幕間 - 01 不可解なお使い─或る娘から見たとき─
街を歩いていると、不思議な既視感に襲われることがある。その相手は建物だったり、人だったり、ものだったりと、結構さまざまだ。
今日見かけたのは、昔の知り合いそっくりの女性だった。
あたしは例のごとく、「宵かがり」のご主人にお使いを頼まれて、花柳街の外に出ていた。一応、これもよろず屋のしごとのひとつではある。
「宵かがり」というのは、ステラたちがよく使っている小間物屋さんだ。そこの主人が今日はどうも手が離せないらしくって、お客のひとりに商品を届けに行くのだ。
端書きしておいた屋敷の所在をちらちら確認しながら、あたしは王都の中心付近をふらついていた。
大貴族の屋敷が並ぶあたりではない。だけれども、この辺もじゅうぶん上流階級の人々の住む地域だ。さっきから、場違いなあたしに冷たい一瞥をくれながら、お貴族さんがたが通りを過ぎている。
昼近いから、ちょうど出仕の時間なのかも。胸に抱えた小袋を手で支えなおして、あたしはぼんやりと思い、道を進んだ。
目的の家らしきものが見えたのは、それほど時間が経ってからではなかった。
家名は言われなかったけど、ここで良いはず。キシュ通りの赤い屋根の屋敷といったら、この一軒しかない。
門衛に寄って、笑顔で話しかけた。
「ご用命を賜りました『宵かがり』の者です。こちらを届けに参りました」
言って、袋を見せる。門衛は一瞬、不審だと思ったのかもしれないが、手を出さずに中に入るように指示を出した。代金を、と思ったのかもしれない。
あたしは首を振って答えた。
「御代はもういただいております。お館さまにお渡しいただければ、結構ですので……」
さっさと渡して帰ろうとするのを、引き止められる。門衛はかたくなに受け取らず、あたしを無理やり屋敷の中に放り込んだ。
いやいや、ちょっと待って。門衛って、そういうときに拒むのがしごとでしょうが。
わけもわからず邸内に入れられてしまい、途方にくれていると、屋敷の建物の中から、老人がひとり出てきた。
「『宵かがり』のかたですか?」
「はぁ、そうですが……」
応じると、満面のつくり笑いが目に入る。老人はお上品なしぐさで、建物の扉を示してみせた。もったいなくも迎え入れてくださるらしい。
「お館さまがお待ちです。どうぞこちらへ」
早く帰りたいんだけどなぁ。
あたしはもはや断って出て行くこともできずに、しぶしぶ建物へと入った。
屋敷の中の装飾は最低限のものにとどめられていた。ぱっと見にはかなり質素だけれど、乏しいのとは違って、わざと控えめにしてあるようだ。
あたしは廊下に配されていた花瓶と、それの置かれている台を見て、確信を深めた。地が黒っぽい花瓶は、形もすっきりとしていて地味に見える。あれなら、どんな花でも合うだろう。地味なのは花を引き立てるためであって、無頓着なのでも倹約をかかげているのでもない。だって、あれはたぶん、名工の作だ。あのうわぐすりの塗りかた、他のところで見たことがある。
飾りは無いけれど、優雅に広がった台の脚と、生けられた花は形の上で対をなしていた。花は花瓶に引き立てられる。でも、同時に品なく主張しないように、台とそう違わない程度の広がりに抑えられている。あたしはこころのなかで感心した。
あまり見ない方法だけど、悪くない。
