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そのとき、何が起きていたのかをあたしは実のところ、まるで読み違っていた。気がついたのはずぅっとあと。事態がひと段落して、中将とお茶を飲んでいたときだったっけ。
あたしはやっぱりナギが言うようにお子さまで、うわっつらだけを読んでわかった気になっていたんだ。
自分のしたことが正しかったかどうかなんて、いまのあたしにはわからない。でも、それでいいと思えるようになった。
ふりかえらないなんて、もう言わない。ふりかえって、後悔して、ときには泣いて、最終的に前をみることができればいいんだわ。
良かったかどうかを決めるのは、何もあたしじゃなくていい。後々の世の誰かに莫迦だなって笑われたって、あたしはいま生きてるんだもの。
起こったことは起こったこと。この手でおかしたことは、何ひとつ変えられない。
ひとつだけ、断言できる。彼とあたしは、基本的にすごく似ていたって。
最後まで会うことはできなかったけれど、手段が違っただけで、彼も多くの人を守りたかったのだ。
血の気が失せた。
あたしは耳をてのひらで覆って、踵を返した。マシューは大股で追ってきて、手首をひっつかむ。骨をへし折られてしまいそうな力に耐えかねて、片手を耳元から離す。
抵抗したら、もう片方も押さえられてしまった。あたしは無防備な耳をどうにかしたくて、悪あがきと知りつつ顔をそむけ、目をつぶった。
「ルカ。聴くんだ」
「いや、やだ、離して。離せっ」
「ルカ!」
力尽くであたしを壁に押さえつけて、息がかかるような距離で、マシューは残酷に繰りかえす。
「クートにて、細作が捕らえられたそうだ」
耳を塞いでいたところで、そのくちびるの動きからは逃れようがなかっただろう。あたしはただただ身じろぎをする。マシューは表情も声も平静のままで、さらに続けた。
「報せがここに届いた理由はわかるか」
「お願い。もう、やめて」
マシューは眉ひとつ動かさない。首を横に振る。振って、否定する。
「軍部の者か、陛下の放たれた者かは書かれていない。生死も不明。……この文面では、単独行動でなかったらしいとしかわからん」
「陛下よ。絶対、わざとだっ!」
事実を認めてしまって、ぐっと奥歯をかみしめる。マシューはようやくあたしの両手を解放した。
そうして、あたしを問いつめる。
「君はおかしいとは思わないのか? 彼はアダル派の手紙をどこで手に入れた。陛下はどうして、君を捕らえてまで彼を使おうとなさる」
言われても、なんにも返せやしない。だって、あたしは何も知らない。聴きたくなかったし、ナギが言わないことは知らなくていいことだった。これまで、そうして来たんだもの。
あたしが答えないのを、理解していないのだと思ったらしい。マシューはもうひとこと、だめ押しをかけた。
「ナギは何者だ。知っているのか?」
「……らないわ。アダルの教会で歌をうたっていた孤児が傭兵になったってことくらいよ、知っているのは! だから、何」
マシューはあたしの答えに、埒があかないとばかりのしぐさをした。椅子に腰をおろして、こちらを見あげる。
「彼は金には釣られない。それならば、最初に陛下の依頼を受けざるをえなくなったのはなぜだ」
「なぜって、それは……」
それは?
