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この血に響け、祝ぎ歌よ  作者: 零-rei-
青嵐よ、君の傍らへ
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4 - 12

 屋敷が見える位置で足を止めた。歩きとおして、格好の場所を見つけるまでは長かったが、このさきはたやすい。

 あと半刻で日は落ち、あたりは暗くなる。玄関口で揺らめくかがり火によって、石造りの建物はぼんやりと闇にうかびあがっていく。

 アシュドド城砦の立地によく似た場所に、その町はあった。違いといえば、無理やり山の一部を切り崩したわけではなさそうなところだろうか。

 クートから西にそうはなれたところではない。山肌が三方を囲み、南だけに町壁がある。要の部分の狭い扇形に広がった地形に、はめこまれたように町は築かれている。

 町の最北、小高い隅っこに、山を背にした侯爵の屋敷がある。大通りは三本南北に走る。屋敷の前で横一本の道に交わり、その道から、屋敷へのゆるいのぼり坂が斜めに入る。

 昼間にそこまで確認して、近くの店や家の影で時間がすぎるのを待っていた。

 エアリムがふつうに兵をだすのを待てるのなら、こんな危険を冒すことはない。侯爵だけならいいのだ。アダルのことは関係なく、大将の言いぶんに賛同するひとがでておかしくないから怖い。侯爵だけでも兵力を殺いでおかないと、城砦のたぬき王子や臨時演習中のどこかのだれかさんまで危ないことになる。

 あのひとたちが無事なら、きっとはじまりゆく戦乱をなんとかしてくれるはずだから。

 ほんと、おせっかいもはなはだしい。下手を打つと、邪魔をしてしまうかもしれない。でも、あたしはシラ王国を、ナギが帰ってきたうつくしいシラの地ってやつを守りたい。いずれふたたび芽吹くことを知っていても、必要以上にこの大地を踏み荒らさせてなるものかと思ってしまうのだ。

 あたしはもう一度、目だけで北を見やった。

 三階建てで、かなり大きい。ここでなければ、城砦といってもいい見た目だ。一階、二階の屋上は平らだ。あれなら、人が立てる。見張りがいるかも。侯爵の屋敷は華美なものだと決めつけていたから、現実におどろく。

もとは幽閉目的だったのか。

 屋敷の裏から山を越えることは、ほぼ不可能だ。侯爵家の始祖は、この町に封じられたんじゃないかしら。

 そんなことを考えてしまうほど、町に対する領主の屋敷は質素で、堅苦しい外観をしていた。

 弱ったな。ほんとうに、屋敷の塀がない。

 ぎゅっと、冷や汗をかいた手を握りこむ。平原ばかりのシラでは、あたりまえのように町の周囲を高い壁で囲う。外壁は、盗賊や夜盗などへの対策。昔はこうした町それぞれが小国として争いあっていたから、他国の侵攻を一時的に防ぐものでもあったという。

 そして、町のなか、領主屋敷の周囲にも堀をめぐらせたり防壁をつくったりしているところがある。これも、領主にとっての『外敵』対策なのだ。つまり、町民との軋轢の有無がそこに現れる。

 エアリム侯爵の屋敷のまわりには、そんなものいっさい無い。視界をさえぎるものもなく、屋敷の全貌がすっかり見える。

 この町の住民は、侯爵に敵意を持たない。好意や感謝を抱いていたら、彼らは侯爵のみかただ。彼が真実、王家に悪意をもっていたとしても、あたしたちがそれを主張して信じてもらえるだろうか。侵入をくわだてるのはいいが、みつかったときがおそろしい。

 腕にひやりとした手が這う。握ったあたしの手の指を一本一本はがして、ひらを軽く叩く。冷たい指先を手のなかにつかんで、隣をみた。

「クレアがうまくやってくれる」

 心配するなという意味合いのことばに、うなずきはしたものの、初しごとで全幅の信頼をおくのはなかなかに難問だ。でも、できるできないではない。するのだ。

 二手にわかれたのは、ついさっき。クレアはあたしたちから遠い場所で、東から西に町を抜ける予定だ。どのような騒ぎを起こすのかはまったく彼の裁量だから、実際どうなるかはこちらにもわからない。そこは、まぁ、臨機応変にすべきところよ。

 いま、あたしは町の東の路地で、文字通り壁にはりついている。ナギはさきに行ってしまった。あとから追うのは確かだけど、すぐじゃあ、だめ。

 クレアに借りた上着がもぞもぞする。うつむいて、裾をひっぱってみた。このあいだ、中将に着せられたのよりは動きやすいけど、裾長だから、あまり変わらないかも。

 女物の服だ。彼の持ちものだけはあって、形はどうあれ、大きめだったから、身ごろや裾丈をつめてもらい、ふだんの服のうえに着ている。そのせいで、ごわごわするし、腕があがりにくいけれど、それももうすこしの辛抱だ。

