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この血に響け、祝ぎ歌よ  作者: 零-rei-
草原をゆく鎮魂歌【未完】
35/67

2 - 02

「……?」


 逆光のなか、かがむ人影があった。覆いかぶさるようにして、のぞきこまれている。目にささる光に手をかざし、呼びかけることばを探した。

 ミカル。そう口にしようとして、思いとどまる。そんなはずはない。髪こそ長いが、もっと大柄な──そう、男の影だ。


「平気か?」


 低く問われて、我に返った。目が明るさに順応する。

 さして心配そうでもないナギの顔に、揺り起こされたのだと、うすうす察しがついた。

 目の奥がうずく。それにしても、まぶしい。手で庇を作り、空を見上げる。まだ、日は天頂にある。そう長いこと眠ったわけではない。せいぜい、二刻といったところか。考えてから、ひとりごちる。

 どこが長くない、だ。日がのぼってから沈むまで、この時期は四刻半しかない。

 それだけの時間、寝入ってしまっていたのだ。慣れない旅路に疲れたとはいえ、乗合馬車でもないのに連れをひとりで過ごさせたと思うと、とたんにもうしわけなくなった。


 ナギはまるで気にしていなかった。体勢をもとどおりにして、となりに腰をおろしたきり、文句のひとつも言わない。なんだかんだ言って、我慢づよい性質(たち)なのだろう。

 横になったまま、ここはどこだと、視線で問うてみる。ナギは気づいて、目を荷台の外、前方へと転じた。


「もうすぐキルファだ。そこで一度休憩するんだと」


 がたりと馬車がはねるのにあわせて起きあがる。膝をかかえて横になっていたせいで、背中のすじや骨が動かす先から鳴っていく。

 聞こえたのだろう。ナギが軽く肩を揺らす。立てた片膝に腕をおいて、背を丸めて笑うしぐさは、いやにものなれたふんいきだった。実際、旅慣れているのだろう。

 しかし、昨日の今日で、ずいぶんと器用になったものだと思う。自分のことだ。起き抜けだというのに、しゃんとした姿勢で座れるようになった。ささいなことに、あわく微笑む。はじめのうちは座ったまま、荷台を転がっていたというのに。


「おどろいた。ゆすってもはたいても起きないとはな」

「そんなに深く?」


 きっと、戦場にいるあいだは無意識に気をはっていたのだ。王都に着いて、いろいろあった。ナギがよろず屋の事務所にちょうどよい部屋をみつけてきて、いっしょに住むことを決めた。ひとばん寝台もない部屋で泊まって、起きるまで、いっときも気が抜けなかった。


「ナギ」

「何だ」と首をかしげる青年に、ルカは思ったままに言った。

「ありがとう。よく眠れた」


 口にだしてみて、自分でも気恥ずかしくなる。ナギも面食らったのだろう。こちらをみて、つぶやくように言う。


「別に、何もしていない」


 何もしなくていい。そこにいてくれるだけで。──いや、違うか。そんな恋仲の男女のような感傷はない。

 自然、笑っていた。違う。肩をゆらす。いぶかしそうにして、ナギがようすをうかがっている気配がある。変にうつるだろう。わかるのに、笑いがとまらない。


「ルカ?」


 呼びかけられて、笑みを残したまま頭をふる。肩をすくめて、ナギは髪をまとめなおした。バラけていた白い髪を指で軽くすいて、うしろでくくる。乳白色の髪が日に透ける。触れたい。手を伸ばしそうになり、ごまかすように、自分の髪に手をやる。


「どうした」


 気づかれていた。たずねられて、「いや」と短く答える。暗い、焦げ茶色の髪は、戦の前に切ってもらったままだ。肩をすこし過ぎるくらいまで伸び、横の線がガタガタになっている。あとでまた、裾をそろえておかなければ。

 考えながら、自分のものではない髪の感触を指に思いだしていた。

 ナギの髪は、数度さわらせてもらったことがある。これが、見た目よりも、なめらかでさわりごこちがよいのだ。まるでこどもの髪のようだった。切るのはもったいない気がしてしまうが、資産家の令嬢でもないのに馬油だ何だとぬりたくって手入れすることもできない。男では下手に結うこともできない。女なら、かんざし一本くらいは買ってやるところだろう。いまならまだ、ルカのふところはあたたかい。


 莫迦なことを考え考え、ルカはぽつりともらした。


「嫌な夢をみた」

「そんなところだろうと思った。ずいぶんとうなされていた」

「……そうか」


 髪の房を手放し、馬車の行く手を見やる。


 キルファの町だろうか。瑠璃色の屋根がつらなっている。壁は灰色が多いようだが、白も見える。大きな町のようだ。聞いていたとおり、平和な土地柄らしい。北のように町をとりかこんでいる城壁は、見受けられない。全体に屋根の低い建物が目立つ。


