ないなら飛び降りる」
「だけど、おまえ、一人に出来ないだろ」
「おまえって呼ばないでって言ったでしょ?」
「あ、ごめん」
素直ね。
「私は絶対に飛び降りない。あなた達三人が戻ってくるまで」
くるりと舞台の前に向き直り、私はセリフを叫ぶ。
「私は絶対に」
そして再び向き直る。男の子達は、勢いに押されてお互いに顔を見合わせる。
「どうする?」
そう言い合って、顔を見合わせる。
「早くしないと、私は飛び降りるわよ」
彼等はついにのろのろとドアへ向かって歩き出した。
「絶対だぞ、飛び降りるなよ。約束だからな」
そう、叫ぶと、三人は走り出した。
ドアから姿が消えると、私は、ほっと肩の力を抜いた。そっと見下ろせば、グランドの砂ぼこりが足元のはるか下に渦巻いている。私は、思わずぶるっと震えると、フェンスに手をかけた。
一匹の猫が、私の足元へ歩き寄って来て、そっとこっちを見てあくびをした。
「なによ。私の演技にけちをつけるの?」
フェンスを登りながら、私は猫に言う。猫は伸びをすると、安全な側へ戻った私をフェンスの向こう側から見ていた。
「そう?私の代わりに演劇を続けてくれるってわけ?」
猫に、そう言うと、再び彼はあくびをした。私は「じゃあ、頼むわね」とつぶやくと、ノートと紙屑を拾い、足早に屋上を後にした。
その時、五時間目のチャイムが鳴り始めた。
あの3人、戻ってきたらどう思うのかしら。わたしが猫になっちゃったって思うのかな。
そんな終わりもいいわね、と教室に着いたらノートに書き足そうと心に決めた。