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トキ色の裾がふわりと風にひらめく。おしとやかさを心がけ、裾をそっと押さえる。
ひらひらふわふわの砂糖菓子じみた衣装に、あたしはすでに嫌気がさしていた。着慣れないあたしには派手に見えるが、貴婦人なら普段着程度の装飾らしい。左目の傷も暗い色の短めの髪も、頭からかぶったうすぎぬに隠した。傍目には旅装の娘である。
女物は生まれてはじめて着たが、こんなうすい布地だけを身に纏って生活するなんて、考えただけで鳥肌が立ってしまう。
ちなみに、おばさんが娘時代に村の祭で着て、おじさんを射止めた一品だそうです……。
そんな大切なものもらえない! と辞退したが、縁起ものだと押しつけられてしまった。
甘ったるい衣装に包まれ、中将が引く馬に揺られる。もちろん横のり。さすがのあたしも、女物の服で馬にまたがるほど、破廉恥には生まれついていない。あたしたちを先導するように歩くのはおばさんだ。アシュドド城砦までついてきてくれることになったのだ。
ゲバル山脈に入ると、街道は馬車二台がすれちがうのもやっとの幅まで狭まった。峡谷に吸いこまれるように、道は続いていく。
道は木立のせいで薄暗い。朝晩の霧は特に濃く、夏前の雨期と秋のあいだは日が無ければ、怖くて歩けない。日が高いいまも、霧こそかかっていないが、空気は冷えている。
ゆるやかな登り坂はかすかにうねり、侵入を拒む。実際、ここは戦時における難所だ。鎧を着て、重い剣や槍をたずさえた兵士には、緩い傾斜も、どんなにか堪えることだろう。
南からの登りより、アダル側からの登りのほうが急勾配で道のりも二倍は長い。双方の坂の行きあう峠に、城砦はある。
峠に近づくと、太い音が鳴った。角笛だ。城砦の見張りがあたしたちを見つけたのだ。
左に響く角笛に、門のうえがにわかに騒がしくなり、門衛が側塔の窓から顔をのぞかせた。幾人もが行き交う足音が山の斜面に反響する。城砦はきちんと機能しているらしい。
あたしたちは城砦に向かう小道に入った。これは傾斜がきつい。城砦はアダルの侵攻に対して作られている。小道を登るには、南へ折り返すかたちとなった。
馬に横のりしたあたしは城砦に背を向けることとなった。戦時に歩いて登れば、当然ながら、城砦に体の右側をさらさねばならない。盾を持たない右を、だ。この坂は、近づいてくる敵兵を弓矢でねらい打つためのものだ。
動悸を抑えるのに苦労しているあたしの側で、中将は泰然として、歩みも緩めない。あたしは見返るように、城砦をあおいだ。高い山に三方を囲まれ、まわりには堀をめぐらせてある。さすがに水堀ではないが、自然を活用したその深さには目を見張るものがある。
手前には門と門衛の詰め所、数段上がったところに居住棟と広場、食料庫、武器庫、そして、堅固な塔がある。広場は往々にして、近隣の住民の避難場所としても使われる。それでも、数か月籠城できる備蓄があるはずだ。
実は先日、城砦の見取り図を作ったときに、あたしはここに入っている。近くの農家からの依頼で、野菜や穀類を運送したのである。貯蔵庫へ食料を運びこむその日だけは、城砦の門扉も開放される。
いくらアシュドド城砦の見取り図が欲しく立って、ここには一個中隊──百二十余の兵がいる。忍びこむのは不可能だったのだ。
跳ね橋は戦時でもないのに上がっていた。中将は門前堀の前でとまる。門衛がふたたび、門脇の塔から身を乗りだす。
「何用か!」
おばさんが声をはりあげ、名乗りかえした。
「ストナのミランダだ! マロトに取り次いでおくれ!」
鼓動が高鳴る。あたしは膝のうえに手を戻し、服の布地越しに得物を確かめた。隠せるだけの道具は足にくくりつけたり、靴に隠し入れたり、ふところに忍ばせたりしてある。
おばさんの返答の後、まもなく橋が降りはじめた。鎖が擦れる音が山中にこだまする。
「入れ!」
門衛の声とともに、おばさんは躊躇なく足を踏みだした。跳ね橋を渡りきったところに、若い男がいるのがあたしからも見えた。
「おばさん、このひとたちは?」
男があたしたちを指さす。下働きだろうか、軍服姿ではない。下働きって、正門から呼びだせるものなのだろうか?
「駆け落ち中らしい。娘のほうがヤベツに似てて。かくまってやりたいんだが、どうにかならないかい、マロト」
「娘が? どれどれ」
先日の今日だ。兵士に面が割れているかもしれない。うすぎぬをめくろうとする手を防ぐため、あたしは『きゃあっ』とガラにもない声をあげた。騎士道精神のたまもので、事情も知らぬ中将が、かばうように割って入る。
「怖い顔すんなよ。取って喰やしないって」
なおも手を伸ばすマロトに、あたしはせいいっぱいのか弱そうな声で抵抗した。
「後生ですから、おやめくださいませ!」
「どうして。ヤベツは俺の友達だ。似てるんなら見たいってのが人情だろう」
できるだけしおらしく、あたしはうつむく。
「顔に、傷があるのです。でも、信じていただけないのでしたら、しかたがありません」
自分から、うすぎぬをつまみあげる。指先までわざとふるわせる。半分ほどで、目の下に伸びる傷痕がみえたのだろう。マロトはうろたえたように謝り、あたしを制止した。
「悪かった。……いいよ、かくまおう」
いえいえ、こちらこそ騙してごめんなさい。
内心で手を合わせて謝ってから、うすぎぬの下でにんまりする。あたしってば、意外と演技派なのかしら!
