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この血に響け、祝ぎ歌よ  作者: 零-rei-
青嵐よ、君の傍らへ
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4 - 04

 人質。

 捕らえた理由がそれならば、あたしの身代が何で購われるのかは明らかだ。ナギのしごとに決まっている。そして、依頼をこなさないと返さないなどと言われたら、あのひとがどのくらいムチャをするかも、嫌ってほど解かってしまっている。

 あたしは寝返りを打ち、体を横に向けた。足に風を感じる。目をひらくと、薄い天蓋が中途半端に寝台の端にひっかかって、すこしだけ開いている。その隙間をお行儀悪くも、つまさきで蹴飛ばして閉じる。それから、ふとんに顔を半分伏せ、敷布を手に握った。

 ナギは自分の行動のせいで誰かを危険にさらしてしまうのを、ほんとうに嫌がる。あたしが大切だからとか、そういうことじゃなくて、相手がどんな人でも嫌なのだ。

 ことばにすれば、誰しもに当てはまることだろう。でも、ナギは度が過ぎる。自分を大切にすることを忘れるくらい、必死になってしまう。助けられるのも得意ではない。

 彼のお節介はね、いつもそういう感じなのよ。自分の視界に入るありとあらゆる困っている人にすごく親身に手を差し伸べるのに、自分が転んでも他人の手は取ろうとしない。

 あたしは、それがイヤだった。何年も背中合わせで生きているんだから、あたしの手ぐらいは取って欲しいじゃない。だから、無理やりことばで縛ってしまったのに。

 あたし自身が行動を制限されてしまっては、あんなことばはまったく意味を成さない。逆効果にならなければいいと祈るばかりだ。

 ぴくっと体を震わせて、あたしは握った敷布を一度、手放す。こんなものを握った程度で心細いのが直るんだったら、よろこんでいつまでもここに寝ているでしょうね。あいにく、敷布は手いたずらの道具にしかならないのだけれども。

 静かに身を起こす。部屋の外から、音が聞こえたのだ。足音が近づいてきたのと入れ替わるように、部屋の前からひとりぶんの足音がどこかへと去っていく。

 抱いてしまいそうになった淡い希望をわざと打ち消して、あたしはゆっくり寝台を離れる。慎重に戸に歩みより、腕を伸ばせば届く距離で立ち止まった。

 こんこんと、とても控えめに戸が叩かれる。それだけの音で、相手がどういう立場のひとであるのか、あたしには見当がついてしまった。

 音を高く響かせられないのは、人目については困るから。そこに居るべき人ではないのだ。見張りについていた兵士ではない。ここから離れたのこそが兵士だろう。加えて、その上司でもないから、シドニィでも、陛下でも無い。

 人目につきたくないその状況で、急いで室内に入ってこようとせず、廊下で戸を叩くだけだということは、相手は部屋の鍵を持ってはいない。

 鍵を持っているのに、戸を叩かずには女の部屋に入ってこられない礼儀正しい紳士だというのなら、そもそもふたりきりになって戸を閉められるかどうか怪しいと思うし。いえ、きわどいけど、これは冗談。

 余裕をもって、そういう思考をたどったために、戸の向こうに立つ人物の像はあたしのなかで、ひとりきりのものに固まった。

 ナギなら、鍵なしに錠前を開ける術を持っているし、戸を叩くなんてまどろっこしいまねはしない。だから、そこにいるのは。

「中将……?」

 聞こえるか聞こえないかのぎりぎりの音量で呼びかける。と、低く音量を落とした声が返ってくる。

「大事、ありませんか?」

 ここ数日ですっかり聞きなれた声に、あたしはほっとした。張りつめていた気が抜ける。

「すごーく暇なことを除けば、丁重にもてなされてるわよ」

 軽口を叩くと、どっと低い音がして、扉がゆれた。そのまま、音源がずるずると下がっていく。

「よかった」

 さっきより下から聞こえた声は、扉に響くようだ。戸に背をあずけて座ったのかしら。あたしは迷ったけれど、自分も扉によりかかってみた。

 まさか、心配してくれたの?

 そう、口にしかけて、やめた。改めて聞くのは莫迦げている。『よかった』って言うのなんて、心配してくれたからに違いない。

 ここで兵士の規律を気にして言ったことばだったら、あたしは遠慮なく、この扉に飛び蹴りでもお見舞いして、中将ごと踏み潰してやるんだから。

 よく話に聞く、囚人や弱者をいじめて楽しむような輩は居なかった。彼らはれっきとした近衛兵で、シドニィの部下だろうし、あたしは人質だろうから、あたりまえのことだ。

 それでも心配されてしまったのは、あたしが頼りないからなんだろうな。なんだか、情けなさに唇が笑ってしまう

 兵士たちと大きな体格差でもあったのかな。あたし、背が低いからなぁ。腕や足もがりがりで、筋肉だってそんなについてないし。

 ひとり勝手に話題を終わらせた気になって、上体をひねった。戸を指ではじいて、なるだけ明るい声を作る。

「ありがとう、来てくれて嬉しい」

 退屈を持て余していたところだったのだ。そこの廊下に人が通るまで、中将が話し相手になってくれるだろうと思うと、あたしは本気で嬉しくなった。

 ひとりでいたら、どんどん気分が沈んでいってしまう、会話でつなぎとめておこうと、そんな風に考えただけだ。別に、このお堅い中将さんに冗談を言ってもらおうとか、大いに笑わせてもらおうなんて、はなから思ってはいない。