 うしろから町にむけて風が吹く。何拍も遅れて、教会らしき屋根に掲げられた旗がはためいた。シラの教会はどこも立派だ。領主の家屋敷や城とかわらぬほどのものもよくある。だが、王都など北方のものにくらべて、西方や南方は特に豪奢な印象がある。


「キルファを過ぎたら、すぐなのか」


 たずねるともなくつぶやく。首からさげた紐にふれる。騒動で一度ちぎった麻紐は、小さな結び目を残して、もとどおりにした。まだらに紅く染まった線をたどりながら、ルカはとなりに視線をむけた。ナギもまた、ぼんやりと町のほうをながめていた。らしくないさみしげな表情にどきっとする。

 こちらに気づくようすはない。盗み見てしまったようで、居心地が悪かった。目をそらしつつ、ルカはそっと、胸元に手をふれる。服のうえから紐の先を握りしめる。


「隊商の話だと、そうなるな」


 遅れて響いた声にはっきりと顔をむけると、ナギはいつもの飄々とした態度に戻っていた。安堵するこちらのこころのうちを知ってか知らずか、淡々と自分の荷を腕にかかえこみ、からだを低くかがめている。何をしているのかと思っていると、今度は流し見られた。


「莫迦、つかまってろ」

「え? あ、わぁッ」


 がくりと、からだが重心を失った。上半身がうしろに傾ぐ。空が暗くなる。目に入ったのはすぐ間近、頭上を覆う大きな石組み。いつのまにか町に入ったのだ。思っていた道とはちがうところに入り口があったのだろう。

 とっさにあてもなくのばした腕に、蜜色がからんだ。手首をにぎられ、ひきよせられる。かえりみて、はじめて、あれが何だったのか、ルカは理解した。道のうえを通る低く丸い石橋がかけられている。人が行き来している。どうも、橋のしたに段差があったものらしい。

 わかったところで、あらためて前にむきなおって、その存在を知った。


 ナギは手首をつかんでいただけではなかった。腰のあたりに体温を感じる。視界の下方に見えた色に身構えて、耳元で笑われた。キッとふりむいてみて、あまりの近さにのけぞりそうになる。なんでもないような表情に、喉元までせり上がってきていた文句を飲み込んでしまう。こんなことで一々とやかく言うのは、恥ずかしいことなのかもしれない。


 その考えも、結局のところ、見透かされていた。紅の瞳がこちらをいたずらっぽくまなざす。


「このさきも、してほしい?」


 耳にかかった息に首をすくめる。かすれた声。正直なところを言ってしまえば、怖いと思った。


「……ほ、ほしくない!」

「じゃあ、次からははっきり、そう言うんだな。世のなか、枯れた男ばかりじゃないぞ」


 ぐっと、ことばにつまる。

 枯れた? 暗喩だろうか。わからないながら、うなずくと、腰にまわしていた腕を引き剥がしながら、ナギは肩をすくめる。


「そう怯えるなよ。妹分に手を出すほど飢えていない」

「ナギ!」


 呼びかけには応えずに、彼は背を向けた。荷台から飛びおりて、一瞬、まったく姿が見えなくなる。


 いつのまに馬車はとまっていたものか。荷も置き去りにして、ルカは荷台の端にとりついた。もう一度、呼ぼうとして開いた口を、ゆるゆると閉ざす。

 靴紐を結ぼうとかがんでいたらしい。うわむいてこちらをみたナギは、怪訝そうにした。


「なんて顔をしてる?」

「──っ」


 口元がゆがんでしまっていた。自分でもわかる。それを、なんとかとりつくろう。どうしてだろう、夢から醒めてずっと、同じ気持ちが渦巻いている。ぬぐえない。


 荷台の端をぎゅっとつかんだままみつめていたら、腕を伸ばされた。幼な子にするように抱きあげられる。荷台からおろされながら、足先で石畳を確かめる。


「怖い夢だったのか?」


 とまどったような、からかいながらも、ゆっくりと背をなでてくれる。その胸に、しがみついていた。


「おい、ルカ?」

「……。」

「どんな、夢を見た」


 おぼえていない。ただ、首を振る。

 なんだったろう、あれは。深く思考を沈ませて、ルカは考えこむ。

 よみがえるのは、どこか憶えのある強い感情だけ。


 ナギの上着を何度か握りなおしているうちに、ふっと何かがよぎった。追いかけて、つかまえて、ルカは伏せていた顔をふいにあげた。

 ──思いだした。


 父に娘としてあつかわれたときと、同じ。だが、もっと激しい。

 ──喪失感だ。

 わかったとたん、つかえていたものが消えていく。


 背を、あたたかな手がなでおろす。なだめるように、なぐさめるように。

 手のうちに握りこんだ布地はなれて、やわらかい。つつみこむようなその感触に、しばし甘えることにして、ルカは静かに目を伏せた。

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