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この血に響け、祝ぎ歌よ  作者: 零-rei-
草原をゆく鎮魂歌【未完】
38/67

2 - 05

「おれじゃないよ、このにーちゃんがぶつかってきたんだ!」

 母親なのだろう。おかみにむかって抗弁し、なおもルカに指をつきつける。「おやめ」と、おかみが指を手でつつんで腕を下ろさせる。「でも!」まだ言いたりないのか、トーマはからだをゆらして主張した。

「昼間も、マ・ソエルの教会の前で……、あッ、ちがう!」

 何に気がついたのか、口元に手をあてる。あきれはてた調子で、おかみはやれやれと首をふった。

「ほうれ、やっぱり違うんじゃないか」

 母親を見上げ、トーマは首を横にふりかえす。こぶしを腹のところで握り、かんしゃくを起こしたようにがなった。


「そうじゃないよ、教会が、マ・ソエルがたいへんなんだ!」

「そうかいそうかい、たいへんだねえ」

 気のない返事をして厨房へ戻りかけたおかみに飛びかかり、トーマはなおも言いつのる。

「ねえ、教会が燃やされちゃう!」

 物騒なことばに、食堂がしんと水を打ったように静まりかえる。


 おかみは血相を変えた。息子へと向きなおり、両手で細い肩をわしづかむ。腰をかがめ、しっかりと目をあわせて、上半身をゆさぶりたてる。

「ほんとうだね? いつもの嘘じゃないね?」

 トーマは、真剣な表情で一度だけうなずいた。歓談していた父親たちはすでに食事の手をとめていた。こちらをみている。さきほど、娘自慢をしていた男は腰をうかしかけている。

「ほんとうだよ。おじさんや、にいちゃんたちがいっぱい来たんだ。知らないひともいっぱいだった。みんなね、たいまつを持ってた。世話役のおばさんに、危ないから逃げろって言われて、みんなで裏口から走って帰ってきた」


 やっと怖くなったのだろう。頬がひきつれる。歯をならした。音を抑えてぐっとくちびるを引き結び、潤んだ目のまま、まっすぐな視線をおかみにむける。

 話を聞くかぎりでは、火事になるというのはトーマの想像だろう。だが、教会の者たちの身に危険が迫っているというのはまちがいないようである。

 とうとうこらえきれなくなったらしい。トーマはしぼりだすような声で問うた。

「マ・ソエル、……死んじゃうの?」

 おかみは床に膝をついた。トーマを抱きしめ、ほおずりする。


「莫迦をお言いでないよ、死ぬもんか。死なせやしない」

 トーマには見えなかろうが、険しい表情だった。頭を優しく撫でてやり、息子を落ち着かせながらも、おかみは父親たちに目配せした。立ち上がりかけていた男がすぐに応じて寄ってくる。

「『(つど)い』の面々に連絡を。急ぎ教会へ向かうようにと」

 おかみの声にうなずいて、男も返す。

「わかった。まだ、鐘も鳴っていないな? いまのうちなら収められるはずだ」

「ああ、頼んだよ」

 ふたりとも焦ったそぶりではあったが、幼いトーマには聴かせまいと、だいぶことばを選んだようだった。男はいったん他の父親たちのもとに戻り、小声で手早く打ち合わせる。手分けするつもりなのだろう、いっせいに駆け出て行く。


 ルカは彼らに道を空け、ナギに視線をなげる。

 ナギは片眉をあげ、それから、目を伏せた。うつむいて大きく嘆息し、しかたないなというように首を振る。それから腰を探った。息子を抱えたままのおかみの傍によって、片膝をついてしゃがみこむ。

「おかみ、悪い。あとで必ず戻るから、何か暖まるものを作っておいてくれないか。──あっちの旦那がたにも、同じように」

 ナギは手をつきだす。おかみが反射的にさしだした手のうえに、二枚、三枚と転がるものがあった。隊商の男から突き返された銅貨だ。他と変わるわけではないが、ルカは気づいて、ひざまずくナギの背を見つめた。


 おかみは数瞬、ぽかんとした顔をしたが、立ちあがるナギの腰元に目をとめた。この気障でうつくしい青年の長剣とは、いったいどれほど頼もしく映ってしまうことか。ルカは苦笑する。

 声を出したつもりはなかったが、表情の変化を捉えたのだろう。おかみの目がルカに転じる。やはりと言おうか、腰に提げた短剣に視線が注がれる。こそばゆい心地だった。

「……おまえさまがた、使えるのかい?」

「人並みには、な」

 ナギに限って言えば、人並み以上だ。内心で訂正を入れ、ルカはわきたつこころを押し隠して、ひとあし先に戸を押しあけた。大股でやってくるナギを待っていると、おかみがこちらへ呼びかけた。


 ナギは戸口に手をかけながらも、半身ふりかえった。耳横の後れ毛が白柳のようにふわりとそよぐ。おかみは声を張りあげた。

「宿、見つからないんだろ? うちへお泊まりよ。あたしたちの部屋を空けるから!」

「ああ、そりゃありがたいや。じゃ、またあとで」

 猫のように人なつっこく笑って、ひらひらと手を振って戸を閉める。かわいらしいくらいの笑顔は、戸が閉まったとたんに仮面のように剥がれた。ルカにむけた表情は平板だった。

