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この血に響け、祝ぎ歌よ  作者: 零-rei-
この血に響け、祝ぎ歌よ
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1 - 06 楽園の喪失

 王都までは丸二日かかる。

 早朝に屋敷を発ち、北上する。一日目は川沿いの町に宿をとる。二日目もやはり早くに川を越え、北東に進路をとれば、夕暮れには王都につく。

 御者の声が小旅行のはじまりを告げる。少女はそれをきき、ミカルへ目配せした。ミカルは小首をかしげながら、笑みを返す。満足して、少女はもう一度、目を伏せた。

 深窓の令嬢の旅であれば、五、六人の警護の者と、ミカルの他に二、三人の小間使い、御者が交代も考えてふたりほどほしいところだ。あいにく、少女には自分がその『深窓の令嬢』にあたるという認識が足りなかった。

 警護は省き、御者にはペテロという老人をひとり、小間使いはなしでミカルだけを連れていくと、頑強に主張した。多くの手を割きたくないという考えだった。

 日が、傾きかけていた。

 冬支度のための荷駄を背負った人影もだんだんとまばらになり、いつしか絶えていた。

 そろそろ、今夜泊まる町が見えてもよいころだと、少女は思った。

 日中は遊山気分で、窓から景色だの人々のようすだのをのぞきみてはたのしんでいたのだが、こうも人通りがないと、退屈である。

 少女もミカルも口数がめっきり少なくなる。静かに馬車に揺られていた。

 馬車ががたりとゆれたのは、そんなころだった。御者の短い叫び声がして、馬車はとうとつにとまった。

 車内でも音が鳴る。物入れの中身が動いたらしい。椅子の下に備えつけた物入れをうかがって、ミカルが不安そうになった。

 こわれやすい装飾品も入っているのである。立ちあがって、蓋をあけようかと思案しているのがわかる。

 車はすぐ進んでしまうかもしれない。少女は手を振ってやめさせ、窓から外をうかがった。

 暗くて、何も見えない。

 馬の足並みでもくずれたのだろうか。車輪がゆるんだか。

 少女らは御者が説明しにくるのを待った。馬車に小さな事故はつきものだ。飛んでくるだろうと思ったが、いっこうにペテロはやってこない。

 かわりに、地面に硬いものがぶつかったような音がした。

 少女は自然、ミカルと顔をみあわせた。


「何をしているのでしょう。日が暮れてしまいますわ」


 あきれかえったミカルは小窓を下へ押しあけようと腰をあげる。小窓から御者へ声をかける気らしい。

 その腕を、少女はひきとめた。


「待ちなさい。話し声がする」


 ミカルは黙って耳をすませるそぶりをする。少女も外に意識をむける。静寂になれた耳が会話する低い声を拾う。内容は聞きとれない。


「無礼者が馬車を呼びとめたのでしょうか」


 ミカルのことばに短く返す。


「それでも、説明にはくる」


 最悪の事態を覚悟していた。

 少女は声をはりあげる。いつもより低めの太い声音で、外にいるはずの御者にむかって命じた。


「何をしている。早く車をださないか!」


 すると、御者席から野太い声が返った。


「もうすこしお待ちを、おぼっちゃま!」


 車内のふたりは耳を疑った。ペテロはいままでずっと、『ルキウスさま』としか呼ばなかった。たとえ他に呼んでも『お嬢さま』だろう。まかりまちがっても『おぼっちゃま』はない。


「ペテロでは、ありませんわ」


 ミカルは少女がさけたことばを口にした。車内には言い表せない沈黙が落ちる。

 誘拐、あるいは物取り。どちらであろうと、状況はよくない。

 逃げるなら、いまのうちだ。相手はふたり以上で、少なくともひとりは男。それはさしたる問題ではない。

 少女は目を走らせた。問題は、このミカルだった。自分だけならば、逃げきれるだろう。だが、ミカルをつれてとなると、むずかしい。

 使用人を見捨てるのは、主人にあるまじき行為だ。まして、この場合、相手はミカルだ。おいてはいけない。

 決めかねていると、馬がいなないた。鞭打たれたのだ。馬車はいきなり疾走をはじめた。

 急な動きにミカルは体勢をくずし、座席に倒れた。少女も背もたれに頭を打ちつける。乱暴な運転だった。

 少女は選択肢が減ったことを悟り、背をかがめた。手探りで足元の長剣をつかみとる。

 車がとまったら、一か八かで躍りでるつもりだった。隙をつくり、ミカルを逃がすのだ。

 だが、当のミカルもまた、少女が長剣を手にしたとたん、その意を理解してしまっていた。その光景のおそろしさに、手にふれた布地をぎゅっと握りしめる。

 ミカルははたと、自分の握りしめたものを見下ろした。脱いで、脇にたたんでおいたふたりぶんの外套である。ミカルはそれを今一度、つかみよせた。

 激しいゆれのなかで少女の横へ座りなおし、主の肩に外套を着せかける。


「ミカル、何の真似だ」


 いぶかしげにたずねた少女に、ミカルはいう。


「夜ともなれば、外は寒うございますから」


 とまどう少女に、自分の着てきた外套をも頭から被せる。その両端をしっかりと手に持たせる。

 血の気が失せて白くなった顔で無理に笑み、ミカルは窓から外をうかがった。

 街道を外れて、野原を疾駆しはじめてから、ゆれはいっそうひどくなった。併走する馬はみあたらない。それをたしかめて、ミカルは車の戸を外へひらいた。

 戸が風を切る。馬のひづめの音がきこえる。景色はどんどんとめまぐるしくうしろへと流れていく。


「ミカル……?」

「背中から降りるんです。首はおなかのほうに丸めて。けして、頭から落ちないでくださいませね」


 有無をいわせず、少女の手から剣を奪いとって、ミカルは少女を外へ逃がした。突きとばしたのである。すぐに剣も落とす。

 そして、戸を閉めた。

 車輪が石を踏んだのか、車がはねる。それに従うようにミカルは床にくずれた。馬車の速度はまったく変わることがない。

 少女が落ちたのには、気づかれていない。ミカルは安堵にひとまず息をついた。


「どうかご無事で、ルキウスさま!」


 このまま、賊に見つかりませんように。

 ふるえるくちびるは祈りを口にして、それきりかたく引きむすばれた。






 高速でひた走る馬車から、少女は落ちた。

 いわれたとおり、背から落ちたものの、なすすべもなく地面を転げた。

 分厚い外套をまとっていたが、すさまじい衝撃にひととき息がとまった。背骨が呼吸を圧迫する。全身に痛みが走る。

 遠のきそうな意識をつないで、馬車のゆくえを目で追おうとするが、涙であとからあとからにじんで、よく見えない。

 ようやく息が落ち着いたころには、視界のどこにも、馬車の陰はなかったのである。

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