1 - 04 遠い戦
宣戦布告を、ルキウスは父の執務室で知った。
王都からの知らせが書かれた獣皮紙を机上におき、父は椅子に身体を沈めた。泰然自若として、中空に視線を投げている。
通常の馬ではなく騎鳥を使った使者であったところから、急を要するのだとはルキウスも察していた。だが、まさか開戦の報とは思いもよらなかった。
「第四次冥道戦争勃発、か……」
父は厳かにいった。
有史以来、四度目となる対アダル戦である。「冥」「道」とは、いずれも西側諸国によるアダルとシラの呼称だ。それをわざわざ引いてきたところに、この父娘と戦地との遠さがあらわれていた。
王都から南に遠く離れたカナンの地には、アダルの影などみじんもない。南の大国サフィラに近い平和な土地だ。めったな争いごとも、取り締まるべき盗賊団もないので、子爵家では私兵団を持っていなかった。
他家の領地では、傭兵を使ったり兵士を独自に雇い集めたりするところもある。家によって、さまざまである。
シラ王国が統一されたのが古い歴史の一幕ではないことが影響しているだろう。王国の軍隊はいまだ、他国のような組織としては確立されていない。
王家自体も元はシラ地帯北方の一豪族だ。その家が争いや和解を経て、あまたの豪族をまとめあげた。そうして、ほんの数十年前にできた王国だ。
旧来の豪族層の貴族は、王家が絶対であるとはいまだに考えていない。事実、王家には領主の軍備を強制的に解かせるほどの力がなかった。
王家の私兵は、国王軍と呼ぶにはあまりに小規模で頼りなく、他国に見劣りする。
それゆえに、有事にはこうした書状が届けられるのだ。
ルキウスは国王の名で記された書状の文章をふたたびなぞった。
『カナンからの出兵を要請する』
簡潔に内容をまとめれば、そのような文面だった。百人程度とある。
ルキウスは知識を呼び起こした。国王軍の一個中隊が百二十人前後だ。中隊をつくってよこせということらしい。しかし、実際のところ、田舎のせまい土地には戦力となる男が百人もいるかどうか。
父の要請にこたえて、村々は自警団をむかわせるだろう。老いも若きもあわせて八十人が関の山だ。彼らをアシェルバーグ家の者が率いていく。
これまでならば、父が参戦したはずだ。父はもう壮年の域である。ここは、自分が行くべきだろう。
領主の地位を継ぐものとして、ルキウスはその程度のことまでは考えた。同時に、口にはださずとも、静かに腹を決めた。
真剣な面持ちで、父がそのように命じるのを待つ。しかしながら、ことは思ったようには運ばなかった。
「おまえは留守を頼む」
「いいえ、父上。私に行かせてください」
一歩も譲らぬ構えで、胸に手をあてる。ルキウスの主張にも、父は頑として首を縦に振らない。
「ならぬ。アシェルバーグ家を継ぐ者を披露するには、これ以上の機は望めまい」
何をいわれたのか、ルキウスは一度で理解できなかった。問いかけることばは、すなおに音になってくれない。
「ちちう、え? それは、どういう、」
父はことばをあらためた。
「家督はジョアンヌの婿に継がせる。おまえは他家に嫁しなさい」
ルキウスは喘いだ。声を失って、くちびるをふるわせる。
父は机の片端を注視して、いままで世間話でもしていたかのような調子で話題を移した。
「縁談がある。王都の伯爵家の次男だ。すばらしい良縁だぞ」
何も戦争の報をきかせるために娘を呼びだしたわけではない。こちらのほうが本題だ。そういう気配がひしひしと伝わってくる。
「一度はお断りしたのだが、再度申し入れがあったのだ。武門ゆえ、剣を使える娘をお望みだそうだ。願ってもないことだとは思わぬか、ルキア?」
押しよせることばに、ルキウス──少女の顔は真綿のように白く変じた。
「父上、私はっ」
頭をかすかに揺らす。執務机に両手をついて、よろける身体を支える。
「その次男も軍に入隊するらしい。士官学校に在籍中だが、成績も優良だ。この開戦の前にひきあわせてやろう。戦争がはじまってしまっては、気軽に会うこともかなわぬ」
たたみかけられて、少女は立ちつくした。上機嫌で話を続ける父はそれにも気づいてくれない。
身体のなかで、父のことばが血といっしょにぐるぐるとめぐるのを感じた。ゆがみながらまわり、走りだす。
めまいだと悟ったときには、少女は意識を手放していた。
まぶたをひらくと、白い天井が目に入った。窓からの日差しで陰影のできた天井をながめ、自室の寝台に横たわっていることを知った。
父の前で倒れるなど、とんだ失態を犯したものだ。思ったが、考えてみれば、悔やむ必要はもう、どこにもない。
少女がかよわくたおやかでも、誰もしかりはしないのである。
左方で動く気配があった。少女は肘をついて、上半身をおこした。
窓掛の紗がはためいて、窓の外へ吸いこまれていた。換気のためだろう。窓があいている。流れる空気に乗って、嗅ぎなれた匂いが鼻腔を刺激した。
