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この血に響け、祝ぎ歌よ  作者: 零-rei-
この血に響け、祝ぎ歌よ
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1 - 09 暖炉

 ダビドゥムは卓を指で三度たたいた。爪にびりびりとした振動をおぼえながら、外へ通じる木戸を見た。大股に四、五歩の距離にある戸は、視線をうけて所在無さげに陰影をつくっている。まるで斬新な図案を彫りこまれたかのような具合である。

 表面を削り取るように、下からうえへと鳶色の目が戸をねめた。むこうに探しものをするようなさまに、まわりに突っ立った少年たちが何ごとかをいいかけては口をつぐむ。

 ふたつ三つ数え、ダビドゥムはおもむろに椅子から腰をあげた。いまだに目を戸に注いでいたせいで、椅子に引っかかってよろめく。体勢は持ちなおしたものの、椅子は蹴倒した。面倒くさそうに舌を鳴らし、彼は転がった椅子を跨ぎこした。

 壁の作りつけの棚まで二歩あるき、ならべられた品を物色する。最下段をのぞき、奥へ手をさしいれ、ずんぐりとした酒壜を取りだそうとする。

 荒い手つきに近くにいた中背の少年がやきもきしている。まんまるい目が彼の腕と棚とをうろうろとみやる。手元が狂って棚の物を落とさないかと心配しているのだ。

 はたして、酒壜は無事に棚からでてきた。ダビドゥムは一段上の棚から、酒杯をつまみだした。卓に杯を無造作に据える。椅子はまだ直さない。

 不精にあきれて、長身の少年がさっとしゃがんだ。手をのばして椅子をおこすと、急いで跳びすさる。ダビドゥムはあきらかに気が立っている。長く傍にいたら標的にされてしまうと、知っていた。

 さて、ダビドゥムはようやく腰をおろし、杯に酒を注いだ。否、注ごうとした。あせりに手がふるえて、琥珀色の液体は小さな杯にはおさまらずに卓のうえへこぼれてしまった。


「ぁああっ」


 すっかりいらだった声をあげて壜をおき、意味もなく徘徊しだす。はーっと長く息を吐いて、いちばん年の若い少年がふきんを持ってきて、こぼれた酒を拭った。


「隊長、落ち着いてくださいよ。ブランの兄貴は約束を違えないひとなんですから」


 濡れたふきんを手にして、年下の者が力説する。その意見に、背の高いのが同意した。


「そうっすよ。おおかた、迷子でも拾って届けてやってるか、女のトコで寝てるんすよ」


 歩きまわっていた足がいきなりとまった。ダビドゥムは口々に兄貴分をかばい立てする少年たちをじろりとみまわした。


「奴が誰かの傍で寝こけたのなんざ、オレぁ、このかた見たことがねぇ」


 彼は三度、木戸にむきなおった。

 家のなかにいても、雨音がきこえる。日没後から降りだした雨は、夜半を過ぎてひどくなった。強い雨足で路地を洗い流し、なめていく。

 町から人がひとりいなくなるのに、これほどの日は他にない。足跡は雨がかき消してくれる。勝手に開門したところで、絶え間ない音のなかで気づく者があるだろうか。

 ダビドゥムはついに我慢しきれなくなって、家の戸までの四、五歩をつめた。がっと押しあけ、そして、仰天した。なんとか平静を装う。


「よ、よぅ。遅かったじゃねぇか!」

「依頼をうけていた」


 青年はこたえると、うしろにいた少女をうながして自分より先に家に押しこんだ。自分も松明を消し、髪を絞ってから入ってくる。


「ずぶぬれだな」


 ダビドゥムの声に、若者らが気を利かせ、織物やさらしを持ちよる。だが、青年はうけとらなかった。

 上着は拭いたところでどうしようもないほど、冷たく濡れている。とりあえず手に持ったものを卓のうえにおいて、服の紐はゆるめた。少女も乾布を手にとろうとはしない。

 雨を吸った外套が身体に纏わりつき、ずしりと重い。見れば、裾から絶えずしずくが落ち、床に黒く円を描きはじめていた。靴からもじわじわと床板に水が染みていく。

 外套を脱ごうともがいていると、まんまるの目をした少年が見かねて手伝ってくれた。

 あらわれる腕や背にシャツがぴっとりとはりつき、肌色が透けていた。下着の形も浮かび上がっている。そこに、遠慮がちな周囲の視線が集まった。

 少女自身に恥らうそぶりなどない。寒さのためか青い顔をしているばかりだ。だが、少年たちには、すこしばかり刺激が強い。

 青年は大きめの乾布を一枚、傍の少年から奪うと、少女の身体をさりげなく隠した。そうして、まわりに呼びかける。


「誰がいちばん背格好が近い」


 少年たちの目がひとりに集まる。


「え、僕?」


 不満そうにあげた声に、青年がふりむいた。少女に背格好が近いということは、もっとも小柄だということだ。すばやく少女と見比べ、納得してうなずいた。


「着替えを貸してやってくれるか?」


 少年は半分傷つき、半分は誇らしいといった表情をし、自分の荷をとりに二階へ走った。その隙に、青年は近くの部屋をひとつ空けた。もどってきた少年が服を少女に手渡すと、有無をいわさず、そこへ少女を押しこんだ。

