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この血に響け、祝ぎ歌よ  作者: 零-rei-
幕間 その4
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幕間 - 01 藍色の花ことば

 食材を買いこみ、よいしょとかけ声をかけて胸に抱える。うう、重たい。買いすぎたのかしら。

 麺麭(パン)一斤に梨がふたつ。根菜と野菜は、屋台のおばさんが籠を袋の中にごろごろと空けたから、くわしくは憶えていない。でも、ひと鍋ぶんだと思うから、そんなには多くないはずだ。

 果物を買うのなんて、ひさしぶりだわ。小さいときはそんなの知りもしなかったけれど、果物ってそれなりに贅沢品なのよね。こうしてよろず屋として暮らすようになってからは、あまり口にはしない。

 でも、今日は特別。だって、もうすぐ帰ってくるんだもの。

 三、四日前に貴きあたりの依頼をなんとか終え、あたしは王都に戻ってきた。それから、毒針中将どのと一緒におじさんもとい陛下のトコに報告に行ったり、依頼料の額で軽く闘ったりしてるうちに、すっかり時間が過ぎてしまった。

 アシュドドに行く前にもらった手紙のようすでは、もうそろそろこちらに着いても良さそうなものなのだけれども、一向にそのけはいが無い。彼が帰ってくると、花柳中が騒ぐから、いっぺんで分かる。

 今かな今かなって一箇所にじっとして待っていると、逆に落ち着かないのよね。それでもかなりの我慢をして、書類の書き直しをしていたんだけど、途中で嫌になって投げ出しちゃいたくなってさ。気晴らしにこうして買いものに外へ出てみたってワケ。

 しかし、しまったなぁ。どうもふところが軽くなりすぎたみたい。ナギが戻るまで、依頼料に手をつけることはできないってのに。

 事務所への道すがら、あたしはちょっぴり後悔した。

 やっぱりね。あんまり急だからって、自分ひとりで行くものじゃなかったわ。いっつもは、ステラたちの手が空いているときに連れだっていくの。ほら、あたしひとりだと、そう頻繁に食べものを買いに出なくても済むでしょ?

 何日かに一回だったら、彼女たちもよろこんでつき合ってくれるし、あたしと一緒ならって、おかみさんも彼女たちの外出を許可してくれるのよ。言っとくけど、あたしへの信用じゃないわよ、きっと。ナギへの信用があたしの背後に見え隠れしているんだわ。しかたないけどね。

 ナギが言うには、あたし、金銭感覚ってモノがいまひとつ無いらしい。自分としてはじゅうぶん配慮しているつもりなんだけど、お金の管理や使いかたの面では、まだまだらしい。それだから、彼女たちの誰かひとりがお茶を挽いているときを見計らって、ついてきてと頼むのだ。

 そうすると、どれそれを買うといいって、注意してもらえるの。ほんとは、こういうのも書類の内容と同じで、自分で全部憶えていかなきゃいけないんだろうけれど、適性がないのかもしれない。どうも憶えられないのよね。

 今日はみんな忙しそうにしていたの。ちょっと、間が悪かったのよね。あれは、ぜったいに付き添いを頼める雰囲気ではなかった。

 荷物の袋を抱えなおした拍子に、一番上に入れといた梨がひとつ転げてしまった。

 一緒に食べようと思って買ったのにっ。

 いびつな形をしているくせに、その梨ってば、ごろんごろんと勢いよく人の足下を転がっていく。あたしがあわてて追いかけると、脇からすっと大きな手が伸びた。梨を拾いあげ、親切にも手渡してくれる。

 あ、男性だなと、手を見て判る。しかも、富裕階級だ。この手指は節くれだったり荒れたりしていない。少なくとも、農作業や水作業は経験していない。だが、まったく使われていないワケでもないらしい。腕は比較的鍛えられていそう。って、服の上からじゃ、よくはわからないけれどね。この服、いい生地を使っている。やっぱ、お金持ちか。