 あちらが沈黙してしまった。あたしは耳の辺りに腕を上げ、注意をうながすように後ろの戸を叩いた。

「見張りをどうやって言いくるめたの」

 たずねると、ややあって返答がある。

「買収しました」

「……なんだか、らしくないわね」

 真面目一辺倒に見えていたんだけれども、気のせいだったのだろうか。彼が規範を破ったというのは、ちょっと予想外だった。

 あたしがつぶやいたことばに、彼は身じろぎする。戸が動いた。

「生まれて初めてですよ、金銭にものを言わせたのは」

 その声音は、自分のしたことにあきれているようで、あたしはつい声を立てて笑ってしまった。なるたけ音を潜めようと口を閉じたせいで、肩が上下に揺れた。

 そこまでして来るということは心配だけではあるまいと、彼の次のことばを待ってみる。

 でも、やっぱりそこは中将なのよね。買収するほどの行動力はあったのに、自分からは話を切りだしてこない。あたしは待ちかねて口を開いた。

「用件は?」

「用事が無ければ、来てはいけませんか?」

 先日、事務所で聞いたことばを再び持ちだされて、あたしは中将に返答を求められているような気がした。それも、好意的な返事を。

 来ていいよと、あたしに言わせたいんだろうか、この人は。残念ながら、それは言ってあげられないし、いまの答えだけじゃ納得できない。

「買収したって言うんだもの。どうしても言いたいことがあるのかと思うのがふつうでしょう?」

 なんでも良いわ、話してよ。

 そうじゃなきゃ、退屈と好奇心と苛立ちで倒れそう。ああ、あたしって、なんて短気なんだろう。

 ぎりぎりの思いでねだると、なんでもと言われてもと、彼は困ったように言った。

 だから、なんでもいいんだってば。あなた、話したいことも無いのにわざわざ来たワケ?

 思ってはみるが、さすがにそれは正直すぎる。そこまでの調子では言えない。あたしは軽く息をついて、端から質問文を投げかけていくことにした。

「何か、聞いてみたいことはある?」

「そう、ですね……」

 中将は悩んだようで、ちょっとだけ黙る。これでは無かったらしい。

「フィルニルの花ことばは、『愛情の絆』で正しいですか?」

「調べたの? そうよ、フィルニルっていうのは、異国のことばで『藍色』って意味。色の藍と感情の愛をかけているの。それと、あの長い蔓を糸に見立てて『絆』、なのよ」

 フィルが色で、ニルが藍。そう教えてくれたのは小間物屋のおかみさんだ。彼女の知る謂れがすべてほんとうのことかどうかは判らない。大切なのは物にまつわることばではなく、物に託して贈る気持ちだと、彼女は言っていた。

 あたしはそのことばに感動して、花柳に来たばかりのころはよくあの小間物屋に通ったものだった。客としては冷やかしでしかないあたしに、おかみさんは花や貴石、宝石について、知る限りのことを親切に教えてくれた。

 依頼の内容はろくに覚えられないくせに、花ことばやら石ことばやらは一度で聞いただけで覚えてしまったのを、ナギはよく笑ってたっけ。でも、昔から、あたしは語学や歴史や雑学のほうが好きなのだ。しかたないことだと思う。

「ご婦人が好みそうな話ですね」

 低く笑い声が響き、木戸をはさんで、振動がこちらに届く。このくすぐったいような震えを、あたしは知っている。

 アシュドドからの帰りに彼と相乗りしたときと一緒だ。話題を思いだして微笑み、あたしは考えをめぐらせる。

 あのあとにも数回、顔を合わせたはずなのに、まともに話ができたのはあれが最後だ。中将って、面と向かって話すのが苦手なのかしら。

 次の質問を口にしようとして、あたしは止まった。

 背中に感じた振動は、馬上で辛そうにしていたときとおんなじだった。いまは笑ってるのに、よ。この人はまさか、終始、笑っていたのだろうか。

 だとしたら、あたしはすごい勘違いを、いえ、勘違いどころじゃなく、……うわぁ。

 あたしはひたすら顔を覆いたくなるのを我慢して、小さな声で、でも、叫ぶように訊いた。

「中将っ、あなたと初めて会ったのはいつかしら!」

「八年前ですね」

 意外とあっさりと返され、体の熱が上がった。言うべきことばなんて知らなくて、あたしの思考はぐるぐると同じところを回り続ける。

 中将は縁談をぜんぶ断っていて、その人を『お慕いして』つまり好きで、初めて会ったのは七、八年前で。

 嘘でしょう、そんなの!