 興味津々といったようすで部屋によろうとする少年らを蹴散らして、青年はみずからも上着を脱ぐ。今度はさしだされる布をすなおにうけとって頭からかぶり、服を着替えた。

 それから、卓に歩みよった。


「これが報酬か?」


 ダビドゥムはもといたように卓につき、青年がそこにおいた長剣を見た。

 硬い皮革でつくられた鞘に金属で装飾が施されている。柄を逆手に持って、試しにこぶしひとつぶんほど抜いてみた。涼やかな青鈍をしたそれは、片刃ではなく両刃の長剣である。


「草原でわだちを追った。馬車は見つけたが、誰もいなかった。賊に襲われて離れ離れになった娘を探しているらしい」

「こんな暗いなかで人探したぁ、ご苦労なこった。だが、賊に、若い女か……」


 ダビドゥムは言いさした。少年らや部屋にいる少女を慮ったのである。青年もこたえず、暖炉に椅子を近づけ、酒壜に手をのばした。


「王都に行く途中だったんだと。連れていってやっても、いいかな? 町長にも見捨てられたみたいだし、女のひとり旅は危険すぎる」

「いちいちきくな。最初からそのつもりだろ。おまえがお節介なのは毎度のことだ。ここにゃ、夜這いする甲斐性のある男もいないし、な」

「そこらの安宿に泊めるよりよっぽど安心、ってな」


 薄笑いで脇に目をすべらせると、少年たちが少女の部屋の前に群がっていた。戸に顔を近づけ、なかのようすをうかがっている。


「薪をもっと燃して、暖炉のそばに呼んであげようよ」

「すこし酒を呑ませたらどうかな」

「いや、ここはひとつみんなで入って慰めるとか」


 みな、良家の令嬢と見える女性がいることで舞いあがってしまっている。口々にいうのを見て、青年は呆れはてた。


「無神経なことをするな」


 襟首をつかんでは放り、足で数人の背を蹴りだして、もう一度、部屋の前から、彼らを追い払った。

 少年のひとりが果敢にも文句をいう。


「でも、兄貴! あの子泣いて……」

「でももくそもあるか! いいところのお嬢さんは人前で泣けないの。おまえらがいたら我慢するだろう」


 青年は彼らを諭すと、ダビドゥムに目をむけた。何かを期待した目である。無言のやりとりをした後、ダビドゥムはふんと息をついて、みなに言い渡した。


「明日も朝から勧誘だ。昼からは出発の準備。あさっての夜明け前にここを発つからな。今日はしっかり休め。ほれ、さっさと寝ろ!」


 号令をきいて、少年や若者たちがあわてたようすで部屋にもどる。必要なときに寝ること、食べること、うえの指示に従うことは、これまで徹底して叩きこまれている。

 少年たちの行動は実にすみやかだった。人のはけた居間にダビドゥムと青年が残り、苦笑をもらした。


「うちは救護院か。泣けてくるぜ、まったく」


 ダビドゥムはためいきをついて、みずからも部屋に足をむけた。すれちがいざまに青年の肩をたたいていく。うしろから軽くたたきかえして、青年は彼を見送った。

 履きならされた革靴の底が歩を進めるたびに木の床をしならせる。床板は古く、木目にあわせて縦に何本も細くえぐれた線が走り、穴が空いているところもある。踏みしめると、小動物でもつぶしてしまったような音がする。

 わざと軋みを響かせて、燭台の火を吹き消してまわった。一気に部屋は色彩を失う。

 青年は暖炉の前にしゃがんだ。煤けてはいるが、よく手入れされていた。この数日間のあつかいが悪く、灰がたまってしまっているが、それ以外に問題はない。

 消えかかった火を絶やさぬように、ていねいかつ迅速に余分な灰をかく。数本の薪を中央に組み、そのうえに燃えている木片をそえた。雨天のせいで木が湿気ている。

 そうでなくてもあたらしい燃し木にはなかなか火が移らないものだ。かなり時間がかかったが、辛抱強く待って、端が燃えはじめてやっと、席にもどった。

 足を投げだし、肘を太腿につけてかがむ。彼自身もまだからだが冷えていた。だが、わざわざ薪をくべたのは、自分のためのみではない。

 雨が乾いた地面に落ちるのに似た音。すこし息苦しいような焼けた木の匂い。暖炉では、薪が勢いよく燃えだしている。やがて、部屋は暖炉の炎だけでじゅうぶんに明るくなった。

