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この血に響け、祝ぎ歌よ  作者: 零-rei-
草原をゆく鎮魂歌【未完】
37/67

2 - 04

 思ったより、夕暮れの訪れが早かった。状況は、ますます自分たちに不利だ。

 ルカは食器に手をそえる。やけどしそうに思えた指が熱になれていく。器ごしの料理のぬくもりがうれしい。地面に腰をおろすのではなく椅子にかけて食事をすることがどこか特別に思える。

 いまは、食べることに集中しよう。後悔も焦燥も忘れておこう。腹を満たすのは、生きることの基本だ。思ってから、じゅうぶんさきほどのことばが気にかかっていることに思いいたって、ルカは無理にくちびるを笑ませる。


 食堂には、木目の粗い長卓がひとつきりだった。十数人は座れるだろう。店にたどりついた時点で、すでに大人数のひと組が先客としていた。席はほぼ埋まっていたが、頼みこんで相席にしてもらった。端の二席だけを借りて、いそいそと食事にかかっているわけである。

 右横で、年のころ四十、五十ばかりだろうか、見知らぬ男が酒をあおる。なみなみと酒の注がれた木杯はルカの顔ほどもありそうだった。わりに年かさの男たちだが、これがことのほか騒ぐ。『お貴族さまのところに息子を奉公に出した』と、ひとりが大声で自慢する。他の者があいづち、自慢し返す。『おれのとこの娘は嫁にもらっていただくんだ!』『どうせお妾だろう』『それも二番目』『なんだと、貴様ら!』

 語調こそきついが、たがいに軽口をたたき合っているだけ、なれあいである。こどものころからの知り合いといったようすである。幼い時分の武勇伝やたまの冗談が耳に入ってくる。口の端にうかんでしまう笑みを押し隠して、ルカはむかいに座るナギに目をむけた。


 いいかげんなところはあるが、基本、食事にしろ立ち姿にしろ、ナギの所作は洗練されている。特段、上品という意味ではない。これはこれとして認めたくなるような型があるのだ。幼いころに厳格にしつけられた素地にナギ自身のくせがくわわった……おそらくはそのようなところだろう。そういえば、教会の巫人みたいなものだったと、自身、口にしていたではないか。きっと、そのときに身につけたに違いない。


 おかみが気を利かせて料理をひとりぶんずつにわけてくれた。おかげでいちいち長卓のまんなかに腕をのばさなくてよいぶん、すぐそこにいるというのに視線が交わらない。うつむきがちのためか、白い睫毛が目の表情を見えなくしてしまう。腰をあげて身を乗りだして手を伸ばせば、頬にふれられる。そうでなくても、歩けば小柄なルカでも大股で二歩だ。それなのに。

 ひと部屋ふた部屋の宿と、住居も兼ねた小さな店だ。銀食器など備えていない。あるのは使い込んだ木匙だけだった。ふかしてからそうたっていない芋を、蜜色の指がつまむ。崩れる。熱を感じさせないしぐさで、きれいにまとめて、口へ運ぶ。一連の動作にみとれていると、指先を口になかば入れたまま、ナギが目をあげた。みられていたことを知っても、いっこうに動じるけはいはない。もうひとくちと、平然と食事をすすめる。


 恥ずかしくなった。

 行儀悪くも、さじでかきまぜるようにしていた料理に口をつける。芋のかけらをさじですくい取る。

 ──気にしているのは、わたしだけ、か。

 ナギからしてみれば、あたりまえのことを言ったにすぎないのだろう。

 塩味と、ごくごくかすかな甘み。舌のうえでほろりととけて、粉っぽさが消える。飲み込んで、ルカはふっ、と短く嘆息した。


『きみらには悪いが、ここまでで引き返すことにした。この先の町や村へは足を運ばない』


 隊商の長のことばを聞いたのは、一刻ほども前だろうか。馬車ならば、次の町をあきらめるにはいささか早く、徒歩であれば、遅きに過ぎる知らせだった。

 当然のことながら、ナギが詰めよった。話と違うじゃないか。大きく手をひろげて主張すると、隊長は目をそらした。ふところから、謝礼として渡していた銅貨の一部をとりだし、つきだしてよこしさえした。てのひらのうえに転がった銅貨に、ナギが目を落とし、驚いて、口を開こうとする。そこを、さえぎられた。


『盗賊が出た。ここらではめったにないことなんだ。だが、戦争から戻ってきた無頼者が悪さをはたらいていると聞いた』

『──いままで、どんな被害が?』


 何歩も離れたところから、思わず問うていた。むこうのふたりがふりむいて、こちらの表情をうかがっている。ナギははっとしたような顔つきになる。ルカは、隊長の目を射るようにまなざした。隊長は口ごもる。言いあぐねた調子で、口元を手でふさぎ、顎をなでる。言ってもいいのか? ナギに了解を取るように目をやる。ナギの目が『やめておけ』と、険しくルカをとがめている。