 ああ、でも、これも勘違いだと恥ずかしいにも程がある。膝を抱えて、膝頭で顔を覆ったあたしの耳に、中将の声がやわらかく響く。

「ようやく気がつきましたか」

 笑いをふくんだことばにも、ひとことだって返すことができない。

 たとえば今、全身の血が逆流していても、頭の中身が沸騰していても、体の一部が破れとんでいても、あたしはちっとも驚かない。それくらい動揺してしまって、声が出なかった。顔を上げると、手が震えていた。

 だめ、それだけはだめ。あたしはあの場所に居たいの。

 わめきそうになったくちびるを必死にてのひらで押さえて、あたしはそれを表面上は軽く流した。

「いま、返事を請うことはしません。この件が終わったら聞かせてもらえますか、ルキア」

「……ルカって呼んでちょうだい」

 声は手でふさがれて、うちにこもる。だけれども、戸板一枚きりしか離れていない中将のところにはそんなことをしたって、届いてしまう。

「そこから無理に逃げだそうとはしないでください。すこしのあいださえ辛抱してもらえれば、私が手筈を整えます」

 それまで待っていてくれと言って、中将は立ちあがる。彼の足音が遠ざかるのを、あたしは腰が抜けたように座りこんだまま、耳にしていた。

 状況は数日前に良く似ていて、でも、確実に流れはじめてしまっていた。



 廊下から静かに流れ込んでくる風で、足が冷える。寝台に戻ろうとして床についた手が、すこし滑った。液体や何かでぬめったのではない。さらりとした固い感触に、あたしは屈みこむようにして、てのひらの下を確かめた。

 紙だった。四つ折りになった黄味を帯びた厚めの紙がぽつねんとそこにある。この上に手を置いたらしかった。

 取り上げて薄く開くと、黒い列が一、二行だけあるのがわかる。手紙だ。走り書きでも、文字の特徴は薄れていない。ろくに読みもしないで、あたしは手紙を胸に抱いた。

 さっきまで、こんなものは無かった。中将が届けてくれたのだ。扉の下の隙間から、すべりこませたのだろう。

 そのせいだと気づいて、あたしは顔を上げた。中将はこれを持ってきてくれたんだ。だから、あたしと話すことなんか無くって困っていたのね。

 わざわざ引き止めて、悪いことしたかな。今度会ったら、お礼言わなきゃ。

 扉に寄りかかりつつ、よろよろと腰をあげる。しかし、これ、いつの間に。思いながら、寝台に足を踏み出して、

「あ」

あたしは間抜けな声をあげた。

 それじゃ、あの会話って。もし誰かに話を聞かれていても、この手紙のことを気づかれないようにって、はぐらかしてくれていたのかしら。

「……なんて心臓に悪いっ!」

 思ったことがそのまま、声になった。それを耳で聴いたら、力が抜けた。床に転がりそうになる。

 そうよ、ありえないもの。あたしってば、おこがましすぎる。何か憶え違いや勘違いをしてたんだわ。名のことも、彼はアシュドド砦のときもルキアって呼んでいたし、単なる女性名のつもりなんだと思う。きっと、八年前っていうのも、戦場で、なのよ。

 ぜんぶ、冗談、か。

 きゅっと手紙を掴みなおして、寝台に座る。封筒に入っているわけでもないというのに、改めて開くのはためらう。今はじっくり読む気にはならない。

 何が書かれているかは、それほど大事じゃないの。誰が書いてくれたかが大切で、あたしにはそれ以上のことは必要じゃない。自分のために書かれているってだけで、じゅうぶんなんだもの。

 あたしは寝台の上を這いずるように腕を伸ばし、枕元に手紙を置いた。うつぶせのまま、そちらへ体をにじり寄らせて、ぽふっと頭を預ける。横を向いたら、視界が半分埋もれて白くなった。枕もふかふかで柔らかい。

 直接、目には触れないけれど、あたしは指先で手紙の表面を撫ぜる。薄くて上質の紙ではなく、ごわごわした紙だ。活字のへこみのようなでこぼこを、指の腹が読みとっていく。

『待っていろ』

 ただ、ひとこと。会議室を出るときにかけられたことばを、あたしは胸のうちで繰りかえす。

 待っていることが最善なら、あたしはいくらでも待てる。こんな設えの良い部屋でなくたって、たとえ地下牢でも、それでナギが無事に帰ってこられるなら、いつまででも居座ってやるんだ。

 でもね、心情としては隣に立ちたい。見えないところで事が起きたら、何ひとつできやしないでしょ。脇で剣をふるうばかりが助けることではないと、頭で理解したからって、体もぱっと諒解してくれるものではないのだ。

 手が、足が、好き勝手に騒ぐ。行きたい行きたい行きたい。そう言って、指先がしびれる。あるはずも無い短剣を探ってしまいそうになる。

 そうした感情のすべてをなんとかなだめて、あたしは手紙を撫でる。

 まだ、判らない。中将が何かしてくれるまでおとなしくしているのと、自分でどうにかするのと、どちらがいいのか。

 手紙に移ったぬくもりがなんだか寂しい。あたしは目を伏せた。

 いまは、待つのだ。ナギの帰りではなく、時を待つのだ。  

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