 こんなことを分析しても、たいした意味はない。目の前にいる相手は、袋から逃走をはかったあたしの梨を捕まえてくれた恩人である。

「ありがとう」

 礼を言って、片手で梨を受けとる。自然と相手の顔を見て、思いがけない顔にあたしはつい声を上げた。

「中将っ?」

 大声で言ってしまってから口を手で押さえ、周囲をうかがう。大丈夫、まわりには届かなかったみたい。女郎さんがたに囲まれちゃったら、一大事になるところだわ。

 ほっとしたあたしの肩を誰かが叩く。見ると、赤毛の青年が立っていた。シドニィである。ふたりとも、今日は軍衣ではない。彼らは私生活でもつるんでいるらしい。同年配だし、身分もつりあっているから、別段、不思議はない。でも、お偉いさんがふたりも休んで大丈夫なのかしら。お守りするお相手が東アダルに行っているから、案外に暇なのかもしれない。

「先日はどうも。今日はどこに用があるの」

 って、これは野暮かしら。あ、でも、中将って好きな人がいるんだっけ。そういうご用事ではないのよね、おそらく。

 ムダに勘繰りながら、立ちつくして返事を待つ。シドニィは愉快そうに隣に立つ中将の肩を叩いて、笑いをこらえるようなしぐさをしている。

 待ってよ、いきなり何なの。何がおかしいって言うのよっ。あたし、そんなに変なこと言った?

 戸惑うあたしを涙目で見て、シドニィは尋ねかけてくる。

「なぁ、ルカ。ウルが『中将』だったら、俺は?」

 そう言って、自分の胸を親指で指さす。あたしは彼に言われたことの意味をはっきりとは取れなかったが、

「えーと、『シドニィ』?」

と、くちごもりつつ答える。そうすると、今度はなぜか声を上げて笑いだされて、非常に困惑する。中将を見やると、彼はなんだか微妙に不機嫌そうである。だよねぇ、あたしもこれは不快だ。

 あたしは彼らをよそに、びりびりと痺れてきた腕と腰に閉口していた。荷物が重い。やっぱり多すぎたんだわ。せめて、痛みを和らげようと、あたしはさりげなく腕の位置をずらす。

「何なのよ、それ。突然笑いだすなんて、失礼じゃない?」

 いいかげんいらいらして、詰問口調になると、シドニィは笑い顔のまま、こう返した。

「いや、前途多難だなと。……俺も中将だ。ウルを『中将』と呼ばれては、実にややこしい。彼のことも名で呼んだらどうだ」

「中将もあたしのこと名まえでは呼ばないもの。おあいこでしょ? シドニィさえ分かってくれていれば、ややこしいことなんて何にもないわよ」

 感情を抑えて、さくっと言い放つと、やっと得心がいったのか、シドニィは笑みを消した。

「……だそうだ」

 友人に向かって何かを促すようにする。

 重い。ずるっと滑りそうになる袋を何とか腕の上に乗せなおす。もう何度目になるか。

 顔には出さないで居られる。それくらいなら、むかし訓練したし、できる。なんでもない顔をして、足の重心もそっと変えた。でも、ことばの制御は元来、不得手なのだ。

「そういえば、最初の質問に答えてもらえてないわ。これから、どこへ行くつもりなの」

 またもや苛立ちが混じってしまった。あたしが誰をどう呼ぼうと、どうでもいいじゃない。そんなふうに思いはじめていたのが、すっかり声音に出た。どこへ、に力が入ってしまう。

