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あたしたちは一階の客間から、三階の空き部屋に場所を移していた。
窓から、広場が見える。農民が大勢、たむろしている。みな、顔つきは硬い。
勇気のいる振る舞いだったろう。下される処分を知りながら、王族に手を出すのは。
王子さえ助ければ。一縷の望みに、あたしはかけた。陛下がよろず屋と一将校に任せたのだから、それくらい融通を利かせてほしい。
中将が静かに窓を開く。あたしは窓近くに潜んで広場の人の動きを注視した。隙をついて窓枠を蹴り、屋根に昇る。中将もその体にしては軽やかに昇ってきた。広場に向かって傾斜した屋根に伏せる。下を窺って、気づかれたようすがないことにひとまずほっとする。
気持ちを切り替え、低い姿勢のまま塔に向かった。急いてしまう気持ちを抑え、慎重に直角のかどをまわり、塔のすぐ脇へ付いた。
腰から縄を外す。鉤をくくりつけた細縄だ。中将に下を注意してもらい、ねらいを定める。
狙うは五階の見張り窓。手元で円を描くように振りまわして弾みをつける。放り投げた縄の先は一筋の線をかき、窓に向かった。微かな金属音をたてて、鉤が石を捉える。引っぱって確かめ、隣の彼に手渡した。
今度は中将が先に行く番だ。合図すると同時にするすると昇っていく。
見張り窓に手が届くというときだった。
「何だ?」
見張りがひょいっと顔を出した。
──中将!
ひやり、胃の腑が冷えた。叫びそうになって、必死にこらえた。だが。
「……?」
見張りの姿はふっと中に消えた。中将は何もなかったかのように塔に入る。手だけがにゅっと出て、上がってくるように指示する。
動揺したまま縄を手に取った。人目の無いのを確かめ、縄を伝う。窓にたどり着き、はじめて状況を理解した。見張りの兵士のうなじに針が突きささっている。倒れて、ぴくりともしない。数歩先に角笛が転がっている。
「死にはしません。体が動かないだけです。針を抜いて休ませれば、元通りに動けます」
「毒針じゃ、ないの?」
「自国の兵を殺してどうするんです」
やりようによっては殺せると言っているも同じだ。あたしはすっかり、狩人に弓を向けられた小動物の心持ちになった。泣きそう。
士官用の懲罰房があるはずの四階には、だれもいなかった。すぐにも王子を助けたいところだが、扉の鍵がない。三階に降りる階段の前に立ち、耳を澄ます。会話が聞こえる。少なくともふたりは居るらしい。
会話に紛れて段を降りる。四階には灯りがないが、三階にはほのかな灯りがゆらゆらしていた。あたしはけはいを断って、できるかぎり間合いをつめる。
階段とは反対の隅に小さな木机が二辺を壁に接して据えつけられており、残りの二辺にひとつずつ丸椅子がある。ひとりは背を向け、奥のひとりはこちらに左の横顔を見せて座っていた。二階への階段はこの階段の裏にある。外へ通じる出入口は奥の兵士の背から二、三歩離れたところにあった。戸は閉まっていて、広場から塔の中を覗く術はない。好都合だ。
兵士たちのごく近くまで歩みよる。さすがに気づいたのか、
「キチェ、交代にはまだ早、」
奥の兵士が顔を上げる。彼の後頭部を短剣の柄で殴った。左腕でこちらの兵士を羽交い絞めにして、振り抜いた右手の得物を向ける。
一拍遅れて、奥のひとりが木机につっ伏した。残された兵士は勇敢にも武器を手に取ろうと試みたが、かなわない。指が届くより先に、中将が彼の武器を奪い取ったのだ。
「ねぇ、四階の部屋の鍵はどこにあるの」
肘を曲げ、彼の首を締め上げながら、耳元で尋ねる。兵士は吃音ばかりあげて答えない。
「鍵はどこ」
短剣の切っ先を突きつける。兵士はわななき、目を動かした。奥の兵士の腰に光るもの。鍵をふたつ、ぶらさげている。中将に取ってもらって、どちらが四階の鍵かを確かめる。
兵士の手足を縄で固定して、あたしは鍵の片方を中将に手渡した。
「一階に、殿下の護衛騎士がいると思う。行ってくるわ。ここはお願い」
「お気をつけて」
声を背で聞き、あたしは階段を駆け降りた。