さっき、ちらっと見た庭も目立つ花などは無かったけれど、手入れが行き届いていた。ここの主人はただの小身貴族や大商人ではないらしい。もし、本人がそうした品位を持っていなくても、代わりとなる使用人を雇えるような頭だけは持っている。
舐めてかかってはいけない。質素や地味を装っているだけだ。
この届けものをするだけでは済まされないかもしれないとまで思ってから、あたしは小さく首を振った。莫迦らしい。そこまで深刻に考える必要は無い。「宵かがり」の主人があたしの素性を知っているならまだしも、そんなことはありえないのだから。
先を行く老人に気づかれずに済んだことにほっとして、あたしは黙ってうしろをついていった。老人はとある部屋の前で立ち止まり、扉をこぶしで軽く叩いた。
「例のお嬢さんが参られましたよ」
その口調が存外にくだけていて、あたしは目を剥きそうになるのをこらえた。執事だと思っていたが、違うのだろうか。
視線を向けると、老人は扉の取っ手を示した。作り笑いではなく微笑んで、中からの返事も無いのに、入るように促される。
「大丈夫です。無体をなさるかたではない」
ささやかれても、正直に言えば、すごくためらう。そもそも、ここの主人が誰なのかさえ知らないのだ。だいじょうぶだなんて言われても、いまひとつ信じきれない。
それでも、あたしは腹をくくった。
部屋は思ったとおり、それほど広くはなかった。ここもさっぱりとしたしつらえで、正面には大きな窓と、安楽椅子があった。しかし、肝心の主人とやらが見当たらない。
顔を左右にめぐらせていると、背後で戸が閉まる。老人は部屋には入らずにどこかに言ってしまったようだ。振り向かないで考えて、あたしは声を出した。
「『宵かがり』の者です。商品のお届けにまいりました」
名乗ると、右脇から音がした。いえ、正しくは右下、床付近からだ。見ると、四十近くと見える男性がひとり、長椅子の前にかがみこんで、椅子のしたを探っている。
「何を、してらっしゃるんですか」
ちょっと面食らいながらたずねると、彼はやっと顔を上げ、あたしを仰いだ。
「香水の壜を転がしてしまってね。そうだ、君が取ってくれないか? 私の腕にはすこしばかり狭くて」
言って、紳士は手を振って袖をはらった。かがんでいたせいで、じゅうたんの毛糸くずが袖じゅうにくっついてしまっている。うちの数本は指でつまみ取ったものの、面倒くさくなったらしい。上着を脱ぎ捨て、安楽椅子にほうった。
長椅子を動かせばいいと思ったが、いかにも重そうで、あたしとこの紳士のふたりでは持ち上げられそうに無い。
「いま、必要ですか? 下男を呼べばよいのでは……」
さりげなく嫌だと意思表示するも、通じない。違うわ、これは無視されたのだろう。しかたなく商品を長椅子の上に置き、あたしは椅子の前にひざまずいた。じゅうたんの毛足が長いせいだろうが、確かに狭い隙間だ。袖をまくり上げて手を入れ、左右を探った。
爪がこつっと固いものをはじいた。これだ。指先で引き寄せ、てのひらに包むと、冷たさを感じた。小さな四角い壜だ。でも、これを握ったままだと、どうやら手が引き抜けそうにない。
あたしは手首を小さく動かして、壜をこちら側へ放った。じゅうたんの上を滑らせるつもりだったのだが、うまくいかない。毛に阻まれて、途中で止まったらしい。
しかたなく数度同じように小突いて取り出して、ようやく気がついた。あたしの頭上に影が落ちている。紳士が、見下ろしている?