調子に乗ったあたしは、家へ戻っていくおばさんをふりかえり、深窓の令嬢ぶって、とても優雅にお手ふりを披露してみせた。
小綺麗な部屋にとおされたのは、あたしひとりだった。中将は責任者のところにつれていかれると知り、あたしはあわてた。
そんな、身分が割れてしまうじゃないの!
思ったが、中将は微笑むばかり。そうして、『駆け落ち相手』におっしゃることには。
「ルキア、そこで待っていてください。かならず戻ります」
いや、それ、馬の名前だしね!
言いたいことは山ほどあるが、あたしも小首をかしげ、はい、と素直にお返事した。ええ、しました。でも、言うこと聞くワケないではないの。あたしの中身は、世間知らずのお嬢さまじゃないんですからねー。
両開きの広めの窓を背に、ひとまずあたしは長椅子に横たわる。右の石壁に暖炉が作りつけられており、中央には椅子が二脚、一本足の円卓が一台。左の壁際に寝台がふたつ。
あたしは長椅子のうえでからだのむきを変え、窓に顔をつけるように外を眺める。
ここは居住棟の一階、南西の端だろう。居住棟は城砦の南東から南西の城壁に沿って、直角に折れ曲がった建物だ。暖炉側の壁のむこうに例の見張り塔、目の前に広場がある。
窓から偵察めいた視線をめぐらせていると、ぱたぱたと廊下を歩く靴音がした。南東のほうから、いちばん奥のここへ向かっている。
姿をみせたのは、若草色の服を纏った娘だった。あたしより二つ三つ年下だろうか。
茶器の載った銀盆を持っている。あいさつをして部屋に入ってきて、お茶をいれて。流れるような手つきは、上流階級の家庭に育ったとしか思えない。そうでなければ、上流階級の家できちんと教育を施された小間使いだ。
場違いだ。どうしてこんなところに?
うやうやしくさしだされた茶杯をうけとって、あたしは少女に自分の隣の席を勧めた。いろいろとききたいことがあったのだ。
はじめは躊躇したようすだったが、再度うながすと、少女は言われたとおりにして、長椅子の反対の端にちょこんと腰をおろした。
「あたしはルキアよ。あなたは?」
「……アリソンと申します」
アリソンはとつぜん名乗ったあたしに面食らったようだ。そこにたたみかけてたずねる。
「あなたがたは城砦で働いているの?」
たぶん、違う。アリソンの口からも、あたしの意とした答えが出てきた。
「いいえ。わたくしは砦で働く者ではありませんわ。他の者はおそらく近隣の農民です」
「じゃあ、なぜここに」
「わたくしは仮の主がこちらへ逗留するあいだだけのお手伝いです。他のかたについては、直接きかれたほうがよろしいかと存じます」
きっぱりとものをいうアリソンの態度は好ましいが、それではあたしが困る。怪しまれるのを承知で、ことばを重ねる。
「あなたの主の名を聞かせてもらえて?」
「ご容赦ください」
アリソンはにこやかに笑んだ。細められた瞳の光は、声や態度に反してとがっている。その表情につい、あたしは追及の手を緩めた。
「強情ね」
ぼやいて、うすぎぬの下、茶を飲んだ。
服の若草色は瞳に合わせたものらしい。緑柱石のような濃緑の目だ。髪は服と共布の頭巾で覆っているが、淡い金色のまつげを見るに、さぞやうつくしい金髪だろう。顔立ちも整っているし、小柄でかわいらしい。
だが、手強い。引きだせる情報はほとんどないだろう。見切りをつけ、あたしは窓の外に目を転じた。日が天頂にきて、中庭は白い光に満ちている。
「外を、散歩してもいいかしら」
昼間のうちに歩きたい。このあいだの端書きが正しいかどうか、検分するためだ。
思いながらお茶を飲み干し、茶杯を手渡す。
「ただいま、きいてまいりますわ」
茶器を回収し、アリソンは一礼した。部屋を出て行き、帰ってきたときにはさきほどの男──マロトをつれていた。
こうして見てみると、マロトはアリソンより幼い。ぎりぎり十代といった風貌だ。
濃い金髪に日焼けした浅黒い肌。背は高いが、中将のような青年らしい骨太な印象はない。だが、顔つきは大人びている。
少女は彼を示して、あたしに紹介した。
「マロトです。おひとりで出歩かれるのは危険です。彼をお連れくださいませ」
あらためて紹介されて、マロトは気恥ずかしそうに頬を指先でかいた。