 通りにたたずむルカに早足で近寄りざま、後頭部をはたく。そのままの勢いで、胸に引きよせられた。

「阿呆か! 学習しろよ!」


 言い残して離れ、先へ駆けて行ってしまう青年を追いかける。ルカが隣へつくのを横目で確かめ、ナギは口を開く。

「お節介焼きを仕事にするなら、命の保証ができることが条件だ。他人のため、金のために命張ってどうする」

「でも、あなたは戦場にいただろう?」

「それとこれとは話が別だ。第一、あれはよろず屋として受けた仕事じゃないッ」

 イライラともどかしそうにして、ナギはせっかく結った自身の髪を右手でかきまわす。

「あのな、ルカ。俺はおまえがかわいくてしかたないんだよ」

「なっ……!」


 とつぜんの物言いに、ルカはことばを失って立ちどまった。自身も走るのをやめ、ナギは少女をかえりみる。ルカは瞠目するばかりだ。気づいていなかったのかと残念そうに肩を落として、彼はぐしゃぐしゃになった髪を一度ほどいて、手際よく結い直した。

「おまえはいつだって一所懸命になる。俺だったら、いったん足を止めて考えて、危険だと思えばやめてしまうところを、おまえは平気で踏み分けていくんだ。身のほど知らずだと、言うのは簡単だ。だけれども、俺は」

 言いさして、ハッとしたようにナギは空を仰いだ。ルカもならって、夜空を見上げる。


 ──鐘が鳴った。

 一度、二度。時を告げる鐘? 答えは否だ。ルカは直感した。さきほど、宿の食堂で聴いたばかりのことばが胸によぎる。 

『まだ、鐘も鳴っていないな? いまのうちなら収められるはずだ』

 やっと、焦りが去来する。ルカは相方のことも構わずに走りだしていた。

 鐘は鳴り続ける。どこから。集中するまでもなく、町でいちばん高い建物が目に入った。尖塔が灯火に照らし出されている。揺れる鐘の影と、かたわらに僧らしき姿がいくつか見えた。

 ──ああ、やはりそうだ。

 ルカは石畳を蹴り、奥歯を噛みしめる。角を曲がる間に、響いた鐘の音の数が時刻の数を超えた。

 確信する。この鐘は、警鐘だ。火事を知らせる鐘なのだ。


 昼間の教会が見えた。やりあう声が耳に届く。木槌や棒の先に包丁をつけた即席の得物と、たいまつとを振りかざし、男たちが教会の入り口に詰めかけている。五段ほどの石段をうめ、それでも足りずに通りに広がっている。総勢二十名はいるだろうか。その見かけはまるで、領主への抗議行動そのものだった。だが、むかう先は領主の館ではない。小さな異教の教会である。

 彼らの矢面に立っている人物が見えた。壮年の男性だ。遠目にも僧服ではないが、黒っぽい落ち着いた色を身に纏っている。教会の世話役のひとりなのだろう。扉を背に両腕を広げ、男たちを奥へは通すまいとしながらも、なるべく穏便に済ませようとしているのが、こわばった微笑みからうかがえた。

 押し問答だ。尼僧を出せ。尼僧は休んでいるので、ここには出せない。この教会には武器があるのだろう、(あらた)めるから中に入れろ。尼僧の許可がなければ入れられない。やましいことがあるからだろう。やましいことなど何もない!


 男たちの後ろで荒く息をついて、ルカは力が抜ける思いがした。思わず、膝頭をつかんでかがみ込む。

 教会には火事の気配はなかった。先刻の警鐘は、どこか別の場所で火事があったということなのだろう。自分を納得させ、ナギが追いついてくるまでにひとびとを落ち着かせる方策を練ろうとした。

 そのときだ。二階の格子窓に人影がちらついた。

「──?」

 気づいたのは、比較的、教会から離れて立っていたルカが最初だったように思う。しかし、駆けつけてきたときの足音でルカに注意を向けていた若い男がいたのだ。一群の後方に位置していた彼は仰向いたルカの視線をたどり、人影を見つけてしまった。


「尼僧がいるぞ、二階だ!」

 叫んだ彼の声に、皆が二階を見やった。人影は身をひるがえして奥へひっこんだ。はじめに発見したルカでさえ、暗がりのうえ、あまりに一瞬のことで、それが尼僧──ソエル・イステルであるかどうかなど、判別がつかなかったほどである。あとから見上げた若い男やその他の者たちに、人影がだれであったか、分かろうはずもない。

 それは、だれのしわざだったのか。

「逃げるな、邪教の尼僧め!」数人が雄叫びのようなうなり声をあげ、そのうちのひとりが腕をふりあげた。燃えさかるたいまつが人影を追って二階の窓へと投げ込まれる。


 ルカは、ぼうぜんと立ちつくした。手を尽くせる、わけもなかった。

 二階の窓が破れる。たいまつの灯火は窓辺のとばりに燃えうつり、見る間に広がっていく。男たちが、いったい何を為したというのだろう、高く喝采をあげる。そこへ、いくらか遅れてナギが駆けつけた。 

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