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この血に響け、祝ぎ歌よ  作者: 零-rei-
この血に響け、祝ぎ歌よ
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1 - 07 蜜色のかいな

 ノスタの町は川辺にある。

 三方に広がる平野から町を隔てる石壁は、川べりにだけ口をひらいている。平屋を三軒、縦に積んだほどの高さがある。ただの壁ではない。内部にせまい廊下があり、ぐるりと町の周囲をひとめぐりできる。壁というよりは、細長い建物のような構造である。

 『壁』のむこうには、小規模な城の尖塔が見える。

 厳密にいえば、それは城ではない。シラ王国に城と呼べる建物はひとつきりだ。王都の王城のみである。

 前時代には、ノスタもたしかに平城と城下町とで形成されていた。小さいながらも、れっきとした国であった。しかし、数代前のノスタの小王は、乱世のうちに現王家へと膝を折った。現在はカナンと同様、前時代の王家が貴族としての爵位を与えられ、一領主となり、このあたりの土地を管理している。

 いまのノスタは王都へと通じる街道の宿場として、ささやかながらも栄えていた。平城は『領主の屋敷』へ、城壁は城ではなく町を守るものへと、意味を変えてはいる。だが、役割は、いまもむかしも変わらない。

 うえへと跳ねあげられていた門扉は防壁と同じだけの高さを有している。木製ではあっても、その重量たるや、家屋のそれの比ではない。とうてい、人の手で開閉できるものではなかった。だから、頑丈な鎖で端をつなぎ、滑車であげおろしできる装置がある。

 夕刻が訪れると、うす暗がりがそこかしこにあらわれていた。暗雲がたちこめてきているせいで、茜空は望めない。今夜はこのまま、星ひとつ見えないだろう。

 闇夜には、町を荒らしに来る者がある。ごろつきが町へ入ってくるのを恐れたのだろう。ふたりいた門衛の年かさのほうがなれた手つきで、支度をはじめた。まだ暮れきらぬうちに早々と門の脇へかがり火を焚き、防壁の内部へと入りこむ。壁に垂直につけられたはしごをのぼり、門の上部のしかけに手をかけた。


「降ろすぞ!」


 年かさの門衛が下へと叫ぶ。若いほうが「はい!」と叫びかえす。ひとたびしかけが動きだすと、鎖が軋り、が、が、がと轟音をたてて、ぎこちない動きで門扉が降りはじめた。そこへ、走りこんでくる人影がある。なんとも小柄な影だった。下にいた若い門衛が気づくのがあともうすこし遅かったならば、その影の主はあやうく巨大な門に押しつぶされる運命にあっただろう。

 若い門衛は両手を頭のうえで大きく振って、うえに合図した。


「とめてくれぇっ! ひとだ! 子どもだ!」


 叫び声に気づいて、年かさの門衛があわててしかけをとめた。がこり。音がして、門が中空で静止する。といっても、背の低い子どもですら、かがんでもぐりこむほどの高さである。

 あぶないところだった。胸をなでおろした門衛たちのこころのうちを知ってか知らずか、人影はつかれきったように、しばし、その場で足をとめた。

 年かさの門衛が降りてきて、若い門衛のとなりにならぶ。そうしてふたり、いましがた町に入った旅装の人物をみやった。

 よくぞ間にあったものだと、若者は思った。子どもが走るさまを、彼はその目で見た。職務中でなければ、拍手なり口笛なり鳴らしたいほどの健脚だ。

 幼い子どもだと思ったが、近くで見ると小柄な少年にみえた。長髪を丹念に編みあげている。髪は黒檀色だ。アス人らしい真っ白な肌でなければ、有無をいわさず追いだすところだった。あんなに走ったせいか、鬢や襟足の髪はほつれ、頬や首にはりついている。

 うわっぱりに分厚い外套をまとっている。足元は徒歩にむいた靴ではない。上等なあしらいの革靴だった。服も靴もいい仕立てだったが、少年は全身、うっすらとほこりの色をしていた。外套も草と土で汚れている。おまけに、長剣以外の荷がない。

 さては道行きに盗賊にでもあったらしい。年かさの門衛はひとり合点した。どこかの令息然とした風体だが、供人のひとりもない。命からがら、逃げてきたのかもしれない。

 門衛たちは目配せをした。下手に声をかけるのはやめておく。ご令息になれなれしくことばをかけて、何かあってはたまらない。職務に忠実な顔をして、いままでどおり門へとはりつくことにした。

 中心街へと歩きだした令息もとい少女は、くたびれた姿ながらも、最後に残った意地で平静を装っていた。つんとすまして、背筋をのばす。まっすぐむこうをにらんで、尖塔を視界に入れる。あれがこの町でいちばん高い屋根だ。聖堂か、領主の屋敷だろう。