 これは、あたしの着るようなものじゃないもの。ずっとなんて、着ていられない。

 屋敷の前庭には、まだ人影がいくつかうろついている。その相好が見えなくなるころあいをみはからって、行動を開始した。

 行き先は屋敷そのものではない。そばにある木立や茂みだ。山とは切り離され、整備された木々は、町や屋敷の飾りだ。別にこの木の葉が料理に使えるのでもなく、食べられる実がなるのでもない。単なる彩り。それでも、ひとによっては、それだけではなく用途がある。

 服の裾に気をつけながら歩くと、かぶりものがずれて、顔に深くかかる。短い髪や左目の傷があらわにならない程度にはねあげて、あたしはゆるい坂にむかった。

 坂の左右は公の機関で埋まっている。屋敷との行き来自体は問題なさそうだが、私兵団の兵舎などもあって、どきどきしてしまう。いまだって、道端にたむろする兵士らしき数人がこちらを見ている。

 なるべく平然と通り抜けようとして、逆にあせったらしい。あたしは服の裾を足に絡ませて、前につんのめった。視線を意識してしまったせいで妙に恥ずかしくて、そそくさといこうとしたところで、声をかけられた。

「お嬢さん、どちらへ」

 明らかにふざけた口調だった。そこにいたひとりらしい。目をあわせる気はないので、うつむいたまま、あたしは彼の足元をみた。

 靴だけはふくらはぎまでの革靴だが、平服だった。武器も身につけてはいない。この町の私兵団は制服がないので、靴や帯びた武器以外に見分けるすべがない。この兵士は非番なのだろう。

 こうしてからかわれるのも、予想の範囲内ではあった。でも、これから口にすることばを思うと、身の置きどころがないような気分になる。あたしは手に持っていた一枚の木の葉をつまんで、兵士に示した。

「楡の、下に」

「本日はすいておりますよ、一組目だから」

 意味が通じたようで、あたしはほっとするとともに、とてつもなく羞恥心をあおられる。

「早く行ってやりな。じらすにも限度があるって。彼氏が来たのは、小半時は前だ」

「……ッ」

 わかりましたとも言えずに、あたしはほとんど素で体を引いた。面相を隠して身をひるがえし、坂をかけあがる。うしろから彼らの笑い声が聞こえて、うまくいったと思う反面、ナギを大いにののしりたくなった。

 楡の葉は、呼びだしの合図だ。この町では、恋人との逢瀬に使う風習がある。楡があるのは領主の屋敷の隣の木立だけだ。葉を手渡せば、そこでおちあおうという意味になるそうだ。

 クレアが戯れに教えてくれたことなのだが、はじめは使う気はなかった。そうも言っていられない状況なので、しかたがない。不審がられずに屋敷へ近づくには、町を利用するしかないんだもの。

 傍目に恋人同士に見えるのかどうかはだいぶ微妙な線でしょうけれど、ナギが自信満々なので、よしとしておく。当のあたしとしては、兄妹とか主従のほうが適切なんじゃないかと思う。

 ああ、でも面立ちも肌色も違うから、兄妹といっても片親だけの血のつながりとか、複雑な設定になるなぁ。やっぱり、主従が最適でしょうよ。そうなると、楡の葉は意味をなさない葉っぱになってしまうけれど。

 坂をのぼりきると、前庭の見張りさんたちがあたしに注意をむけたのがわかる。無視して、というか、無視するしかなくて、あたしは急ぎ足で木立へ歩いていく。幼いころから触れていた慣習ってものはすばらしいもので、それだけの動作で、あたしの背中から彼らの視線がひとつふたつと離れていった。見て見ぬふりをするのがお約束なのだろう。

 逃げるように茂みに飛びこむ。待っていたナギが迎えてくれる。ここでおしまいではない。とりあえず、ふだんとは違う感じで抱きとめられても我慢する。

 腕がやさしい。いつもみたいな、ぎゅーがいいよ、ぎゅうが。ふわふわして、ナギの腕がどこにあるのかわからない。服地も分厚いからなぁ。演技するのはいいんだけど、相手があたしじゃなかったら、ころっとだまされてしまいそうな甘いしぐさだった。

 被りものをどけて、目元にくちびるがふってくる。傷のある左のまぶたにくっついたくちびるに、眉が寄りそうになる。短い髪を隠すように中途でさりげなく支えられた被りものの端が、耳たぶをこする。

「ナギ?」

 小さく呼ぶと、目が合う。ああ、これだけはいつもの視線。

 安心したとたん、体がうしろにかしぐ。重心がとつぜんうごいて、体勢を崩す。

「ひゃあっ」

 色気もへったくれもない悲鳴をあげてしまった。衛士が来てしまうかしら。しまったと、あたしは思ったけど、さして問題ではないらしい。ナギは気にもしなかった。

 弓矢からかばうときのようにふいに押し倒されたのに、覚悟していた痛みがなかったのはうれしい。草の褥は存外にやわらかかった。

 茂みのうらにふたりで倒れこんで、あたしもナギも見張りさんの死角に入っていた。足音はない。

 つめた息を吐いて、さっさと着込んだ服を脱ごうとして、じたばたする。何、このしちめんどくさい結び目。ナギのからだもじゃまだ。片膝が足のあいだの布地を地面に縫いつけてしまっている。

 目で非難すると、上にのしかかったまま、ナギはすっと指をたてた。待て、とのしぐさ。

 予定外の何かが?

