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初対面のようすではふざけた男に見えたマロトも、案内役としてはしっかりしていた。
あたしが投げかけた質問に、マロトは自分のわかるかぎりのことを生真面目に答える。やりとりを交わしながら、あたしたちは広場を突っきり、見張り塔の真下までやって来た。
この中に、王子が居るかもしれない。
塔と居住棟とは通路で繋がっていない。塔の地上部分には入口らしきものはなく、手の届く範囲には窓もない。隣接する居住棟が三階立てであることから考えると、五階建てと思われる。見張り場は五階部分にあった。
実はあたしも中に入ったことはない。知り合いに話を聞いたことがあるだけだった。なぜって、この塔は見張り台と懲罰房を兼ねているからだ。中に入ったら出ることは容易ではないと、おどかされたのを憶えている。
「この塔、どうやって入るの」
マロトは塔を見上げ、壁を指さした。
「壁が一カ所だけ茶色いだろ? あれが入口。中に縄ばしごがあって、それをつかって登り降りするんだって」
色が違う部分は、木戸らしい。居住棟の屋根と同じくらいの高さにある。三階程度だ。
鉤付きの縄をかけて上がるには、無理がありそうだ。蝶番が見えないということは、外開きの戸なのだ。戸の周囲に鉤を引っかけても、開く戸に押されて、はずれてしまう。第一、広場には人の目が多過ぎた。
城砦内をまわり終え、居住棟に昇る階段の途中だった。
「昨日はミランダのところに泊まったの?」
「ええ。よくしてもらったわ」
「でも、やっぱり……ない」
「えっ?」
マロトはふりかえって怒鳴った。
「似てねぇって言ってるんだよ!」
マロトは怖いくらいの瞳であたしを睨む。思いがけず叫んでしまって、自分でも収拾がつかなくなっているのだろう。目をさまよわせて、もどかしそうにつづける。
「あんたは戦争なんて知らないだろっ? 人を殺して、生きるために、ヤベツは殺されて、あんたが王都で、父親や男に守られてぬくぬくして笑ってるあいだに、ヤベツはっ」
涙が落ちた。大人びた顔つきも剥がれ、幼い表情がのぞく。マロトはしゃがみこんだ。
「俺たち、直前に徴兵されて、ろくな訓練も受けてなくて、槍、防げなくて」
返すことばを、見つけられなかった。
どうすれば、いい。ねぇ、ナギ。あたし、どうしてもらったっけ。
口をついて出たのは、謝罪だった。
「ごめんなさいね」
謝って、肩を抱く。腕のなか、彼は震える。
安っぽい謝罪など、要らない。そんなことは知ってる。おばあさんの話を聞いたときから分かってる。でも、謝らずにはいられない。
同じ戦場に、立っていたから。
しばらくの後、マロトはぐっと袖で顔を拭った。あたしの手をやんわりと払って立ち、黙って階段を昇りきった。あたしもその後を追い、棟に戻った。
あたしを送り届けた彼は、何か言いたげだった。あたしは促すように声をかける。
「どうしたの」
「俺たち、咎人なんだ。だから、関わりあいにならないで、すぐに出てったほうがいい」
てっきり、先刻の件と考えていたあたしは、凍りつく思いがした。声に、力が入らない。
「何よ、それ」
「村のみんなにあんたたちを帰してくれるように頼む。あんたは髪が焦げ茶だし、ここにいたら咎人と間違われて死ぬかもしれない」
要領を得ないマロトの答えに、あたしはもう一度、質問をくり返した。
「マロト、あなた、何をしたっていうの」
「それは言えないんだ」
「そもそも、あなたたちはなぜ砦に居るの」
マロトは目を見開き、悲しげにあたしを見つめ、顔を伏せた。首を横にはげしく振る。
「言えない!」
それだけ叫んで、彼は逃げるように部屋を飛びだしていく。あたしは扉が反動で閉じるのを見ながら、立ちすくんでいた。
咎って、どういうこと。死罪になる可能性のある咎なんて、数えるほどしかないのに。
昨日、事務所で中将たちに向かって冗談半分に言ったことばが、頭を回りだす。
──王子をかどわかしたのは、彼らなのだ。
ひどい眩暈がした。
寝台に倒れこむ。服の裾が乱れ、短剣の鞘がのぞく。
どうして、いままで気がつかずにいたんだろう。はじめからよく考えれば、このくらいの答えは出せたはずなのに。
『徴兵制の撤廃』なんて、要求自体が莫迦げている。自分で自分の首を絞めることだ。政治か軍事をかじった者なら、思いつきもしない。大半を徴募兵で補うシラ軍の内情を知れば、こんなことは口が裂けても言えない。
だから。城砦を預かるツィブオン大尉のことばではあり得ない。だが、農民たちが砦を占拠できるワケも当然ながら、ない。内部の者が手引きしたか、手を貸したか。多くの兵はきっと何も知りはしない。ただ、城砦に一般人が出入りすることを不審がるだけだ。
あたしは意を決した。
胸元にしまった手紙を取りだし、封筒のまま胸に抱く。
ナギ、あたし、ちゃんと成功させるんだから。先に戻って、事務所であなたを迎えるの。
あたしは寝台から起きあがる。被っていたうすぎぬを脱ぎ去る。
戦いの、はじまりだ。
もとの服に着替えた。足に小幅の布を巻く。巻き脚絆だ。長靴と衣服の上から、きっちりと。腕にも同じように巻きつける。
鉤を取り出し、細縄に結ぶ。重いものや音の鳴るものは一切持たない。矢でもまともに当たれば、命はない。いつものことだ。右太腿につけた鞘に短剣をしっかりとさし直す。得物はこれで充分。
最後に手紙を懐へ。準備はととのった。
あたしはくるっと、扉をふりむき、
「──っ!」
大声をこらえたのは我ながら上出来だった。
中将が腕を組んで、扉の前に立っていた。顔が険しい。怒ってる! 絶対、怒ってる!
「ち、中将。いままで、どこに居たの」
「この棟の上階に。ツィブオン大尉と共に軟禁されていましたが、どうやらみな、私の顔を知らないらしい。すぐに解放されました」
そ、それはようござんした。無意識にあとずさりしたあたしの心情を推し量ったらしい。中将は軽く嘆息した。
「気配を殺さずにどうやって針を使えと」
「言われてみれば、そうだわね」
中将は、家柄のおかげでも、頭だけのせいでもないのだ。殺されてしかるべき状況に身を置いてはじめて、身にしみて理解した。
ああ、指先がつべたいです……。
「ひとりで行かせると思いますか?」
穏やかな声が威圧感をかもしだす。中将は扉の前から動こうとしない。
いえ、思いません、思いませんったら。
「……作戦、練り直す」
「そうしてください」
中将は長椅子に座った。時間が動き出す。
あたしは暫時、抜けたがる膝を叱り飛ばして、立つことだけに力を費やすはめになった。