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この血に響け、祝ぎ歌よ  作者: 零-rei-
この血に響け、祝ぎ歌よ
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1 - 05 師のことば

 倒れた非礼を詫び、父の執務室に入ると、先客があった。

 逆光のなか、父に相対している人影に少女は眉をひそめる。

 見覚えがない。うしろすがたでは誰なのかわからずに歩を進めるうちに人影は服の裾をひらめかせ、もうしわけなさそうにふりむいた。

 少女は足をとめかける。先客は態度を決めかね、そわそわと目をそらした。


「なぜ、ここにいる」


 しかられたと思ったのだろう。ミカルは黙ってうなだれる。とりなすように、父は朗らかに笑い声をたてた。


「おまえのために抗議にきたのだ。主人思いもここまでとなれば、色恋のようだな」


 父はその表情をくずすことなく少女をひたと見つめた。娘の決意を感じとったらしく、確認をとる。


「決めたのだな」

「はい。縁談、おうけいたします」


 それが、この家のためになるのならば。

 脇から自分を見上げる視線がわずらわしい。当事者でもないのに、いたわしそうな表情をしたところで何が変わるというのだろう。

 単なる同情や憐憫だ。

 そのようなものはいらない。他者から憐れまれるのは、女々しく弱い者だ。自分はその類にはない。自分のことは、自分で護れる。

 少女は自身に言い聞かせ、ミカルの視線をふりきった。ことばは淀まない。


「戦争の前にお会いできるでしょうか」

「あちらとご相談しておこう」


 うなずいた父は、しごく満足そうだった。






 その日から、カナンはどこもかしこも、あわただしさにつつまれていった。

 なかでも、村の女たちの働きぶりはすさまじいもので、見る者に感嘆をおぼえさせるほどであった。

 そう遠くない日に夫や息子、兄弟がでかけていくのである。下は十ばかりの女児から、うえは限りなく、そろって縫いものに精をだしはじめた。

 とっておきのあたらしい布地を惜しげもなく裁ち、肌着を幾枚もつくる。矢を防ぐための丈夫な革の胴着をしたてる。行軍を慮って、底のかたい靴を用意する。

 何の援助もなしでは、家計もなりたたないほどの痛い出費だ。だが、幸いにもこの地の領主は温情に厚い人物だった。

 多少ではあるが、出兵する家々には前もって準備金を渡した。にわかづくりの私兵隊のためにかぶとも発注していた。さすがに高価な鉄製や鋼製ではないが、金属の防具はとても貴重だ。

 かぶとの有る無しは特に生命を左右する。庶民にはなかなか手のでない品だけに、出陣する男たちよりも女たちのほうがよろこんだ。

 出兵する男は男で、それぞれに武具の調整に余念がない。多くは狩りに使うような短弓や長弓だ。次々に矢をつくっている。戦場で落ちた矢も拾えるとはいえ、数あるに越したことはない。裕福な家の者には槍をたずさえているものもあった。

 領民がみないそがしく支度に追われているあいだ、領主たる子爵もひまではない。絶え間なく方々に指示をだしつづけていた。

 屋敷や村の備蓄庫から食糧を運びだし、馬車につなげるように荷造りさせた。兵糧である。これを管理するために何人かの村の女がついていくことが決まっていた。

 娘婿の乗る駿馬を選び、家名に恥じぬ鎧かぶとのひとそろいを支度してもいる。

 もう数日もしたら、自警団の面々を集めて心得を説き、歩兵としての訓練もできるかぎり行いたいものである。

 おおかたが戦にそなえて騒いでいるなか、婚約のための準備をしている一派があった。少女の周囲に仕える者たちである。

 婚約衣装をしたてるため、寸法をとった。色は白だが、布地は選んだ。滞在中の衣服も何着か新調するらしい。知識のない少女には選びかねたので、サラに頼んだ。いまごろ、母やミカルたちといっしょになって、自分を飾りたてる算段をしていることだろう。身を飾る品々も衣装にあわせてととのえられ、かんざしや首飾り、靴や帯をはじめとして、着々と屋敷へと届きはじめていた。

