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この血に響け、祝ぎ歌よ  作者: 零-rei-
青嵐よ、君の傍らへ
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4 - 09

 彼が慎重にことばを選んでいることは歴然としていた。嘘はついていないだろう。でも、口にできないことはあたしの思っていたよりも多いようだった。

 わかったのは、大方の予想どおりナギが火つけ役であることと、そう遠くない日に大将方がたちあがるだろうことだけだ。

「エアリム侯はもと王家の筋ですから、所領が東にあります。クートに程近いため、もしも共に出陣となれば、アシュドドだけでは手に余るでしょう」

 そのための演習、というわけだ。

 道をふさぐ意味もあるんだと思う。演習目的とはいえ、軍隊がうろうろしているところを連絡のために早馬や騎鳥なんてかっ飛ばしてごらんなさい。何事かと呼びとめられても当然じゃないの。

 ことばが途切れる。やっぱり、情報公開はこれでおしまいらしい。

「ありがと。無理に話させて、ごめんなさい」

 自分でもびっくりするほど穏やかな声で、彼だってきっと驚いたろうけど、部屋のなかは静かだった。

 なんだか遠慮でもしてるみたいで、マシューもサマリアも全然口を開こうとしない。

「もう、ここに来て、何日になるのかもわからないの。あたしの知らない間にすべて終わってしまいそうで、過敏になっていたみたい」

 怖かったのだ。だから、何かって言うとマシューに絡んで、サマリアを怒らせていた。

 気にするなというように彼は下を向いたまま、頭を小さく振った。寛容にほほえんでくれる。ほほえんで、顔をあげる。

「そういえば、髪が伸びましたね」

「そう?」

 あたし、手ぐしで毛先を梳いてみた。確かに肩を越している。いっつもナギに削いでもらってたから。

 しばし見下ろして、うしろへはらう。

「そろそろ結わなきゃいけない長さかもね」

 なんとなく言って、そのとおりだと思った。

 髪を流してるのは、はしたないと言われる。なんていうか、ほら、婚約のときなんか、女の髪に男が接吻するわけなんだけど、それって割とヒワイな図なの、シラの文化的には。

 髪の毛をだらだら背中にたらした姿ってのは、人に見せるべきものじゃない。裸とおんなじくらいに。ひとによっては頭をさわられるのも嫌がるわ。

 他国には、そんな文化なんてない。髪がどうだろうがいいのね。女が短く刈りあげた髪型をしていても構わないっていうのには、さすがに耳を疑ったけれども。

「そのまま、伸ばすのですか?」

「うーん、どうかしら」

 はぐらかして、答えは保留にする。

 伸ばすと伸ばすで、めんどうだろう。手入れじゃなくって、まわりの反応が。ステラあたりがよろこんじゃうわよ、あたしが色気づいたって。

 ふとマシューがふしぎなしぐさをしているのに気がついて、あたしは目で問うた。

 壁際に立ってこちらをむきながら、マシューはこぶしをにぎっていた。馬比べとか手合わせとかの観戦に熱中したときのように、腰のあたりでときどき控えめに振っている。

 あれよ、手に汗握る、みたいなしぐさ。

 目では答えがないので、口にだしてみる。

「マシュー、その手はなぁに?」

 あたしのことばで、マシューははじめてそれに気づいたらしい。はっとしたようにこぶしを背にかくし、なんでもないと言う。

「親しいんですね」

 名を呼んだからだと思う。そう言われて、あたしは声を立てた。

「もう、八年目だもの。傭兵仲間だったの」

「たしか、先日も」

 先を受けて返す。

「ああ、『莫迦マシュー』?」

「ルカっ!」

 莫迦ということばに反応してしまったのだろう。なじるように叫んで、マシューはなんだかとてつもない失態でも犯したかのように口元を押さえた。

「中将閣下、お時間は」

 助け舟なんだかお役目熱心なんだか、ともかくサマリアがひとこと言ってくれたおかげで、マシューはなんとか立ち直ったようだ。

 上司の前で大声を出すのって、そんなに失策なのかしら。軍隊って、よくわからない。

 彼は応えてうなずき、たちあがった。

 そして、思いだしたように胸のかくしから一本、長めの皮紐をとりだした。まるめて、ひとまとめにする。いかにも実用品というおもむきのそれを、彼は気軽にさしだしてよこした。

 両手でうけとって首をかしげたら、ちょっと笑われる。

「髪を結んだほうが動きやすいでしょう」

「あ、ああ、そっか。ありがとう」

 まだひとつにしか束ねられないけど、せっかくだから、その場で髪をくくろうとする。櫛も無いし、できばえはよくないはずだが、彼は満足げだ。

 だが、思ったとおり、できに満足したわけではなかったらしい。

 両手が伸びてくる。腕はあたしの頭の横をとおりすぎ、後方へむかう。紐が解かれたのがわかる。指が、髪をととのえている。

 かなり、変なここちだった。

 これって、女友達どうしでも、なかなかお目にかかれない光景じゃないかしら?

 まるで首に首輪つけられている犬猫とご主人みたいな図だった。いやいやではないけど、喉を鳴らしたりしっぽふったりするわけではなく。

 うん、自分でも言い得て妙な気がする。

 腕がからだの近くにまわされていて、下手に身体を接するよりも緊張する。あたしは結びなおされるのを待ってしまった。いえ、なんだか、拒んじゃいけない雰囲気がありまして。

 もしかして逃げていい? 逃げていいの?