 了解とうなずいて、次の指示を待つ間もなかった。耳をすませ、屋敷をうかがったあたしのそばで、ナギが上体を起こす。それでは見えてしまうんじゃないかと、思ったとたん、腕を交差させて、上着を脱ぐ。半裸になって、上着は地面に放る。

 そうして、戻ってきた。

「そこまでしなくても」

 あきれたあたしを手伝って、重ね着した服を脱がせ、今度は茂みのうえにかけるように放る。それから、体勢を低くして、彼は上着を着なおした。

「聞こえなかったか? クレアが動いた」

 ささやいて、ナギは低い体勢のまま、北へ移動をはじめた。あたしはわざと茂みを蹴って、音を立ててから、体を動かした。

 ナギのあとを追い、屋敷に注意をむける。騒ぐ声。応じて、走る音。土や小石が蹴られて飛ぶ。ありがと、クレア。捕まらないで。

 庭にいる見張りのひとりが中に入ったのを見計らって、あたしたちは東側の外壁へとりついた。ここだけ、あの木立に接しているせいか、見張りがない。前庭のひとりがいなくなれば、ちょうど死角になる。

 なんて無用心。好都合だけど。

 横に歩きながら、屋敷の裏手にあたる二階の屋根を見る。すぐそこにも裏口はあるが、ここから侵入するのは得策ではない。入るなら、もっと上階の部屋からだ。

 壁を触る。切りだした石そのままらしく、でこぼこしている。だが、手でつかめるほどではない。足をかけることならできそうだ。

 鉤つき縄をだしたら、ナギにとめられた。と、こばむ間もなく肩ぐるまをされる。だが、その状態から手をのばしても、いま一歩届かない。しかたないので、遠慮なく土足で彼の肩を踏んで立つ。届いた。

 懸垂して、上をうかがい、人がいないのを確かめてから、よっとよじのぼる。今度は縄をおろすしかない。まわりには柱もないので、鉤先に気をつけて一方を自分の腰に巻きつけ、もう一方をおろす。屋上のへりに足を引っかけて踏ん張る。ほとんど腰をおろして、ひきあげる。ナギはやせてはいるが、それなりに重かった。手がひりひりする。

 ネコのように軽やかに屋根のうえにのぼってきて、ナギはちょっとびっくりしたようだった。まさか縄のむこうがあたしだとは思わなかったのだろう。吹きだすのをこらえるようなしぐさで、くるくる縄を巻きとった。

 蜜色がひらりと振られる。窓によるようにしじされ、あたしは窓の桟の下にはりついた。すぐそこの廊下を、ひとが走っている。あぶないあぶない。

 叫んで、誰かに報告しているみたいだ。残念ながら、何を言っているかまでは聞きとれない。あたしは耳をすませるのあきらめ、彼が行き過ぎるのを待った。じゅうぶんに注意を払ってから、窓枠に触れる。押しあげる型ではなく、引き戸だ。

 音を潜めながら、力を込める。鍵は、かかっていない。そもそも、ついていないみたい。外側に開かれたよろい戸には簡易なものがついているが、これにはない。ほんとうに、町のひとたちとの関係が良好なのだろう。盗人対策をする必要もないと。

 まずはあたし。それから、ナギ。ここからは手分けをする。あたしはこの階で、ナギは最上階だ。

「だれ、」

 少年の声だった。従者だと思う。すぐそこ、ほんのちょっと先の部屋から出てきた子だ。大声をあげるまえに、ナギが動いていた。彼は驚いた顔のまま、身をうしろに傾がせる。当て身を食らって、すでに昏倒していた。

 ナギは彼を担いで部屋のなかに座らせる。なかに誰もいないのを知っているかのような堂々としたそぶりだったが、見ているあたしのほうが冷や冷やした。

 ふりかえった目と、視線を交わす。

「シトル酒が呑みたい」

「そうねぇ。これが終わったら、本場アダルにでも呑みに行きましょうか」

 ここにはありもしない柑橘系の果実酒の芳香が、鼻をくすぐる。水のように透きとおっていて甘苦いあの酒は、あたしも好きだ。

 ナギにはやっぱり、緊張感が足りない。

 じゃあね、と背中を見送ったものの、あたしなんか必要ないかもしれないなと、そんな思いにかられる。侯爵の行動を制止するのが目標よ、誰が中心になってこなしたっていいじゃないと、あたしは半ばヤケになって窓から遠ざかった。

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