 王都へ発つ日取りはもう定まっている。

 相手の家で婚約の儀式をし、自宅で婚儀までの一年を過ごすのが古式の流れだ。

 本来ならば、腹を決めてかからねばならない時期にさしかかっている。だが、いまひとつ乗り気にはなれなかった。

 顔もあわせたことのない男と婚約するのはさしてめずらしくない。そこではないのだ。

 縁談がまとまってからこちら、日々の学問の時間はなくなっていた。粛々と結婚を待つ者には、いま少女が持っている以上の学は必要ない。考える女は、お呼びではないのだ。

 プリスキラ女史とは、もう何日も会っていなかった。ミカルでもなければ貴族でもない女史は、講義がなければ、少女と正式に会うこともかなわない。

 会っても、することがないのは事実だ。

 史学はきりのいいところで終えている。史学に必要だからと学んでいたアスの古語は、王都の学院から資料が届かぬままで頓挫した。かわりにここ数日習っていたのは、シラの王宮で流行の今様の恋愛詩だ。こちらのほうが結婚生活には役立つのであろうと考えると、なんとも皮肉なものだと感じる。

 カナンは南の僻地だ。鳥便を使わなければ、王都まで往復で四日はみたほうがいい。学院で資料探しに手間取っていれば、十日以上かかってもしかたなかった。

 その十日間あまりの期間で講義がなくなるなど、少女も女史も予想していなかった。

 少女はそっと、部屋から抜けだした。足のむくまま、気のむくままに屋敷もでて、庭をめぐる。そうして、いつのまにか吸いこまれるようにひとつの厩舎へ入っていた。

 そこはふつうの厩舎とは異なる。人が寝起きできそうなほどの清潔感に満ちている。シルファの厩舎だ。

 シルファとは、鳥便を送るために飼っている足の速い騎鳥だ。足が長く、優美な肢体とやわらかな羽根を持つ。姿かたちとは裏腹に、馬よりも早く地を駆ける。

 伝令に多く用いられるのだが、足の速さをのぞけば、シルファは見た目どおりの生きものだった。

 一羽きりで数日間過ごさせると、さみしさのあまり、こころを病み、身体までこわす。汚い場所に放っておくと、気落ちで死んでしまう。つがいにするか、頻繁に声をかけなければならないのがこの鳥を飼うときの厄介な点だった。

 この屋敷にいるのはオスの成鳥一羽である。厩番がきちんと世話しているのがよくわかる。囲いのなかのシルファは健康そのものだった。

 少女が囲いに近寄ると、シルファはるると喉を鳴らした。太い木枠のむこうから、白目のない紅い瞳がこちらをみまわしている。

 値踏みされている。敵意などないのに。

 うすい黄色の羽根が揺れ動いた。シルファがそっぽをむいたのだ。


「こちらをむいてごらん」


 話しかけると、騎鳥は両翼を持ちあげてぶるっとふるわせた。厩舎の奥の壁へとてとてと逃げていく。身体の大きさに似合わぬ小心さや、人見知りする性格も本来はかわいらしいが、今日はそのようにうけとれなかった。


「そうか、私が嫌いか」


 つぶやいて、おおらかに笑って過ごしたつもりだったが、語尾がうるんではっきりとしない。まぶたの裏が熱くなった気がして、少女は木枠に手をそえた。手の甲に顔を伏せる。


「私も、だ」


 こんな主体性のない、女々しい存在など!