 ノスタの領主に助けを求めるつもりでいた。ことが起きて間もないうちなら、ミカルを助けられるだろうと思ったのだ。

 もとより自分はこのノスタに泊まるはずだった。なんとかなるはずだ。一刻も早く領主に目通り願わなければなるまい。そう、自分をふるいたたせる。

 馬車を見失った少女に残されたのは、ひとふりの長剣と、草に刻まれた轍だけだった。

 ひとりでたどることもできた。だが、無謀極まりないことは少女にもわかる。

 手足の自由を取りもどしてすぐ、這うように数歩進み、転がっていた長剣を拾った。痛むからだを意志の力で動かし、いちばん近くに見えた町へ歩きだした。

 馬車から降ろされた場所は、元進んでいた街道より西へそれていた。それでも、日暮れ前にはこうして、町にたどりつくことができたのである。

 少女は領主の屋敷を目指した。といっても、訪れたことはない。ただ視界に入るもっとも立派な家へと歩いていた。

 外套をとめる金具とたずさえている長剣には、アシェルバーグ家の紋章が刻まれている。持ち物など、盗品だといわれればそれまでである。

 領主一家に顔の知られた父、子爵であったなら、話はだいぶ違ったことだろう。だが、少女はほとんど領地を離れずに育った。当然、彼らとの面識はないし、少女は父と似ていない。子爵がノスタの領主と約束を取りかわしたときの封書が唯一の証たりえたが、あいにく馬車のなかにおいてきてしまった。

 書状もなく、身なりも薄汚れてしまっている。つき人もなければ、馬車もない。そのうえ、黒檀色の髪と瞳のせいで仇敵とされるエレブ人とさえまちがわれる容貌であることを、彼女自身はまだ知らない。

 夕闇が訪れようとしている町は、夜独特の活気を帯びはじめていた。妖しげな雰囲気になじみのない少女は、空気をまるで読めていなかった。

 長剣を左手にさげ、大通りを闊歩する。少女が足を進めるたびに、周囲の者がさざめくようにふりかえり、また、注視する。

 ほこりまみれのみじめなさまを人前にさらすのは心地のいいものではない。少女はかろうじて表情を保つことでみずからの誇りを守ろうとした。だが、前に進むにつれて、妙に居心地が悪くなっていく。まわりの視線は、自分の格好がみすぼらしくなっているゆえではないのか。何かがおかしい。

 続々と集まってくる目のなかに特に強いひとつを感じて、少女はついに立ちどまった。視線の主を探しだそうと、じっと周囲をみまわす。気配はたちまちは絶ち消えた。

 少女はなおも首をめぐらせていたが、ふと、あるひとりのところで目をとめた。

 おかしな動きをしているわけでも、こちらを見ているわけでもなかった。その姿に興味をおぼえたのである。

 長身の青年だ。路地の壁によりかかり、左手に派手な羽根つき帽子をもてあそんでいる。南国の鳥の羽根に見える。染料で染めたかのような鮮やかな色彩のせいで、素人には下品な安物のように思われがちだが、自然の色である。意外に値のはる品だ。外套をまとっていないせいで、腰にさげられた短剣も目についた。

 目を引くのは持ちものばかりではない。青年の髪は腰までの白髪だった。しかも、束ねることなく背に流している。ひとふさが腕にからみつき、肌色の黒さを際立たせている。袖のない上着からでている腕はまんべんなく日に焼けて、深い蜜色をしていた。

 男性が髪をのばすのはめずらしいことではない。問題は、束ねていないことだ。シラでは女性の髪にくちづけることで婚約を取りかわしたこととする。髪はこころのあらわれだ。長髪にまったく手を入れないのは、裸でいることにひとしかった。見ているこちらが恥ずかしいのである。

 どういう職についている者なのだろうか。あのように髪をたらしていては、ろくな職にもつけまい。いわゆる『ならず者』なのか。少女はついじろじろと彼をみやった。

 おきだしてきた興味が失せたのは、その直後のことだった。

 男のむこう側から細い手があらわれ、彼の腰にまわった。しどけない格好をした若い女が、婀娜っぽく笑みながら青年の表情をうかがっていた。会話が交わされる。青年が女の肩に手をやった。

 抱きよせられた女の服装は少女の眉をひそませるのにじゅうぶんなものだった。襟ぐりは大きくひらき、肩や鎖骨だけではなく、ややもすれば胸元まであらわになりそうだ。袖も腕を覆い隠すものではない。白い二の腕は半分もむきだしになっていた。

 ──なんて、はしたない。

 少女は不快感をおぼえ、目を大通りのほうへもどす。しかし、自分が身をおいている道にも同様の服装をした女が大勢いるのが目に入り、少女は慄然とした。いままで、これにまぎれて歩いていたのだ。

