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あたしが二階の床に座る場所を確保すると、ガウェインは説明を求めるようにナギをみた。ナギはあたしの隣に腰をおろして、あぐらをかく。このひとはこたえる気がないなと思ったから、何もいわないでおく。
もっと人数がいるのかと思っていたけれど、この四人きりだった。
クレアの好みなのだろう。部屋はうすぐらく、妖艶にまとめられていた。一階もせまかったけど、二階も箪笥や棚などの家具だけで埋められていた。寝台がどーんとあって、その上にクレア、寝台を背もたれにしてガウェイン、あたしとナギは彼らにむかって座る。それでもう、めいっぱい。
部屋が妖艶っていうと変な物言いだけれども、それがいちばん適切だと思う。異国情緒ではなく、女性趣味全開。むこうが透けた寝台の敷布にあきれて指をのばすと、ぺちんと手をはたきおとされる。
クレアって、ほんとに女が嫌いなのかしら。
疑いをもって居直ると、ナギがびんっと後ろ髪をひっぱった。襟足が痛い。
「やめてってば。気になるなら切るから!」
「好きにすればいい。あとで削ぐなら、俺がやる。おまえは不器用だから。クレアぐらいのびたら、編みあげてやるよ」
腰までのばすってこと? それはまた、女おんなした髪型だ。
難色をしめしたら、ナギはてのひらであたしの頭をぽんぽん叩いて、しごとの顔になった。でも、やっぱり彼は何も決めない。あたしのことはあたしの好きにさせるのだ。
説明もなしってことは、こちらから聞けって意味かしらね。
「このひとたちは?」
「よろず屋のクレアと、武器屋のガーウィ。クートの情報を集めるのは、俺ひとりじゃ時間がかかるから、手伝ってもらった」
「よろず屋。……もしかして、クレアノス? はやての? うわー、こんなひとだったんだ」
「クレアよッ。んもう、なんなの、この小娘! アタシをその名で呼ぶんじゃないわよ!」
傷口をえぐった挙句、塩を塗りこんでしまったようで、クレアは怒りながらも身悶えして嫌がっている。おもしろいひとだなぁと、失礼にも笑いそうになっているあたしをたしなめて、ナギがとりなしてくれた。
クレアは膝の上でこぶしをふるふるさせながら、とりあえず黙る。あたしを見る目は、とても険しい。
彼の心理、わかる。もう、自分の名じゃないのよね。捨てた名だから呼ばれたくない。彼は女になりたいのではない。きっと、積極的に自分が男だと思えないだけなのだ。
あたしだって、男とまちがわれるのは嬉しくない。よろず屋でいるかぎり、そうそう女あつかいはうけない。それがありがたいと思うときもあるけど、たまに女としてあつかわれると、ちょっと感動してしまう。
なんていうか、なりそこねたのよ、あたしは。女に。
彼もたぶん、恋とかそういう意味ではないところで、ナギを好きになる。ナギはあたしに、ルカでいてもいいという。口でいうわけじゃないわよ、わかるの。クレアのことも、ナギなら楽々うけとめるって。
──父が、ほんとうはあたしをわかってくれていたように。
「名を、アシュドドに置いてきたわ。大将は『あたし』やウルや陛下が討たなきゃいけないの。だから、エアリムをおさえにいこう」
「そのつもりだよ、ルゥ嬢ちゃん」
ガウェインが距離をとるような口調でことばを挟む。ナギはあぐらをかいたかかとを両手でおさえるようにして前のめりになり、こちらをのぞきこんだ。吸いつけられるように、あたしも顔をむける。紅が視線の先にぴたりと位置する。
「王都に帰ったら、ぜんぶ教えてほしい」
いじけたような口調になってしまって、かっこわるいなぁと、自分でも思う。ナギは気にしない。いつかとおなじようにあたしの額にくちびるをよせる。
まるで祝福をするようなしぐさだった。
「悪い。ルカは何をしても許してくれるから、甘えていた。かならず話す。母に誓う」
「ぜったいよ?」
前を見たら、ガウェインと視線が一瞬、交錯する。彼は目が合ってから、くるくるてのひらを宙に舞わせた。しばらくして考えをまとめたようで、かちりと音がしそうなしぐさで動きをとめ、言った。
「それ、やっぱ、親子や兄弟の会話じゃねぇよ。浮気した男と弱気な彼女みたい」