 家のために育って、何の前触れもなく跡継ぎを降ろされ、他家に嫁げといわれた。抵抗もろくにしなかった。婚家に行けば、夫や婚家のしきたりに従うのだ。

 主体性や信念など、あればあるだけむだだ。自分は、『川底の藻』になるのだから。

 ルキウスでもルキアでもなく、名もない妻や母になるのだから。

 と、ととん。

 音がして、ごくごく近いところでシルファがちいさく鳴いた。くちばしで、まとめた髪の一房をつかみとろうとする。いや、少女の頭を撫でているつもりなのかもしれない。

 顔をあげると、硬いくちばしの丸みが何度か頬をすべった。そのようすがなぜか気遣わしげで、少女はほほえむ。


「気まぐれなのだな」


 手をさしだせば、首筋をさわらせてくれる。感情の読みとれない瞳はただただ、紅く濡れている。


「名は、何というのだろうな」


 呼んでやりたくても、少女はそのシルファの名を知らなかった。呼ぶかわりに首の羽根をていねいになでつけていると、声がした。

 自分を捜している。すぐに厩舎の入り口に影がさした。

 尊敬する家庭教師がたたずんでいる。少女は表情を引き締め、シルファから手を引いた。ひさしぶりにあいまみえた教師のようすをうかがう。

 女史は背筋をのばして歩みよってくる。ふだんどおり、弛みたるみなく地味な服を着込んでいる。

 何のために自分を捜していたのか。少女は気にかけながら女史を見上げた。自分の出立を前にして、型どおりのあいさつでもしに来たのかと考える。

 女史は硬い表情のまま、少女の傍に立った。新たな人物に驚いたシルファはびょっと飛びのいた。さきほどのように、厩舎の隅まで駆けていってしまう。


「それで、よろしいのですか?」


 前置きも何もなく女史はいった。何についてかなど、きくまでもない。


「ええ。そうすると、決めたのです」

「偽りです」


 女史は短く断じた。強いまなざしで少女の反論のことばを押し留めた。


「道というものは、まっすぐに進まねばどこへもたどりつかぬもの。学問だけではありません。すべてがそのようにあるのが理です」

「家のために嫁ぎます。勝手は許されません」

「違います」


 きっぱりと、女史は少女のいうことを否定した。いつになく慈愛をふくんだ視線で教え子をみやる。


「周囲の者の思い描く本道が子どもにとっての本道とはかぎりません。みずから道をそれていくのをどうしてとめられましょう。ただしても思いどおりにはなりえません」


 得心のいく答えを見つけたと、少女は思いこんだ。領主となる道を他人から閉ざされたのではない。自分のありようがそこへいたる道から外れたのだ。


「わたくしはひまをいただきました。明日には王都へもどります」


 おおやけには見送りに立てない少女への最後の別れだ。少女は女史に深々と礼をした。


「ありがとうございました」


 さっぱりとした気持ちで面をあげ、女史と視線をあわせる。こたえて、女史もうなずく。だが、女史の表情は曇りがちで晴れなかった。伝わらなかったことがわかっているのだろう。諦念の色があった。

 数瞬の後、女史はふたたび硬い表情をまとった。教え子に礼を返し、歩き去る。

 その背を感慨深く見送っていた少女に、何かがぶつかる。とつぜんの衝撃に平衡をくずして、前にのめる。あやうく地面に膝をつくところだ。

 何ごとかと肩越しにふりかえると、シルファが得意そうにくるるぅと鳴いた。女史がいなくなったことに安心して、こちら側に駆けもどったのだ。そのままの勢いでぶつかってきたらしい。

 シルファとしてはじゃれたつもりだったようだが、体重の軽い少女と騎鳥ではじゃれるということば自体がどこかそぐわない。

 誰も見ていないのをいいことに、少女は文句をいって肩をさすった。


「おまえ、ずいぶん生意気ではないか!」


 羽毛のなかに手をさしいれる。そうして、師のことばを反芻した。

 まっすぐに。

 婚約が師との別れと同義だとも気づかなかった。だが、女史は跡継ぎの教育係だ。女として生きるのなら、お役御免になって当然だ。

 学院にもどり、研究の日々を送るのか、次の勤め口を見つけるのかはわからない。どちらでも、女史に会う機会は二度と訪れない。

 尊敬するひとがわざわざ赴いてくれたのがうれしくて、少女はシルファの首をぎゅっと抱いた。最後のことばを何も理解できなかったとも知らずに少女はほほえむ。


「師と仰げたことを誇りに思います、プリスキラ女史」


 つぶやいた敬愛のことばは、ただ黄色い羽根につつまれていった。

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