中将には、見聞きしたすべてを話した。アリソンのこと、マロトのこと、塔のこと。
沈思黙考した後、中将は口を開いた。
「エレブ人に対することに関しては、残念ながら、対処できうる話ではありません。同一の地域から召集された兵は、同じ小隊または番号の連続した小隊に配属されます。しかし、作戦時には小隊ではなく、中隊や大隊で動かすものです。中隊長・大隊長の人品をひとりひとり確かめて、ただすほかには」
手立てはない。中将は最後まで言いきらなかった。無表情な瞳が床を這っていた。たぶん、中将としての考えかたと彼自身の考えかたが互いにぶつかっていたのだ。
死を嘆いてもしかたない。エレブ人の血を引く若者でなくとも、誰かが先頭に立ち、あるいは死ぬ。誰も死なない戦争など、ない。
士官として考えるなら、問うべきは訓練もされていない兵を先頭に出したことだ。訓練済みの兵を前に出すことを徹底させることならば、可能だろう。
だけど、ここで問題なのは、差別によってエレブ系の若者ばかりが前に出されたことだ。きわめて倫理的で心情的な話。取り締まったら、隠れてもっと陰湿なことが起きないとも限らない。シラは古来、たびたびエレブの侵攻にさらされてきた土地なのだ。
「助けたい。殿下だけじゃなく、みんなを」
そう言うと、中将は静かに賛同してくれた。
一階の牢の鍵を開け、騎士たちを逃がしたあと、あたしは急いだ。侵入路を戻るのだ。あたしは一段飛ばしで五階に昇った。
見張り窓の近くで金髪がきらりとひかる。王子か。ずいぶん背が低い。中将が言っていたとおり、あたしより少し高い程度だ。
「こっちはうまくいったわ。行きましょ」
下のようすを見ながら縄を掴む。先頭があたしで次が王子、しんがりが中将の順番で降りると決めてある。そのつもりで身を乗りだすと、引き止められた。
「何よ。手順違った?」
「いえ、そうではありません」
中将は言い、王子を促すようにした。ぼんやりと、王子の容貌が明らかになる。
女の子みたいに小作りな印象だ。金髪はやわらかく波打ち、肌は夜闇のなかでも判るほど白い。目鼻立ちは整っているが、陛下には似ていない。そして、見開かれる水色の瞳。
「……あなた、誰」
「おそらく、従者のひとりでしょう」
彼の代わりに、中将が答えた。なんで、そんなに悠長に構えていられるのよっ。
事前にすり替えたとでも言うのか。あたしたちの先手を打ったと?
塔前の広場からは大きな声が聞こえる。護衛騎士たちが塔から逃げだしたせいで、下では騒ぎが起きてはじめている。想定内だった。
「予定通りに、動きましょ」
「この者を連れていくのですか」
「あたしたちが囮になるの。塔のほかに人を完全に閉じこめておける施設なんか無い。殿下だって、騒ぎに乗じて逃げられるわ」
もし罠だったら、こんなに騒ぎが広がるだろうか。いや。まだ、こちらの完敗ではない。
「……分かりました、行きましょう」
うなずきを返し、あたしは居住棟の屋根へ降りた。結構な高さだが、偽王子もよく我慢してついてくると、思ったところだった。偽王子が足をすべらせた。伸ばした腕が空を切る。彼はずるずると加速しながら、傾斜した屋根を落ちていく。
きゃあああっ、広場に落ちちゃう!
必死に追いかけるが、届かない。偽王子は半身落っこち、腕をつっぱる形になった。
「屋根にもいるぞ!」
張りあげられる声。人が走りよる音もする。あたしは屋根に伏せ、偽王子の腕を掴んだ。
「よじ登って。大丈夫よ、あわてないで」
励ますが、彼は言うことを聞かない。
「落ち着いて昇るの!」
偽王子は暴れたせいでさらに落ち、屋根に懸垂するかたちになる。三階の屋根は並の高さではない。落ちたら死んじゃうわよっ。
助けを求めて振りかえるが、中将はやっと着地したところ。こちらに向かってくるが、間に合うかどうか。
目を戻すと同時に、偽王子の腕がずるりとあたしの手からすっぽ抜け、姿が消えた。
嘘!
ぞっとして、地面を見る。居ない。どうして。考えるあたしに声がかかる。
「こちらへ」
三階の窓辺から、見覚えのある娘があたしに手をさしのべていた。