そろそろと顔を上げて、ぎょっとした。相手の目は驚くほど冷ややかで、凍りそうだった。
「あ、あの、取れました」
懸命に言うと、壜を手渡す。と、紳士はさっきまでの表情など無かったかのように人懐こい笑みを浮かべた。
「ありがとう」
あたしは渡しながら、あっと声を上げてしまった。もうひとつ、気づいてしまったのだ。
こんなじゅうたんが敷かれているのに、転がった壜が長椅子の下へ入るわけがない。壜の形だって四角かったし、あんな深くまでは転がらないだろう。
この人がわざと投げ込んだのかしら。何のために。わけがわからない。
あたしが口をつぐんでいると、紳士が覗きこんでくる。
「どうしたのかな、気分でも悪い?」
「いいえ、平気です。商品を、お確かめください」
袋を手に取って、押しつけるように渡す。その手ごと取られて、あたしはひるんだ。力いっぱい振りはらうと、商品の袋が紳士の腕からこぼれる。慌てて引っつかんだものの、すぐには返せない。
それが解かったのだろう。紳士はあたしに手を伸ばし、袋を受け取ると、長椅子に体を預けた。そのしぐさは洗練されてはいて、不思議な魅力があった。
彼は目にかかった砂色の髪をさっと指で払い、あたしに向かって穏やかに微笑んだ。
「『宵かがり』の店主に君のことを聞いてね。一度、会ってみたかったのだよ」
だが、用事はすんだと言いたげな口調だった。あたしはどうしようか迷ったけれど、その場でお辞儀をして、部屋を出ようとする。その行動を、紳士は一声で止めた。
「待ちなさい。ひとつだけ、君に頼みがある」
あたしは立ち止まり、肩越しに振りかえる。紳士は翡翠に似た双眸で、こちらをじっと見すえて、口を開いた。
「もしもこの先、ウチの息子に会っても、知らないと言ってやってくれないか? ──まぁ、もっとも、私を見て判らないのなら、憶えていないのだろうけれども」
「どうして、ですか」
紳士は答えずに袋を開けて商品を取りだし、ためつすがめつした。中身は香水だった。先刻の壜の蓋を開けて、どうやって移し変えようかと考えているらしいことは、ここからでもわかる。
「君はとても素敵だからね、息子になどやりたくないのさ」
「それはどうも。」
うさんくさくなってぞんざいに返すと、紳士は年齢に似合わない朗らかな笑い声をたてた。それから、自分の隣に来るようにと手招きする。
「お礼をするよ。花とお菓子、どちらがいいのかな。両方?」
花はすぐに用意できないだろう。庭には切花にするようなものは咲いていなかった。どこかに生けてあるものなら、そのままこの屋敷にあるほうがよほど美しい。
それに、あたしはともかく、ナギは甘いものが好きだ。持って帰ったら、よろこんでもらえるに違いない。
「……お菓子がいいです」
紳士はぽんと膝をうった。得意そうな顔である。
「そう来ると思ったのだよ。いま、麦粉の菓子を焼かせているから、すこしここで待ちなさい。ついでにこの香水も入れかえてくれると嬉しいね!」
身勝手に言うと、さかさかと立ちあがり、あたしの手に香水と壜を持たせる。そうして、自分は楽しげな足取りで隣室へと歩んだ。
まだかすかに温かい菓子を手に、あたしは帰路についた。あのあと、紳士はお茶会をしようとしたり、装飾品をくれようとしたりと、いろいろ構ってくれて、多少疲れを感じていた。
だから、あれは見間違いだったかもしれない。
夕暮れの近づいた道端に、若夫婦と子どもの姿があった。夫婦とも、あたしと同い年くらいで、子どもは歩き始めたばかりに見えた。
それだけなら、見過ごしただろう。でも、その奥さんの顔を、立ち姿を目にしたとたん、あたしは息が止まるかと思った。
ずっとずっと、こころの端で気にかけていた相手に、彼女はひどく似ていた。無事だったのだと、歓喜に声が出なかった。表情も取り繕えない。
いますぐ駆け寄って、再会をよろこんで、抱きしめたい。思ったけれど、それは、ついぞできなかった。
いまさら彼女の前に出て、よろこんでもらえる自信なんて、何も無かった。花柳街に住んでいること、よろず屋をしていること、目をつぶしてしまったこと。昔の自分であれば、誇りはしなかったことしか、手元には残っていない。
それだけではない。あたしはあのとき、彼女を見捨てた。そうして、のうのうと生きて。
彼女が無事だったと思うのが辛くなるのは嫌だった。あたしは無理に、『彼女に似た人を見かけたのだ』と思うことにして、人ごみにまぎれるように住処へと足を向けた。