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望みどおりの馬糧を手に入れて帰ってくるのに、時間はかからなかった。エサやりのあいだ、あたしは中将のとなりに腰をおろした。
「ねぇ、王子って、お父さん似?」
くだけた口調だったせいだろう。中将は一瞬思考停止したようだった。返答に手間取る。
「特徴は似ていらっしゃいます。色白で、淡い金髪に濃緑の瞳です。御年二十になられます。お背は、あまり高くありません」
「典型的なアス人ね。背はあたしくらい?」
自分は草のうえに座ったまま、中将は立てと手で指示した。あたしが立ちあがると、こちらを見あげ、ふむとうなずいた。
「同じくらいかもしれません」
たき火に反射して、中将の襟に金色が光る。階級章だ。『中将』といえば、シラでは数千の兵を取りまとめる。近衛軍の中枢を担う偉いさんである。依頼がなければ、話もできないし、戦場では会うこともかなわない。なにしろこちらは下っ端傭兵で、あちらはあたしの指揮官の上司の上司のそのまた上司である。
「中将は、来てよかったの? まだいろいろ忙しいでしょ、戦争の事務処理とか」
「我が軍の規模はご存じでしょう。他国の中将と同列にあつかわれても、私が困ります」
低く言い、中将は地面に目線を落とした。会話を終わらせるような響きにひるむ。
悪いことを言ったかしら。
いまさらことばを補うのもためらわれて、あたしはぎゅっとみずからの足を抱きよせ、両膝の谷間に顎をのせた。
他国を見るかぎり、軍隊には数個師団があるものだ。一個師団は平時に一万人程度の兵力を持ち、戦時になると、倍に膨れあがる。工作兵や医療・補給部隊などが加わるからだ。そうした部隊は訓練さえ定期的に行なえば、雇い続ける必要などない。平和なときには、一般市民として暮らしている。
シラの軍隊は近衛軍と呼ばれる常備軍で、五個師団がある。だが、その規模は他国よりもずっと小さい。二万人にすこし欠ける程度だ。しかも、近衛とは名ばかりで、辺境警備もする。貴族の割合は一割弱。傭兵隊をふくめた全軍合わせても、戦時に五万人あればいい。周囲の国に全力でかかってこられたら、すぐにぺしゃんこになってしまう戦力である。
「私もシドニィも、平時には王太子殿下をお護り申しあげていました」
「今回も傍についていれば、王子が行方知れずになることもなかったわよ」
「それでは、あなたに会うこともなかった」
声が響いたのは、予想外に近距離だった。
強い調子に不覚にも肩をふるわせ、あたしはそっと、隣を盗み見る。目があうが早いか、中将は目をそらし、あさっての方向をむく。
何。何なのよ。
そっぽをむいて、顔をしかめる。感情があらわになった顔には、幼ささえ見てとれた。
かわいい、かも。
いかにもご機嫌ななめのおぼっちゃんだ。お役目第一って気張っているのも悪くないけれど、こちらのほうがよっぽど親近感がわく。
「感情は抑えつけちゃダメよ。大切なコトが見えなくなっちゃうから。あたしはさっきまでの無表情よりも、いまのほうが好きだわ」
えらそうに言ったけれど、これはナギの受け売り。さも自分のことばのように口にしたら、中将はうつむき、片手で顔を覆った。
「え、やだ、どうしたの。気分でも悪い?」
あたしなんかに言われたから落ち込んだ?
慌てて、顔色を見ようとのぞきこんだら、彼は手を外し、うすく微笑んだ。
「まったく、あなたにはかないませんね」
中将はくくくっと喉で笑って、すっと立つ。首をかしげているあたしに手を差しのべてよこす。その手を取って、あたしも身を起こす。
膝についたほこりを払っていると、遠くのほうから遠慮がちに声がかかった。
立ちのぼる湯気に、口元がほころぶ。具だくさんのあつものの椀をさしだされ、あたしは上機嫌で受けとった。
「たんとおあがり。おかわりもあるからね」
おばさんはにこにこと言い、配膳を続ける。くつろいだあたしの横で、中将は身の処しかたに迷ったようだった。もの珍しそうにおばさんの手元をみつめたり、おばあさんやおじさんのしぐさをうかがったりしている。
先刻、こちらのおばさんに声をかけられ、あたしたちは農家のだんらんにくわえてもらうことになった。馬糧の豆と飼い葉をわけてもらった家だ。その際には、北へ旅する騎士と従者だと名乗ったワケだけど、どうもあたしがちびっこに見えたらしい。不憫に感じたおばさんが宿の提供を申し出てくれたのだ。
庶民の家としては大きい家だが、住んでいるのはおばさんにおじさん、おばあさんの三人だけらしい。日が落ちてからの夕食も、太陽とともに生活する農家にしては遅い気がするのだが、まあ、そういう日もあるのだろう。
農家のだんらん風景を見るのは初めてではない。つい先日も、麦の収穫を手伝ってきたので、こういうおもしろい形の食事をとった。中将は、家族が寄り添って食事する風景に出会ったことがないのだろう。貴族の家では、だんらんとは無縁の生活などあたりまえだ。
「ほんとに良かったのかなぁ、お邪魔して」