あたし、疑問に口ごもる。矛盾、している。あたしのせいで危険なことには手を出せなかったはずなのに、裏では隠れて陛下の依頼を受けていて。それって、実は何よりも危ない。
弱みを握られていたのではないかって、そう言いたいんだ、マシューは。
暗殺だのなんだのって、確かに罪にはなるだろうけれど、それほどのことではない。平和な時代ならいざしらず、これだけ争いごとが多いんだもの。ひとりふたり殺したところで、まして盗みを働いたくらいで重罪にはならない。倫理的にも大問題ではない。
定住して、よろず屋の看板をあげていられるのは、そういう理由だ。
じゃあ、出身に関することだろうというのは、筋は通っている気もする。
「細作がナギなら、次は何が起こるのかしら」
「君が助けにいこうとする?」
「孤立無援で? しないわ、そんな莫迦は。捕まったんじゃなくって、自分から捕まったとしたら」
そうだ、それしかないじゃないの。
ナギが捕まるってのは、冷静になればなるほど、考えにくくなってくる。何か目的があるんじゃないかしら。
「アシュドドに知らせるってことは、準備しろってことよね、要は。捕まった状態から、ナギが何か探ってくるってことかなぁ?」
口にしたら、マシューが笑った。
「やっと、頭が冷えたか」
からかわれて、照れくさくって両手で頬を覆う。文句をいったらまぜっかえされそうで、あたしはだんまりを決めこんだ。
マシューは笑みを残した目で続ける。
「探るべきものがない。元々、叩いてもほこりの出ないかただ」
「じゃあ、何。目的を達成しそこなった上に無様に捕まったとでも言うの?」
あのナギだ。そんなヘマはしないのは、マシューもわかっているようだった。
「情報を得にいったわけではないだろうな。わざわざナギをむかわせる意味がわからない。あの容姿ではろくに潜入もできまい」
あたしはうなりながら、前のめりに小さな卓によりかかる。
無い知恵をふりしぼれってことかしらね、陛下サン。でもねぇ、しぼったところで、ほんとになんにも出ないんだってば。もうちょこっと何か教えてくれてもいいんじゃないのーっ?
くちびるをとがらせていたら、サマリアが戻ってくる。変な顔をしてるのをばっちり見られて、あからさまに呆れられてしまった。いや、彼女が呆れたのはあたしの顔のせいだけじゃないだろうけれど。
ここは彼女の部屋だから、あたしたちが留守中も居座ってるのがおかしなことなんだよね。えーと、たぶん、『またか』って気分なんじゃないかと胸中を推察いたしますが。
サマリアはこめかみのあたりのほつれた髪を直し直し、目を伏せる。その睫毛と口元の震えがおさまったころあいを見計らい、マシューはぽいっと、くだんの伝令くんが置いていった手紙をみせる。
表情が一変する。紫の目がすうっと冷えていく。勢いよくひっつかんだ結果として手紙は彼女の手のなかでつぶれる。
サマリアはじろりとあたしたちをみやった。
「わたくしはいつ、あなたがたに、報せを受け取ってよいと言いましたか」
「言われてません、レンスフィールド中尉っ」
おちゃらけて敬礼してみたら、案の定、雷が落ちた。避雷針っとばかりにマシューの後ろに隠れたあたしに、サマリアは深くため息をつく。
「緊張感はないのですか?」
「あるわよ? ナギ、捕まっちゃったみたいだし」
さらりと言うと、サマリアは手にした紙切れにざっと目を通した。数瞬の沈思黙考ののち、外へ出ていこうとする。
「何しに行くの」
「隊の編制を再考しようかと。この付近の地形もいま一度、考慮しておかねばなりません」
「サマリアはそう取るわけね」
「『そう』とは?」
ふしぎそうに彼女は眉をあげる。あたしは肩をすくめて、いままでの話を一からした。
「あたしたちは国側から大将の非を責める方向で話してたんだけど、サマリアは違うでしょう。あちらから来ることを想定してる」
マシューが膝を打った。
「ナギは火種か?」
「さぁ、ねぇ。この状況で細作がひとり放たれていたぐらいでは、争いの種としてちょっとばかし小粒じゃないかしら? いっそ、王都に餌を撒いたほうがあちらさんには痛手だろうに」
「餌、とは?」
サマリアが聞いてくる。あたしは過去によろず屋としてたずさわった事案を脳裏に思い浮かべて説明をした。
「大将に関する噂。それも、外聞とか評判とかが悪くなるような嘘っぱちをね。大将自身は気にしなくっても、取巻きは莫迦なんでしょう? 絶対に食いついてくるわ」
「確かに王都に流せば、いつかはクートにたどりつきます。そのころには噂自体、よりひどいものになりはてているでしょう」