 上目遣いにそうっと確認すると、彼はわりとやわらかな表情をしていた。事務所のときとは違う。単に親切で結んでくれてるのか。

「うしろ、むいたほうがいい?」

「もうすこしですから、このままで」

 くるくるっと紐が巻かれてく。ちょっと頭の皮がひきつる。やや懐かしい感覚。

 彼は沈黙をはらうようにささやく。

「バラの香水は、もうつけないんですか?」

 あたし、そんなのつけたことないよ、中将。ステラがつけてたのを勘違いしてるんだわ。

 甘くていい香りだけど、女らしすぎて、あんまり好きじゃないんだもの。

 ──甘くて。

『甘い、匂いがしますね』

 あ。

「ねぇ、ウル。この際だから言っておくわ。ルキアなんて女、どこにもいないのよ。いたのはルキウスだけ。ルキアなんて名、親だって、そう何度も口にしなかった」

 指が止まった。結び終えたのかと思ったら、そうでもなかったらしく、身じろぎしたあたしにあわてて、最後まできゅっと締める。

 腕が離れる。このひとは、すごく、きれいなひとだと思う。あんまりきらきらしいものだから、むけられた視線にたじろいでしまう。

「それでも、ルキアと呼んではいけませんか?」

「だめ。自分じゃないみたいだし、やだ」

「慣れれば、気にならなくなりますよ」

 慣れるほど呼ぶ気か。

 じゃあ、あたしだって『マリア』って呼んでやる! と返しそうになって、直前でぎょっとしてやめた。

 無理。あたしのほうが口にできない。

 と、凛とした声がすっぱり会話をさえぎってくれた。サマリアである。

 単調な口吻で、さっきとまったくおんなじことを告げたサマリアは、柄にもなくぐったりとしていた。



 総勢百二十余人の兵の配置を換え、外にむかう隊を組織しなおす。サマリアの差配に迷いはない。

 あたしはそれを見守って、窓辺によった。 夜がすとんと、山に落ちてくる。

 どうやら、役目はおわりらしい。

 サマリアはもちろんひとりで大丈夫だし、マシューもいる。船頭多くして、よ。百人ぽっちに三人も要らない。

 垂れた皮紐の先を指でさわる。顔をあげる。

「すこし、でてくるわ」

「ご自由に」

 そっぽむいたままいわれる。なんだか悔しい。椅子に座った背に、あたしはうしろからぎゅっと抱きついた。

「な、何の真似ですかっ!」

「今度、事務所に遊びに来て」

「……早くいっていらっしゃい」

「うん、そうする」

 うなずいて、あたしはサマリアの部屋をあとにした。

 堂々と広場にでる。夜勤の見張り兵たちは散歩だと思ったらしい。笑顔で敬礼してくれる。あたしもふざけて敬礼を返すと、一瞬、彼らはわっと笑う。

「ごくろうさま! がんばって」

「ルカどのも!」

 声をひそめて激励されて、虚をつかれた。反射的に灯のついた部屋の窓をみあげる。そこには、誰もいないけれど。

 あたしは感謝をつぶやき、広場を走りぬける。城門を抜け、夜間にも関わらず降ろされたままの跳ね橋から街道にでる。

 深々と、そびえたつアシュドド城砦へ一礼する。

 城砦から楽々逃げおおせて、ふたたび駆けだそうとしたあたしの襟首に、手がかかる。

 ふりかえると、そこには、王子。

「ちょっ、なんでっ」

 まだ帰ってきてもないはずじゃ。そう言いたかったあたしの先読みをして、王子はいった。

「先日、ひそかに戻った。ウルがたいそうな出迎えをよこしてくれてな。お前の相棒はあのように密入国ばかりするのか?」

 彼は喉で笑うのに。あたしは声もでない。

 ナギ! あなた、いったい何役こなしたわけーっ!

「名を、しばらく借りる。せいぜい『隻眼のルカ』の名を高めてやろう」

 王子はでてきたばかりのあたしのかわりにアシュドドへむかっていく。

「お、」

「行け。おまえが人目については、すべて台無しだ」

 呼びかけることも許されずに、あたしは取り残される。釈然としないながら、もっともな話なので、木陰を伝って隠れる。

 むこうでは、王子とそのお取り巻きがアシュドドに飲まれ、城砦が金音を立てながら橋をあげ、閉鎖される。

 あたし、大笑いしそうになった。

 また、だまされたのか。なんて人たちだろう。あたしがどんな悲壮な思いをしたのかも知らないで。

 でも、憤りはない。あんまりきれいにだまされてしまったものだから、逆にすかっとしていた。

 あたしは、王子が座る椅子を何十日もかけて、せっせとつくっていたのだ。そのあいだに落ちこんだりナギを心配したり、あまつさえ泣いたりして。

 マシューの予想も、てんで外れていたのだ。誰もあたし本人なんかに期待なんぞしていなかった。要るのは、祭り上げられた通り名だけとは、ほんと、お笑い種だわ。

 ひとしきり、笑い声を堪えてから、あたしは口も頬も笑顔のまま、アシュドド城砦をにらみつける。せいいっぱいの、不敵な表情。

 いいわ、庶民は庶民らしく上のみなみなさまの思惑に流されてやろうじゃないの。あたしだって、だてに八年もよろず屋やってないわっ!

 あたしは王都のほうへ街道をくだる。はじめは歩いて、だんだんはや歩き、そして、走りだす。

 足元をすくわれそうなほど強い山風が、うしろから吹きおりてくる。あたしの背中を押し、追い越し、先導する。

 あたしは風とともに一路、ゲバル山脈を駆け降りていった。

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