ミカルが部屋の入り口にたたずんでいた。
盆をたずさえている。それを目にしただけで、少女にはミカルの持ってきた品が何であるのかわかった。この香気は先日の果実酒だ。ミラの甘くさわやかな香りが湯気にゆらめいてたちのぼっている。
いつもなら、何のふくみも読みとることはなかった。気付けをうけとって、一息に飲みくだし、からりと笑っていられたのだろう。
だが、少女はミカルに茶の杯をさしだされ、自分が気落ちしているという事実を目の前に突きつけられたような心地がした。
茶器には手もださず、傍に立つミカルを見る。
「私は王都に嫁がされるそうだ」
ひんやりとほほえみ、少女は丹念にことばに棘をしこむ。
「アシェルバーグ家の者として来たる戦争にだしてもらえぬばかりか、家督まで継がずにすむらしいのだ」
おまえはこの家にはいらないのだと宣告されたも同然だった。
なぜそんなことを言いかけられたのか、ミカルにもわかったようだった。蒼白になり、盆を取り落としそうなそぶりを見せる。
『もう縁談をお持ちになることはない』
主を慰めるためにそういったのを、思いだしていることだろう。
八つあたりだと、むだなことだと、少女とて痛いくらいに理解している。ミカルのひとことを責めたところで、事実は変わらない。
「ルキウスさま」
「私はルキウスではないよ、ミカル。あれは父がみなに呼ばせていただけのこと。その父みずから、ルキアと呼ぶのだから、もう私は」
ルキウスではない──?
ルキウスと呼ばれ、家を守り継ぐために励んだ日々に何の意味があったのだろう。学問を修め、武道をたしなみ、人並みの女性としてのしあわせを放棄して、自分は何を得た。
いまさら嫁げといわれても、困る。
「ミカル、その茶をおいて、でていってくれ」
少女は寝台に沈んだ。寝返りを打ち、ミカルに背をむける。
ミカルは命じられたとおり、卓上に気付けをおくと、主に一礼し、足音もおさえて寝室を退出していく。
扉の閉まる音を拾って、少女は身体を縮こまらせた。子どものように膝をかかえる。
目につくのは、一筋乱れた黒檀色だけだ。父母や姉たちとは違う濃い色の髪。口にはしなかったが、少女はずっと気にしていた。父は小麦色がかった金髪だし、と母や姉の髪は、うつくしい白金をしている。少し濃い色を持つミカルや乳母でさえ、胡桃色どまりだった。
一度だけ、母が慰めにきたことがある。
会ったこともない曽祖父とおなじ髪と瞳だといわれて、どれほど返答に困ったことか。そんなに血の離れた人物までださなければならないのか。それほど、みなとは異なるのだと知って、逆に傷ついたのを、母は知っているだろうか。
少女は感傷的にむかしを思い起こして、はっと自分を笑った。髪を視界の外へやって、目を伏せる。
十五年間、何をおいても優先させてきたのはこの家を守ることだった。重要なことはそれ以外の何物でもなく、自分のことですら、『それ以外』の枠に放りこもうとしていた。
自分が跡継ぎとして優秀なことは直接に家の安泰へつながる。当主となるべく毅然とすることを学び、凛とした態度を身につけた。
そうすれば、父の求めるものになれると信じていた。女の身では侮られてしまい、貴族社会の表舞台に立てないからと、男のように装った。女の服はすべて遠ざけた。
──なんて体たらくだ。女のままでいいといわれるなんて。
不完全だったのだ。父の理想に届かなかったから、切り捨てられてしまった。一瞬でも姉上たちをうらやんだ罰だろうか。
いったい自分には何が足りなかったというのだろう。
「私は何をすればよいのだ」
小さな声で、少女は自分自身に問う。
いまから努力を重ねたところで返り咲けるとは思えない。跡継ぎの地位はもう自分のものにはならないだろう。
では、この家にとって最善の道はどこに。
少女は何を求められているのかを探ろうとする。だが、くやしさがそれをさまたげた。
いっそ、戦争に行かせてほしかった。跡継ぎでなければ、この屋敷に自分の居場所はない。王都の伯爵家相手では、いまさら縁談も断れまい。再三の申し入れなどされては、なおさらだ。だが、姉に混じって婚儀の日を指折り待つことを思うと、男として戦場で討ち死んだほうがよほどましだと感じる自分がいる。
戦争に行き、そのまま出奔してしまおう。物語にでてくる幼い王子のように。
ありえない絵空ごとだ。夢想だ。そのような機会など、自分には与えられないのだから。
どうすればいいのかという答えなど、考えるまでもなくでてしまっていた。少女は答えを認めるのを先延ばしにしようとして、それ以上は逃れられないことを知っていた。
寝台から降り、身支度をととのえる。自分をふるいたたせるため、気付けの杯に手をのばす。冷たい陶器の感触を手でつつみ、中身を一息にあおった。
ことりと杯をおくと、冷めた果実酒が胸をきつく締めつけていった。