『教えてくれ』

 重ねて言うと、ナギは下くちびるを噛み、呆れたようすでしぶしぶうなずいた。隊長はそれでも、とまどったようすで状況を告げる。

『乱暴な男どもらしい。脅されて商品を根こそぎ奪われたり、馬車ごと持っていかれたり。通行料をとられた例もあるらしい。あと、既婚未婚問わず、若い娘が数人、連れて行かれたっきりだと言う』

『……そうか』


 ルカは腰元の短剣に手をそえた。

『ありがとう。ついでに教えてくれ。被害に遭った者たちは、護衛をつれていたのか?』

 こちらの意図に勘づいたのだろう。隊長の目が一瞬だが、希望にひかった。

『そうか、きみらも戦争帰りだったか! 武器のあつかいには慣れているんだったな!』

 諸手をあげて護衛を雇おうとした隊長の肩を、ナギがつかんでひきとめた。


『残念だが、うちのひよっこは身のほど知らずでね。こんなのをつれていたら、かえってあんたがたを危険にさらすことになる。期待をさせて悪かったが、護衛はできない』

『ナギッ!』

『この銅貨も、ここまでの車賃と思ってしまっておいてくれ。あちらについたら、もう半分という約束だったろう?』

 相手のてのひらに銅貨をもどし、握らせる。紅い瞳はじっと隊長の瞳をとらえ、それから、にっと笑った。とりついて不満をのべる暇もなかった。


『短いあいだだったが、世話になった。また機会があったら、よろしく頼む』

『あ、ああ』

 面食らったようすの相手をよそに、さあいこうかと、笑顔のままルカの手をとる。ずんずんと離れて、馬車がみえなくなってから、乱暴に街路に引き倒された。水袋をとりおとす。ふたがとんで、汲んだばかりの水がこぼれる。石畳の地面が黒くなっていく。

 衝撃で、顔もあげられなかった。動けないでいると、ナギがかがみこんだ。水袋をとりあげ、ふたをする。手の甲でぴしっと頬をたたかれた。力など、虫を追うときほども入っていない。痛くもない。なでられたようなものだったが、はたかれたことにすらびっくりして、だまって目を見開いたまま、ルカは頬にてのひらをあてた。


『死にたいのか』

 質問なのか、独白なのか、呼びかけなのか。わからなかった。ルカの胸元にさがる小刀を見つめ、手にとり、てのひらに握りこむ。

『馭者と侍女の身柄で(あがな)った命だ。左目を犠牲にしてやっと手元に残った命だ。粗末にするな』

 石畳にへたりこんだままのからだがふるえるような心地がした。

『おまえの無謀が侍女を辱め、馭者を死なせた。護衛も断って馭者と侍女ひとりで王都まで? 行けるわけがない、許したほうも同罪だ。どうして気づかない』

 地面を這って、あふれた水が膝元にたどりつく。濡れる。冷える。

 ナギのことばは容赦がなかった。

『二度目はない。戦で人を殺して仲間を殺されて、「お嬢さん」のままか、ひとつも学ばないのか』

『──ナギ』

 首をふる。涙がでそうだ。こらえる。ミカルの穏やかなほほえみが頭のなかから消えていく。そうだ、憎まれてあたりまえ。馬車に残ると決めたのはミカルでも、最後の選択をするまえに、もっと前に、別れ道はたくさんあった。枝道をそぎ落として、誤った道だけ残したのは、自分だ。


『剣をとるなら肝に銘じろ。おまえが自分の力をはかり間違えば、──ひとが死ぬんだ』


 口のなかでくりかえして、ルカはとうとつに意識を引きもどされた。ずいぶんぼうっとしていた。ナギはとうに食事を終えている。急がねば。かきこむように、せっせとさじを動かす。

「となり近所に聞いてもらったが、今晩はどこの宿も空きがないらしい」

 こちらの物思いになど頓着しないナギのひとことに、救われる。

「野宿にする?」

「広場があれば、な。あとは民家に一軒一軒あたるか、だろうな」

 ルカはぐい、と、食前にと出されていた果実酒のちいさな杯をかたむける。喉の奥がすっきりし、続いてかっかしてくる。

「……よし。では、行くか!」

 いきおいをつけて席をたつ。相席をゆるしてくれた男たちとおかみに礼を言って、店をでようとした。

 そのときだった。手をかけようとした扉が遠ざかる。視界よりもずっと下、黒い影がぶつかってくる。悲しいかな、ルカは軽い。重みを受けとめられずに後ろにたおれ、床につく寸前でナギに支えられた。

 顔をむけ、瞠目する。むこうでも、同じような体勢で、相手がぽかんと口をあけていた。

「あーっ、昼間のにーちゃん!」

 先手をうって指さされる。「だれが『にーちゃん』だ!」ルカがいきりたつよりも早く、

「これッ、トーマ! 何度いったらわかるんだい!」

鋭く飛んできたおかみの怒号に、男の子──トーマは首をすくめ、生意気にくちびるをとがらせてみせた。

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