 表情を硬くし、立ちさろうと歩きだした肩口を、太い五指がとらえた。

 少女は色を失った面をあげた。真意をたしかめず、手の甲でぱんとその腕をはらう。


「何をする、無礼者!」


 強い嫌悪感に駆られ、過剰に反応してしまった。なかば叫んで、少女は失敗を悟った。

 相手は少女よりふたまわり以上も大柄な男だった。さきほどまで肩をつかんでいたその指で襟首をつかんで、大男は少女を引きずりあげた。


「おい、ぼうず。いまのは何の真似だ」


 男の鳶色の目が、鋭く少女を射た。首が締まりかけて、少女は声もだせずに男のこぶしに手を重ね、引き離そうとした。無様に足をばたつかせそうになるのを、意志の力で必死におさえる。できるだけ冷静を装って、男を見つめかえした。

 赤や黄の派手な色使いの服から突きでた腕は、ただの町人のものとは思えぬほど鍛えあげられていた。ひとめでしっかりとした筋がわかる。顔立ちも町人とは違う。服装こそあまり誉められた趣味ではないが、出自は悪くないことをうかがわせる。

 そろそろ本格的に喉が締まりそうになって、少女は空気を求めて口をあけた。これでは何の真似だときかれたところでこたえられもしない。

 やりとりもままならない状況を打ち破ったのは、さきほど路地にいた青年だった。


「隊長、女に乱暴するのはいただけないな」


 男の腕に手をおいてとめる。『隊長』はそのことばを耳にして、ぎょっとした顔で手を離した。支えを失って地面にくずれそうになった少女の腰を、すんでのところで青年がうけとめる。


「急に離したらあぶないだろう」

「ほんとに女か? 迷子のぼっちゃんかと思ってつかまえたんだが」

「こんなに小作りなご令息がいてたまるか」


 腰にまわった腕が、うつむいた視界に入る。蜜色の肌はきめがととのっていて、すべらかだった。年齢相応のたくましさをそなえてはいるものの、目の前の男ほど骨太な印象はうけない。だが、何か武道をたしなむ者の腕に見えた。

 青年の肌の色がめずらしくて、少女はときと場もわきまえず、自分の手を近づけて比べてしまった。

 少女自身は典型的なアス人の特徴たる雪のような肌をしている。青年の髪の色に似て白い肌は、青年の腕に近づけると、蜜に乳をたらしたかのごとくくっきりと浮かびあがった。


「だいじょうぶか、お嬢さん?」


 下をむいたままであるのを不審がったのだろう。青年が声をかけてくる。声にあわてて、みずからの位置を思いだし、少女は自分を支えてくれている青年を何の気なしにあおいだ。

 そこで、さらに息を呑んでしまった。

 青年の目は紅玉そのものだった。色のうすいアス人でも、このような深い紅色を持つ者は少ないだろう。髪とそろいの白いまつげが目を押し隠さんばかりにのびていて、眉は細くゆるやかな弧を描いている。鼻梁は通り、うすいくちびるは艶やかに笑んでいる。

 神のみ恵みを一身にうけたひとだ。いちばん腕のいい宮廷絵師の描いた大地母神でも、ここまでうつくしくないかもしれない。

 陶然というよりは呆然といった体でとまってしまった少女に苦笑して、青年はそっと腕を離した。華美な意匠の羽根帽子をひょいとかぶって、右肩をあげてみせる。左右非対称なそのしぐささえ、彼には似合う。


「そんなに見てもムダだぜ? 俺、今夜は空いていないんだ。女性からの熱い視線はうれしいんだけれど」


 空いていないとは、どういう意味だろう。今夜、空いていない。今夜──夜。

 そこまでゆっくりと思考をめぐらせて、少女はやっと自分が何をいわれたのか気がついた。反射的に一歩退き、何か言いかえしてやろうと、くちびるをひらく。


「今夜はあたしにしてくれるんでしょっ?」


 一瞬、少女は自分の口からでたことばかと疑った。それほど絶妙の間合いで、路地から非難の声があがった。

 さきほどの女である。青年はそちらに目をむけ、手をあげて謝るようなしぐさをした。女は小走りによってきて、蜜色の腕にすがりつく。品がない。媚びたしぐさや口調、服装、どれをとっても、自分とは違う。

 ──彼女は、まちがえられることなんかない。

 なんだか不快で不愉快で、ふいっと顔をそむける。先を急ぐことにして、詫びも礼も、そこそこにすませた。

 このようなところで遊んでいるひまはないのだ。ミカルを救わねばならない。

 少女は気持ちを切りかえて、元のとおり、町長の屋敷へと足をむけたのである。

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