 外からの雨音はすでに耳にとまらなくなっていた。青年はからだをおこし、椅子の背にもたれてからだをそらした。だらんと腕をおろして、低い天井を見上げる。天井ではあたたかな光が木の枝のさざめくようにゆれていた。

 この調子で行けば、朝にはやむだろう。

 彼はそう考えながら、小さな物音に対して返事をした。


「こちらに来いよ、あたたかいぜ?」


 こたえるように個室の戸がひとつひらいた。少女が姿を見せる。顔を隠すように腕をあげて、こちらに歩みよってくる。

 青年は天井から目を離さずに、腕だけで椅子を示した。少女が腰をおろした音をきくなり濡れた手巾を持ってきて、頬にあてる。布ごしの少女の頬はひどく熱を持っていた。


「よく冷やさないと、明日腫れる」


 頭を撫でようとして、思いとどまる。青年は黙って濡れたてのひらを火にかざした。


「いまも、王都に行く気なのか?」


 返答のために律儀に手巾を外そうとする手を押さえつけ、そのままでいいと言い添える。


「家にもどるよりも、王都へ行くべきだろうな」

「ほんとうに、そうしたいのか?」


 真実、願うことならば、義務のように言い捨てることはしないはずだ。行くと、行きたいと、いうに違いない。

 少女はこたえない。青年はもどかしくなった。顔を赤くして泣くほど大事なひとと、はぐれてしまったのだ。迷う必要などない。探せばいい。だが、この少女はなぜかそれができないでいるのだった。


「馬車のわだちは北にむかっていた。王都にむかった可能性がある」


 侍女のゆくえはふたつ。なぶられ殺されるか、売られるか。この町より北で娘を売れる町は王都以外にない。数日後には、王都の花柳街の店にうられているかもしれない。


「王都の近くに閲兵場が設けられる。ならず者が集まってきている。そいつらがのぼってくる途中でひと稼ぎすることがあるんだ」

「では、あの子も王都に?」


 ばしっと音をたてて、暖炉の薪が割れた。

 少女の声音の明るさに、青年のことばはやんだ。同じ王都であっても、城郭内の邸宅と花柳街はおなじではありえない。自分の侍女が辱められることなど、もとより少女の考えにはないのだ。

 苦い顔をして、青年は口ごもった。この年端もいかない少女にむかって、大切な相手は王都にいても無事ではないだろうと、いってよいものか。

 少女は痛々しいほど前向きだった。


「王都へは、どう行けばよいのだろうか」


 問われて、青年は腰から短剣を外した。革帯に鞘のついたものである。なかをたしかめると、くだんの長剣とひとしい光を放つ。

 短剣の点検を終えるころには、少女は手巾を顔から取りさっていた。少女の瞳や髪をみやる。結った髪は生乾きだった。ほとんどほどけてしまっていて、髪どめが外れかかっている。ほつれた毛先がうなじから首筋へとからみついていた。彼を見る瞳の光を、黒く濡れたまつげが強める。冷やしてもなおほてった目尻が赤みを帯びている。その艶に思わず息を呑むと、少女が首をかしげた。

 はっと我に返って、青年は一度、手で目元を覆った。十近く年下の少女に、自分は何を血迷っているのだろうか。


「……徒歩でよければ、連れていってやる」

「そこまでしていただくわけには、」


 固辞する少女にたたみかけた。


「ひとり旅でもする気か。無謀だ。俺たちの目的地も王都だ。遠慮するな」


 そう押し切って、少女に短剣を突きだした。手で「立て」と合図して、問答無用で少女の腰に剣帯を巻きつける。


「だいぶ足りないが、つりだと思ってくれ。あの剣は高価すぎるから」


 少女はなれない手つきで、短剣を引きぬいてたしかめている。短剣は長剣に比べて、重心の位置が柄に近い。手首が変にまがりそうになっているのを、さっとてのひらをそえて支えてやる。指先にふれたやわらかい肌に喉を鳴らしそうになって、必死にこらえる。

 そんなこととはつゆ知らない少女は、警戒心のかけらもなく青年を見つめる。


「使いかたがわからないのだが」

「道すがら教えてやる。明日は準備、あさってには出発する。……みっともない顔にならないように早く寝ておくといい。さっきの部屋を使っていいから」


 青年は低く笑って席を立った。すこしでも少女から離れるべきだと感じていた。

 必要もないのに暖炉の薪の位置をいじる。暗くなりかけていた部屋が一気に明るさを取りもどす。白髪が炎に透ける。それを自分でも知りながら、炎を背にして、しゃがんだまま少女を見上げる。


「おやすみ、明日は早いぜ?」


 少女はあっさり礼をいい、部屋へともどっていく。それを見送り、ほっと息をついてはじめて、青年は自分たちが名乗りあっていないことに気がついた。

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