「じゃあ、ガウェインはお年頃の女の子みたい。なんでもかんでも恋と結びつけて。それ以外の感情のほうが世の中には多いのに」
「そりゃ、あんたらがおトシゴロだからだ。ルゥの年で男の首っ玉に抱きつくのはどうかと思うぜ? まー、そのずん胴に欲情しろってのは俺としちゃ無理だけど」
「だよなぁ。ちゃんと食わせてやったのに、あんまり俺ごのみにはなら、……ってぇ」
ごくごく軽くひったたく。ナギはよけもせずに頬でうけて、わざと大げさに痛がってみせた。ほっぺたをさすってから、その手でぐいっと、あたしの顎をつかみよせる。
「何するの」
「おまえはどうしてほしいんだ」
鼻先が触れあう距離で、にやっと笑ってナギは問う。クレアが襲いかかってきそうなけはいを脇に感じながらも、あたしは不敵に笑みかえした。
「そうね。正攻法でかかってほしいわ」
「恋文でもしたためて口説こうか」
「古典的に夜這いをしかけてもいいわね」
クレアが寝台をたった音がする。ガウェインは興味深そうにまだ静観しているんだろう。みえないけど。
ナギが顎先から手を離して、ふたりをみる。あたしもいっしょにそちらをふりかえった。とんでもないことをクレアが口走る前に、こちらから宣言する。
「夜討ちだ。邸宅に侵入する」
「殺してはだめ。あとで捕まえられるだけの確証も得たいわ。このあいだの書状だけでは、王家につらなる家を裁くには不十分だから」
ぎしっと、寝台がきしむ。クレアは脱力したように腰をあずけたのち、臥台にするように横たわった。その膝頭を手で叩いてからかって、ガウェインは口を開く。
「うちを通さずに大量の武器をうごかす命知らずはクートにはいない。戦争準備の武器はやっといま買いあつめられてるようだ。今度の内乱はデカいぜ。うごいてる額がハンパじゃねぇ」
「おまえらにとっちゃ、稼ぎどきだな」
「ああ。うちに気兼ねせず、じゃんじゃん売りつけるように町じゅうに伝えてある」
はじまってしまうのだ。
いたたまれなくなって、たちあがる。寝台の共布で縫われた窓掛けを巻きあげてとめ、格子窓をあけはなつ。
左からの風が頬を洗って部屋に滑りこみ、階下へ駆けおりていく。あたしは目を伏せて、からだのなかの気をいれかえた。
海からの風だ。塩気でべたついて、どこか生臭い。もうすこししたら一度やんで、やがて、海へ吹きもどすだろう。内地生まれのせいか、この風にさわやかさを覚えることはない。町に来てから、ずっとそうだ。
ここはあたしの縄張りではない。いいえ、そんなもの、王都にだって存在しないわよ。だけれども、自分がクートに根をおろすことがあるとは、とうてい思えなかった。
目を開ける。窓の外には右手からの橙をうけて、墨色の屋根が並んでいる。影で黒いばかりではない。潮風や湿気で腐らないように、嵐で屋根が飛ばないように、黒くて重い石を切りだしてつかってあるそうだ。クートの家々の土台が王都や他の町より高いのも、嵐や津波への対策だ。ひどいときには、あれでも浸水するのだろう。
見下ろした路地は暗く、遠かった。晩秋に暮れなずむ港町は、屋根から地面から闇にのまれていく。
王子、なんとかしてくれるかなぁ。陛下でも中将でもいい。サマリアやマシューの小勢にどうにかできるとは思えないけど、王子がうまくやれば、おたがい消耗戦なんて展開はさけられるんじゃないかしら。
現実問題、内乱のために国が傭兵をつかうことはない。前例がない。約三万の近衛軍を総動員することは不可能。最大で半数だとして一万にかける。それだって、個としてはシラでもっとも大きな軍勢であることにかわりない。
兵数よりも統率力が重要だ。離反したとはいえ、もと近衛大将が相手では、手が鈍る兵士もあるかも。
すっかり呼気をだしおえたら、潮風にむせた。けほけほ咳をしつつ、窓枠に片肘をかける。室内にむきなおり、寝台のほうをみる。
ナギとクレアのぼそぼそした会話が続けられていた。ガウェインは聞いているだけだ。きれぎれに聞こえてくる声を拾って、頭のなかで、はなしを繋げる。そうしながら、ほぼ初対面のふたりの動作を日ごろのならいで観察していた。
『はやてのクレアノス』は暗殺を請け負うと聞いている。クートにも拠点があるとはしらなかった。三年前の依頼のときに何度も名を聞いた。あれは、西のはずれの町だった。クートはシラ王国の東の沿岸だ。正反対に位置する。
