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【注意】この章は未完です。あとからここに複数の章が入る可能性があります。時系列が飛びますが、よろしければ、目次より次の章にお進みください。
空虚だった。
何度も嘔吐した。自分の絶叫で、耳がいかれていた。
だから、においも音も、よくおぼえていない。
教会の外に出たときには、もう夜になりかけていた。周囲をとりかこむ樅の林が夕日のなごりさえ遮っている。裾をぎざぎざに切り取られた夕暮れの空には、赤みはほとんど残っていない。天頂のあたりから、青黒い幕がおりたようだった。
壁伝いに教会の裏手にまわる。小屋と呼ぶのもおこがましいような庇の下に、薪の束がめいっぱいに詰め込まれている。
冬支度だ。彼は知っている。マ・ソエルと、"兄弟姉妹"たちと、いっしょに作った束だ。つい10日も前ではないだろうか。
林のなかにわけいっていき、マ・フレラが木を伐った。母に感謝のうたをささげながら、みんなで教会のそばまで運んだ。すこしばかり年長のナジールたちが伐った木を細く短く割って、薪にした。
縄をなったのは、働ける年齢になったばかりのナジールたちだ。マ・ソエルに教わりながら、麦わらで作った。
マ・ソエルは言った。冬は厳しい。
短いことばだったが、彼は深くこころに刻んだ。秋口だと言うのにかじかんだ指がすりきれそうになったけれど、がんばって縄をなった。つたなくても長く編むと、マ・ソエルはよろこんでうなずいて、彼の手を両手でつつんでくれた。
あたたかな手だった。
思いだして、口がひんまがった。目がうるむのをこらえて、それでもあふれたしずくをぐいと肩口の袖でぬぐった。
背伸びをして、なんとか薪の縄をつかんだ。ひきずりだそうとして、均衡をくずし、うしろにころんだ。濡れていた衣服がいやな感触で滑った。手にもっていた束はすぐかたわらに落ちていた。ひとかかえもある束を持ちあげて、まずは近くの壁にたてかける。
次。目をあげて、ぐらついている束を下にひっぱる。山のうえのほうがいっしょになって傾く。あっ、と思ったときには、崩れていた。すんでのところで避けたので、下敷きにはならなかったが、五つか六つか、落っこちた束の縄が切れてしまっていた。
意味もない行動だった。彼は切れた縄の両端をつかんでひきよせて、つなぎあわせようとした。無理にひくと、縄の輪が締まり、なかの木ぎれはばらけて、別々に地面に落ちた。もう、戻せない。そんな気がして、ふしぎなくらいに悲しくて、彼は木ぎれを胸にあつめた。抱えあげて、さきほどよりもすこし遠くの壁際に、そっと積む。
彼は裏手と表との行き来をくりかえした。教会の外周に薪をおき終えると、畑にむかった。
踏み荒らされてしまった玉菜畑には、"姉妹"がいた。ナジール・アズラとナジール・エリヤだ。アズラがエリヤを腹にかかえこんで丸まっている。彼よりも二つほど幼かったエリヤは、アズラに抱きついている。たぶん、何もわからないうちのことだったに違いない。
アズラとエリヤのからだに立てかけるように薪の束を置いた。
それから、一本だけ木ぎれを引き抜いて──火をつけた。
ふたりの衣服に染みた血のあとを、火が癒すようになめていく。ちりちりと髪の毛がちぢれていく。 彼はきびすを返し、今度は教会に火をともす。
燃えていくのを、彼はみつめる。夕焼けの消えた空のなか、何よりも、あかあかと教会はゆれる。
これで最後だ。そう思って、目をとじた。うすくくちびるをひらいて、彼は祈った。
門はとじられてしまった。マ・ソエルもマ・フレラもナジールたちも、みんな行ってしまった。彼は、まだ祈ることと縄をなうことしか知らない。でも、もう、みんな行ってしまった。
母なる神の御許に招かれてしまった。
祈りは高く響く。火は燃えあがる。
さあ、燃えつきてしまえ。灰となって、地に還れ。母の御手にいだかれて、やすらかに眠れ!
彼は膝をついた。腰もくだけた。泣きわめいて、地を打った。
──母よ、おうらみもうしあげます!
炎は、教会と"家族"と祈りとを彼から奪い去り、いつまでも夜の底を照らし続けた。