 これじゃ、あれね。浮気をとがめる奥さんみたい。まぁあなた、遊廓に行くつもりね、きぃーっ、って感じ。

 中将があたしのほうを向いた。彼の視線を跳ねかえす勢いで見つめ返して、あたしは首をかしげる。

 彼はこちらに一歩近付き、軽く腰をかがめた。抱えるように腕が伸びてくる。あ、中将ってすっごい目がきれい。いいなぁ翡翠色、って、そうじゃなくって。

「待っ、」

 抵抗する間もなく、奪われた。あたし、しばし茫然とする。中将ってば、平気な顔であっちに行ってしまう。

「中将!」

 あたしはかなりうろたえつつも、周囲を気にすることも忘れて。大声で呼びかけてしまった。

 あたしの荷物、返しなさいってばっ。

「ははっ、まさかと思ったが、ウルはウルだな。ごり押しはしないわけか」

 シドニィまで、そう言いながら、彼のほうに向かう。

 そっちはうちの事務所のほうでしょう? まさか、うちに用? でも、でも、依頼だなんて、ひとっことも聞いてないわよ。

 目の前で、中将が女の子を呼び止める。何がしかの会話が交わされる。近寄ったあたしのほうへ振りむいて、中将はこめかみにすっと右手をやった。あたしの、こめかみに。

 眼前をよぎったのは、みずみずしい藍色。彼の腕に抱えられた袋の上には、ちょこんとささやかな花束が乗っかっている。藍色のフィルニルが大きくやわらかな花弁を開いている。シラでは夏から秋にかけて咲くこの時期の風物詩だ。まあるくひとつに繋がった花びらを持つめずらしい花。

 その花が、たぶん、髪に挿してある。

 あたしが自分の頭を触ろうとするのを制して、中将は満足そうにしている。

何なの、その表情は。どうせ、似合っていないとか、言うんでしょ。分かっていてやって、ほんとうに似合わなかったから、ご満悦なのかしら。それとも、笑いたいのかしら?

 そうよね、頭に花を咲かせて、莫迦みたいなんでしょう。まったく、こういう悪ふざけを、わざわざこの花でするなんて。

 怒りたいんだか悔しいんだか不安なんだか妙な心地になってしまう。ああ、きっと、花瓶のほうがよほどきれいにこの花を身に飾ることだろう。

「フィルニルの花ことば、知っている?」

 念のために訊くと、中将は首を振った。

「いいえ、存じません。……トキ色もよいですが、藍も悪くありませんね」

「その程度も知らないで女性に花を贈るのはどうかと思うぞ、ウル」

 今のって、花を贈る、なんて洒落た行為ではないでしょうに。あたしは内心でぼやく。シドニィの忠告に、中将はやっぱり平然として言った。

「似合うと思ったのだ」

 あたし、そのことばで顔をあげた。シドニィは言いかえす。

「だからって、道端で花売りから買ってやるのか」

「何がいけない」

「計画性がなさすぎると言うんだ」

「ねぇ。ひとつ言ってもいいかしら?」

 あたしは彼らの言い合いに割って入り、ひたと中将に目をあてた。

「誰彼構わず花を贈るのはいただけないわ。特に、フィルニルはダメ。花柳で売られているのは、みんな花ことばが恋愛に関わる花ばかりなの。あなた、好きな人が居るって言っていたでしょう? この花はその人にこそ、贈るべきだわ」

「……。」

 シドニィが口を円く開けたまま、なぜか硬直した。中将は困ったような笑みを浮かべ、あたしをなだめることばを口にする。

「無節操に見えたなら、謝ります。私がものを知らなすぎたのです。今日はあなたのところを訪ねるつもりでした。その手土産としてなら、受けとっていただけますか?」

「依頼じゃなく、遊びに?」

「はい」

「じゃあ、もらう」

 彼は袋の上に置かれた花束も手渡してよこした。あたしは両手でそれを受けとる。かわいくて小さな花束。ほのかに甘い香りがする。頬が自然とゆるんだ。

「ありがとう、花をもらったのは初めてよ」

 そう言うと、中将は安堵したようだった。思い出したように尋ねる。

「『ナギ』は戻ったのですか?」

「まだ。でも、そろそろだとは思うわ。ごめんなさいね、荷物持ってもらって」

 改めて袋を取りかえそうとするが、中将は頑固に離さない。

「これぐらい構いません。……シドニィ、何をしている。早く来い」

 言われて、のそのそとやって来たシドニィが中将に耳打ちする。

「は?」

 よく聞き取れなかったらしく、中将が聞きかえす。シドニィはわめくように言った。

「お前は物好きすぎるって言ったんだ!」

「では、君は見る目がなさすぎる、だな」

「言ってろ!」

 そんなふうにまたまた言い争うふたりの横で、あたしはもらったばかりのフィルニルの束を指先でつまんでくるくると回した。うん、良い香り。中将の思い人さんには悪いけれど、浪漫あふれる花をもらってしまったものだ。

 あたしは花弁にくちづけるように藍色の花の香を存分に楽しむ。

 フィルニルの花ことばは、『愛情の絆』。

 好きな人からもらえるのなら、すてきな花だと思わない?

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