かくいうあたしたちだって、国境を越えた依頼をうける。国じゅうをめぐったところで、別段おかしくもない。ただ、暗殺をなりわいとするよろず屋が、通り名とはいえ、名を明かすことはあまりないと思う。そうとう、腕におぼえがあるのだ。
あくまで主とするだけで、他のしごともする。だからこそ『よろず屋』の看板をあげているのだ。暗殺だけなら、それはよろず屋ではない。殺し屋とよろず屋は別物だ。
すくなくとも、下で言っていたように男の子がらみだと思ったから協力したんだとは考えにくい。
あの口調からして、ここはクレアの中心拠点ではない。隠れ家に近い場所だ。以前からナギと知りあいだから信用したのだろう。
みたところ、ガウェインが異質だ。彼だけ、ナギとはほとんど面識がないらしい。あたしに対する距離感で、直感的に思う。ほんとうのところは判断できないけれども、この三人は、クレアがあいだに立つことで、かろうじてなりたっている関係なのだろう。
結論として、ナギとクレアはおそらく昔なじみ。クレアとガウェインも長いだろうが、しごとがらなのか、よろず屋二名は武器屋を信じきってはいない。
あたしも、ガウェインに信頼はおいても、背中をあずけたくはない。彼も、自分がそうやってあつかわれると承知しているだろう。武器屋なんて、そんなものだ。どちらのみかたでもなく、敵でもない。
あたしはナギとクレアはうっちゃって、ガウェインのそばに腰をおろした。声を低くひそめる。
「信義にもとるおこないは、お得意かしら?」
彼は瞳の剣呑な光を隠そうともせずにあたしをみる。全体に笑んではいるけれど、怖い。見慣れた表情だった。花柳の男どもや、他のよろず屋と同種の顔だ。
隠すつもりがないのだ。この目の色に感づきもしない愚鈍な者など、何人、火に飛びこんで自滅したところで気にかけることではない。そんな感じ。
「得意じゃないが、時には必要、ってね」
「最近、売れた武器の数は?」
ガウェインは言いよどまなかった。
「槍が飛ぶように売れた。騎兵用の長いやつが五百近い。替えを一本持たすとしたって、槍騎兵が二百五十だ。槍だけで三千の注文をうけた」
武器、特に刃物は長くはもたない。特に槍の柄は木製だ。金属で作っては、ふりまわすどころか持ちあげるのさえ、ひと苦労な重さになってしまう。しかし、木製だと、負荷のかけかたによってはすぐ折れる。長剣もそうだ。嫌なはなしだけど、腕がどれほどよかろうと、人をたたっ斬れば、刃こぼれは防ぎようがない。刺突用の鋭いのだって、ぽきりといくし。人間は案外、固いものだ。
あたしの短剣だって、ナギからもらってそのままではない。この子はもう三代目になる。買い換えたわけじゃないけど。
「ルゥお嬢ちゃんは怒るかもしれないが、うちも領主さまと商談をまとめたばかりだ。目算だが、一回ぶんにあれだけの数をそろえるとなると、南北戦乱の次には長びくな」
「南北戦乱は一年まるまるかかったわよね。つまり、半年以上ってこと?」
あたしがいうと、ガウェインは目で答える。半年はかかると睨んでいるのだ。もう外国へ武器に用いる金属を発注したと、彼は続けた。
半年もかかったら、年が明けて、春も過ぎてしまう。そのころには初夏が訪れている。
とんでもない。対東アダル戦ですら、半年かからず終結してしまうことが多いのに。
もとより、あたしは武器商の流通経路にも、一度の戦争にどれほどの武器が必要なのかということにも、あかるくない。あたしより、ガウェインの予想が正しい。下手をうてば、内乱は薫風の吹くころまで続く。
「こちらの情報は、あちらに筒抜け?」
「さぁな。欲しいっていわれたら、渡すが。俺はあんたたちに武器や身を売ったわけでもない。単に裏のつながりがあるだけだ」
「じゃ、武器が入用になったら、店に行くわ」
ははっと、ガウェインはわざとらしい声を立てた。
「帰れってことかよ。ルゥお嬢ちゃんはひどいねぇ」
「客でもないあたしたちに協力するんだから、戦はとめたいんでしょ? ここにいると、あなたの信用と身の安全に関わる。必要なときには連絡するから」
「──わかった」