やぁね、遠慮深くって。おばさんは笑う。
「いいんだよ、部屋も空いてるんだから。一晩くらい、どうってコトないさ」
「遠慮しなさんな。坊みたいのがうちに泊まってくれるのが嬉しいんだよ、母さんは」
おじさんも言い、あたしの頭をてのひらで叩くようにした。
「坊じゃなくてルカだよ」
勘違いには慣れている。せいぜい少年らしくふるまおう。ルカの名も、もとは男性名だ。じゃれるように頭を手で払うと、おじさんはうれしそうにもっと撫でまわしてくる。
「やめな、父さん。ほら、食べよう」
おばさんの一声で、あたしたちもそろってさじを取った。
「お前さんがたはどちらに行くんだい」
「アダルのほうに用事があるんだ」
差しさわりない程度に正直に答える。家に入る前、ムダ口を叩かぬようにと、中将にも釘を刺されている。言われなくたって、あたしもよろず屋。秘密厳守はお手のものである。
おばさんはへぇえと、大きな反応を見せた。
「じゃあ、染め粉が入り用だね。ルカは目も髪も濃い茶だが、騎士さまは明るすぎる。うちの人も、出かけるには髪黒くしていくよ」
「急な雨にふられた日には大変だよね」
あいづちを打って軽く流そうとしたら、何に興味を引かれたか、中将が話に割りこんだ。
「なぜ、髪を染めるのだ」
あたしは危うく舌打ちしかけた。
「な、何言ってるんですか、ご主人さま! ちゃんと染め粉はご用意してありますよ!」
「そうだよ。まっちろい頭で乗りこんでみな、すぐに丸裸にされちまう」
まったく、下手な口をきいてくれる。学問として南北情勢を知ってはいても、出向いたことはないに違いない。あいにく、あたしは現実を知っている。いやな経験だってした。
他のひとに見えぬように小突く。目でとがめられたが、あたしはそしらぬ顔であつものの椀をカラにし、手を合わせて祈りを捧げた。
「ごちそうさま。おいしかった」
「部屋で休むかい? 準備してやるよ」
席を立ちかけるおばさんをとめる。
「もうすこし、ここで話をしていたいな」
ここはアシュドドに近い。地元の人間の話を聞いておきたい。そう考えての選択だ。無邪気な子どもを装い、あたしは話題をふる。
「おじさん、アダルへはよく行くの?」
「そうさな、月にいっぺんか。川向こうとの戦のせいで、ここ数カ月はご無沙汰だったが、つい二日前に行ってきたよ」
話しぶりに、アダルへの親しみが透ける。このあたりの住民にとって、北は『川向こう』で、ただのご近所さんだ。距離だけなら、王都よりもイェオール河の対岸のほうが近い。
対岸のエベルは大きな町だ。クロエとの船便がかよい、シラからも帝都行きの隊商が通る。たいがいの用は足りるだろう。
ナギも、いまはあの町にいるんだっけ。
「出入国許可とるの、面倒だったでしょう」
「一度取れば、一生もんだからね。たいした手間じゃないさ」
おばさんは椀を重ねながら、なんでもないように言う。でも、実際のところ、かなりの手間だと思う。出入国許可は書状として発行されるが、国境で出すものではない。
まず、関所で書類を二通作る。身許や犯罪歴の審査を通ったら、二通に関所の証印を割印し、王都に送る。ここへさらに国王の印章が捺されたものが許可証となる。割符となった一通は関所に、もう一通は手元に保管する。そして、出入国のたびに双方をつきあわせて本人確認をするのである。
一国につき一通必要だから、シラ国内ではアダル用、クロエ用、サフィラ用と三通所持できるが、よほどのことが無ければ、一通も作らないで生きていける。
「あっちへは買いものに行くの?」
「野菜を売って、買いものをする。野菜は川向こうに売ったほうが高い値がつくからな」
「代わりに何を買ってくるの」
おじさんは隣に座るおばあさんに詳細を小さくたずねながら、指折り答えた。
「岩塩とか塩漬けの魚とか、鍬の刃先なんかだな。クロエの特産品も物めずらしいから、たまに買うけど、母さんに怒られてなぁ」
食事のかたづけの手をとめ、おばさんがふんっと腕を組み、胸をはった。
「要らないもんばっかり買うからさ! こないだの乾酪だって、作ろうとすりゃ作れるよ。もったいないったらありゃしない」
笑いをこらえきれなかったあたしを非難し、おじさんはぱしんとあたしの頭をはたいた。
「笑い過ぎだぞ、ヤベツ」
たしなめる声もうわつく。楽しげな表情だ。
おとなしくしていた中将が口をひらいた。
「二日前なら、エドワード王子の一行を見られたのでは? 帝国へむかわれたと聞くが」
ちょっと直球過ぎる気もしたけど、おじさんはすこし考えるそぶりをみせただけだった。
「そんな大層な方はついぞ見なかったなぁ」
顎をなでるしぐさには、偽りは見られない。中将も追及はせず、あっさりと引いた。
望みはあっけなく絶たれた。二日前に出かけたおじさんが、行きにも帰りにも王子に会わないはずはない。
王子はやはりアシュドド城砦にいるのか。しかし、あの城砦に忍びこむ手立てなど、果たしてあるのだろうか。
表むきはなごやかな会話を続け、あたしは頭の隅で方策を思いめぐらしはじめていた。