あたしはうなずく。
「そ。言った人が誰かも噂に入れるべきよね。たとえば、陛下の侍女が陛下の愚痴をもらしちゃったとか。でも、今回のは細作だから。意図がわかりにくくって困っちゃう」
肩をすくめたら、サマリアのむこうで控えめに戸が鳴った。
太陽の光が遠く淡い。秋は、もう行ってしまうのか。
あたしは手でひさしを作り、城砦内の広場を一望した。窓から身を乗りだして人影の位置を確認し、ふたりといっしょに外へ出た。
ほんっと、むかつくぐらい平静のままだ。こんなところまで遠征して来たってのに、髪も服も乱れなしのごようす。これで、あの規則的な足音を響かせてくれたら、完璧ってものだわ。
端然とした立ち姿に、あたしは息をついた。見蕩れたんじゃないわよ、言っておくけど。
彼は事務的にサマリアと会話している。あたしのことは当然ながら、気にする風もない。
あたし、同じように除け者になっているマシューの袖を引いた。口元を隠しながら、彼に耳打ちする。
「先に部屋へ戻る」
「もう少しで『あいさつ』は終わるだろう?」
「あのひととは……話したくないの」
文句とお礼のどちらを優先すべきかとか、どんな顔してしゃべればいいのかとか。何か詰まってしまったみたいで、頭がうまく働かない。
自分で言ってからも、あたしは数歩先の翡翠色をしたおきれいな瞳を見上げる。サマリアはほんのすこし頬を紅潮させて、嬉々として会話している。
そのようすにはあこがれがもろににじんでいて、歓待を受けてるほうも、中将ご本人サマ以外はやや苦笑気味で。
臨時演習だそうだ。
第一師団長の中将閣下じきじきに指揮をとられて? はん、笑わせる。なんて茶番。
近くで演習を行うと、彼は言った。
ぼうっとその声に聞き入っていたら、マシューに肘でつつかれる。肩越しにみれば、彼は揶揄するような笑みを浮かべている。
「帰るんじゃないのか?」
「帰、るわよ。帰るったら!」
小声でやりとりしていると、本名で呼びかけられる。
そこにいるのは彼とサマリアのみ。お供をしていた軍人さんたちはみな離れたところへ行ってしまっていた。
しまった。機会を逸した模様だ。
「変わりないようですね」
自分だけ、すべてを水に流したような顔で言われて、あたしはかっとなった。
変わりない? 変わりない、ですって? そりゃそうでしょうよ、こんな本筋から遠いところに置かれたらねっ。
ずいぶんなごあいさつだこと。ここにずっと篭めとくつもりでしょうけど、そうはいかないんだから。
「まさか、ご心配いただいているとは夢にも思いませんでしたわ、アードレイ中将閣下!」
語気強く返して、にっこり笑ってやる。
「ルカどの。中へ戻ってからになさい」
すかさずたしなめられて、おさまりが悪い。何か言いたそうな感じで近づいてくるから、さりげなく距離をおく。
「ルキア……?」
「あとにして。それと、あたしは『ルカ』よ。次は返事しないから」
部屋に帰り着くと、本拠地という感じがして、ちょっと調子が戻ってきた。
あたしは口早にまくしたてた。
「手紙は嬉しかったし、ここに来られるように手配してくれたのも感謝してる。でも、こんなところでナギに何かあるのを指くわえて見てろっていうの?」
彼は両手をあげて、暴れ馬でもなだめるようなしぐさをみせる。全然困ったようすがない。
「どうしてナギなの。よろず屋なんてほかにもいっぱいいるでしょうっ」
「 」
真実、ことばを失った人間ってのを、あたしはもしかしたら初めて見たかもしれない。彼はこちらをじっくりと、焦げつかせそうなほどみつめ、ああ、と勝手に納得した。
「知らなかったのですか」
そのことばひとつで簡単に、自分が空虚になったのを感じた。
あたしの腕を、マシューが脇から押さえつける。そうされてやっと、彼を叩こうとしていたことに気づく。
彼はマシューに目くばせして、手を外させる。その、余裕の表情。心底、あたしのようすを気にかけて、同情したような顔つき。
その善人づらを、蹴っ飛ばしてやりたい。
「八年も一緒にいたって、ごらんのとおり、何にも知らないわよ。どうせ、教えてくれないんでしょう? 別にいいわ、それで」
ナギが教えてくれるんじゃなきゃ、何の意味もない。
あたしの欲しいのは、情報じゃないもの。
目を上げて、翡翠の瞳を、その視線をからめとる。
「あたしね、シラが平和で、ナギが無事なら他に何にも要らないの。とりあえず、言える範囲のことで良いから、状況を説明してもらえない──?」
交渉は、ひとまず、成立した。