沈黙の後にたちあがって、ガウェインは去っていく。聞こえていたのか、いなかったのか。ナギとクレアはおしゃべりをやめて、あたしをみつめた。
責める風ではない。何もいわなくても納得していそうだった。
「ルカ。あんた、口もつかえるんじゃないの」
クレアがあたしをそう呼んでも、別にびっくりしない。世のなか、そんなものだとわりきれてきた。
ナギの認めた仲間なら、あたしの仲間だ。
「で、ほんとに夜討ちするの?」
訊くと、ナギはうなずいた。
「時間があれば、中から手引きしてもらえると嬉しいんだが、あまり余裕もない」
「『武器』をつかえばー?」
「奥向きの侍女ならまだしも、屋敷を出入りするのは洗濯女や掃除夫なのよッ? さわらせるモンですか!」
冗談にむきになって返される。クレアったら、そんなにしても望み薄なのに。何せ、ナギは骨の髄から女好きなのだ。いっかな手をだされてない自分が悲しくなるくらい。いえ、全然まったく、だしてほしくはないけれど。
「クレア、暗殺が得手なら、侵入も楽々でしょ? あたしが陽動するから、」
「ダメよ。あんたが行きなさい」
適材適所と、あたしが危ない役を引き受けようとしたのに、クレアは頑として首を縦にはふってくれなかった。理由を訊いても、教えてもくれない。
不機嫌になって、階下に降りていってしまう。首を傾げたら、ナギに耳うたれた。
「文字が読めないから、書類が捜せない」
あたしもナギも読み書きができるから忘れがちだけど、私学校に通っていないひとも、まだシラにはいる。すっかり失念していた。そりゃ、あたしたちも学校には行っていないけど、ナギはおさないころ教会にいたそうだし、あたしは家で学んだ。教会の司祭さんや寺院の僧侶ってのは、結局は学問しているひとだから、文字は当然のように読める。
ナギをみる。白い髪が一筋ひらりと揺れる。ふたりっきりになって、やっと落ち着く。
「ナギ。あたしの本名、知っていた?」
「アシェルバーグ家のルキウスだろう?」
「いつから」
詰問ではなく、淡々とたずねると、ナギは前に垂れた髪をかきあげて、思いだすようなしぐさをする。
「八年前の戦争のすぐあと、王都で。長剣とおなじ紋章を掲げる屋敷を、上の街でさがした。花柳に住む前に一度、でかけたときに」
「そんな初めからかぁ」
簡単にばれてしまうことなのに、わかっていないと思っていた自分が、世間知らず過ぎて、かわいいくらい。
「どうして、帰れっていわなかったの」
「俺に似ていたから」
短く、ナギはこたえた。くずれた髪をほどき、紐を口にくわえる。手際よくまとめて、とめなおしながら、彼はつづける。
「ほんとうは、俺の親も生きている。会ったこともない生みの親だ。居場所はしっている」
「これからも会わないの?」
口元だけで彼は笑う。
「遺産くれって? それぐらいなら言いにいくかもしれない。悠悠自適に暮らせるな」
アダルでも大きな家なんだろう。ことばで言うほど、遺産に執着してはいないようで、最後のひとことなど、莫迦にしたような響きがあった。
「ルカは、お嬢さんお嬢さんしていただろう。ほうっておいたら、俺より甲斐性のある男に食いものにされて、店に出てきそうだった」
「……それが本音?」
肩をすくめて、ナギは目を伏せた。肯定も否定もしない。ふくんだ笑みに、あたしはちょっとだけ、がっかりしていた。
「あたしは──私は、妹や娘として守ってもらいたくて傍にいるのではない。ナギがいないと、なんとなく落ち着かないだけだ」
ぽろっと、本音を明かしたら、ナギは憑きものがおちたようにすっからかんな顔をした。
「おまえ、まだ、その話しかたできるんだ」
「そういうはなしじゃないでしょー? 知ってて黙ってたなんて! 八年もっ、……八年間も、だまされてた気分。どーせ、あたしが自分の家のはなししなかったから、禁句だなとか勝手に思ってたんでしょう」
笑って、ほんとに、うれしそうに笑って。ナギはわしゃわしゃとあたしの頭をなぜる。
なんでよ。だまされていたみたいだなんて言われたら、不愉快で当然でしょう。どうして笑えるの。だましていたのは、あたしのほうなのに。
こぶしをにぎって、えいえいっと、広い胸をたたく。力が入らなくて、軽い音がする。くやしくて涙目になったのを悟らせたくなくて、あたしはうつむいて、こぶしにばっかり力をこめた。